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ドゥームズデイクロックス  作者: tatsukichi_ohta
7/24

07:軽視

 セージは、旅の必需品で一杯になった麻の袋を両手に持ち、カナートの大通りを行く。


 列の先頭は牡丹(ぼたん)。その後ろにタイム。彼もまた、袋一つを重そうに抱えて歩いていた。

 歩きながら、宿に帰った後、何をしようかと考える。

 ――また、あの獅子細工を鳴らそうか。タイムのを聞かせてもらうのも、いいな。


 昨晩の鮮烈な喜びは、夜が明け、太陽が天頂を過ぎてもまだ、色褪せていない。

 パースリーがくれた、あの精緻(せいち)な金属細工を手にした時、瞬く間に全身が(しび)れた。卓越した技巧、繊細(せんさい)な芸術的感覚が見て取れ、そも材料からして希少。無機物の冷感を残したままの金属片に、あれほどまで温もりある愛らしさを与えてみせた(わざ)へ、自然と敬意が溢れ出た。

 品のみならず、パースリーの仕入れた話も興味深く、多くの学びを得られた。彼女がアグリッパへ示した結論だって、拍手を贈りたいくらいに堂々としていて、共感出来る。


 あの贈り物は、(まさ)に陽光だった。だから、照らされた心の裏側で闇が鬱陶(うっとう)しく(うごめ)き出す。

 狼から護ってくれてありがとう、とパースリーは言った。自分もまた、パースリーに庇われた。ならば、皆で家出をしたこと自体は、過ちでなかったはずだ。セージはそう思っている。

 しかし、パースリーの今が、彼女の望み通りになっているかと問えば、そうであるはずもなく、門出(かどで)の夜、両親の形見を破棄させてしまった罪が、自らを苛むばかりである。


 昨日(さくじつ)深夜、セージは自分を見つめ直し、過去を(かえり)みて、目を背けたくなる醜悪(しゅうあく)を掘り起こしてしまったのだ。それからというもの、断続的に襲いくる自己嫌悪から逃げ続けている。

 また、発作的に自らを責め、二度三度首を振った。非難と弁護を繰り返した。肺に溜まった空気を吐き出し、嫌気を追い出そうと試みたが、結局、そうすること自体が滑稽(こっけい)に思えて、増々辛くなる。


「さて、買い忘れはないかな? もう一度確認してごらん」

 今朝は牡丹に誘われてカナート市場へ(おもむ)き、彼女の教示を受け、タイムとも相談しながら補充すべき品々を買い込んだ。その後に昼食をとり、今は帰路(きろ)を歩んでいる。

「牡丹、なんで姉さんを誘わなかったの?」

()ねているからさ。パースリーったら、僕よりも黒鶴(くろづる)の方を頼っちゃってさ」


 言うに反して、牡丹の表情は明るい。

「君を驚かしたくてそうしたんだ。演出だよ。分かるだろ?」

 セージは(たしな)めた。だが、彼女を見るに、効いた様子がない。

「それを言ってはね。僕のこれも演出だから、お互い様というものだよ」

「分からないな。その態度の、どこが演出なんだ?」


 あのような素晴らしい贈り物を貰っておきながら、という気持ちもある。玄関まで出て見送ってくれたパースリーは、最後まで同行したげな気配を漂わせており、やるせなかった。

「セージ。牡丹はね、姉さんが気を揉むように仕向けているんだよ」

「正解。タイムは乙女心が分かっているね。逆に、セージはてんで駄目だな」


 今の揶揄(やゆ)は心を抉った。

 セージは、母から妹、パースリー、そして家人(けにん)に至るまで、世を生きる女性(すべ)ての気持ちに聡くない自覚がある。彼女らは不明瞭な存在であり、人情の機微を掴める気がしない。

 掴めないから、短慮かつ直情的に振る舞ってしまい、大抵、後で後悔する羽目になる。

 だから、タイムが羨ましかった。彼は同性異性に係わらず、誰相手でも気が回る。人の気持ちを汲み取るのが上手い。それにも増して、あの臆病な性根から来るのだろう、誰一人として傷つけまいとする(なぎ)に似た雰囲気が良い。

