if世界乱入物語。俺がいないから成立した技術、戦術、称号、強者? 通用すると思ってるなら来いよ。廃れた理由を教えてやる。
円形の広大な大陸。その東に位置し、山々に囲まれた辺鄙な国で物語は再び始まった。
夜だろうと賑やかな喧噪が酒場を包む。
基本的に酒場というものは大きく、市民向けと傭兵・冒険者向けの二つの区分がある。
血生臭い暴力を生業にする者達が酒を飲んでいる場所に、普通の市民が訪れる訳もなく、通常は自然と棲み分けが生まれるものだ。
しかし、荒くれ者ばかりの酒場に異物が混ざり込んだ。
「……」
薄い扉を開いて、物珍しそうに酒場を眺める、セシルという名の男がやって来た。
三十代後半だろうか。肩まで伸びるボサボサの金髪と無精髭は清潔感とは程遠く、店内を見渡す青い瞳はどこか濁っている上に、瞼も疲れたように少し垂れ下がっている。
つまり、傭兵達が集う酒場には似つかわしくない、どこかの路地裏で倒れている方が相応しい男が訪れたのだ。
「見ねえ顔だな。最近やって来たのか? 連れは?」
「んあ? ああ。四日? 五日前? まあそんな感じだ。それより、なんでもいいから南部地方の酒はあるか?」
「南部? あるにはあるが……」
「ならそれをくれ」
厳つい中年店主は、カウンターの前に座ったセシルに大きな不信感を抱く。
身なりの問題ではない。基本的にどこの酒場も一人用のメニューなど想定しておらず、男が一人で来店するなどそれだけで怪しいと断言してもいい程だ。
そのため店主は、セシルがなにか厄ネタを持ち込んできたのではないかと警戒しつつも、注文された通りの物を出した。
「なんだこりゃ。親父め、こんな酒を有難がってたのかよ」
「知らずに頼んだか。苦みが強いからうちじゃ変わり者しか飲まねえやつだ」
「……なるほどなあ」
そんなセシルは琥珀色の酒を一口飲むと、頼んでおきながら思いっきり顔を顰め父に文句を言った。
酒は店主の言う通り苦みが強く、あまり酒を嗜まないセシルには不味いとしか感じなかった。
「まあ、確かに変わり者しか飲まないとは言ったが、そんなに珍しいものじゃねえだろ」
「いんや、俺には珍しいのさ。少なくとも親父……まあ、養い親だが。集めてた酒の味はどんなのだったかと思っても、飲める無事な酒はなかった」
「随分酒が嫌われてる地域だな。聖典国の生まれか?」
「聖典国? あそこは今も栄えてるか?」
店主はまた疑問を覚える。
セシルはそんな酒を揺らしたり匂いを嗅ぐなど観察を続けているが、酒は流通量こそ少ないが知る人ぞ知る。もしくは伝説の酒と言った大層なものではなく、熱心に見つめるに値しないものだ。
そのため店主は、なにかと規則や戒律に煩く酒が嫌われる国、聖典国という国家出身かと思ったが、セシルからの返答は更に疑問を感じさせるものだった。
「栄えてるか、だって?」
世界に名だたる三大列強、三大大国。
多種多様な種族が連合する暗国、強力な騎士団を有する剣王国、そして神に従う聖典国。
これら三国は睨み合いながら世界のバランスを保っており、栄えているのは子供だって知っている常識だ。
「馬鹿なことを聞いたな。聖騎士だっているんだ、そりゃ栄えてるよな」
「はあ? お飾りのボンボンが?」
「はあ? お飾りのボンボン?」
セシルが呟くと店主は目を見開いて聖典国の聖騎士を貶し、彼は思わず聞き返してしまう。
セシルは何度も何度も立ち上がり、研磨され続けた結果、不死身とすら思えるようになった聖典国の最精鋭。聖騎士を有する聖典国なら、当然栄えているだろうと思った。
しかし店主、というか世間にすれば聖典国の聖騎士は、実戦経験が皆無なおぼっちゃまの集団であり、精鋭などとは口が裂けても言えない集団だ。
