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手にしたものは

「だ、大丈夫かい?」


 椅子に座り込んでいたアルフレッドを呼びに来た庭師が、心底心配そうな声をかけてきた。


「大丈夫です」

「さらにふらつくようになってるし、顔色もすごく悪いけど」

「大丈夫です」


 同じ返答をもう一度繰り返す。


 毒入りのエビを食べてから、体内の毒素をどうにか除去している最中だが、まだ半分ほどしか処理できていない。内臓のあちこちがじりじりと焼けるように痛み、頭もぼんやりしている。


 それでも、仕事を休むわけにはいかなかった。ここで仕事を休んで、ポステムに何か勘繰らせたくはない。


 アルフレッドは、椅子からなんとか立ち上がる。震えた足を前に出すたびに、皮脂と冷や汗が顔に浮かぶ。


「本当に仕事できる?」

「できます」

「……なら大丈夫か。毒を飲まされたわけでもないしね」


 冗談めかして笑いながら、庭師はカラカラと喉を鳴らした。


(あんたの主人に飲まされたんだよ)


 喉まで出かかった言葉を、アルフレッドは胸の奥に押し込んだ。愛想笑いを浮かべる余裕もなく、無言で庭師の後ろに付き従い、午後の作業に入っていく。


 午前中と比べて、明らかに動きは重い。それでも、指示された草木の手入れを、一つひとつ片づけていく。効率は落ちたが、止まることなく手を動かし続けた。


(毒を飲まされることにはなったが、得るものはあった)


 四苦八苦しながら枝を整え、刈り込んだ後の形を整えつつ、アルフレッドは頭の中を整理していく。


 リオネット家に仕えるようになって、一月ほど。その間、ポステムと会話する機会はほとんどなく、屋敷内で姿を見かける程度だった。直接言葉を交わしたのは、雇われた初日と、つい先ほどの「昼食」くらいだ。


 リオネット家夫人に至っては、一度しか顔を見ていない。イレイナが何度か母親に会いたいと口にしていたが、ポステムか老執事にやんわりと止められていた。


 必然的に、アルフレッドが関わるのは使用人とイレイナばかり。


 そのためポステムに抱いていた印象は、イレイナに対して見せる「優しいパパ」の姿そのものだった。


(苛烈な面も持っていたんだな)


 辞め去れば済む話なのに、わざわざ毒入りのエビを食べさせようとする父親。あれが単なるお遊びなのか、本気で命を削る覚悟だったのかはともかく、優しさだけでは済まない一面を見せられた。


(だが、イレイナに抱きついた件は、これで終わりってことだろうな)


 十尾のエビのうち、半分が毒入り。


 毒入りをすべて避けることができれば、そのまま屋敷に置いておく。


 そんな前提で今回の食事会は用意されていたのだろう。


(最後はずるで死ななかったけど、結構ゆがんだ罰じゃないか?)


 毒入りかどうかなんて、見た目で判断できるものではない。にもかかわらず「五回連続で正解しなければ死ぬ」という非常に厳しい条件。普通の人間なら、どこかのタイミングで毒入りのエビを口にしてその場で転げまわり“最後の昼食”となっていた。


(真意が読めないな)


 罰か、テストか、警告か。


 何かしらの意図があるはずだが、断定することまではできない。


「そこ、もう少し丁寧に刈ってくれ」

「わかりました」


 言われた部分を整えながら、思考は休まず回り続ける。


 やがて太陽が傾き、庭全体が夕焼けに染まり始めた。作業を終え、道具を片づけ、アルフレッドは自室へ戻る。




 夜。


 新月の夜空は暗く、月明かりもないはずなのに、街は明るかった。人工の光が通りを照らし、店の灯りが人々の顔を赤く染める。酒場の前には笑い声があふれ、酒瓶を片手にした大人たちが飲み食いに興じていた。


 その喧騒を横目で眺めながら、アルフレッドは人目につかないように街を進む。


 本来、使用人が街へ出るには許可がいる。外出の記録も、誰とどこへ行ったかも、きっちりと残される。


 だが、今日の用事は、記録に残すわけにはいかなかった。


 だからアルフレッドは、自室の窓からひっそりと屋根を伝って抜け出し、人気の少ない裏通りを進んでいく。


(目的地までの経路は頭に入ってる)


 イレイナと進みなれた道と周辺の地形を思い出していく。


 それらを組み合わせて最短ではなく、最も目立たない道を選んだ。


「タイミングばっちりだな」


 目的地の建物が視界に入ったそのとき、急に目の前に人影が現れた。思わず足を止める。


「アゴヒゲ。どうして目的地で待ってなかったんですか?」


 声をかけると、その男は顎に生えた髭を指でいじりながら、平然と答えた。


「お前がどの進路で来るか確かめてただけだ。さすがに屋敷からまっすぐ来るわけはないな」


 以前、劇場で合流したスパイ仲間――アゴヒゲだ。今日も平民にしか見えない、地味な服装をしている。街の雑踏の中に紛れこめば、誰も彼を覚えていないだろう。


「それにしても……なるほどな」


 アゴヒゲは顎鬚をなぞりながら、アルフレッドを数秒じっと見つめる。そのあと、にやりと口元を歪めた。


「なんですか」

「体が満足に動かなさそうだな。仕方ない、背中は俺に任せとけっ!」

「……ありがとうございます」


 すぐに見抜かれたことに、逆に何も聞く気が起きなかった。アルフレッドは素直に頭を下げる。


「仲間だからな」


 アゴヒゲは、さらりと言い捨てると、アルフレッドが向かっていた方角とは逆の方向へ歩き出した。


「わかったんですか?」

「まぁな。基本は抑えているが、まだ二流ってところだな。俺たち一流とは話が違うよ」

「私はまだ一流ではないです」

「三流は三人いなきゃ仕事ができない。二流は二人。一流だったら一人でこなす。だからお前は一流だ」

「では、今我々は二流ですね」

「そうだな。日々精進、日々精進」


 取り留めのないやりとりを交わしながら、二人は徐々に街の中心部から離れていく。酒場の明かりも、屋台の灯りも少なくなり、代わりに石壁と細い路地が増えていく。


 入り組んだ路地裏をいくつも曲がり、人気のない突き当たりに、古びた建物が一つぽつんと建っていた。扉は閉ざされ、窓には粗末な板が打ち付けられている。


 その出入り口の前で、アゴヒゲが足を止めた。ポケットから硬貨を一枚取り出し、アルフレッドに見せる。


「お前は初めてだったな」

「何がですか?」

「他スパイとの話し合いだ」

「はい」

「まずやることは、これを使う」


 アゴヒゲは硬貨を指で弾きながら言う。


「こいつを使って、相手にわからせるのさ」

「金があることをですか?」

「いや、違う」


 アゴヒゲは、手に持った硬貨をひょいと軽くつまむと、そのまま屋根めがけて思い切り投げ飛ばした。


 数秒後、くぐもった悲鳴とともに、屋根の上から人影が一つ落ちてくる。


 ゴン、と鈍い音を立てて地面に転がった男の顔には、投げられた硬貨が見事にめり込んでいた。


「いってぇぇぇ……!」


 うめき声を上げる男を見下ろしながら、アゴヒゲは鼻で笑う。


「話した方が痛くないってこと」


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