秘密の波 A. N. S.
ジャンル:密通
筆:東堂カスミ
江戸川乱歩は好きでもない三味線を弾いていた。小説家である自負はあったがなかなか筆が進まない。「こういう時楽器を演奏したりするとよい」という言を真に受けて別段好きでもない三味線を弾きまくった結果、文章は全く進まずに三味線の腕がどんどん上手くなっていったらしい。上手くなってもなお三味線を好きにはならなかったようだ。
小説と音楽を行ったり来たりしてる自分にとっては「勿体ねー」と言うしかない。
睡眠障害で眠れない夜、創作に没頭したい時……夜であるが故に音楽が作れず、なのに創作のネタが音楽ばかり湧き上がるときは、暴発しそうな不完全燃焼に悩まされる。
そんなある晩、ろう者と出会った。
日本人の見た目だが、姓はドラゴネッティというらしい。
* *
タツキ・ドラゴネッティ。彼女も文筆活動をしているが、音楽に関して私は話さないよう務めていた。耳が聴こえない相手にわざわざ音楽の話題を振るのは性格の悪いことだろう。
しかし、彼女は動画サイトのにある音楽を投稿していた。いや、正確には彼女のチャンネルではなく、旦那のアカウント上で「(c)タツキ・ドラゴネッティ」と記述を添えて投稿されていた。
私は楽曲を見つけた翌日、タツキに嬉嬉として彼女の曲に対して言及した。
「かなりSF的な曲を作るんだね。ろう者だったと思ってたんだけど、実際には難聴で聴こえる種類の音があるのかな?」
私はきっと話が花開くと思って言及した。だがタツキは目を三白眼のようにして舌打ちを隠さず鳴らし、なにか喋ろうとペンを動かすが言葉が出ないようで何度かペン回しをした後、ペンを真っ二つに折った。
「え、あ……あの」
タツキはそっぽを向いてカフェから立ち去ってしまった。
彼女とは変わったカフェで知り合った。手話者を店員として雇うという活動でろう者が集いやすい(もちろん健聴者も日常的に使っている)カフェで知り合い、ずっとそこで筆談をしていた。
作家同士、書き言葉で文芸に関して会話が花開くこともあったが、基本的に彼女は寡黙だった。「どこに住まいがある」などの話も避けて語りたがらなかった。
ひとりぼっちになってしまったテーブルで先程のやり取りを思い返して、「ああ、もう今後は会話してくれないだろうな」と直感した。
一体なぜ彼女がシンセサイザーを演奏したのか、彼女名義で投稿したのかは謎のままだった。
* *
予想に反して、彼女は翌週もカフェにいて、私のいるテーブルに相席してきた。
普段と違うのは、2人連れがいたことだ。
1人は見覚えがあった。直接会うのははじめてだが、タツキの夫にして動画投稿サイトで音楽活動を発信しているルージュ・フイユというキザな男だ。真っ赤な髪が一際目立つ。
もう1人はルージュから「ビオラ」だと紹介された。彼女もルージュと同じようにビジュアル系の格好をしており、帽子には角が縫い付けてあった。
「どうも先週はタツキがあなたを困らせてしまったようで。あれ俺にも責任の一旦があるんです」ルージュはわざとらしい丁寧さでテーブルに座り、私の目の前にタブレットを出した。「あなたは小説と音楽で創作をしているそうですが、写真は撮ったりしますか?」
「……まあ、人並みには」
「個展なんかで写真家の作品なんかを見ると、ずいぶん『被写体には無許可なんだろうなあ』と思うような写真を展示してる写真家に会うこともありますね?」
「何が言いたいんですか?」私は急かした。
「つまりね、写真家が被写体に許可をとってシャッターを切りまくった後、なんとなくその場の流れでカメラの使い方のうんちくを語って、被写体が自撮りを1枚撮ったら、その1枚の作者は『被写体自身』であるべきでしょう? 写真家が我がもの顔で自分の創作にしちゃあいけない。
で、今回のタツキの作った音楽というのもそれなんですよ。機械の使い方のマニュアルを渡したので、タツキがマニュアルに沿って動作させた。それを動画サイトに載せる時、俺が作ったなんて言っちゃダメでしょう」
タツキは「自分の作った数百再生の曲が私に見つかるとは思っていなかったらしく、上手い説明も思いつかずその場を立ち去った」らしい。
「(果たしてそれだけが理由であんな対応になるかな)」
でかかった言葉を飲み込んで、愛想笑いをしてその後もタツキ、ルージュ、ビオラと4人で話をした。正直、曲の話の後は中身の薄い世間話をひたすらしていたので、特に特記することはない。
