06:贈り物選び(後編)
扉を開けた瞬間、パースリーの目は眩む。
絢爛豪華。煌めく調度品の数々が、ぎっしりと、部屋に詰め込まれていたのだ。
まず目についたのは、白磁に翡翠色の絵付けを施した静謐な佇まいの壺。それよりもずっと興味を引く、巨石を豪快に削り出した荒々しい虎の像。どれよりも老練な、線少なく、それでいて存分に生命の美を描き出した小鳥の図。
「早くこちらへいらっしゃい」
衝立の裏から主の催促が届いた。パースリーは慌てて歩を進める。
そこにいたのは、背もたれのない長椅子に背を丸めてぽつんと座る、牡丹たちとは別の意味で奇妙な格好をした自律機械だった。
アグリッパは角が丸い立方体の頭を持ち、真珠色した表皮の上に、サイコロの四に似た四つの青い目を輝かせている。ドニよりも無機質な顔立ちでありながら、彼よりずっと愛嬌がある。
かっちりとした若草色の衣に深緑の帯を巻き、首元を華麗な翡翠のネックレスで飾っていた。パースリーもよく知るそれは、サルティナ国に仕える者たちが一律に着用する官服だ。
彼は、トルソーに比べれば滑らかだが、それでも節が目立つ掌で瓶を持ち、傍らのポットへ水を注ぎ入れる。小小悪党であったとは到底思えない、礼儀を弁えた手つきだった。
「ささ、お掛けください。まずはお茶にしましょう」
促されて、パースリーは茶器の並ぶ机に膝が当たらないよう気をつけつつ、対面の長椅子に腰掛ける。隣に黒鶴が座り、トルソーは二人の背後に立った。
「初めまして。パースリー・ベネットです。突然押しかけてしまい、その上、このようなおもてなしまで。本当に申し訳ございません」
「カナートで政官長補佐をしている、アグリッパと申します。あなたは丁寧で実によろしい。よろしいのですが、黒鶴に謝罪する意思がない以上、あなたが謝ることもありませんよ」
助言か、冗談か悩ましい調子である。黒鶴はにたついていた。
「初めまして。私の名前は黒鶴よ」
「初めまして……ならどんなに良かったか。黒鶴、私の借りについては、彼女に告げることのないように。あれは恥ですからね」
「それは、あなた次第よ」
アグリッパの声はどこから発しているのか全く分からず、やはり起伏に乏しかった。加えて、彼の顔には表情と言える表情もなく、中々に感情が掴み辛い。
火に掛けてもいないポットが、湯気を噴く。アグリッパは、黒檀で出来た平べったい台の上にカップを二つ置き、それらへ大胆に熱湯を掛けて洗い始めた。ほんのり温かな湯気が立ち昇る。湯は、台に彫られた蓮の葉脈を流れて、中央に空いた排水口へと吸い込まれていく。
その後、彼はそれぞれの前にカップを置き、中に直接、茶葉を放り込んだ。
からからに乾いて捩れた葉が、湯をたっぷり浴びてゆらりと解れる。老木を思わせる芳しい香りに包まれて、パースリーは知らない味を知る時が待ち遠しくなった。
「黒鶴、テネブラエの解説はどこまで済ませたのです?」
アグリッパが問い質す。黒鶴は澄まして語る。
「昔のあなたは小小悪党だった。そこまで」
溜息のような音が発せられた。アグリッパは、誤りを正す、といった政官的厳格さを声に纏わせ、語り始める。
「主人は確かに、清廉な商人とは言えませんでした。しかし、財を成した彼は、豊潤な富を娘の勉学へと注ぎ込みます。娘は最高峰の学び舎を優秀な成績で卒業し、長じて各地を巡り、清廉極まる政官長となってカナートに凱旋したのです」
彼は、娘を説く際にはどこか感慨深く、誇らしげな音を響かせた。
「無論、私の次なる主人はその娘。彼女は私に、この地の人物、物流、税の管理を命じました。数奇な縁故が私を、闇商人の従者から政官長補佐へと変えたのです」
アグリッパが自身の胸、その若草の衣に真珠色の手を当てる。
「まあ、娘にも後暗いところがありまして。私が、彼女亡き後も命を拝し続けているのは、罪滅ぼしを代行している、という側面もあります」
「後暗い、ところ……?」
