悪役令嬢VS怪盗淑女 ①
このエピソードから本連載を読みはじめた方向け補足
原則『ドッペルゲンガー:異世界転移は人攫いの手段』はタイトル通り①ドッペルゲンガーもしくは②異世界転移に関連する物語を扱うが、本短編に限って言えば登場人物の1人「怪盗淑女シャルロット・クルーガー』の過去話であり、上記2点の要素はない。
以下の前提知識を念頭に置いて欲しい:
魔法が理の異世界を舞台に物語が進んで行くが、この世界の「音楽・楽器の歴史」はおおよそ現実科学世界の歴史と似たような流れがあった。
これは、怪盗淑女シャルロット・クルーガーが初めて大きな盗みをした事件の全容である。
* *
ザイオン・ギャロットはいわゆる悪役令嬢である。ギャロット家は有力貴族であり、長女であるザイオンは家の権威を学園でも振りかざしていた。
彼女のルックスは「令嬢」のステレオタイプそのものの。金髪青眼、髪はロングでロール。
ザイオンが通う魔法学園「アートマジック・ガーデン」は魔法と芸術を学ぶ学園である。
ザイオンは主に「非マナ持ち(非魔力持ち)」の生徒に圧力をかけていた。
なぜ魔法学園に「非魔力持ち」がいるかというと、この学園には「一芸コース」があるからだ。魔法を扱う際、基本的な運用は「呪文を唱える」「杖を振る」などがある。他に、楽器の演奏や舞踊、建築、その他"表現と創造"によって魔力の代替とし、魔法を扱うことが可能だ。魔法学園アートマジック・ガーデンは魔力を扱えない人間にも窓口を開いていた。
しかし、令嬢ザイオンのような輩がひとたび現れると、学園としては回避したいカーストが発生してしまい、一芸コースの生徒に苦難が付き纏った。
非マナ(魔力)持ちの中心人物をここで紹介したい。ルイーズ・ソングというヴァイオリニストだ。ルイーズは1点モノの貴重なヴァイオリンを持ち、彼女はヴァイオリンの調べによって調律魔法を習得しようとしていた。
ルイーズは入学早々、度々令嬢ザイオンに絡まれた。
ある時、ザイオンはルイーズに言った。「あなたのそのヴァイオリン。古典ヴァイオリンを近代演奏用に改造されているわね。本来の持ち味を損なう愚行だわ」ザイオンのこの意見は、クラシック演奏家の一部派閥にとって事実であったが、ザイオンの憤りの本音ではなかった。
そもそもなぜザイオンもヴァイオリンを嗜むのか? クラスメイトや取り巻きに何度もギャロット家の豪邸や私財を見せびらかすためであり、ヴァイオリンは権威を象徴するオーソドックスなアイテムであった。持ち歩きしやすいという点と、クラシック音楽において鍵盤楽器と双璧をなす"主役感"がいっそうザイオンを付け上がらせた。
一方ルイーズは非魔法使いの家庭の出ではあったが、弦楽器の工房を担う家系であり、家族はルイーズに名器を託した。
ザイオンにはそれが許せなかった。自らの持つヴァイオリンより上等のヴァイオリンを下級な非魔力持ちが所持していることが許せないことは当然として、「本来貴族に使える立場の楽器職人が最上級品を貴族に献上せず自ら隠し持っていたこと」が許せなかった。
ザイオンの考えは学園や一般市民の考えとはズレていることは注意が必要だが、学園という閉鎖空間では、権威を振りかざせる者が貴族主義を持ち出すと、容易に周囲にも思想が侵食してしまう。
* *
ある日、ルイーズは管弦楽団の練習中に悲鳴をあげた。「私の……ヴァイオリンが……」
周りの楽団員も集まり、起きた出来事は瞬く間に拡散された。ヴァイオリンが何者かによって破壊されたのだ。
楽団で同じくヴァイオリンを担当していたザイオンが前に出てきて、わざとらしく言った。「あら、楽器は丁寧に扱わなくてはダメでしてよ。まあ、楽器職人なのですからご自身で直せるでしょう?」
ザイオンの言い回しと立ち振る舞いから、楽団員はみな彼女が犯人だとわかった。
ルイーズとザイオンの所属する楽団は階級ではなく「演奏の腕」と「合奏スキル」を最優先に選考されるので、クラスメイトほどザイオンに皆が賛同する訳ではなかった。貴族思想に染まった人々でさえ、ザイオンがルイーズの名器を壊す理屈は通らないと反対する立場をとる人も少数ながらいた。
しかし、ザイオンは糾弾されることなく許された。学園の教師たちが穏便に済ませたいとして、ザイオンを庇ってしまったのである。
楽団はルイーズを擁護する派閥とザイオンをリーダーに立てる派閥に二分したが、ザイオン側が優勢だった。