 他人に気を回し過ぎるあまり、自己が薄まるきらいがあるのは明確に欠点だが、それも含めて、彼から目が離せなかった。


 タイムは今日も、きょろきょろ街を見回しながら歩く。視線は右手側の家々へ。どうやら、道端に並べられた茉莉花(まつりか)の鉢が気になったらしく、寄り合い咲く花々へ微笑(ほほえ)みかけていた。

 次は左手側へ顔を向け、(たわむ)れる男子供たちが持つ玩具(おもちゃ)もの珍しげに見つめる。彼らが竹とんぼを宙に飛ばすと、タイムは楽しそうに目で追った。

 そして、また右を見て――。


 十字路の中心で、タイムの歩みが止まった。まるで、彼一人だけが時間を剥奪(はくだつ)されてしまったかのように、ぴくりとも動かない。頬は弾性を失い、唇が急激に青ざめていく。

 呆気にとられたセージだが、すぐ我に返り、タイムへ言葉を掛けようとした。しかし声を紡ぐ前に、彼は自ら時を取り戻し、ふらふらと不注意に左へ寄って、すれ違う大男の足に(つまづ)いてしまう。肩から倒れ、呻き声。彼の手を離れ、落着した麻の袋から(なつめ)の実が零れた。


 牡丹が振り返る。

「どうしたんだい、タイム?」

 セージは荷袋一つを道に置き、空いた手を貸して、タイムを立ち上がらせた。

「大丈夫か?」

 握り返す掌は、小刻みに震えている。恐怖が(じか)に伝わりきて、不安を煽る。


「すまんね、君」

 横合いから大らかな声が聞こえた。そちらへ目を向けると、心底すまなそうな顔した大男が零れた荷を纏め、差し出してくれた。セージは黙したままのタイムに代わり、感謝を述べる。

「ありがとうございます」


 大男は、うんともすんとも言わないタイムを気に掛けた。

「君、大丈夫かい?」

 その途端、彼は再び右を向き、

「ごめんなさい!」

 擦れた声で叫んだ後、そそくさと駆け出してしまった。


 セージは面食らう。誰に対しても丁寧なタイムが、この有り様。尋常ではない。

「トルソー、荷物を」

 言い置いて、牡丹がタイムの後を追った。

 間もなくトルソーが現れ、驚く大男から荷を受け取る。セージは、彼へ重ね重ね非礼を詫びてから、地面に置いた袋を再び手に持ち、早足で歩き出した。


 宿に戻ったセージを、馴染み深いホーリーバジルの香りが迎え入れる。そこに混じる、仄かな甘さ。丁度、ティーカップに蜂蜜が注がれたところだった。

 タイムはベッドの上で(うつむ)く。隣に座るパースリーが、その丸まった背を優しく撫でていた。

「あなたの分も()れておいたわ」

 黒鶴から三人へ、茶が手渡された。早くタイムを問い質したいセージは、それを一息に口へ流し込み、渇いた舌を(うるお)す。


 清い香りが鼻腔を抜け、人肌の温かみが食道を伝った。蜂蜜の甘味が昂った気持ちを鎮め、柔らかな苦味が、意識を収斂(しゅうれん)させる。穏やかな味。それは母と、母の技を継承した妹が振る舞ってくれた、茶の味によく似ていた。

 家族の姿を思い描いてようやく、セージは理解する。皆が口を(つぐ)んでいるのは、タイムを気遣ってのことだ、と。ホーリーバジルは体を解し、心を開く。つまりこの茶は、無理なく、自発的に語ってもらいたいがために捧げられた、愛ある供物(くもつ)なのだ。

 タイムもまた、皆の気遣いに応えようとしていた。頬が色味を取り戻し、瞳に理性の光が灯ると同時に、彼は述べる。

「……少し、時間をください」

 消え入りそうな声。その願いに異議は無く、応援も送られない。


「――ごめんなさい」

 独白は、(すが)り付くような謝罪から始まった。

「僕は、あの十字路で知り合いを見たんだ。目が、合っちゃったんだ……」

 存外、明瞭に語られた文言(もんごん)の内容を、セージは薄々ながら予見していた。しかし、いざ実際に言われると、口を()いて声が出る。

「なんで、すぐに言ってくれなかった?」


 パースリーが振り向く。セージは、信じられないものを見る目で睨まれた。

「それで、何が変わると言うの?」

 厳しい声音、冷ややかな瞳に射抜かれて、セージは、感情が(ほとばし)るままに恨み言を述べてしまったのだと気づかされる。また、肺腑(はいふ)の裏側で後悔の虫が這い回った。

