12音オペラ殺人事件 ②
/Kの日記
ここにKが死ぬまでに記した本人の記録をそのまま掲載する。
「私は騎士ですので、あなたに仕えなさい、と決まったのであればあなたを護衛するまでです」
ドラゴネッティという騎士はハルトの前で形式的な礼をした。ドラゴネッティが目の前に現れた理由をハルトは把握していなかった。ただ、確かに自分が依頼しただろうことだけはわかった。
「今度、エッカー公爵の城に向かいます。そこで私……は依頼されたオペラの作曲をするから、君は私の護衛をしなさい」ハルトは私、――音楽家のKとしての私――、に変わって話を進めた。私が起きてくるまでまてば良かったのに、今までの芸術家活動への無関心から手のひらを返したように協力的になっていた。エッカー家という明白なパトロンに目が眩んでいるのだろう。
「わかりました」ドラゴネッティは淡々と答えた。
「音楽についての教養はあるかね?」ハルトは尋ねた。
「あなたはボクが聾者と知っていて雇ったのでしょう? 微塵の興味もありません」
ハルトはなぜこの女性騎士を雇ったのか分からなくなり混乱していた。しかし、雇ったのなら仕方がない。
貴族間の礼儀など私は持ち合わせていない。だから、エッカー家の門前から客室までのやり取りはハルトが代行した。作法などわかってない私がそこまでのやり取りを書いても嘘になってしまうだろう。適当に夢うつつの気持ちでぼんやり城内に入っていた記憶がある……気がする。
客室に入ってしばらく。ピアノの前に座り、ハルトは音楽家であるペルソナを自らに降ろした。私が無理に身体の主導権を握る時はいつも、ある種乗り物酔いのような目眩がする。
「……どうも、ドラゴネッティ。私は君に仕事の進捗を話すが、どうせ理解できないだろうから適当に相槌を打つといい」
「では、そうします」
* *
私はエッカー家の城の窓から外を眺めながら、改めて仕事内容を騎士ドラゴネッティに説明した。「エッカー公爵は私に3作の物語をオペラにするよう依頼された。2ヶ月後に3日間の公演会があり、一夜一曲演奏されるという。それにしても、3作をまとめて渡せばいいのに、1作完結したら次の1作を渡すという段取りにどうしてもしたいらしい。どうにも不可解だね」
「なぜそのような依頼を承諾したのか理解しかねます」ドラゴネッティは無表情に応えた。
「なぜだろうね。本当に不思議だ。1作目はフランツ・カフカの城の冒頭だ。あれだけ長い長編を要約したものではなく、冒頭だけ欲しいらしい。果たしてそれを観客が観て納得するのか? とにかく、依頼なので作曲に取り掛かる」
「『カフカの城』を先の分からない依頼方法で、貴族の城の中で作曲…… 。随分悪趣味ですね」
「君、オペラに興味無いのでは無かったか?」
「ボクにとって関心がないのは『音楽』の方です。物語は人並みにそそられます」
「ああ、合点。具体的な作曲方法はやはり興味無いだろう。適当に聞き流してくれ。3作とも12音技法で作曲してくれという依頼だ。まあこれに関してはそこまで不可解ではないよ。題材の1つ目からカフカなら、きっと3作とも同系統だ。カフカの物語に12音技法技法を使いたがるのはよくわかる。12音技法というのが具体的にどのような技法かと言うと――」
ピアノの前に座った私の演奏の手と鼻歌と独り言は、夜10時まで続いた。
ドラゴネッティは冷たい目で鍵盤の動作を追っていた。
* *
城滞在5日目。
「もしかしたら私は公演に辿りつけないんじゃあないか」夜、備え付け家具をガタガタと揺らしたり棚を開けたり閉めたり、めちゃくちゃにしながら騎士ドラゴネッティにすがった。
「何を言ってるんですか。もう"コーダ"……えーと、最終章って意味ですか? そこまで書いたのでしょう? 明日には2作目の台本が渡されますよ」
――カフカの気に当てられてる……パトロンは残酷だ。
ドラゴネッティは言葉に出せなかった。
(私は彼女が音に出さず唇を動かす行為を見慣れて、読み解けるようになっていた)
* *
「2作目は『ブラム・ストーカーのドラキュラ』の前半ですか。城に閉じ込められた男の話」ドラゴネッティはパトロンから私へ渡された台本を手にとって呆れた。「知ってますか? 『天才に苦悩と圧力機をかけた結果絞り出されるのが文学』とかいうアホみたいな例えをパトロンは得意気になって実践してるクズではないかとボクは考察します。城から逃げられるのなら、ボクは全力で警護します。あなたの名誉を落としれようとする者が現れたら、騎士団総出であなたとあなたの名誉両方を守護しますよ」
