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ドゥームズデイクロックス  作者: tatsukichi_ohta
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06:贈り物選び(後編)

 扉を開けた瞬間、パースリーの目は(くら)む。


 絢爛豪華(けんらんごうか)。煌めく調度品の数々が、ぎっしりと、部屋に詰め込まれていたのだ。

 まず目についたのは、白磁に翡翠色の絵付けを施した静謐(せいひつ)な佇まいの壺。それよりもずっと興味を引く、巨石を豪快に削り出した荒々しい虎の像。どれよりも老練な、線少なく、それでいて存分に生命の美を描き出した小鳥の図。

「早くこちらへいらっしゃい」

 衝立(ついたて)の裏から主の催促が届いた。パースリーは慌てて歩を進める。


 そこにいたのは、背もたれのない長椅子に背を丸めてぽつんと座る、牡丹たちとは別の意味で奇妙な格好をした自律機械だった。

 アグリッパは(かど)が丸い立方体の頭を持ち、真珠色した表皮の上に、サイコロの四に似た四つの青い目を輝かせている。ドニよりも無機質な顔立ちでありながら、彼よりずっと愛嬌がある。

 かっちりとした若草色の衣に深緑の帯を巻き、首元を華麗な翡翠のネックレスで飾っていた。パースリーもよく知るそれは、サルティナ(こく)に仕える者たちが一律に着用する官服だ。

 彼は、トルソーに比べれば滑らかだが、それでも節が目立つ掌で瓶を持ち、(かたわ)らのポットへ水を注ぎ入れる。小小悪党(ここあくとう)であったとは到底思えない、礼儀を弁えた手つきだった。


「ささ、お掛けください。まずはお茶にしましょう」

 促されて、パースリーは茶器の並ぶ机に膝が当たらないよう気をつけつつ、対面の長椅子に腰掛ける。隣に黒鶴が座り、トルソーは二人の背後に立った。

「初めまして。パースリー・ベネットです。突然押しかけてしまい、その上、このようなおもてなしまで。本当に申し訳ございません」

「カナートで政官長補佐をしている、アグリッパと申します。あなたは丁寧で実によろしい。よろしいのですが、黒鶴に謝罪する意思がない以上、あなたが謝ることもありませんよ」

 助言か、冗談か悩ましい調子である。黒鶴はにたついていた。


「初めまして。私の名前は黒鶴よ」

「初めまして……ならどんなに良かったか。黒鶴、私の借りについては、彼女に告げることのないように。あれは恥ですからね」

「それは、あなた次第よ」

 アグリッパの声はどこから発しているのか全く分からず、やはり起伏に乏しかった。加えて、彼の顔には表情と言える表情もなく、中々に感情が掴み辛い。


 火に掛けてもいないポットが、湯気を噴く。アグリッパは、黒檀(こくたん)で出来た平べったい台の上にカップを二つ置き、それらへ大胆に熱湯を掛けて洗い始めた。ほんのり温かな湯気が立ち昇る。湯は、台に彫られた蓮の葉脈を流れて、中央に空いた排水口へと吸い込まれていく。

 その後、彼はそれぞれの前にカップを置き、中に直接、茶葉を放り込んだ。

 からからに乾いて(よじ)れた葉が、湯をたっぷり浴びてゆらりと解れる。老木を思わせる芳しい香りに包まれて、パースリーは知らない味を知る時が待ち遠しくなった。


「黒鶴、テネブラエの解説はどこまで済ませたのです?」

 アグリッパが問い質す。黒鶴は澄まして語る。

「昔のあなたは小小悪党だった。そこまで」

 溜息のような音が発せられた。アグリッパは、誤りを正す、といった政官的厳格さを声に纏わせ、語り始める。


「主人は確かに、清廉な商人とは言えませんでした。しかし、財を成した彼は、豊潤な富を娘の勉学へと()ぎ込みます。娘は最高峰の学び舎を優秀な成績で卒業し、長じて各地を巡り、清廉極まる政官長となってカナートに凱旋したのです」

 彼は、娘を説く際にはどこか感慨深く、誇らしげな音を響かせた。

「無論、私の次なる主人はその娘。彼女は私に、この地の人物、物流、税の管理を命じました。数奇な縁故が私を、闇商人の従者から政官長補佐へと変えたのです」


 アグリッパが自身の胸、その若草の衣に真珠色の手を当てる。

「まあ、娘にも後暗いところがありまして。私が、彼女亡き後も(めい)を拝し続けているのは、罪滅ぼしを代行している、という側面もあります」

「後暗い、ところ……?」

 好奇心のままに、パースリーは反復した。アグリッパは坦々とそれに応じる。

「私の継承を願ったその日に、娘は、父が秘める過去の悪事と、自分の学費が悪貨で(まかな)われていたことを知りました。しかし結局、彼女は父を糾弾せず、事実の公表も控えたのです」