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後日、ルイーズは教室であるクラスメイトにヴァイオリン破壊事件を話した。ザイオンが仕切ってないタイミングを見つけるのは骨が折れたが、ルイーズは彼女に話をする必要性があった。
ルイーズの話を聞くクラスメイトの名前はシャルロット・クルーガー。3人の主要登場人物で一番遅い紹介となったが、彼女こそが今回紹介する事件の「影の中心人物」であり、数年後には「怪盗淑女シャルロット・クルーガー」として全国に名を馳せる犯罪者である。
ルイーズがシャルロットに(愚痴以上の必要性で)事件の相談をしたのは、シャルロットがピアニストだからだ。彼女は魔法学園の楽団に参加していなかったが、ピアノの腕前をクラスメイトに聴かせる機会があり、聴いた人は皆「彼女は将来プロのピアニストになるのだろうな」と思うほどの腕前だった。
シャルロットは言った。「私になにかできることがあると?」
「ある」ルイーズは楽器ケースを抱えて、怒りに震える手を抑えて語った。「もちろん、ザイオンがこの魂のこもった相棒を壊したことが許し難い。しかしそれに関してシャルロットに頼める事柄はない。どうにかしてザイオンに弁償させてやりたいが……何も案が思いつかない。ただでさえ許せないのに、あろうことかザイオンは『文化祭での演奏曲』すら盗んだ」
ルイーズはシャルロットに文化祭の計画書を渡した。いくつか演奏曲目が記されており、協奏曲もあった。曲は『ケトニシュ作曲:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリンソリスト:ルイーズ・ソング』
ソリストのところに取り消し線が引かれ、「チェンバロソリスト:ザイオン・ギャロット』と加筆されていた。
「ケトニシュの『ヴァイオリン協奏曲』は後にいくつかの楽器向けに作者本人が楽曲をアレンジしていて、チェンバロもそのひとつ」ルイーズは計画書をビリビリに破って言った。「チェンバロがピアノの先祖なのは知ってるでしょ?」
シャルロットはこめかみに手を当てて言った。「……たしかにこの協奏曲の逸話は知っている。『ケトニシュはヴァイオリン協奏曲作曲後しばらく経ってからチェンバロの音色に触れ、その音色に感動し後日行われるコンサートにチェンバロの楽曲を組み込みたかった。しかし一から作曲するとコンサートに間に合わないため、ヴァイオリン協奏曲を編曲して制作した』」
ルイーズは空っぽの楽器ケースを開いた。「ザイオンがこの曲のソリストになるなんて許せない。けどヴァイオリンの修理は間に合わないし……非常に残念ながら、今の私は臨時で用意した楽器で臨機応変に弾きこなせるほどの腕はない。ザイオンはそれを見越してチェンバロで密かに練習し続けた。彼女にとってヴァイオリンは見栄を張る道具で、実際には鍵盤楽器の方がまだ扱えるから。シャルロット、あなたにソロの座を奪還して欲しい。私の変わりを務めるのはあんなクズじゃなくてあなたがいい」
ルイーズはシャルロットが納得して頷いてくれると思っていた。しかし、シャルロットは難しい顔をしたままだった。
「ルイーズ、あなたはチェンバロとピアノをいっしょくたに『鍵盤楽器』として扱っているけれど」シャルロットは鞄からガサゴソと本を探して、楽器辞典を引っ張り出した。「チェンバロは内部の仕組みが結構ピアノと違う。ピアノはチェンバロの発展系なのは事実だが、発展の理由は『音の強弱を鍵盤楽器で出すため』だ。厳密な話は面倒くさいからしないが、チェンバロとピアノは音の鳴らし方が違う。だから音色が全然違うし演奏技術も違う。ピアノが発展してもチェンバロの音色の良さは死なず復活した理由は、下位互換だからではなく独立した別楽器だから。私にはチェンバロは演奏出来ないよ」
ルイーズは唇を噛んで、なにか言葉をだそうとしたが、結局首を横に振って教室から駆け出してしまった。
シャルロットは辞書を片付けながら独りごちた。「……とはいえ、チェンバロは気になってるんだよなー。ザイオンがクズで腹立たしいことは事実だし。私から見ても目に余る。ちょっと『面白いこと』をして灸を据えてやりたいね」
数日後、ザイオンの机に予告状が届いた。
『怪盗淑女Sがこの度ギャロット家のチェンバロを貰い受ける』




