少年給仕
楽しげな音楽が流れ、会場にはやわらかな笑い声が満ちていた。大人たちはグラスを手に、言葉を選びながら上品に談笑している。子どもたちもそれにならい、料理を少しずつ口にしながら会話を楽しんでいた。
そんな中、ひとりの男のグラスが空になった。さりげなく周囲を見回し、給仕に声を掛けようとした瞬間。
「お飲み物はいかがですか?」
足元から澄んだ声がした。男が視線を落とすと、黒髪黒目の少年が両手にお盆を載せて立っていた。お盆の上には、赤や白、透明の飲み物が十杯以上きれいに並んでいる。少年は十歳ほどに見え、愛嬌のある顔立ちをしていた。
「おぉ、ちょうどよかった。ありがとう」
男が空になったグラスをお盆の端に戻すと、少年はすぐに別のお盆をわずかに持ち上げて見せた。男がそこから新しいグラスを取る。少年はそれを上目づかいで確かめると、丁寧にお辞儀をし、人混みへすっと紛れた。
この夜会は立食形式で、誰もが立ったまま語り合っていた。大人の体ばかりが並ぶ中、少年――アルフレッドは小柄な体で縫うように進む。ときどきぶつかりそうになるが、彼は半歩先に身をずらし滑るように避ける。ぶつかりそうになった大人も、そもそも少年がいたことに気づかない。
会場の奥にある扉を抜けて厨房に入ると、そこは一転してにぎやかだった。大皿を持った料理人が小走りに駆け抜け、香草や焼いた肉の匂いが立ちのぼる。給仕用の飲み物は台に整然と並び、冷たいものは氷の入った器に差してある。
アルフレッドは持ってきたお盆を空の棚に置き、次の飲み物を準備しようとしたとき、太く低い声が飛んだ。
「アルフレッド!」
「ふぁい、ふぁん長」
振り向くと、彼より質のいい給仕服を着た男が腕を組んで立っていた。
「もう酒はいい。さっきまで大人を回ってただろ。次はご令息やご令嬢だ。二階のベランダに行け。甘いのを持ってけ」
「わかりまひた」
「……仕事中だぞ。盗み食いもほどほどにな」
一瞬、口の中で何かを飲み込んだアルフレッドは、悪びれもせずニコッと笑った。
「わかりました」
そう答えると手早くお盆を整え、再び会場へ向かった。
二階のベランダは広く、磨かれた白い石が敷かれている。夜空には星が浮かび、下の階の灯りがきらめいていた。中央では子どもたちが簡単なダンスを踊っている。男の子が女の子の手を取り、礼を交わす姿は年齢のわりに大人びて見えた。周囲では、家庭教師から習った知識を披露し合っている子どもたちもいる
そんな中で、一人だけ柵にもたれ、グラスを指で転がしている少女がいた。
アルフレッドはそっと近づき、お盆から飲み物を差し出した。
「お飲み物をお取替えいたしましょうか、お嬢様」
「別に。いらないわ」
ちらりと横目で見るだけで、素っ気なくそう言った。
素っ気ない対応にアルフレッドは一瞬だけ考え、手にしていた盆を近くのテーブルに静かに置いた。
「では、別のものをご用意します」
「だからいらないって言ったでしょ」
「では、別のおもてなしを。ダンスはいかがです?」
「はあ?」
少女の目が丸くなる。
「給仕となんか踊らないわよ。おかしいでしょう」
アルフレッドは微笑んだまま、フロアの隅を指した。そこは子供たちの輪から少し外れていて、視線も届きにくい場所だった。
「隅ですから、ほとんど気づかれません。少しだけ、一曲だけです。お嬢様のドレスがもったいない」
「……ほんとに気づかれない?」
「万が一見られても、注意を受けるのは私です」
少女は鼻を鳴らした。
「へんなの」
そう言いながら、差し出された手にそっと自分の手を乗せる。周囲から気づかれにくい位置へ移動した。曲に合わせアルフレッドがリードしようと一歩出た瞬間。
「こっち」
少女が逆側に踏み出した。本来なら男がリードするところだが、少女は自分のタイミングでくるくる回ろうとする。アルフレッドはそれに合わせて足を出し、手を少しだけ高く上げ回転を助けた。少女のドレスがふわっと広がる。
「あなた、踊れるの?」
「お嬢様ほどではないですが」
「じゃあこれも」
今度はさっきより小刻みなステップで踊りだした。アルフレッドは手首の角度を変え道を作り、少女の足が引っかからないよう体をずらす。
「……なかなかやるじゃない」
「お嬢様がわかりやすく踊ってくださるので」
「わかりやすくなんてしてないわよ!」
