四猫.あのコの姿を想い浮かべると
忘れません。
あのコが私の最後の猫になるであろう。
その姿を想い浮かべると、涙がこぼれてきてしまいます。
べつに私がメインで世話をしていたわけでもなく。ごはんをあげる役でさえ、ありませんでしたけれども。
そもそも20年近く、食事と宿の心配がないくらしは。野生で生きることの難しい現代日本において、猫にとって本来の幸せとは、かけはなれていているのであったとしても。生物種としてではなく個体としては、そう悪くない一生を過ごしてくれたのではと思っています(野生の寿命の倍ほどですし)。
そのあいだの、同居人として生活して。
そして、あのコが最期を迎えるときは、ひとりぼっちにならないようにいっしょにいてあげられました。
猫はひとりで最期を迎えたがるとききますが、物陰にひきこもることもなかったので、あのコもそれを望んではいなかったのでしょう。
特別なことどころか、ふだんのことをしてあげてたわけでもないですが。最期まで、いっしょにいてあげられたことで、じぶんの役目としてやり残したことはなかったと考えております。
だから、涙がこぼれてくるのは、してあげられなかった後悔でも、悲しみでもありません。喪失感からくる漠然とした寂しさなのかなとは思っていましたが、それも違うようで。
いまでも鮮明に想い描ける、その愛らしいすがたと。
褪せることのない、愛しい感情。
それを、最期を迎えてからもずっと。あのコは私にくれています。
ありがとう。
これは感謝の涙なのでしょう。
これまでありがとうだし、これからもありがとう。
いつまでもお役御免にしてあげられないのは、申し訳ないけど。それはあのコが私にかけた魔法であり、私があのコにかけた呪いでもあります。
成仏できなかったら、化けて出て、遊びに来てくれていいんだよ? また、さんざんいじられる覚悟があるのなら!
ところかまわず涙ぐむので、危険です(汗)