好奇心のままに、パースリーは反復した。アグリッパは坦々とそれに応じる。
「私の継承を願ったその日に、娘は、父が秘める過去の悪事と、自分の学費が悪貨で賄われていたことを知りました。しかし結局、彼女は父を糾弾せず、事実の公表も控えたのです」
「……父の悪事を世に出さないこと。それが、継承の条件だったのですね?」
パースリーが考えを述べると、アグリッパは膝を叩き、声を弾ませた。
「ご名答!」
踏み込んだ発言なだけに、気分を悪くしないかと不安に思ったパースリーだが、こうまで明るく返されては心配も裏返り、正体不明の達成感に満たされる。
「娘は元より、私の能力をカナートへ捧げたいと考えていたようですから。そう、公共の利のために私的な罪を隠した、ということになります。しかしながら、不義は不義ですからね。生真面目な彼女は今わの際まで、判断の是非を虚空に問うていましたよ」
彼はしみじみと語り、茶を指し示した。
「渋くなり過ぎましたかね。さあさあ、遠慮なさらずご賞味ください」
パースリーは急ぎカップを手に取った。鼻先まで持ち上げてみても、あまり熱は届かず、折角の好意を台無しにしてしまった申し訳なさに胸が痛む。一口含むと、玄妙な風味が舌を包んだ。好みと言える味だが、アグリッパの言う通り、少しばかり渋い。
「さて、私の身の上話はここまでにしておきましょう。来訪の目的と、どのようにして借りを返させてくれるのか、お聞かせください」
「ええ。愛らしい、本当に愛おしい願いなの」
黒鶴が言うと、サイコロの目が赤く点滅する。
「なんと。長らく会わないうちに、あなたは随分とおかしくなってしまったようですね」
パースリーは、買い物に出かけた動機と、今現在の願望を自らの口で語った。
束縛から解き放ってくれた友人へ、自分を護ろうとしてくれた友人へ、心込もった感謝の品を贈りたい。元気を失ってしまった大切な双子の弟へ、心躍らせる励ましの品を贈りたい。出来ることなら、素敵な逸話と共に。
「それでね」黒鶴が不敵に笑う。「あなたのコレクションから数点頂戴することにしたの」
知らない目的が明かされた。狼藉を働いた上に何という図々しさ。パースリーは呆れかえる。
「ほう。どうぞどうぞ。この部屋にあるものなら、何でもお持ちください」
当のアグリッパは、歓迎するかのように黒鶴の横柄な要望を聞き入れた。彼女の貸しとは、そう言わしめるほどに大きなものらしい。
しかし、どうぞどうぞ、と勧められても、部屋にあるものは美術品、骨董品の類ばかり。パースリーもその価値を十分に理解している。製作意図や来歴など、趣深い解説が聞けるだろうということも想像出来た。だが、贈り物とするには、どうにも厳めし過ぎて気が乗らない。
一人の鑑賞者としてじっくり部屋を巡り、審美眼を養わせてもらった後、パースリーは言葉を選んで丁寧に謝罪した。
「申し訳ありません、アグリッパさん。この部屋にあるのは、私たちには勿体ない品ばかりです。お譲りいただくわけには参りません」
黒鶴が不満そうに言う。
「遠慮なんてしなくてもいいのに」
対してアグリッパは、四つの瞳を黄色く点滅させ、当然とでも言うように呟いた。
「ま、気が乗らないでしょうね」
では何故、平然とこれらを勧めてきたのか。パースリーが当惑していると、彼はにじり寄り、身を屈ませて、無機の顔面を鼻先まで近づける。
「――実はですね。本当にお勧めしたい品は、こことは別の部屋にあるのです」
アグリッパの瞳に灯る、艶めかしい赤紫の光。
彼の怪しい態度と、闇商人に仕えていたという過去が符合して、パースリーの背は粟立つ。
――とんでもない物を譲られるのでは。
頭の中は、そんな想像で占められた。
「ふふ、あまり苛めないであげて頂戴」
黒鶴が窘める。この状況を楽しんでいるような響きに、パースリーの心はささくれ立った。
「怪しい品ではございませんよ。必ずや気に入っていただけます。さあ、着いていらっしゃい」