「い、いや……待てよ……言われてみれば昔の聖騎士は……」
セシルが再び呟いている内に酒場の雰囲気が少し変わる。
酒場の年若い吟遊詩人、リュートを鳴らしていている青年もまた若干変わり者だった。
「世界で最も強いのは誰か? 死蒼、灼熱、砂埃、落墜、重地、最果て海、傲慢、融解、異剣の名を持つ達人、傭兵、冒険者達? それとも地獄蟻、奈落龍、天蓋蝶、怨念蠍の恐るべき怪物達? 聖典国が誇る偉大七天? 暗国の闇なる四強? それとも剣王国の鋭き五剣? さて、世界最強は誰なるや?」
中々思い切った判断と言うべきか。
あまり歌で大成しなかったこの吟遊詩人は、場を盛り上げることが出来ればいいのだと開き直り、傭兵達が好む話題を提供していた。
彼が挙げた名前は世界で最強と噂される者達や怪物、そして国家を代表する英雄の集団で、目論見通り酒場のあちこちで強さ議論が始まった。
そしてこれは、セシルを探ろうと思った店主にも話題を提供することになる。
「お前は誰だと思う?」
「少なくとも、誰々が候補って話になるなら最強はいねえな。百人いて百人、こいつだって断言するのが最強だろ?」
「正しいだろうが面白くない。ここは酒場だぞ。話題に繋がらない論を言ってどうする」
「だからこの通り、寂しく一人で飲む羽目になってるのさ」
話を振られたセシルは苦い酒に再び顔を顰めながら、なんの発展もしない持論を持ち出して、一人で酒場にいる説明もした。
両方に筋が通っていると表現するべきか。
確かに候補が複数いるなら最強に相応しい者はいないと言えたが、ここは賑やかな空気で酒を飲む酒場だ。
「もっと早く親父が飲んでた酒を思い出したら飲む機会はあったかな……」
セシルはまたも一人呟き感傷に浸り始める。
彼の両親はとっくの昔に故人で、ふと父がよく飲んでいた酒を思い出して酒場に来ただけの話だ。賑やかな空気も気にせず、極端を言えば酒場ならどこでもよかった。
◆
一人の少年の話をしよう。
名をロイ。
大きな青い瞳と美しい金髪の持ち主で、世のご婦人が放っておかない容姿をしている八歳頃の子供だ。
ただ身の上の話はあまりよくなく、孤児のためその内どこぞの趣味が悪い金持ちに買われるだろう。
「あの……大丈夫ですか?」
そんなロイが、路地裏で行き倒れている中年に声をかける。
ボサボサの髪に無精髭。ロイとの共通点は金髪と、眠たげな青い瞳だけだ。
「どうした坊主。俺みたいなのに関わってたら人生損するぞ。くぁ」
「元気……みたいですね」
面倒臭そうに反応した中年、セシルがあくびをすると、ロイはとりあえず命に別状はなさそうだと判断する。
「なんだ? まさか俺を心配して?」
「え、あ。はい。そうです」
「それはそれは……親の教育がいいと言いたいところだが、いちいち地面で寝っ転がってる奴に声をかけると面倒しかやってこねえぞ」
「神父様が、人には優しくしなさいって」
「んあ? あー……そうか」
意外そうに。そしてどこか面白そうに話すセシルだが、親の話をしたのに神父という単語が返って来たことで、ひょっとして孤児に親の話をしてしまったかと若干気まずい思いを抱く。
「あれだ。うん。なんか困ったことがあったら手伝ってやるよ」
「困ったこと、ですか? いえ、特には」
「さようでございますか」
「……おじさんはお父さんですか?」
(なんでそうなる。とは言うまい)
セシルは個人的に感じた気まずさを誤魔化すため、かなりの安請け合いを行おうとした。
だが、ロイの突然の質問に対しては冷静に状況を把握する。
自分のルーツは? 誰の子供なのか? なんのために生まれたのか? 愛された結果なのか?
