龍の落とし子 ②
「数日後、俺は大学の1棟をまるまる使った儀式場に足を運んだ。ロバート教授と、ムーチェンというワイバーン乗り(ジョッキー)を連れて。俺がハロルドに提示した条件がまさにロバート教授だった。今は多世界転移管理局の局長をやっている、あのスキンヘッドにカイゼル髭が特徴の人物だ。バイオレットもあったことがあるだろう」
「ルカはロバート教授が儀式場にやって来たことを知った時、非常に焦りを含んだ表情を見せた。『ロバート教授!? 何故ここに!』」
「『上級魔法使いの証明として召喚魔法を行うのだろう? 教授に隠すようなことでもないと思うが』俺は少しわざとらしくルカに話しかけた。『召喚魔法に失敗した時の尻拭いをこちらに押し付けられたら溜まったもんじゃないからね。事前に教授に話させて貰ったよ。陰口だ! なんてクレームはなしだぞ。《在学生は儀式を内密で行ってはいけない》。当然のルールだ』」
「『あなたねぇ』ルカは俺のことを睨みつけた。この時点で確証があった訳じゃないが、ルカはなにか外法なことをやろうとしてる気がしてならなかった。俺は儀式のアシスタントを断る理由はなかったが、保険がどうしても欲しかったのだ」
「ロバート教授とともにやってきたのは、ムーチェンという学生で、ワイバーンレースのエースだった。ルカとはライバル関係にある。確か彼とルカが最後に戦ったレースには俺とハロルドも参加していて、1位ルカ、2位ムーチェン、3位ハロルド、4位俺、という順位だった。ムーチェンの参加動機は以下の通り……。ジョッキーがこれだけ集まって、1位のルカが二足の草鞋で上級魔法使いじゃないと出来ない召喚魔法をするというので、ライバルの偵察を兼ねて参加したのだ。彼はロバート教授直下のゼミ生だったので、俺がロバート教授と話し合ってるのを聞きつけるのは簡単だった」
「儀式場には、5人が集まっていた。俺、ルカ、ハロルド、ロバート教授、ムーチェンの5人だ。儀式場中央に半径数メートルの魔法陣が描かれていて、5人が円の外周に正五角形になるように取り囲んだ。ルカが五角形の頂点に立って、参加者の足元にそれぞれ宝石が置かれた。ロバートとムーチェンの参加はルカにとって想定外だったが、魔法陣を囲む図形が三角形から五角形になっても彼女が困ることは無く、むしろ1人1人の負担は軽減していた。もちろん、参加者全員がそれなりに手練の魔法使いだからこそ軽減されたのであって、他者との連携が下手な見習いが輪に入っていたらむしろ儀式召喚の難易度は跳ね上がっていた」
「『――準備は整ったわ』ルカは魔法陣を一周して最終確認をはじめた」
「『結局、俺たちが特にやることはなかったな』ムーチェンは五角形で隣接する点に立つ俺とハロルドに小声で言った。『まあ、竜の扱いに慣れた人間がワイバーンをあやす容量でほかの魔法使いと連携するのなら、こんなもんか』」
「『そこ、うるさい』ルカがムーチェンを指差す。『せめて私にレースで勝ってからその類の台詞を吐くように』」
「ムーチェンは少しバツの悪そうな顔をしたが、実際実力はある魔法使いなので、すぐに魔法陣の方へ集中力を戻した」
「ルカは魔法陣中央に残りの宝石を散りばめ、両手をかざした。『今、契約の元に、この魔法世界へ現れよ』――円陣の模様の線に沿うように各宝石が眩い光を放ち、円の軌道に沿って回転し出す。――火が燃え上がった。――水は噴水のごとく吹き上げる。――砂が一面に広がり、そこから草木が勢いよくドーム状に覆われ、だんだんと地中深くに沈んでゆく。――草木が覆っていた円陣がだんだん開けていく。――陣の中心部に、1人の女性が眼を閉じて佇んでいた。そう……タツキ・ドラゴネッティだ。ただ、この時点では俺たちは彼女が何者か、よくわかっていなかった」
「ルカは成功を確信したようで、口角をあげてゆっくりと円陣の中央に立つ女性の元へ歩いた」
「『すげ――』ハロルドが声を挙げかけるが、俺はハロルドの肩を叩き、人差し指を唇に当てた」
「俺はハロルドに小声で注意した。『召喚士は召喚された者と意思疎通を図り、契約が無事相違なく交わされ、相手に敵意がないか確認しなければならない。まだ喜ぶのは早い』」
「『コホン』ルカが咳払いをした。『では、召喚に応じた淑女よ。名を告げていただけるかしら?』」
「『……』召喚された女性は目を瞑ったまま動かない」
「『あの、聞いていますか?』」
「『……』」
「『……無視しないでいただけますか?』ルカの顔には露骨に冷や汗が流れ、焦りの顔が見えた。俺を含め周りのゼミ生も互いに顔を見合わせ、不安な面持ちでいた」
「『あの!』ルカは持っていた魔道具類を床にぶちまけて、手を女性の肩へ伸ばした」
「道具が落ちたタイミングで女性は急に驚いて目を明け、当たりを見回し、怯える様に肩を竦ませ後ずさりした。ルカは相手に伸ばした手の行き場を失い、迷いながらゆっくり下ろした」
「少しシンとした間の後、ロバート教授が頭を抱えた。『――失敗だ』」
「ムーチェンが追撃する。『被召喚者との契約の同意なしの転移は、かなりダメなタイプの失敗だ』心なしか少し楽しそうで、ニヤニヤしていた」
「『ちょっと黙って!』ムーチェンの言葉になんとか返答したが、ルカの顔は蒼白だ。『嘘、嘘嘘嘘ウソウソうそうそ嘘嘘』ルカは床に這って魔法陣のデザイン、術式を確認した。ずっと『嘘』という単語のみ反復して瞳孔を開かせて設計図と魔法陣を見比べるルカは正気を失う寸前に見えた」
「ハロルドはそんな彼女の姿を見るのは初めてのようで、恋人に対して掛ける言葉が見つからなかったようだ。ただ呆然とルカの異様な光景を見つめていた」
「俺は一歩引いて状況を観察していたが、召喚から数分経って事情に気づいた。『もしかして、耳が聞こえてないんじゃない。その女性』」