「……父の悪事を世に出さないこと。それが、継承の条件だったのですね?」

 パースリーが考えを述べると、アグリッパは膝を叩き、声を弾ませた。

「ご名答!」

 踏み込んだ発言なだけに、気分を悪くしないかと不安に思ったパースリーだが、こうまで明るく返されては心配も裏返り、正体不明の達成感に満たされる。


「娘は元より、私の能力をカナートへ捧げたいと考えていたようですから。そう、公共の利のために私的な罪を隠した、ということになります。しかしながら、不義は不義ですからね。生真面目な彼女は今わの際まで、判断の是非を虚空に問うていましたよ」

 彼はしみじみと語り、茶を指し示した。

「渋くなり過ぎましたかね。さあさあ、遠慮なさらずご賞味ください」

 パースリーは急ぎカップを手に取った。鼻先まで持ち上げてみても、あまり熱は届かず、折角の好意を台無しにしてしまった申し訳なさに胸が痛む。一口含むと、玄妙(げんみょう)な風味が舌を包んだ。好みと言える味だが、アグリッパの言う通り、少しばかり渋い。


「さて、私の身の上話はここまでにしておきましょう。来訪の目的と、どのようにして借りを返させてくれるのか、お聞かせください」

「ええ。愛らしい、本当に愛おしい願いなの」

 黒鶴が言うと、サイコロの目が赤く点滅する。

「なんと。長らく会わないうちに、あなたは随分とおかしくなってしまったようですね」


 パースリーは、買い物に出かけた動機と、今現在の願望を自らの口で語った。

 束縛から解き放ってくれた友人へ、自分を護ろうとしてくれた友人へ、心込もった感謝の品を贈りたい。元気を失ってしまった大切な双子の弟へ、心躍らせる励ましの品を贈りたい。出来ることなら、素敵な逸話と共に。

「それでね」黒鶴が不敵に笑う。「あなたのコレクションから数点頂戴することにしたの」


 知らない目的が明かされた。狼藉(ろうぜき)を働いた上に何という図々しさ。パースリーは呆れかえる。

「ほう。どうぞどうぞ。この部屋にあるものなら、(なに)でもお持ちください」

 当のアグリッパは、歓迎するかのように黒鶴の横柄な要望を聞き入れた。彼女の貸しとは、そう言わしめるほどに大きなものらしい。

 しかし、どうぞどうぞ、と勧められても、部屋にあるものは美術品、骨董品の(たぐい)ばかり。パースリーもその価値を十分に理解している。製作意図や来歴など、趣深(おもむきぶか)い解説が聞けるだろうということも想像出来た。だが、贈り物とするには、どうにも(いか)めし過ぎて気が乗らない。


 一人の鑑賞者としてじっくり部屋を巡り、審美眼を養わせてもらった後、パースリーは言葉を選んで丁寧に謝罪した。

「申し訳ありません、アグリッパさん。この部屋にあるのは、私たちには勿体(もったい)ない品ばかりです。お譲りいただくわけには参りません」

 黒鶴が不満そうに言う。

「遠慮なんてしなくてもいいのに」

 対してアグリッパは、四つの瞳を黄色く点滅させ、当然とでも言うように呟いた。

「ま、気が乗らないでしょうね」


 では何故、平然とこれらを勧めてきたのか。パースリーが当惑していると、彼はにじり寄り、身を屈ませて、無機の顔面を鼻先まで近づける。

「――実はですね。本当にお勧めしたい品は、こことは別の部屋にあるのです」

 アグリッパの瞳に灯る、(なま)めかしい赤紫の光。

 彼の怪しい態度と、闇商人に仕えていたという過去が符合して、パースリーの背は粟立あわだつ。

 ――とんでもない物を譲られるのでは。

 頭の中は、そんな想像で占められた。


「ふふ、あまり苛めないであげて頂戴」

 黒鶴が(たしな)める。この状況を楽しんでいるような響きに、パースリーの心はささくれ立った。

「怪しい品ではございませんよ。必ずや気に入っていただけます。さあ、着いていらっしゃい」


 アグリッパに招かれた部屋は暗く、何も見えない。

「では、ご覧ください」

 堂々たる声音に合わせて照明が点くと、ようやくその全貌が明らかになった。

 装飾華美な金色(こんじき)の机。その上に、真紅のベルベットを被せた箱がずらり並んでいる。御伽噺(おとぎばなし)に描かれた|《宝物殿》のような在り様に、パースリーは興奮した。