私は騎士ドラゴネッティの進言を聞いて、少し笑った後、気を引き締めた。
「いや、大丈夫だ……実際、カフカの城は求められた台本部分まで作曲が成功してちゃんと受理されたんだ。だから……ちゃんと自信になってるよ。それに……ドラゴネッティ、キミが聞き手や文学の助言をしながら『音楽そのものへは無関心』という距離感はほんとにありがたい。ルーマニアのドラキュラ城を12音技法で表現して見せよう」
「楽観主義か、躁鬱の躁か?」ドラゴネッティは無音で唇を動かして、私の鍵盤を弾く手をひたすら追って、下唇を噛んだ。
* *
「……知らない作者の短編だ。冒頭だけでなく、全編らしい。まあ、短編だからそれはそうか」私は読み終わった後、手を震わせずにはいられなかった。
「ボクにも読ませてください」ドラゴネッティはほとんど奪うように原稿を自分の手に取り読み進めた。(無理に取らないと読ませて貰えない気がしていた、と唇を動かした)「……なんですかこれ? 『ジキル博士とハイド氏』 ……エッカー家が二重人格を題材にした死の物語を? 悪趣味の域を超えている。K、今すぐ城から出ていきましょう! さあこちらに――」
「君の『主』として命令する。私はこの作品のオペラを完成させる。これは一番の傑作になる予感があるんだ! ただ、君を巻き込んで済まないと思っている。ここで君がこの城から出ていっても、私は君や騎士団を感謝する。誉を損なうなんて考えないでくれ」
ドラゴネッティは悪態を空に2、3吐き出した後、部屋中を歩き回ってから応えた。「はっきり言うが、ボクは不良騎士なんて言われているくらいに『騎士道』なんてまったく気にしていない人間だ。君に当初説明したようにね? 騎士団の名誉? 無駄に評判や団内の友人に泥を塗りたくないが、騎士として云々の話はまったくない! しかし……しかしだ。ここの城の持ち主は悪趣味だから、それに付き合うなんてボクは反対だと言いたいんだ。それに向き合うことに変なプライドを感じているのは君の方なんじゃあないか? K? それか金か、金のためか」
「ドラゴネッティくん……音楽は無関心だとしても、私の活動そのもの、へは理解してくれていると思ってたよ。それに破滅と自死は文学の花の題材だね……残念だ」
その後ドラゴネッティは城の持ち主エッカー家の悪評を色々とぶつけたが、私は全て確証がないとして退けた。あまりに騒ぎ立てたが、ろう者である彼女の喚き声は(差別だと思われたくないが)私をひたすら不快にさせた。ドラゴネッティを部屋から追い出したが、彼女は廊下でずっと警護を続けた。
* *
……以上が彼の綴った日記の最後の文章である。特に区切りの良さなどは感じないと思うが、仕方がない。彼は次のページに移る前に命を落とした。
(ここから再び、タツキ・ドラゴネッティが話を進める)
後日、Kは講演を成功させた後、晴れ晴れとした気持ちで城を後にした。
観客の反応は様々で、嘆き悲しむ者、エッカー家を一生恨むと復讐を誓う者、エッカーを偉大な領主として崇める者。
「ドラゴネッティさん。ありがとうございました。おかげで"俺"の心は晴れ晴れですよ」
「そうですか。じゃあもう契約は終了ですね、お気をつけて」ボクは早口に世辞を並べた後、ぶっきらぼうにエッカー城を後にした。
* *
入城初日から、ボクは騎士として表向き立ち振る舞いながら、多世界転移管理局員として城内を調査した。城下町から調査をはじめたルージュと逐一やり取りをしたが、ルージュとしても『アリアンヌは本気でどうにか被害者を救済したい』と考えてることが浮き彫りになるだけ、と言っていた。
3作目の台本が渡された翌日のルージュとの会合で、彼は違和感を覚えた。「『ジキル博士とハイド氏』あれは別に城とは関係ないじゃないか。城の情景を舞台で表現したかったんじゃあないのか」
「心理学的に城がなにかを表してるかだって? 苦手。カフカの文学研究でしょ。そういうの」ボクは城の暗喩してるものなんかを想像したりした。バイオレットがちょくちょく城の自慢をしてくる絵面が浮かんだが、あまり関係はないかな。
