第16話_禁書区の扉、美雪が挑む知の深淵
トルクスの図書館――その最奥に、分厚い鉄扉で閉ざされた空間があった。
「禁書区の閲覧には、“学位値”三百以上の証明が必要です」
厳格な司書が無表情に告げる。だが、今の彼らにその条件を満たす者が一人いた。
「はいはい、見せればいいのよね?」
美雪が腕輪を掲げる。
【学位値:304】
「通行を認めます。知の深淵へようこそ」
扉が軋む音とともに開かれると、重苦しい空気と、乾いた紙の匂いが一斉にあふれ出た。
「すごい……。文字が、動いてる?」
由衣が声をひそめて驚く。
本棚に並ぶ古文書の一部は、魔導式で自己修復と書換えを繰り返していた。つまり、内容が“常に変化している”。
「これは《多相写本》だわ。知識の不確かさを記録するための……って、まさかあんたたち知らなかったの?」
美雪が鼻で笑いかけて言いかけた瞬間、その笑みが凍りついた。
「え……読めない?」
目の前の本――古代帝国語で記された魔術理論書が、まるで呪詛のように重なり合い、美雪の知識を押し戻す。
「わたし、こんなに読めないなんて……思ってなかった……!」
肩を震わせる美雪。その姿は、いつもの皮肉屋ではなかった。
「美雪、無理しないで。ここ、知識そのものが試される場所なんだ。読めないのが普通」
陸翔が手を添えるが、美雪は首を横に振った。
「いいえ、私は……“知ったかぶり”をやめたいの。わかったふりして、誰かより優位に立ってた気になって……でも、本当の知って、それじゃ届かないんでしょ?」
彼女は震える指先で再びページを開き、ペンを取り出す。
「私、ちゃんと学ぶ。わからないことを、わからないって言えるように」
その決意に、日和が膝を折って隣に座った。
「じゃあ一緒に読みましょう。“わからない”から始まるのが、学びなんだから」
そして陸翔も加わる。
「三人で分担して訳せば、十分だ。美雪、お前の“疑問”は、俺たちの武器になる」
その後の数時間、禁書区の一角に三人の影が寄り添い続けた。
交わされる言葉、線を引く音、ため息、そして時折の小さな笑い声。
ページを一枚めくるごとに、美雪の目から焦りが消え、代わりに輝きが宿っていく。
――これは、彼女の“学び直し”の始まりだった。
その夜、美雪は初めて「学ぶのって……楽しいじゃない」と、素直に呟いた。