「すまない、タイム。パースリーの言う通りだ。俺は――」

「――いいんだよ。セージは間違ったこと言ってない。僕が臆病なせいで、ごめんね……」


 ()()。セージは目を伏せて、タイムの姿を視界から隠す。

「そう……そうね。確かに、報告は早いに越したことない。でも、仕方ないわ……」

 姉弟は心遣いの方法を熟知しており、それは、いついかなる時でも十全に発揮される。二人の恩情に押し潰されそうになったセージは、固く歯を食いしばって重圧に耐えた。

「ごめんなさい、セージ。私、神経質になってるみたいで……」

 パースリーに謝られる。そうされては、尚心苦しい。


「――早いに越したことはない。至言だね」

 暗い空気にそぐわない、軽妙な牡丹の声調に、ほんの少しだけ癒された。

「タイム。君は誰と目が合ったんだい?」

「カランだよ。たまに屋敷へ出入りしていた、叔母様(おばさま)と親交のある、商人の……」


 セージはカランの人物像を、出来る限りはっきりと頭に思い浮かべ、自己嫌悪を紛らわせる。

 ひび割れのような深い皺が顔中を走る、そのくせ老齢には程遠い異相の男。切れ長の目、鋭く尖った鼻、そうした風貌にそぐわず、しっかりと媚びる者だった。

 カランは大商人である。サルティナを包める程に人脈が広く、人を動かすことにも長け、そのうえ慎重で、全ての判断にそつがない。母からはそのように聞いていた。


「トルソー」

 牡丹が呼びかけると、トルソーの首元に埋め込まれた半透明結晶体から、光線が放たれる。それは壁の一部を(まばゆ)く照らし、光の中にカランの肖像を映し出した。

「彼のことだね?」

 映像の男は、悪霊めいた(よこしま)な笑みを浮かべてこちらを凝視する。


「うん……」

 タイムの掌が、また震えた。周囲の光景から、あの十字路での記録映像だと察したセージは、今更ながら、咄嗟(とっさ)に逃げ出した彼の恐怖に共感した。

「カランとは、こういう笑い方をする男だったかい?」

「俺は、見たことがない」


「恐らく」黒鶴が静かに呟く。「セージも見られたわね。情報を国主に売り渡して、一儲けしようと考えていそうな、悪い顔」

 言い終えると同時に、パースリーから提案が()される。

「連れ戻されるなんてまっぴらよ。出発を前倒ししましょう。夜陰に紛れて発つのがいい」

「良い判断ね。賛成するわ」

「ああ、そうしよう」


 黒鶴と牡丹の一声で、総意が統一された。

 セージも、全員を等しく(おもんぱか)るのならば、正しい判断だと考える。しかし、それでは済まされないと、感情が叫びを上げた。

「待ってくれ……!」

 全員の目が集まる。

「二手に分かれてはどうだ。姉弟と牡丹、俺と黒鶴。君らは暮夜(ぼや)に、俺らは深夜に。それぞれ発つ方が絶対にいい」


 首を(かし)げて、牡丹が問う。

「戦力の分散は避けるべきじゃないかな?」

「カランを惑わせることが出来る。もし片方に何かがあれば、片方が助けられる」

 彼女が考える素振りを見せた。苦し紛れだが良い主張が出来た、とセージは思う。


「成程ね。私は賛同してあげる」

 黒鶴が望外の肩入れをしてくれた。

「いいんじゃないかしら。好きにすれば?」

 パースリーが肯定すると、牡丹は一時(いっとき)渋い顔を見せてから、追従する。

「二人がそう言うなら。セージ、黒鶴、お互い無事に、シングの街で再会しよう」

 その後、皆で出立の準備を進めた。


 夜も更け、街が深い眠りに落ちた頃、セージは宿を後にした。

 黒鶴は銀の鞄を持ち、トルソーはその身を透過して、三人で深夜のカナートを歩く。

「皆、何事もなく到着してくれればいいが」

 セージは呟き、自身の掌を眺めた。最後に交わした握手。パースリー、タイムに、牡丹と彼女のトルソー。それぞれの温もりを思い出すと、体に力が(みなぎ)ってくる。


「そのために、ここに残ったんでしょう?」

 囁く黒鶴の、声は僅かに弾んでいた。

「さすがに分かっているか、君は」

「長い縁だもの、当然よ。と、言いたいところだけれど……きっと皆、気づいていたと思うわ」