金髪碧眼という共通点しかないのに、物心ついた時からの疑問を知りたいがため、どうしても誰かに尋ねてしまうのだろう、と。
「人との付き合いが無茶苦茶下手で覚えがない。だがまあ、息子が出来るなら、お前さんみたいなのが一番いいんだろうな」
「そうですか」
遠回しに否定したセシルに、ロイは慣れているのか特に深い悲しみは見せず頷いた。
「ほら、いつまでもダメ大人に関わらないで行った行った。ああ、手伝いはまだ有効だから、なんか思いついたら言いに来い」
「は、はい」
話は終わりだと告げたセシルは、手をひらひらと振って路地裏での昼寝を続けることにした。
(なんだか……不思議な人だったなあ。もう少しお話した方がよかった?)
孤児院の神父に、馴染みの商会への簡単な伝言を頼まれていたロイは、その仕事を終えてセシルを思い出しながら孤児院に戻る。
そして質素な孤児院の部屋へ向かい……。
「ではロイは不要ということですか?」
漏れ聞こえた神父の声で脚が止まった。
「不要どころか害だ。次期教皇争いが荒れる原因になる」
「つまり」
「処分する必要がある」
「分かりました」
「いつ戻る?」
「さて、そろそろの筈ですが」
「こちらで処分するから、お前はいつも通りで頼む」
「はい」
ロイは意味が分からなかったが、ここにいては危険だと判断した。
そして逃げた。
行く当てなどなかったが、とにかく逃げた。
(ど、どうしよう⁉ 処分ってなに⁉ なんの争い⁉)
周囲が暗くなり始めても、ロイの混乱は益々酷くなっているが、状況が好転する兆しはない。
十にも満たない孤児が飛び出したところで、なにかの機転が利く筈もなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
「子供がいたぞ!」
「ひっ⁉」
突然の大声に怯えたロイは、路地裏へ逃げ込み走る。
「おい坊主。こっち来い」
そのまま走り続けようとしたロイだが、世捨て人のように地面に座り、家と家の間を塞いでいる、粗末な板に背を預けた中年の声が聞こえた。
そして混乱し切っている少年は深く考えることが出来ず、言われるがまま中年、セシルが背を預けている板の隙間に潜り込んだ。
「……いや、申し訳ない。いたずらっ子が孤児院に戻らなくてですね」
あっという間に追いついた男が五人、セシルを囲むように広がる。全員が三十歳より少し上。逞しく、腰には剣を提げて武装していた。
「ほら、戻るぞ」
「香炉と血の臭いを消し切れてないぞ聖典国」
茶番を続ける男に失笑しかけているセシルは、作った顔から無表情になった者達の反応で、益々失笑しそうになった。
「聖典国……ですか?」
「第十部署の香炉の臭い。俺にバレてるのを気づいて止めたから、久しぶりに嗅いだな。極秘裏の暗殺部隊がガキ一人にご苦労様と言っておこう」
「消せ」
「おお、怖い怖い」
首を傾げたリーダー格の男だったが、聖典国でも極々一部しか知らない裏の存在をセシルが口にしたことで、全ての優先順位が入れ替わった。
四人がセシルに。一人がその後ろにいたロイに狙いを定め、煌めく剣を突き刺し。
パキリという音と共に罅割れた。
「俺に普通の剣って……まあ、そうだよな。知らないんだものな」
どこか呆れと納得を宿したセシルの体には傷一つなく、ロイを守るために伸ばされた腕の先、掌に至っては刃を握り潰しているではないか。
「坊主、耳塞いで蹲ってろ。なぁにすぐ終わる」
ロイにそう呟いたセシルは、腕を使わず重力を感じさせないような奇妙な起き上がり方をして、五人の男達の前に立つ。
「な、何者だ!」
「なにが目的だ!」
「貴様!」
「ごちゃごちゃ煩い。気に入った奴のために戦う。気に入らないから殺す。それだってちゃんとした理由だろうが」
混乱して少しでも時間を稼ごうとする男達の問いに対し、セシルは律儀に応じるが、それは強者としての油断か。それとも余裕か。
「そ、そいつを渡せ! いてはならない存在なんだ!」