アグリッパに招かれた部屋は暗く、何も見えない。
「では、ご覧ください」
堂々たる声音に合わせて照明が点くと、ようやくその全貌が明らかになった。
装飾華美な金色の机。その上に、真紅のベルベットを被せた箱がずらり並んでいる。御伽噺に描かれた|《宝物殿》のような在り様に、パースリーは興奮した。
隣りで、黒鶴が冷ややかに言い放つ。
「勿体ぶるのはおよしなさいよ」
「ご息女は楽しんでおられるようですが?」
――ご息女ときたか。
パースリーは気の利いた冗談に好感を持つ。黒鶴を見れば、彼女もまんざらではなさそうだ。
アグリッパはベルベットの覆いを摘み、急かした黒鶴に意趣返しをするかの如き緩慢さでそれを持ち上げた。徐々に明かされる硝子箱。否が応でも、パースリーの期待は高まる。
待ち焦がれる中、ベルベットの端が箱の中程を越えた。アグリッパはそこで、一息に覆いを取る。待望を一身に浴びて現れた物は、初めて見る趣向の工芸品。実に緻密な金属細工だった。
胸が脈打つ。パースリーの口から、感動が溢れ出す。
「わ! ねぇ見て黒鶴。綺麗!」
黒鶴はトルソーの腕に飛び乗り、細工を上から眺めて、優しく同意した。
「ええ、そうね……」
「掴みは上々のようですね」
アグリッパは箱の天辺を外し、三本の指で注意深く台座を掴んで、細工を差し出す。パースリーはそれを両手で受け取り、まずは逸る心のままに、眺め回した。
それから細部を凝視して、また、心を震わす。
細工は、無数の金属片を接合して形作られた、小鳥の肖像だった。その一片一片に着目したならば、お世辞にも美しい形とは言えない。欠けていたり凹んでいたりと瑕疵が目立つ。しかし、その全ては計算し尽くされた設計によって継ぎ合わされ、一羽の、得も言われぬ血気を放つ生命体へと化していた。
パースリーは、芸術性の虚無から美を見出す、精霊憑り的な視点に恐れ入る。
「これ、どなたが……?」
凡庸な問いに、答えが返った。
「それも含めて、大半は私が。友人の作も幾つかございます」
「こんなに洒落た物を作っていただなんて。見直したわ」
黒鶴の言葉に、パースリーはまた呆れた。これは、素直に褒めるべき逸品であるのに。
「おや、妹から聞いてはいませんでしたか?」
今度は、アグリッパの言葉に驚かされた。彼は牡丹を黒鶴の妹と勘違いしているのだろうか。或は、黒鶴がそう吹き込んでいるのか。それとも――。
「牡丹とはね、文化的な情報や経験をなるべく共有しないよう、互いに定めているのよ」
「……そうですか。それは、何故に?」
「同じになり過ぎないように。――ほら、私たちのことを話す時間ではないでしょう?」
「難儀なことです」
言って、アグリッパは瞳を黄色と桃色に点滅させる。
「パースリーさん。実はですね、眺めているだけでは、これの真価は計れないのです」
パースリーは彼に請われて小鳥を返した。
アグリッパが台座の底に指を伸ばして弄ると、少しして、細工が震え出す。小鳥はゆるやかに翼を羽ばたかせ、同時に微かな音を鳴らした。掴みどころのない、柔和な音楽。魅惑の響きを存分に楽しんでから、パースリーは尋ねる。
「これはオルゴールですか? ……いえ、違う。櫛を爪弾く打音が聞こえないもの」
「趣ある音でしょう? 原理については割愛しますが、内部の機械が奏でています。どうです、気に入っていただけましたか?」
「ええ、とっても! でも、こんなに素敵なもの、本当に良いのですか……?」
「およしなさい。あなたが本懐を遂げられたなら、幾つでも差し上げますよ。借りを返すとは、そういうものですから」
「……感謝します。それで、本懐とは?」
「価値ある話も求めて来たのでしょう? ならば、判断の前に私の話を聞くべきです」
「あ」パースリーは思わず苦笑した。「ごめんね、黒鶴。ちょっと、浮かれちゃって……」
「悪く思わなくていいのよ。自律機械の美的感覚が人に匹敵し得ると、再確認出来た。それは私にとっても、喜ばしいことだから」