「……敵わないな」


 黒鶴は袖で口を隠し、小声で問う。

「誰にも気づけなかったことを、私だけに教えて頂戴。囮になろうと思い至るまで、あなたの心がどのように動いたのか。姉弟を慮ってのこと? 本当に、それだけかしら?」

「それは……話したくない」

 ()ねつけると、不満が返る。

「報酬の先払いをしてもらわなくては。私は今夜、人を害することになるでしょう。あなたを護るために、力を尽くす。その謝礼が黙秘では、あんまりよ」


 もっともだと、セージは思った。言わせてしまった自分の浅慮がほとほと嫌になる。

「……分かった、話すよ」

 言ってはみるが、踏ん切りが付かない。だから、一区画先の街灯をじっと見つめた。歩きながら心を決め、灯を横切ってから深く息を吐き、語り始める。

贖罪(しょくざい)、だろうな……」

 己の身勝手に眩暈(めまい)を覚えた。

「パースリー、タイムと共に母の元から去りたかった。これは本心だ。家出は俺の宿願だったし、旅仲間が欲しかった。――憧れていたんだよ、冒険小説の登場人物たちに、さ……」


 黒鶴は口を挟まず、足音も潜めて、ただただ静かに耳を傾けていてくれる。

「ただ、それだけなら良かった。俺は小説の主人公で、仲間と共に旅をして、パースリーとタイムもまた主人公で、二人の物語では、俺が心強い仲間で。……でも、実際は違う。そうなりはしない。出会いからして、俺は、醜い損得勘定を働かせていたのだから」

 セージは諸手を握り、勇気を奮わせる。

「軽視していたんだ。心のどこかで。だから二人を試そうとしたし、二人に、盾であることを期待してしまった。もし家出が失敗したとしても、あの姉弟が、母の失望を肩代わりしてくれるかもしれない、って……」


「――最低ね」冷たく詰った黒鶴が、一転、優しく言葉を響かせる。「でも、どうかしら? 自分自身を()(ざま)に見過ぎていると、私は思うのだけれど」

 その言葉に、セージは救われた気分になったが、

「……それに、パースリーから両親の形見を奪ってしまった。俺が浅はかだったせいだ」

 家出の日にパースリーが見せた、悲痛な顔を回想しながら手の腹に爪を立て、安楽を払う。


「今夜の俺が、あの日の俺なら――」

 率直な気持ちだ。後悔は先に立たない。

「何でだろうな? 半月足らずでこんな大切に思えるなら、何で、尊敬から始められなかったんだろう? 今日だって、何ら意味の無い言葉でタイムを責めて、すぐ、過ちに気付かされて……」

「……軽視とは、生きとし生けるもの総てが持つ業ね。後悔するのも、あなただけじゃない」

 黒鶴の声は侘しい。同じ感傷に、彼女も浸ったことがあるのだろうか。


「あなたは、自罰のために、自己犠牲的であろうとしているのね?」

 セージは、その解釈を受け入れられない。

「違う。俺は、(みそぎ)を経て主人公に返り咲きたいんだ。この()(およ)んで、俺は俺のことしか考えていない。カランの注意を俺に集める必要がある。カランが刺客を用いるなら、俺が全て片付ける。汚名を返上したければ、こうあるべきだ。俺のために」

「――そう。いつか()むわよ、あなた」

「折り合いはどこかで付けたい。けれども、今は――。助けてくれ、お願いだよ」


 おもむろに、黒鶴が天を仰ぎ見た。宵闇(よいやみ)の道、前を見ずとも、彼女の歩みは乱れない。

「鬱屈を力に換えて戦いなさい、セージ。未熟な技は、私たちが補うから。私はあなたが心配で仕方なくなるだろうけれど、(こら)えてみせる」

「……ありがとう、黒鶴」

 心から感謝すると、さも当然のように、しかし、隠し切れない(うれ)いを帯びた声が返る。

「いいのよ」


 カナート北門を抜け、綿花の畠道(はたけみち)を歩く。

 セージは、聞こえもしない誰かの靴音を、ひりつく耳でひたすらに数えた。

「――来た。やるわよ、トルソー」

 黒鶴の言葉を合図に、トルソーが姿を現した。彼女に持ち上げられたセージは、黒鉄(くろがね)の胸に背中を預け、肩部(けんぶ)から伸びる手綱(たづな)をがっちりと掴む。

