悪役令嬢VS怪盗淑女 ②
『怪盗淑女Sがこの度ギャロット家のチェンバロを貰い受ける』
ザイオンが演奏するチェンバロは学園備え付けのものではない。ザイオンが自宅の豪邸から校内に搬入したものだった。
「このような愚かな人間がいるなんて思いませんでしたわ! ルイーズ、あなたの差し金?」ザイオンはルイーズの席までやってきて見下した
「まさか」ルイーズも立ち上がって睨みつける。「お前は色んな人にヘイトを売りすぎだ。だいたい、私が予告状を出して盗んでどうする? よく考えれば、別にチェンバロを盗むことが私の理になるわけでないことはわかるだろう。売ったところで足がつく。私はあなたと違って楽器を愛しているから壊したくもない。そもそも、そんなバカでかい楽器を盗む方法なんて思いつかないね」
ザイオンとルイーズは直接手が出る喧嘩になりそうだったが、他のクラスメイトたちが何とか止めた。
この日以来、予告状のせいでザイオン家の召使いが何人も学園を出入りしてチェンバロを警備するようになり、学園教師、生徒を煩わせた。
また、ザイオンとルイーズの確執に無関心だった「中間層のマナ持ち魔法使い」が「非マナ持ち」共々に召使いたちから監視されるようになった。中間層の魔法使いは怪盗淑女とザイオン両方へ苦言を呈すようになった。
* *
チェンバロ協奏曲お披露目当日になっても、不審者はチェンバロの前にもザイオンの前にも現れなかった。「拍子抜けね。やっぱりルイーズのくだらない嫌がらせだったのかしら」とザイオンは解釈した。
周りの楽団員や召使いたちも安堵が見え始め、開演30分前になり、事態が急激に動く。
ザイオン自身が行方不明になったのだ。どこを探しても彼女がいない。
演奏できる人がいないとして教師たちや楽員が慌ててルイーズへ代わりの演奏依頼を出すが「反吐が出る」といって一蹴された。当然だ。
定刻を30分すぎても演奏が聴けず。呆れて観客は帰っていく。帰り際、校門への通り道にある別館ホールで、本来演奏されるはずだったチェンバロ協奏曲が文化祭来場者の耳に聴こえてきた。
聴衆は求めていた演奏が聴けるとわかると別館ホールに続々と集まり、素晴らしい演奏を聴いた。
少し不思議だったのは楽器演奏者が全員マスクをつけていた(科学世界のベネチアンマスクのようなものだ)ことだが、すぐに装束を「まあ文化祭に浮かれた仮装だろう」などと思って演奏に耳を傾けることに入り込んでいった。
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約10分の演奏が終わったあと、謎の楽団に対し不法侵入だとして「本来の楽団員」や教師たちが捉えようと壇上に上がった。しかし、なんとチェンバロの前に座っていたのはザイオン本人であり、楽団員はギャロット家お抱えの楽団だった。
来場者たち帰宅していく中、壇上は困惑が渦巻いた。お互いが顔を見合わせてハテナマークを浮かべていると、ホール入口に息を切らしたもうひとりのザイオンが登場した。「そこにいるのは偽物です!」
驚いて教師たちはチェンバロの方をみるが、そこにはすでに人影がなかった。
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後にギャロット家お抱え管弦楽団員に事情聴取すると、「ずっとザイオン様に従ってチェンバロ協奏曲を用意・披露した」と語った。
これは一体どういうことだろうか?
種明かし:
まず、人間は実際の顔よりパッと見の服装・髪型やメイクに印象が引っ張られる。チェンバロを引いた人間はザイオンに変装したシャルロットだった。
チェンバロはどうして2台あったか? これはチェンバロの歴史を知ることが必要になる。
シャルロットがルイーズに語った通り、チェンバロは一度、ピアノにとって変わられた。ピアノが強弱の出せるチェンバロの正当な後継機とみなされ、チェンバロは一度鳴りを潜めた。
時が経ち、ピアノが「ピアノとして」独自の進化を遂げると、過去のチェンバロの音色と明らかに別物になってしまい、チェンバロの音色を求めた作曲家や、チェンバロ全盛時代の曲の再演のためチェンバロが復活した。
ここで重要なのが「チェンバロが復活した時、音楽の受容は当時から変容していた」という事実だ。チェンバロ活躍時は貴族の豪邸でそれなりの広さで音が届けばよかったのだが、ピアノと並行してオーケストラが発展する中でどんどん「音を大勢の観衆に届けること」「広いコンサートホールでも耐えうる音量を持っていること」が求められた。それにより、ピアノはどんどん強固に、金属なども骨組みに組み込まれていく。
チェンバロが復興してしばらくは、ピアノに施された「巨大ホールに耐えうる設計」がチェンバロに流用され、ピアノ以前の古典チェンバロとは別に「モダン・チェンバロ」が使われた。今回の事件でケトニシュが作曲した楽曲も、「モダンチェンバロ」が大前提である。
しかし、モダンチェンバロと古典チェンバロにも強度以外に、空間の響き方他様々な要因で「音色の差異」が生まれてしまった。古典チェンバロ
時代の音楽を追求する人々は、当時に忠実な古典チェンバロを復興し、それが現代でもチェンバロのスタンダードになった。
結果……なんという皮肉であろう!