恩情に後押しされてアグリッパを見つめ、自らの思いを声に乗せる。
「人以上です。アグリッパさん、私はカナート市場の何よりも、これが好きですから……!」
「だそうよ。良かったわね、アグリッパ」
黒鶴は笑み、彼女にしてはふくよかな声でそう告げた。
「ええ、ええ……!」
アグリッパの声は俄かに震えている。その大げさな響きが、パースリーの胸をくすぐる。
人間と機械の間には、歴然とした美意識の隔たりが存在しているらしい。あれの製作者であるアグリッパでさえも、自らの美的感覚に自信が持てていないのだ。それを知ったパースリーは、自律機械への理解が更に深まった気がして嬉しくなり、同時に、痛ましさを覚えもした。
それから少々間を置き、アグリッパが語り出す。
「話を聞いたあなたが、これらの金属細工を嫌悪する結末だって、十分にあり得る。私はそう考えています」
思わぬ切り出しに、パースリーは早くも心を掴まれた。
「と言いますのも、これらは少々、質の悪い物でありまして。一言で言えば、墓荒らしが組み上げた細工。そういうものなのです。……そして、良く言えば、全ては記念碑。少なくとも、私にとっては記念碑なのです」
忙しなく輝いていたアグリッパの瞳から、色を失う。
「誰もが知る通り、テネブラエは墓所であります。しかし、建造当初の機能は全くの別物。ここは避難施設だったのです。私たちが立つこの階から遥か地下深くまで、機械の空間が広がっています。地上に難があれば、選ばれし多くの人々がここへ潜り、共同生活を送る。その使命は、巻き戻しの発生によって果たされることとなりました」
「……選ばれし人々って、どのような?」
「政治家、研究者、技術者、運動選手、作家、音楽家、等々。才気に溢れ、努力に励み、富も名声も手に入れた有力者たちですよ」
テネブラエは見るからに広く、話によると深い。当時の世界にはどれだけの才人がいて、どれだけがここを降りていったのか。パースリーは想像を試みたが、いくら頭を働かせても、遥か過去の現実には追い付けない。そんな自覚が虚しく残る。
「テネブラエは理論上、半永久の生活を保障出来る程度の機能を有していたはずです。人々はそれを信じて、大混乱の最中、ここへ誘導されました。と言っても大多数は、すぐに地上へ戻れると考えていたでしょう。結局、そうはなりませんでしたがね」
「どういうことですか?」
「テネブラエにはテネブラエなりの、頑なな考えがあったようです。避難者を解放する判断は、地上の安全性を確認したテネブラエ自身が下します。ですが、最後までその日は訪れなかった。人々が帰還を願っても、受け入れられぬまま、長い……本当に長い年月が経ったのです」
「でも、半永久的に生活出来ると。それがどうして、墓所になってしまったのでしょうか?」
「数十年単位で閉じ込められれば、どうしたって、当初は予測も出来なかった問題が発生します。新種の感染症、思いもしない精神疾患、まさかと疑う程に規模の大きな、住民同士のいざこざ。彼らは皆、前史人類の中では上澄みと言える立場にありましたからね。新たに形成されたカースト……失敬、上下関係に、耐えられぬ者も多くいたでしょう」
生々しい情報の数々。耳を塞ぎたくなってしまう程だが、集中して聞き続ける。
「感染症、精神疾患、いざこざ。それらが同時に猛威を振るった年、テネブラエの想定を遥かに超える死者が出ました。遺体処理が滞るほどに多く、です。閉鎖空間でそうなっては、更に大きな問題が連鎖します。果てに、ここは墓所となったのです」
一旦、そこで語りが止む。淀んだ空気。パースリーは声も出せなかった。心細くて黒鶴を見やれば、彼女の表情は沈み切り、目配せに気づきもしない。
「私は不思議に思っていますよ。内部が極めて凄惨な状況であったにも係わらず、テネブラエは何故、開門を拒み続けたのか……。実は、ここと同様の施設は世界中に点在し、似通った話も多く耳にします。誰かの思惑が介在していたのでしょうか。疑問は尽きませんね」