「冒険者連中。ペット共。七馬鹿、四間抜け、五雑魚だってそうだ。全員が同じことを叫んでたよ。お前は存在してはいけない。死ね。殺してやるってな。まあ、死んだのはそいつらだが」
「あ、ああ?」
ロイの身柄を要求する男に、セシルは独り言のような奇妙な返答をする。
「大義、正義、信念……それを俺が持ってないからなんだって言うんだ? 大義のない俺に敗れる訳にはいかない? 正義を持たない俺が悪? 信念の欠片もない俺が勝つはずない? 何故お前はそんな力を持つ?ふふふふ」
ある意味で人生の目的を完全に見失っているセシルが、どこか自嘲気味に笑みを浮かべ始めた。
その姿は正気とは思えず、時間稼ぎの目的を達したはずの男達が怯む。
「もっと単純に考えようぜ。強いから強い。気に入らないからぶん殴って勝つ。それだけでもいいじゃねえか。お前らはどう思う?」
「結界!」
セシルが話し終えた途端、何とか間に合わせた五人が白く輝く防御壁を展開する。
絶対防御、無敵障壁とも呼称される聖典国の秘儀であり、言葉通りありとあらゆる攻撃を防げる御業だ。
「懐かしいな。廃れてから見てねえ」
セシルは随分、本当に随分と久しぶりに見たが、微妙に違う点もあった。
セシルの感覚では二十年も前に発展が途絶えたそれは、彼の知らない改良が加えられより上位の防御力を備えている。
「え?」
ポカンとした声は、男達の最後の言葉となった。
補足を入れよう。
二十年前のセシルが単なる膂力で正面からぶち破り、防御壁を張った瞬間に死を意味して見切りを付けられた技術の発展形は、どれだけ進歩しようが無意味だった。
セシルの拳が叩きつけられた障壁は、頼りないガラスよりも脆く砕け散り、そのままの勢いの拳が頭部にめり込むと……パンッと乾いた音が響き、首から上が丸々なくなった男が地面に倒れた。
それとほぼ同時に、残った四人にも拳がめり込み、路地裏は一瞬で頭部がない男が転がる地獄と化す。
「ちょっと違ってたがこんなもんか」
超長距離攻撃、高機動戦、概念による無茶無謀。様々な技術が生み出されたが、その中でも最初に淘汰された障壁を見た元凶は、思わず苦笑しそうになった。
技術の発展と研鑽は血の歴史でもあるが、絶対だった筈の防御術は暴れに暴れた暴君を止められず、数多の上位存在が殺されるという結果しか齎さなかった。
「俺がいないから発展、成立した技術か。そう考えると面白い」
しかし、元凶がいない世界線なら話は変わる。
死から遠ざかるための防御手段は当然ながら発展を続け、世界は一変する価値観に踏み潰されることもなかった。
今日、この日までは。
天魔よ。
狭間よ。
深淵よ。
この男がいなかったからこそ成立した世界よ。
震えるがよい。
大義? ない。
信念? ない。
正義? ない。
何も持たず至高の座に至った暴君が再び降臨した。
かつて、殺して殺して殺し続け、それでもなお殺して殺して殺し続けた。あらゆる英雄を、あらゆる勇者を、あらゆる怪物を。果ては国家すらも。
切っ掛けは悪ではなく、巻き込まれて殺されそうになったから逆に殺しただけだ。
しかし、一度巻き込まれた恨みの連鎖に飽きることも、忌避することもなかった。隠れず恥じず、強者として振る舞うことしかしなかった。出来なかった。
挫折のない男は、碌な精神の成長も経験せず至ってしまったのだ。
そして死なないまま連鎖から抜け出したということは……即ち、危険視して襲い掛かる全てを殺し尽くして証明した。
ただ、無価値に等しい最強という名を。
「さて、何かの縁だ。約束したから、一息つくまで手伝ってやるよ」
「わっ⁉」
セシルは言われた通り蹲っていたロイを肩に担ぐと、大きな騒ぎになる前に路地裏を抜け出す。
目的意識がなく人生の途中で足を止めた男と、人生そのものの意味を見つけたい少年の物語が始まろうとしていた。
思いついたネタ。
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