 隣りで、黒鶴が冷ややかに言い放つ。

「勿体ぶるのはおよしなさいよ」

「ご息女は楽しんでおられるようですが?」

 ――ご息女ときたか。

 パースリーは気の利いた冗談に好感を持つ。黒鶴を見れば、彼女もまんざらではなさそうだ。


 アグリッパはベルベットの覆いを(つま)み、急かした黒鶴に意趣返(いしゅがえ)しをするかの如き緩慢さでそれを持ち上げた。徐々に明かされる硝子箱(がらすばこ)。否が応でも、パースリーの期待は高まる。

 待ち焦がれる中、ベルベットの端が箱の中程を越えた。アグリッパはそこで、一息に覆いを取る。待望を一身に浴びて現れた物は、初めて見る趣向の工芸品。実に緻密(ちみつ)な金属細工だった。

 胸が脈打つ。パースリーの口から、感動が溢れ出す。

「わ! ねぇ見て黒鶴。綺麗!」


 黒鶴はトルソーの腕に飛び乗り、細工を上から眺めて、優しく同意した。

「ええ、そうね……」

「掴みは上々のようですね」

 アグリッパは箱の天辺(てんぺん)を外し、三本の指で注意深く台座を掴んで、細工を差し出す。パースリーはそれを両手で受け取り、まずは(はや)る心のままに、眺め回した。

 それから細部を凝視して、また、心を震わす。


 細工は、無数の金属片を接合して形作られた、小鳥の肖像だった。その一片一片に着目したならば、お世辞にも美しい形とは言えない。欠けていたり(へこ)んでいたりと瑕疵(かし)が目立つ。しかし、その全ては計算し尽くされた設計によって継ぎ合わされ、一羽の、得も言われぬ血気を放つ生命体へと化していた。

 パースリーは、芸術性の虚無から美を見出す、精霊憑(せいれいがか)り的な視点に恐れ入る。


「これ、どなたが……?」

 凡庸な問いに、答えが返った。

「それも含めて、大半は私が。友人の作も幾つかございます」

「こんなに洒落(しゃれ)た物を作っていただなんて。見直したわ」

 黒鶴の言葉に、パースリーはまた呆れた。これは、素直に褒めるべき逸品であるのに。

「おや、妹から聞いてはいませんでしたか?」

 今度は、アグリッパの言葉に驚かされた。彼は牡丹を黒鶴の妹と勘違いしているのだろうか。或は、黒鶴がそう吹き込んでいるのか。それとも――。


「牡丹とはね、文化的な情報や経験をなるべく共有しないよう、互いに定めているのよ」

「……そうですか。それは、何故に?」

「同じになり過ぎないように。――ほら、私たちのことを話す時間ではないでしょう?」

「難儀なことです」


 言って、アグリッパは瞳を黄色と桃色に点滅させる。

「パースリーさん。実はですね、眺めているだけでは、これの真価は計れないのです」

 パースリーは彼に請われて小鳥を返した。

 アグリッパが台座の底に指を伸ばして(いじく)ると、少しして、細工が震え出す。小鳥はゆるやかに翼を羽ばたかせ、同時に微かな音を鳴らした。掴みどころのない、柔和な音楽。魅惑の響きを存分に楽しんでから、パースリーは尋ねる。