ザイオンがルイーズに「古楽器を改造して現代楽器にするなんて悪趣味な」といったようにオリジナルで忠実にいようとしたのに、「モダンチェンバロ」のために書かれた曲を「モダンチェンバロとして」忠実にしようという観点を彼らは全くもっていなかったのだ。それどころか「モダンチェンバロ」なんて楽器があったことすら忘れて、物置の奥深くに多くのモダンチェンバロが放置されていった。「モダン」と名付けられた楽器が忘れられるというのも、アイロニーを感じずにいられない。
シャルロットはギャロット家の歴史を調べ、モダンチェンバロが放置されていることを確認した。彼女は本物のザイオンより若干思慮深い人間として振る舞い、変装してギャロット家お抱え楽団員たちに近づいた。「忘れられたモダンチェンバロを用いて、ケトニシュ当時の演奏を再現したいですわ」
こうして魔法学園の別館ホールにモダンチェンバロを搬入し、演奏してみせたのだ。
ザイオン本人の足止め方法は眠り薬を飲ませたが、別段、特筆すべきことはなかった。
* *
ザイオンはその後暴れ回った。しかし、偽ザイオンの捜索が積極的に行われることはなかった。チェンバロ演奏会自体僕機会は奪われたが、チェンバロは盗まれることはなかったし、何より大人の関係者たちは「ルイーズのヴァイオリンを破壊したことに目を逸らしていた事」が不都合で、明るみに出て欲しくなかった。事なかれ主義と相まって、偽ザイオン事件は有耶無耶に終わった。
ルイーズはシャルロットがなにかしたと確信していた。しかし一切シャルロットが口を割らなかったので、ルイーズも言及しないことにした。変に言及を続けてザイオン一派の耳に届いてしまう方が避けるべきことだったので、彼女はシャルロットの黙秘を尊重した。
ザイオンはと言うと、親であるギャロット家当主の「まあ、チェンバロが盗まれることがなくてよかったと思おう」という言葉で、これ以上事件の言及ができなくなってしまった。
* *
あれから数年後……。
偽ザイオン事件以降、ザイオンはモダン・チェンバロの存在を認知しつつ結局演奏することがなかったのだが、ギャロット家にある来客が来たことで再びモダン・チェンバロが日の目を浴びた。
80歳を越え老年を迎えたケトニシュ本人が、ギャロット家に来訪した。「儂の演奏がモダンチェンバロによって再現されたと、魔法学園アートマジック・ガーデンの記録に残っておった。儂は今年この学園の教師になったので、是非ともモダンチェンバロでの演奏を再び聞きたいと思っていたのじゃが、学校備え付けではなく個人所有というじゃあないか。なので、こうして赴いてみたわけじゃ」
ザイオンは偽物の演奏だったので苦い顔をしたが、ギャロット家当主は大作曲家の来訪に大喜びで、なんと無償でモダン・チェンバロを譲ってしまった。
後日新聞記事にケトニシュの記事が掲載された。ギャロット家のことが記載されていると期待して文面を読んだが、内容は予想外だった。
まず、紙面添付の画像が2枚あり、1枚には双子かと思うような2人の老人が写っていた。付随説明には『ケトニシュと弟子のシャルロット。シャルロットによるケトニシュのコスプレがあまりに本人すぎてご満悦の大作曲家』と付されていた。
もう1枚の写真は銀髪にゴスロリ衣装を見にまとい、オペラ座の怪人のように顔半分にマスクを被ったシャルロット・クルーガーの写真。付随説明は『ケトニシュの新作で怪人役を演じるシャルロット』
ニュース本文は以下のような書き出しであった。
『ケトニシュ氏の新作オペラではかつての楽曲でも使用したモダンチェンバロを再びフィーチャーしている。奏者に選ばれたのはシャルロット・クルーガー。彼女は変装の達人であり、その趣味をケトニシュも多いに楽しんでいた。約60歳差の2人はいたずら心という点で意気投合し、時々要人に会う際ケトニシュに扮したシャルロットが自らの招待を明かさず会合し、その様子を遠巻きにケトニシュが伺い面白がるという《遊び》を行っているという……(中略)……シャルロット・クルーガー氏は発言した。《モダン・チェンバロが大好きです。このような素晴らしい楽器を物置の肥やしにせず使わせて頂けたギャロット家に感謝します。私が初めて弾いたモダンチェンバロがまさにギャロット家のチェンバロなのです》』
ケトニシュ氏はこの公演の1年後に亡くなるが、亡くなったあとの遺産整理で「本来ケトニシュの所有でないはずの膨大な美術品や宝石類」が見つかった。大規模な捜査が行われる中、シャルロット・クルーガーが公式声明をだした。『ケトニシュ氏がそうだったように、自身も芸術業と《怪盗》業の2足のわらじで活動をしていく』という内容だった。