 漆黒の荷物箱が開き、魔女の手から槍が渡された。それは、トルソーに騎乗して程良い長さを有し、重量も絶妙で扱いやすい。先端には、雷釘(らいてい)が取り付けられている。


 未熟を補う力とは、頑強な鋼の戦車と、触れるだけで敵を倒す(いかづち)突槍(つきやり)。明確に、予め準備が為されていた。

 胸が熱くなる。願いはとうに聞き入れられていた。黒鶴は愚者にも助力を授けてくれる。彼女は、罪の何もかもを受け入れてから、罪を告解させたのだ。これ程の献身をセージは知らない。これ程尽くされる理由に心当たりもない。でも今は、何も考えないようにした。

 松明(たいまつ)の火が迫る。黒鶴は、輝く球ランプの光、その向こうに人影が見えるや否や、銀の鞄を開けて畳まれた機械の戟――鋼戟(こうげき)を取り出し、展開して水平に構えた。


 セージは悟る。雷釘や音響兵器など、遠隔地の敵を一方的に討つ能力を数多く有している黒鶴が、わざわざ近接兵装を最初に持ち出した理由を。じっくりと、戦う腹積もりなのだろう。

 〈あなたも、戦果を挙げてみなさい?〉

 つまりは、そう煽られている。


 奮起して、トルソーに指示を出そうとした。が、言葉を紡ぐ前に、眼下の黒い身体はセージの思う方へ駆け出す。敵との距離が、みるみるうちに詰まってゆく。

 ――何故、俺の気持ちが分かるのか。

 雑念は彼方へ押しやる。セージは、側面から攻め入ってきた覆面の敵に狙いを定めた。


 上方から一人を突き下ろし、槍を戻す。トルソーの旋回に会わせて薙ぎ払い、二人目を降す。

 三人目が短槍による刺突を繰り出した。それは、トルソーの肘に弾かれる。彼女の体が揺れ動く中、セージは懸命に一突きを試みるが、命中してはくれなかった。

 自らの足で地を踏まずに、充分な精度の攻撃を繰り出すのは、思うよりも難しい。上半身を支え続けるだけでも息が切れる。


「ふふ」黒鶴の笑声。「落ち着きなさいな、セージ」

 失態を見られた上に、余裕の声を聞かされて、セージは気を落とした。

 敵が再度、槍を振るう。セージは鬱憤を叩きつけてそれを弾き飛ばし、返す槍で仕留めた。

「今のは、中々良かったわ」

 褒められても、喜べない。


 後にもう三人を打ち据えたところで、戦闘は終結した。

 セージは早速、トルソーから降りて襲撃者の荷を漁る。カランの命令書か、母へ宛てた密書でも入っていることを期待して。しかし、それらしきものは何も見つからない。

「傭兵のようね。尋問してみましょうか? まあ、徒労に終わるでしょうけど」

 黒鶴が言った。セージは否定の意を示してから、案を一つ呈する。

「それよりも、堂々とカナートへ戻らないか? 何事もなく帰れば、カランも慌てて――」


「慌てて?」黒鶴が嘲笑(あざわら)う。「慌てて、何かしら。慌てて放った伝令を捕えようと? そうすれば、カランの思惑は狂うだろうと? 甘いわよ、あなた」

 闇の瞳に凝視されて、セージの心は縮み上がった。

「カランは襲撃の成否に係わらず、必要な行動を必要なだけ行っているわ。想像出来ていたかしら? 彼は、パースリーたちが発つ頃には手の者を招集し終え、発った直後、追跡者と伝令を同時に送り出した」

 思いもしない報告を受けて、混乱する。


「あなたみたいに鈍間(のろま)じゃないのよ。それにきっと、使えるものは何でも使う性質(たち)。予断も事後報告も(うま)く使う。パースリーの使い道だって、もう、何通りも考えついているでしょうね」