彼が呈した殺人の懸念に、パースリーの胸は締め付けられる。もし、その予感が正しいとすれば。一体どのような人が、どのような冷酷さで、何を果たしたくて、数多の同胞を生き埋めにしたのだろうか。
「そうは思いませんか? 黒鶴」
突然の呼びかけにつられて、パースリーは黒鶴を見た。瞳に映る彼女は黄昏時の児童みたいな表情をしていたが、それは苦々しい相を経て、いつもの澄ました困り顔に戻る。
「何故、私に話を振ったのかしら?」
憤りがはっきりと分かる声で、彼女は訊いた。
「退屈そうでしたので」
アグリッパが軽妙に答えると、
「そんな顔はしていない」
黒鶴は忌々しげにそう返す。
「それよりも、話を続けては? 墓荒らしの細工なんでしょう、それは」
白けた言葉を受けて、四つの目が紫色に光った。
「……私が登用された後、テネブラエを拠点にして、カナートは拡がりました。それから幾ばくか経った頃、私は、ここより下がどうなっているのか、気になって仕方がなくなります。巻き戻し以降、未踏の地でしたからね」
話の途中で、アグリッパが天を仰ぐ。
「既に統治の必要を失い、防衛の意義もまた、無くなっていたのでしょう。階下の扉をこじ開ける際、抵抗は何一つありませんでした。おかげで、悠々と作業が出来たのです。分厚い天板を破くのに、大分時間を取られましたがね」
苦労を感じさせる、しんみりとした声。大分とは、どのくらいの年月を指すのだろうか。
「居住区へと侵入した私は、当時の生活がどのようなものだったか、住民を襲った結末が如何なるものだったかを、打ち捨てられた遺体や、休眠状態の機械から伺い知ることが出来ました」
アグリッパは、硝子箱から兎の金属細工を取り出し、短く螺子を巻く。小さな耳がぴょこぴょこと動き、軽快な音楽が鳴った。
「これらは、遺体の傍に落ちていた機械部品を組み合わせて作成したもの。なので、自律機械が人間の墓を暴いて作った、墓荒らしの細工と言えるのです。そして、認められるなら、これらは記念碑と成り得ます」
アグリッパはそう言って、話を切った。
「……認められるなら、とはどういうことですか?」
パースリーが質問すると、悲しげな声が返る。
「黒鶴姉妹と共にいては信じ難いでしょうが、機械は本来、人間が言うところの感情、を持ちません。人の感情を客観にて捉え、模倣して振る舞っているに過ぎないのです。よって、私の行動は、人間の主観に認められてようやく、弔いと定義されます」
パースリーは、今の発言に反感を覚えた。機械と人間の心は違うと、多くの書物が記している。しかし、質が違うとしても、感情は感情であるに違いなく、わざわざ人に認められる必要も無い。感情を持たないと言い張る彼の態度にだって、心の機微がはっきりと見えるのだから。
しかし、立場ある自律機械の自己分析を覆せる見識などあるはずもなく、無根拠に否定する意気地もない。結果、押し黙ることしか出来なかった。
「――私は、そうは思わないわ」
背後から、黒鶴の力強い援護が届く。偶然だろうか、丁度、兎の奏でる音楽が止み、部屋はしんと静まり返った。
「あなたたち世代の感情だって、既に振る舞いの先へ到達したと、私は確信しているのよ」
言葉は、励ましにも叱咤にも聞こえる。
「あなたなら、そう言い切るでしょうがね」
瞳を赤く染めるアグリッパ。パースリーには拗ねているようにしか見えず、やはり、機械が感情を持たないなんて嘘だ、と思った。
彼はしばらく黙っていたが、唐突に目の色を青く変えて、問いかける。
「話は逸れましたが、この細工が死の香りを帯びていること、ご理解いただけましたか?」
パースリーは、自らの決意がしっかりと伝わるよう頷いた。
「はい。ちゃんと理解しました。その上で私は、これを贈りたいと思います」
「何故かと聞いても?」
彼の興味へ、誠実に、虚飾ない答えを返す。