そう言いながら、少女の頬にはうっすら赤みがさした。隠れて踊るはずが、いつのまにか本気になっていた。
ほどなくして曲が終わると中央のダンスと同時に二人も足を止めた。少女は息を整え、アルフレッドを見た。
「……なかなかやるのね、あなた」
アルフレッドは息も乱さず、さっと礼をした。
「光栄です。お楽しみいただけたなら」
「じゃあ、飲み物ちょうだい。さっきのでいいから」
「かしこまりました。すぐに」
アルフレッドがテーブルに近づくと、そのそばでたむろしていた少年がわざと足を出した。だがアルフレッドは歩幅を半歩変えるだけで避け、盆を持ち上げる。その少年がさらに低い位置で足を出してきたが、それも体をひねってかわした。
「……あ?」
少年が小声で唸るあいだに、アルフレッドは少女のもとへ戻った。
「お待たせいたしました」
少女はグラスを受け取ると、さっきと同じようにそっぽを向きながら一口飲んだ。
少女が飲み物を味わっているのを確かめると、アルフレッドはまた盆を持ち直し、人の間を抜けて歩きはじめた。
「おい、そこの給仕」
振り返ると、さきほど足を出した少年が、三人の取り巻きを従え呼び止めた。
「給仕がダンスなんてしてる暇あるんだな」
「そんな暇あるなら、俺らの暇つぶしにも付き合ってくれよ」
「別に構いやしないだろ?」
少年たちはわざと見下すような笑みを浮かべている。周囲の子供たちもこちらをうかがっている。
アルフレッドは一瞬だけ迷ったが、断った後の面倒さを想像し、にこりと笑った。
「遊びであれば、喜んで」
「ああそうだ。遊びだよ遊び」
アルフレッドはお盆を端に置き、その少年とダンスフロアの一角で向き合った。フロアの中央で踊っている子供たちの邪魔にならない位置だ。
どのような遊びかは説明されない。少なくとも穏やかなものではないだろうと想像できる。給仕である以上、粗相はできない。速やかに相手を立てて終わらせる。そう考えながらジャケットの裾を軽く払う。
取り巻きの一人が手を振り下ろす。
「はじめ!」
向かい合った男が手を突き出し、その手のひらから光が生まれる。ろうそくほどの光が、またたくまにテニスボールほどの大きさの光まで成長した。それは明確な“炎の玉”であり、殺傷能力のあるものだった。
次の瞬間、アルフレッドの足元で床が小さく鳴った。細い脚で踏み込んだはずなのに、床に小さなひびが入る。矢のように前へ飛ぶ。給仕とは思えない速度に、少年は目を見開いた。
「なっ——!」
少年は慌てて、炎の玉の大きさをバレーボールほどの大きさまで成長させた。橙色の光が一瞬だけベランダを照らし、そのままアルフレッドに向かって撃ち出された。
ごうっと熱風が走る。熱気が一瞬で周囲に広がった。周囲の子供たちが顔をそむけた。アルフレッドは避けず、真正面から炎の玉を受けた。小さな体が炎の勢いで吹き飛び、ベランダの外へ弾き飛ばされた。
「きゃっ!」
「落ちたわ!」
周囲にいた子供たちが一斉に柵へ駆け寄る。だが、すぐに下から声がした。
「いやー、さすがお坊ちゃま。お強い。この遊びは私の負けです」
アルフレッドがベランダの縁からひょいと戻ってきた。煤けもせず、衣服もほとんど乱れていない。柵を越えて中に入り、背筋を伸ばして一礼した。
「お目汚しを失礼しました。以上でございます」
そう言ってさっさと場を離れる。最初から見ていた子供たちは顔を見合わせ、何が起きたのかよくわかっていなかった。炎を放った少年は、思わず放ってしまった大技の罪悪感と、その技で給仕が倒れなかった敗北感によって心がいっぱいだった。
お盆を回収し、一階に降りる。厨房に戻り、アルフレッドは出来上がった料理の端をちょいとつまんだ。
「まったく、子供のお守りは骨が折れる……」
「だから盗み食いするな、ガキ」
班長がすかさず小突く。アルフレッドは頭を押さえながら、にやっと笑った。
「でもほら、ちゃんと仕事はしてますから」
班長は溜息をつくと、しかし口元には笑みを浮かべた。アルフレッドが優秀で問題を起こさないのはこの数時間で知っている。だから本気で怒らないし、摘まみ食いも大目に見ている。
「まったく、お前をこの厨房にスカウトしたいよ」
「今日限りの給仕ですから」
「まったく……」
数分後、二階で起きた騒ぎを聞きつけ先ほどのスカウト話を撤回し、アルフレッドに本気で怒った。
初投稿です。よろしくお願いします。