 畳みかけるような失望と教示に打ちひしがれたセージは、縋る思いで訴えた。

「それでは、パースリーは……! 駄目だ。なら、合流しないと!」

 しかし、黒鶴は喜色満面(きしょくまんめん)。唇をひん曲げ、細めた墨色の瞳をきらきら輝かせて語る。

「しなくていい。しなくても大丈夫。至らないセージを補うのが、私たちのすべきことだもの」


 予想外の一言に、セージは閉口させられた。そして、今更ながら気づく。パースリーが出立する直前まで、皆で同じ部屋にいたのだ。ならば、誰がカランの動向を監視していたのか。

「追跡者も、伝令も、既に潰した。パースリーの動向は秘匿される。しばらくはね」

 放心するセージの頭に、昨夜パースリーに囁かれた、ある言葉が去来する。

〈黒鶴には、爛爛(らんらん)という名前の妹がいるみたい。その子、七女だそうよ〉


 とぼけつつ、黒鶴へ問うた。

「潰したのは誰だ? まさか、()()()()()()()()()、とか言わないよな?」

「……私の妹がやったの。驚かせようと思ったのに、残念だわ」

 妹の存在は認められた。七人姉妹であることは伏せられた。セージはそれで良しとした。

「そうか。看破出来てよかったよ。今は、驚きたい気分じゃないからな」


 黒鶴は鋼戟を畳み、丁寧に銀の箱へしまってから、セージを見上げる。

「これから、伝令の元へ向かうわ。少し掛かるから、トルソーの上で休んでなさい」

 セージはありがたく受け入れ、トルソーの腕に抱かれた。ランプから光が消え、世界が暗転する。金属の肌は(ぬく)くて気持ち良い。八本脚が動き始めると、整然とした律動が眠気を誘う。

 心身共に疲れたセージは、抗うことなく睡魔に自らを委ねた。


「――おはようございます。起きてくださいませ、セージ様」

 軽やかな声に、耳が揺さぶられる。

 霞がかったセージの意識は、初めて聞く声色によって瞬く間に覚醒した。目を開け、朝靄(あさもや)の中に黒鶴の妹を探すが、どこにも見当たらない。

「ここですわ」

 天から声が聞こえ、額の上から、銀色の鞄と白色(はくしょく)の影が滑り落ちる。


 驚くべきことに、機械姉妹の七女――爛爛は宙に浮いていた。

 服の色は大方白く、所々空色。姉たちに比べて奇抜でないジャケットに、上下逆さの大蒜(にんにく)に似た奇妙なスカートを合わせている。

 裾の下から三方へ、シャンデリアみたいに伸びる黒い金属支柱。その先で音を立てている何か――推察するに竹とんぼのような羽が、彼女へ浮力を与えているらしい。


 首には羊毛のマフラー、手首足首にも同素材のバンドが巻かれており、温かそうだ。反面、ベレー帽を飾る風切り羽は涼しげに揺れる。温と(りょう)、一着のドレスに混在する相反性が妙に目を引く

 肩に掛かるくらいの波がかった亜麻色髪(あまいろがみ)と、その下で明るく輝く空色の瞳。顔の造りは牡丹と黒鶴に酷似(こくじ)しているが、二人の笑顔よりも柔和に見えた。


(わたくし)の名前は、ご存じでしょうか?」

 初対面に相応(ふさわ)しくない質問である。セージは、無知を演じることにした。

「いや。牡丹、黒鶴、共に異国の響きをしているからな。君の名前は想像もつかないよ」

「そうですか、そうですか」


 トルソーから降りて体を伸ばし、よく解してから、礼儀正しく握手を求める。

「初めまして。俺はセージだ。以後よろしく」

「初めまして。爛爛と申します」

 互いに自己紹介を済ました後、程なくして会話が途切れた。

 気まずいセージは、話題になりはしないかと思い、冗談めかして問う。

「ところで、君たち姉妹は何故、そうも奇妙な服を着ているんだろうか?」


 爛爛は表情を崩さず、穏やかに答えた。

「例えば、ドニのように機械然とした姿は、時折人々へ威圧感を与えます。私たち姉妹がこのような()()ちをしているのは、友好的な方々により良い印象を持っていただくためなのです。逆に、敵対的な方々には侮られますから、これまた都合が良いのです」