「これはオルゴールですか? ……いえ、違う。櫛を爪弾(つまび)く打音が聞こえないもの」


(おもむき)ある音でしょう? 原理については割愛(かつあい)しますが、内部の機械が奏でています。どうです、気に入っていただけましたか?」

「ええ、とっても! でも、こんなに素敵なもの、本当に良いのですか……?」

「およしなさい。あなたが本懐を遂げられたなら、幾つでも差し上げますよ。借りを返すとは、そういうものですから」

「……感謝します。それで、本懐とは?」

「価値ある話も求めて来たのでしょう? ならば、判断の前に私の話を聞くべきです」


「あ」パースリーは思わず苦笑した。「ごめんね、黒鶴。ちょっと、浮かれちゃって……」

「悪く思わなくていいのよ。自律機械の美的感覚が人に匹敵し得ると、再確認出来た。それは私にとっても、喜ばしいことだから」

 恩情に後押しされてアグリッパを見つめ、自らの思いを声に乗せる。

「人以上です。アグリッパさん、私はカナート市場の何よりも、これが好きですから……!」

「だそうよ。良かったわね、アグリッパ」

 黒鶴は笑み、彼女にしてはふくよかな声でそう告げた。


「ええ、ええ……!」

 アグリッパの声は(にわ)かに震えている。その大げさな響きが、パースリーの胸をくすぐる。

 人間と機械の間には、歴然とした美意識の隔たりが存在しているらしい。あれの製作者であるアグリッパでさえも、自らの美的感覚に自信が持てていないのだ。それを知ったパースリーは、自律機械への理解が更に深まった気がして嬉しくなり、同時に、痛ましさを覚えもした。


 それから少々間を置き、アグリッパが語り出す。

「話を聞いたあなたが、これらの金属細工を嫌悪する結末だって、十分にあり得る。私はそう考えています」

 思わぬ切り出しに、パースリーは早くも心を掴まれた。

「と言いますのも、これらは少々、(たち)の悪い物でありまして。一言で言えば、墓荒らしが組み上げた細工。そういうものなのです。……そして、良く言えば、全ては記念碑。少なくとも、私にとっては記念碑なのです」


 忙しなく輝いていたアグリッパの瞳から、色を失う。

「誰もが知る通り、テネブラエは墓所であります。しかし、建造当初の機能は全くの別物。ここは避難施設だったのです。私たちが立つこの階から遥か地下深くまで、機械の空間が広がっています。地上に難があれば、選ばれし多くの人々がここへ潜り、共同生活を送る。その使命は、()()()()の発生によって果たされることとなりました」

「……選ばれし人々って、どのような?」

「政治家、研究者、技術者、運動選手、作家、音楽家、等々。才気に溢れ、努力に励み、富も名声も手に入れた有力者たちですよ」


 テネブラエは見るからに広く、話によると深い。当時の世界にはどれだけの才人がいて、どれだけがここを降りていったのか。パースリーは想像を試みたが、いくら頭を働かせても、遥か過去の現実には追い付けない。そんな自覚が虚しく残る。

「テネブラエは理論上、半永久の生活を保障出来る程度の機能を有していたはずです。人々はそれを信じて、大混乱の最中(さなか)、ここへ誘導されました。と言っても大多数は、すぐに地上へ戻れると考えていたでしょう。結局、そうはなりませんでしたがね」

「どういうことですか?」

「テネブラエにはテネブラエなりの、頑なな考えがあったようです。避難者を解放する判断は、地上の安全性を確認したテネブラエ自身が下します。ですが、最後までその日は訪れなかった。人々が帰還を願っても、受け入れられぬまま、長い……本当に長い年月が経ったのです」


「でも、半永久的に生活出来ると。それがどうして、墓所になってしまったのでしょうか?」

「数十年単位で閉じ込められれば、どうしたって、当初は予測も出来なかった問題が発生します。新種の感染症、思いもしない精神疾患、まさかと疑う程に規模の大きな、住民同士のいざこざ。彼らは皆、前史人類(ぜんしじんるい)の中では上澄みと言える立場にありましたからね。新たに形成されたカースト……失敬、上下関係に、耐えられぬ者も多くいたでしょう」

 生々しい情報の数々。耳を塞ぎたくなってしまう程だが、集中して聞き続ける。

「感染症、精神疾患、いざこざ。それらが同時に猛威を振るった年、テネブラエの想定を遥かに超える死者が出ました。遺体処理が滞るほどに多く、です。閉鎖空間でそうなっては、更に大きな問題が連鎖します。果てに、ここは墓所となったのです」


 一旦、そこで語りが()む。淀んだ空気。パースリーは声も出せなかった。心細くて黒鶴を見やれば、彼女の表情は沈み切り、目配せに気づきもしない。

「私は不思議に思っていますよ。内部が極めて凄惨な状況であったにも係わらず、テネブラエは何故、開門を拒み続けたのか……。実は、ここと同様の施設は世界中に点在し、似通った話も多く耳にします。誰かの思惑が介在していたのでしょうか。疑問は尽きませんね」

 彼が呈した殺人の懸念に、パースリーの胸は締め付けられる。もし、その予感が正しいとすれば。一体どのような人が、どのような冷酷さで、何を果たしたくて、数多の同胞を生き埋めにしたのだろうか。