「まあでも魔法でなにか悪さしようとしているならこういうところを突き詰めた方がいいかもね。依頼主のアリアンヌ・エッカー……元ケルチ。城は自分の領地でありテリトリー。元は姉の非道な実験場所であり、200人程の人間をとらえていたか……。カフカは『城に辿り着けない物語』。アリアンヌは姉の城にずっと辿りつけなかった?かと思えばドラキュラは城の幽閉からの脱出劇。城から出たがっている。最後のジキルとハイドは『人間の表裏一体、二重人格による身の破滅』。最後は自殺により自信の悪魔の一面をも終わらせる」
ルージュは講演会の招待状を確認した。「エッカー家に招かれる客人に当時の人格スープ事件の関係者noの名前はないね……もしかしたら当事者を読んで再び儀式をするつもりかと思ったが」
招待状の名簿一覧には、五線譜の上に各客人の名前が書かれていた。
「洒落たデザイン」ボクは全く持って皮肉の気分で招待状をヒラヒラさせた。「五線譜上に名前書くなら音符に合わせて書けばいいのにね。Kはよく五線譜に書かれた音符を逆さまにしているよ」
「逆さま?」ルージュは手に持ってたドラキュラの本を閉じて再び招待状とボクをみた。「確か、無調音楽で書けってパトロンのエッカー家は注文をつけたんだよね?」
「うん、そんなことをKは言っていたな。ルージュ、君が学生時代言っていたことも覚えているよ。無調音楽ってのは理論自体は簡単だが優れた音楽にするのは難しいって」
「……ああ、無調音楽、大きく2パターンあってね。ひとつは調性音楽の特徴を理解した上で、ひたすらそれに『被らない』ように音楽を作ること、もうひとつが12音技法というやつで、1オクターブ12音を均等に全部使おうという理論だ」
「音楽に興味ないボクでも作れそう」
ルージュは鞄からゴソゴソとペンを何本も取り出した。全部で十二色の色鉛筆だった。「ああ、1音を1色に変更したら、アートデザインと音楽の『変換』が可能だろうね。タツキ、君はこれからこういうカラフルなイラストや光の並びを見たら意図的に『見ない』よう気をつけるんだ。もしかしたら視覚的にもまずいことをしてくるかもしてない」ルージュはそこから招待状の客のスペルに色を塗っていった。「これ、ケルチとエッカーみたいにアナグラムだ。Kが音符をいじったみたいに操作したら、違う人名が出てくる」
ルージュは「間に合うといいが」とだけ言い残して、急いで会合の喫茶店から出ていった。
結果から言えば、間に合ず人格の「殺害」は行われた。それも何十人も。
* *
前日、ルージュはアリアンヌの思想に危険さに気づいた。彼女は、「人格をみな助けたい」のではなく「人体の持ち主が正式な助けるべき人間で、その人間にとって悪である『外部から付与された人格』は取り除くべきである」と考えていたのだ。
また、作品が12音技法で書かせれていた本意にも気づくことになる。12音技法とは、通常1オクターブのうち7音くらいしか使わないところを、黒鍵白鍵全てを使った12音で作曲し、無調の音楽を作る技法……らしい。
大事なのは、この作曲法は「0から1に音楽を作ること、素晴らしい音楽にするには作曲家のセンスや根気が大変大事なのだが、一方で理論そのものはかなり"簡易"なもので、旋律の改竄が素人にも簡単」だと言う事だった。
アリアンヌ・エッカーは作曲された旋律を改竄して、観客全体を巻き込んだ大魔法を『演奏』した。作曲家のKを含めて。
ルージュは何とか耳にプロテクトをかけて避難させたが、観客の半数、――200人の犠牲者のうち半数の肉体の100、その半数の50――、は間に合わなかった。
Kは死んだ。
ハルト・クヴァンツはエッカーと共謀だった。彼はもうひとつの人格が消えて「晴れ晴れ」としていた。
ボクや管理局がクヴァンツやエッカーを罰することは出来なかった。クヴァンツはエッカーを不問としたのだ。
Kが幸せだったのか……それを判断することはボクに出来ない。しかし、彼の音楽が改竄によって踏みにじられたことだけは覆し用のない事実だった。
ボクはバイオレットに頼んで改竄前の本来の十二音技法曲に戻して貰った。
ボクにはどうしても理解出来ないが、それでもKを偲んで、オルガンの前でパイプと、バイオレットの指の調べをじっと見ていた。
後日、知人のオルガン弾きにKが綴った楽譜をオルガン弾きに渡した。
ボクは聴こえぬ旋律に思いを馳せて、オルガンのパイプ1本1本を眺めた。
――この世を去った友人Kへ
――確かに君は素晴らしい作曲家だった