既成事実を作られていた
「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」
少し落ち着いたアリサはほんのりと頬を赤くしていた。
人前で感情を露わにしたことが久々だったのだ。
「アリサ・ラヴロヴナ嬢はどんな姿でも見苦しくなんかないよ」
ニコライのラピスラズリの目は、アリサを真っ直ぐ見つめている。
「まだお腹空いているだろう。朝食はたっぷりあるから、心行くまで食べると良い」
ニコライは再びスープをスプーンですくい、アリサの口元に持って行く。
アリサはニコライから食事を運ばれるのであった。
(自分で食べられるのだけど……)
アリサは羞恥心で居た堪れなくなるのであった。
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食事を終え、アリサは落ち着きを取り戻した。
「それで、リヴォフ公爵家の国家反逆について何があったのか教えていただけますか?」
自分が知らない間にリヴォフ公爵家で何が起こっていたのか、アリサが気になっていた。
「そうだね。リヴォフ公爵家の国家反逆の疑い……と言っても、発覚したのはここ一週間でのことなんだ。昨日から僕が密かにリヴォフ公爵城に乗り込んで本格的な調査をする予定だった。それに、去年の成人の儀で挨拶をしたアリサ・ラヴロヴナ嬢の様子も気になったんだ」
「まあ……」
アリサは驚きを隠せない。
「それで、昨日リヴォフ公爵城の様子を見たところ、虐げられている君を見つけたから思わず誘拐……保護してここに連れて来た」
「……今誘拐と仰いましたよね?」
アリサは思わず後退りする。
カシャンとアリサの両手首、両足首に装着された枷が擦れて鳴る。
「リヴォフ公爵家への本格的な調査はこれからなんだ」
アリサのツッコミを何事もなかったように無視するニコライである。
「リヴォフ公爵家はアシルス帝国筆頭公爵家で、貴族の中で最も力を持つ。そんな家に反逆を企てられたら帝室としてもたまったものじゃないだろう。去年立太子された兄上もまだ二十二歳と若く、侮られている面もあるから」
ニコライは話を続けている。
「ところでアリサ・ラヴロヴナ嬢、君は皇帝陛下が僕の父上を飛ばして僕の兄上エフゲニーを皇太子に指名した理由は知っているかな?」
「あ……はい、存じ上げております。ニコライ・ゴルジェーヴィチ殿下のお父様は、お体が弱く病気がちで帝位に就いても皇帝としてのご公務に支障をきたす恐れがあると去年現皇帝陛下が仰っておりましたね」
突然質問を振られ、戸惑いつつも帝室について知っていることを話した。
アシルス帝国現皇帝グレゴリーは老人と呼ばれる年齢だがまだ健康である。しかし、人生のゴールは見えている状態だ。そろそろ皇太子を決めておかないといけない。
グレゴリーの息子ゴルジェイは昔から体が弱く病気がちだった。それ故にグレゴリーはゴルジェイを中々皇太子に指名しなかったのだ。
そのうち、運良くゴルジェイと彼の妻の間にエフゲニーとニコライが生まれた。二人はゴルジェイとは違い健康優良児ですくすくと育ち今に至る。健康面と能力面の双方に問題がないということで、ゴルジェイを飛ばしてニコライの兄エフゲニーが去年皇太子に正式に指名されたのだ。
「だから僕は兄上の為にリヴォフ公爵家を何とかしなければと思ったんだ。と言うことでアリサ・ラヴロヴナ嬢、君は僕の妻になってもらうよ」
「……え?」
アリサはニコライの言葉に目が点になる。
(殿下は今何と……? 私を妻に……? 駄目だわ、そうとしか聞こえなかったわね)
アリサは突然のことに混乱している。
「いや、僕が君の夫になると言った方が良いね。だって僕はリヴォフ公爵家に婿入りするのだから」
自信に満ち溢れ、得意気な表情のニコライ。その口ぶりは、まるで決定事項のようである。
この人は一体何を言っているのだろうかとアリサは困惑している。
「あの……一応私には婚約者がおりますが」
「でもあの男は君を全く大切にしていないじゃないか。もしあの男が君を心から大切にしているのであれば、僕は身を引いたよ。でもそうじゃない」
ニコライのラピスラズリの目からはスッと光が消え、憎悪に染まっていた。デミードに対する、悍ましい程の憎悪だ。その表情はまるで悪魔のようで、今にもデミードを殺しに行きかねない様子であった。
アリサはゾクリとする。
「それにあの男も君の叔父達と一緒に国家反逆を企てている。それならば僕がその計画を潰す。そしてアリサ・ラヴロヴナ嬢の夫になる。これなら僕の願いも叶うし兄上の力にもなる。一石二鳥だ」
相変わらずニコライのラピスラズリの目には光が灯っていないが、今度は恍惚とした表情である。
「それにね、アリサ・ラヴロヴナ嬢、さっきここは帝都の宮殿の、限られた人間しか入れない離れだと言ったよね。この離れは、帝室の人間と、その婚約者しか入れない建物なんだ」
ニコライはアリサから目を離さず、ニヤリと口角を上げる。その笑みはどこか不穏だった。
「僕が君をこの場所に連れて行くところを目撃した貴族達は結構いる。それに、君と僕はまだ体の関係はないけれど……昨日君を連れて来て一晩僕達はここで過ごした。つまり、周囲から見たら僕達は既に一線を超えてしまったと思われているんだ」
「それって……!?」
アリサの背中に冷や汗が伝う。
「アリサ・ラヴロヴナ嬢、君は僕と結婚するしか道はないんだ」
その言葉に、アリサは後頭部を突然ハンマーで殴られたような衝撃を受ける。
アリサはアメジストの目を大きく見開き、口をぱくぱくと酸素を求める魚のように開いていた。
(私はまだ純潔を失ってはいない。だけど、殿下に既成事実を作られていたなんて……!)
情報量が多過ぎてアリサの頭は真っ白になった。
「去年成人の儀でアリサ・ラヴロヴナ嬢を見かけた時、絶対この子と結婚したいと言う気持ちが芽生えたんだ。まあ、一般的に言うと一目惚れというやつなんだけどね。それが叶うことになって嬉しいよ。あ、せっかく一夜を過ごした仲だ。これからは君のことをアリサ嬢と呼ばせてもらうね。その代わり、僕のこともニコライと呼んで欲しい。良いね?」
一方的に迫られ、アリサは頷くことしか出来なかった。
「アリサ嬢、僕は君を虐げている奴らとは違う。君を愛し、これでもかというくらいに甘やかしたいんだ。僕の側から離れられないようにしたい」
光の灯っていない、虚なラピスラズリの目。その目は狂気を帯びていながら、どこまでも真っ直ぐである。
カチャリとアリサの手足の枷と繋がれた鎖が鳴る。
(……とんでもない方に捕まってしまったわね)
アリサは俯く。
「アリサ嬢、それだけじゃないんだ。僕は……リヴォフ公爵家や公爵領のことも何とかしたいと思っている。君が大切にしているものを、僕も大切にしたいんだ。君が守ろうとしているものを、僕も一緒に守りたい」
その言葉にアリサはハッとし、顔を上げる。
「リヴォフ公爵家の件は、僕に任せて欲しい」
ニコライのラピスラズリの目は、真剣そのものだった。
(……その言葉は……信じることが出来そうだわ)
色々と恐怖や不安がある中、それだけは信じてみようと思えるアリサだった。
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