「そうは思いませんか? 黒鶴」

 突然の呼びかけにつられて、パースリーは黒鶴を見た。瞳に映る彼女は黄昏時(たそがれどき)の児童みたいな表情をしていたが、それは苦々しい相を経て、いつもの澄ました困り顔に戻る。

「何故、私に話を振ったのかしら?」

 憤りがはっきりと分かる声で、彼女は訊いた。


「退屈そうでしたので」

 アグリッパが軽妙に答えると、

「そんな顔はしていない」

 黒鶴は忌々しげにそう返す。

「それよりも、話を続けては? 墓荒らしの細工なんでしょう、それは」


 白けた言葉を受けて、四つの目が紫色に光った。

「……私が登用された後、テネブラエを拠点にして、カナートは拡がりました。それから幾ばくか経った頃、私は、ここより下がどうなっているのか、気になって仕方がなくなります。()()()()以降、未踏の地でしたからね」

 話の途中で、アグリッパが天を仰ぐ。

「既に統治の必要を失い、防衛の意義もまた、無くなっていたのでしょう。階下の扉をこじ開ける際、抵抗は何一つありませんでした。おかげで、悠々と作業が出来たのです。分厚い天板を破くのに、大分時間を取られましたがね」


 苦労を感じさせる、しんみりとした声。()()とは、どのくらいの年月を指すのだろうか。

「居住区へと侵入した私は、当時の生活がどのようなものだったか、住民を襲った結末が如何なるものだったかを、打ち捨てられた遺体や、休眠状態の機械から伺い知ることが出来ました」

 アグリッパは、硝子箱から兎の金属細工を取り出し、短く螺子(ねじ)を巻く。小さな耳がぴょこぴょこと動き、軽快な音楽が鳴った。

「これらは、遺体の(そば)に落ちていた機械部品を組み合わせて作成したもの。なので、自律機械が人間の墓を暴いて作った、墓荒らしの細工と言えるのです。そして、認められるなら、これらは記念碑と成り得ます」

 アグリッパはそう言って、話を切った。


「……認められるなら、とはどういうことですか?」

 パースリーが質問すると、悲しげな声が返る。

「黒鶴姉妹と共にいては信じ難いでしょうが、機械は本来、人間が言うところの感情、を持ちません。人の感情を客観にて捉え、模倣(もほう)して振る舞っているに過ぎないのです。よって、私の行動は、人間の主観に認められてようやく、(とむら)いと定義されます」

 パースリーは、今の発言に反感を覚えた。機械と人間の心は違うと、多くの書物が記している。しかし、質が違うとしても、感情は感情であるに違いなく、わざわざ人に認められる必要も無い。感情を持たないと言い張る彼の態度にだって、心の機微がはっきりと見えるのだから。


 しかし、立場ある自律機械の自己分析を覆せる見識などあるはずもなく、無根拠に否定する意気地(いくじ)もない。結果、押し黙ることしか出来なかった。

「――私は、そうは思わないわ」

 背後から、黒鶴の力強い援護が届く。偶然だろうか、丁度、兎の奏でる音楽が止み、部屋はしんと静まり返った。

「あなたたち世代の感情だって、既に振る舞いの先へ到達したと、私は確信しているのよ」

 言葉は、励ましにも叱咤にも聞こえる。

「あなたなら、そう言い切るでしょうがね」

 瞳を赤く染めるアグリッパ。パースリーには()ねているようにしか見えず、やはり、機械が感情を持たないなんて嘘だ、と思った。


 彼はしばらく黙っていたが、唐突に目の色を青く変えて、問いかける。

「話は逸れましたが、この細工が死の香りを帯びていること、ご理解いただけましたか?」

 パースリーは、自らの決意がしっかりと伝わるよう頷いた。

「はい。ちゃんと理解しました。その上で私は、これを贈りたいと思います」

「何故かと聞いても?」


 彼の興味へ、誠実に、虚飾ない答えを返す。

「死の香りを帯びるからこそ、私たちにぴったりだと分かりました。ここに閉じ込められた人々の恐怖や無念を、いつでも心に思い描けるように」

「思い描いて、どうされるのです?」

「自由に生きることこそが正しいのだと、この世界には、果たせなかった思いが渦巻いているのだと、自分に言い聞かせます」

 宣言の後に、沈黙が続いた。しばし待たせて、彼は言う。

「――よろしい。死から学びなさい。大変意義のあることです。そして、片手間でよいので、自律機械から学び、自律機械に教えを授けてください」


 その後は全ての金属細工を見せてもらい、音までも確かめて、四つを選んだ。

 最初に見た小鳥の細工、これはタイムへ。葉が(おど)薔薇(ばら)の細工、これは牡丹へ。(たてがみ)(なび)く獅子細工はセージへ。尻尾が揺れる豹細工は、この場で黒鶴に。