しかし、どうにもこの3人は私を逃したくなさそうに話題を矢継ぎ早に出して、結局数時間そのカフェに留まることになってしまった。
生産的でない会話にどっと疲れて帰宅した。今まで描いていた「無駄話の嫌いなタツキ」との印象のズレに困惑しながら、改めてルージュ・フイユのサイトを開くと、今まで投稿されていた楽曲の半数が一旦非公開になっていた。
「後にアルバム化して販売します」という文言が新たに投稿されていた。私とのカフェでの時間の浪費ぶりを考えると、なぜ同日にこのようなチャンネル運用ができるのだろうかと不思議でたまらなくなった。
* *
あれから半年が経った。タツキとの関係は今でも続いていて月2くらいでカフェで会う。半年ぶりにあった時、タツキはタブレットを手に持っていた。
「(そういえば私がルージュ・フイユにはじめてあった時、彼もタブレットを持っていたっけ。気づいたらテーブルに置かれていたタブレットはみえなくなっていた)」
彼女はタブレットの画面を開き、フラクタル構造の図形を写して私にみせた。「これ、なにかわかる?」
「何って、数学者とかが好きなタイプの、幾何学デザイン」
「それは間違ってないよ。でもこれは楽譜なんだ」
「楽譜?」
「そう、曲をラジオとかで再生すると、画面に棒グラフがうつって波ってることがあるでしょ? 他にも、動画サイトに曲を投稿する時、特にPVを用意してない時に線グラフが波打ってるにみたいな。あれは最初に音楽があって、それをデザインに出力した結果ああいうモーションや波形になるんだけど、これを逆算できるシンセサイザーってのがあるんだ。
つまり、このフラクタル構造みたいなデザインや、もっとハッキリしたイラストや写真をシンセサイザに読み込ませて、それを音に合成できるんだ」
「へえ! 面白いね!」
「それで、ボクがシンセサイザーをいじれた理由がこれだよ。視覚的デザインが先にあって、それで音を合成したんだ」
「(あれ、なんか違和感がある)」私は違和感の正体を必死で探った。「(なんでその話を半年前じゃなくて、今してるんだ? あの生産性のない数時間の会話なんかより"これ"をあの時喋ればよかったんじゃあないか?)」
「ボクはね」タツキは一瞬悲しそうな表情を浮かべた。「君に黙っていることも出来たんだけど……友人として認めている分話しておきたかったんだよ」
「え?」
私の疑問に直接答えることはなく、直前のやり取りの筆談文の紙をさりげなく破って、別の文章を書き始めた。
「引っ越すよ、日本を出てアイスランドにいく。今後はめっきり会うタイミングがなくなってしまうんだ」
「あ、そうなんだ。寂しくなるね」
こうして、アイスランドについてだとか引っ越しの段取りなどで話が盛り上がった後しばらくしてタツキと別れた。なんとなく今生の別れのような気がした。
数日後、私は動画サイトの自動ミックスリストをかけていると、ルージュ・フイユのアルバムが再生された。
「1曲はタツキがつくったんだよなー、なんか変なシンセサイザーを使って……」
『音から波形を出すんじゃなくて、イラストを波形とみなして"逆算"して合成するんだよ』タツキの解説を思い出す。
逆算……そうだ。逆算ということは、波形を可視化する機械を通せばその曲の『波形……もしかしたらイラスト』がみれるということか……。
私はフリーソフトを適当にダウンロードして、ルージュの音源を読み込ませた。
波形は、日本語の文書として浮かび上がった。
『やあ、これを読んでる人の何人がピンと来るかは分からないが、このアルバムについて解説しよう。
実は、個別の連絡先への連絡が危険な相手への"秘密の暗号"としてこれらの楽曲を使わせて貰ったよ。ただ、出来上がった音楽自体も面白いものだったから、時期がきて公表しても問題ない時期になったら、改めてひとつのアルバムとしてリリースしようと思ったんだ。
フィンア国と袂を分かってしまった管理局だが、局員の中には俺の友人もいるからね。彼や、内部の勤勉な局員へ情報を送っていたんだ。タツキは局員とは別に淑女に対して電報として活用していたみたいだ。
ああ、ちょうど公表していいかどうかの境目の時期に、無駄話でシンセサイザーが感ずかれないようにずっと足止めをしていた人がいたんだ。でも、無駄話も波形にすれば面白い音になるかもよ?
2トラック目はその時の徒然な話題から……』