 彼女の口調は家人のようでむず痒い。

「セージ様は、侮る(たぐい)の方だったようですね?」

 その口から、唐突に赤黒い毒を吐かれたものだから、セージは酷く体を掻きむしりたい衝動に駆られた。しかしそうするわけもいかず、困り果てる。


 しばしの間何も語れず、けれども目を逸らすのは(はばか)られて、不承不承(ふしょうぶしょう)見つめ合っていると、

「おはよう、セージ」

 聴き慣れた声が耳に届く。セージは安堵と共に振り向いた。

「ああ。おはよう、黒鶴」


 黒鶴は一度口元のみで笑い、すぐ真顔に戻して、願う。

「爛爛、あれを渡してあげて」

 爛爛は、折り畳まれた一片の紙を銀の箱から取り出し、セージに手渡した。

「密書の持ち主は、ここから離れた所に縛りつけてありますわ」


 期待して開いた紙片には、ぶっきら棒で短な文章が書き連ねてある。

 その内容を、黒鶴が暗誦(あんしょう)した。

「上等の儲け話だ。人を送れ。今回は選抜しろ。出来ない奴は要らない。ラジーヴより」

 重苦しい声のせいか、書面を赤く彩る蛇の刻印が、酷く禍々しいものに感じられる。


「ラジーヴ。差出人はカランじゃないのか?」

 セージの質問に、爛爛が答えた。

「偽名という線も考えられますわ、セージ様。ま、どちらにせよ、彼らの上役(うわやく)がカランであることに間違いはなさそうです。カラン自ら手紙を渡していましたし、伝令に対して彼の名を出したところ、実に良い反応を得られましたから」


「セージ様は()めてくれ。――これはカランの文章じゃないよ。あれはもっと媚びる奴だ」

 彼女は口角を上げて説く。

「セージが考えるよりも遥かに巧く、二面性と二枚舌を扱える者たちがいるのです。カランの(ふみ)でないと断定するのは、尚早(しょうそう)でしょう?」

 当然の反論を、セージは飲み下した。

「それもそうだな。君の言う通りだ」


 満足そうに、爛爛が頷く。セージは彼女へ、続く疑問を投げかける。

「見るからに、母宛ではないな。この野蛮な文を受け取るべき者たちは、果たしてどこにいるのだろうか?」

 爛爛は視線を外し、自身の掌を(くう)に翳した。すると、そこに藍の光が生じ、トルソーの出現と同じ、けれども随分と規模の小さい大気の歪みが発生する。

 現れたのは、兎の耳と尻尾を持つ、セージの手に収まるくらいに小さな金属球だった。

 色は、トルソーと同じ黒。目を模した、二つの半透明結晶体が青く光る。


「この子はラビット。私だけが持つ使い魔です。彼女と同じ端末が今、伝令の目指していた先――北方へ向かって飛んでいます。記憶によれば、その先に街は無く、とある山麓(さんろく)にぶつかるだけのはず。よろしくない輩の根城(ねじろ)があるやもしれません」

「母へ伝えるより、手勢の確保を優先したのか……?」

「あり得ます。国主の手を借りずに解決すれば、その分評価も高まるでしょうから」


 解説を終え、爛爛は背を見せた。

「白い服。君はタイムの元へ行くんだな?」

「ご明察! 外れです。彼との出会いを待ち侘びる私は、今は敢えて、遠くで果たすべきを果たします。遺憾(いかん)極まりないのですが」

「そうか。彼のことをよろしく頼む」

「言われなくとも!」


 頼もしい言葉を残して、爛爛は、段々と明るんでいく大空へ飛び去った。

 助力に次ぐ助力を得てばつが悪くなったセージは、(たわむ)れに一言投げてみる。

「また、良い時に助けてもらえた。黒鶴、君は、二面性や二枚舌についてどう考えている?」

「……そうね。隠し切れるなら、信頼関係の構築を助けてくれることでしょう。でも、隠し事を頼る者に、真の関係性は拓かれない。そんな気もするわ」

 自信なげなその言葉こそ、救いに感じられた。

 セージは、今正に昇る太陽を薄目で眺めながら、遠く姉弟の顔を想う。そうして緩んだ自らの頬を、両手で叩いて戒めた。

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