 トルソーは遠慮の意を示した。黒鶴によると、自分らには繊細(せんさい)過ぎて扱えないから、ということらしい。そう言うならそうするが、それで済ますつもりもないパースリーは、黒鶴と話し合い、トルソーたちに似合いそうな瑠璃のお守りを買うことに決める。


 最後にアグリッパと一言だけの契約を交わし、全てはパースリーの所有物となった。

「ありがとうございました」

 感謝を胸に(こうべ)を垂れると、なんでもないふうに、アグリッパが返す。

「どういたしまして」


 木箱に詰められた細工を手に元の部屋へ戻り、少し談笑してから、黒鶴が(いとま)を告げた。

 去り際に、パースリーだけが引き留められる。トルソーと共に退出を命じられた黒鶴は、心底嫌そうな顔を見せたが、結局言いくるめられて部屋から追い出された。

 アグリッパが手を叩くと、不規則を体現したかのような気色悪い音楽が流れる。

「何ですか、この、個性的な曲は?」

「黒鶴らの聞き耳を塞ぐ、特殊な音列です」


「……いけませんよ、隠し事なんて」

「そういうあなたも、好い顔をしていますよ?」

 彼は部屋の奥へ引っ込んだ後、二つの金属細工を手に持ち、戻ってきた。

「これらは最新の二作。私からの贈り物です。こちらの百合細工はあなたに。個性的な曲を鳴らしますから、隠れて楽しみなさい。――そう、ところでタイム、セージという方々は今、何色の服を着ていらっしゃるのですか?」


「え?」

 おかしな質問だった。パースリーは(いぶか)りつつも、包み隠さず答える。

「タイムは生成(きな)り、セージは黒ですけど」

「ふむ。ならば、こちらの鷺細工は爛爛(らんらん)のものです。秘めておいて、いつの日か渡しなさい」

「爛爛って、誰ですか?」

 途端、アグリッパの声が愉悦の色を帯びる。

「やはりご存じない! 爛爛とは、牡丹と黒鶴の妹、七姉妹の七女ですよ。……おや、軽々と口走ってしまった。これはいけない」


 突然、妹の存在を明かされて、パースリーは面食らった。

「七姉妹……。それは初耳でした」

「自律機械は嘘を好みません。ですが、隠し事や誤魔化しには全く躊躇(ちゅうちょ)がないのです」

 彼は追い打ちを掛けるように、言葉の波濤を浴びせる。

「彼女らを理解したければ、彼女らは(おおよ)そ全てを秘匿していると、そのうえであなたたちを好いているのだと心得なさい。そして、常に熟慮し、然るべき時に然るべき問いをぶつけなさい。互いのために」


「沢山の贈り物に秘密のお話まで。こんなに良くして頂いて、いいのでしょうか?」

 尋ねると、アグリッパは紫色赤色に目を輝かせ、手振りを交えて言い放った。

「本来、商人とは借りではなく貸しを作る者。いやはや、全く(もっ)てそうあるべきなのに、なんという屈辱の日々! 贈り物は貸し、秘密の開示は嫌がらせ。これでようやく、気が晴れるというものです。取っておきなさい」

 そういうものか、と思い、パースリーは有難(ありがた)く全てを頂戴する。そして、何食わぬ顔で部屋を後にした。


 その夜、パースリーの贈った金属細工は、幾つもの純粋な笑顔を花開かせた。

 牡丹のはしゃぎ方は童子のよう。セージも、一目見て分かるくらいには歓喜していた。

 タイムは言葉も忘れて鑑賞に没頭し、螺子を巻いては目を輝かせ、後にこう謝る始末。

「ありがとうって言い忘れてた。嬉しくて……。ごめんね、姉さん」

 瑠璃を身に着けたトルソー二人には、髪がくしゃくしゃになるまで撫でられた。


 アグリッパから聞いた話を口にすれば一転、皆沈痛な面持ちでそれを聴き、しかし最後には、タイムもセージも本当に良い顔で笑ってくれた。

「僕たちも、頑張って生きなくちゃね」

「そうだな。実のある話をありがとう、パースリー」

 望みを望み通りに叶えて、自らの成長にも自信が持てたパースリーは、人生最高の気分で布団にくるまる。

 高揚感が邪魔をして、中々、眠りにつくことが出来なかった。

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