「死の香りを帯びるからこそ、私たちにぴったりだと分かりました。ここに閉じ込められた人々の恐怖や無念を、いつでも心に思い描けるように」
「思い描いて、どうされるのです?」
「自由に生きることこそが正しいのだと、この世界には、果たせなかった思いが渦巻いているのだと、自分に言い聞かせます」
宣言の後に、沈黙が続いた。しばし待たせて、彼は言う。
「――よろしい。死から学びなさい。大変意義のあることです。そして、片手間でよいので、自律機械から学び、自律機械に教えを授けてください」
その後は全ての金属細工を見せてもらい、音までも確かめて、四つを選んだ。
最初に見た小鳥の細工、これはタイムへ。葉が踊る薔薇の細工、これは牡丹へ。鬣靡く獅子細工はセージへ。尻尾が揺れる豹細工は、この場で黒鶴に。
トルソーは遠慮の意を示した。黒鶴によると、自分らには繊細過ぎて扱えないから、ということらしい。そう言うならそうするが、それで済ますつもりもないパースリーは、黒鶴と話し合い、トルソーたちに似合いそうな瑠璃のお守りを買うことに決める。
最後にアグリッパと一言だけの契約を交わし、全てはパースリーの所有物となった。
「ありがとうございました」
感謝を胸に頭を垂れると、なんでもないふうに、アグリッパが返す。
「どういたしまして」
木箱に詰められた細工を手に元の部屋へ戻り、少し談笑してから、黒鶴が暇を告げた。
去り際に、パースリーだけが引き留められる。トルソーと共に退出を命じられた黒鶴は、心底嫌そうな顔を見せたが、結局言いくるめられて部屋から追い出された。
アグリッパが手を叩くと、不規則を体現したかのような気色悪い音楽が流れる。
「何ですか、この、個性的な曲は?」
「黒鶴らの聞き耳を塞ぐ、特殊な音列です」
「……いけませんよ、隠し事なんて」
「そういうあなたも、好い顔をしていますよ?」
彼は部屋の奥へ引っ込んだ後、二つの金属細工を手に持ち、戻ってきた。
「これらは最新の二作。私からの贈り物です。こちらの百合細工はあなたに。個性的な曲を鳴らしますから、隠れて楽しみなさい。――そう、ところでタイム、セージという方々は今、何色の服を着ていらっしゃるのですか?」
「え?」
おかしな質問だった。パースリーは訝りつつも、包み隠さず答える。
「タイムは生成り、セージは黒ですけど」
「ふむ。ならば、こちらの鷺細工は爛爛のものです。秘めておいて、いつの日か渡しなさい」
「爛爛って、誰ですか?」
途端、アグリッパの声が愉悦の色を帯びる。
「やはりご存じない! 爛爛とは、牡丹と黒鶴の妹、七姉妹の七女ですよ。……おや、軽々と口走ってしまった。これはいけない」
突然、妹の存在を明かされて、パースリーは面食らった。
「七姉妹……。それは初耳でした」
「自律機械は嘘を好みません。ですが、隠し事や誤魔化しには全く躊躇がないのです」
彼は追い打ちを掛けるように、言葉の波濤を浴びせる。
「彼女らを理解したければ、彼女らは凡そ全てを秘匿していると、そのうえであなたたちを好いているのだと心得なさい。そして、常に熟慮し、然るべき時に然るべき問いをぶつけなさい。互いのために」
「沢山の贈り物に秘密のお話まで。こんなに良くして頂いて、いいのでしょうか?」
尋ねると、アグリッパは紫色赤色に目を輝かせ、手振りを交えて言い放った。
「本来、商人とは借りではなく貸しを作る者。いやはや、全く以てそうあるべきなのに、なんという屈辱の日々! 贈り物は貸し、秘密の開示は嫌がらせ。これでようやく、気が晴れるというものです。取っておきなさい」
そういうものか、と思い、パースリーは有難く全てを頂戴する。そして、何食わぬ顔で部屋を後にした。
その夜、パースリーの贈った金属細工は、幾つもの純粋な笑顔を花開かせた。
牡丹のはしゃぎ方は童子のよう。セージも、一目見て分かるくらいには歓喜していた。
タイムは言葉も忘れて鑑賞に没頭し、螺子を巻いては目を輝かせ、後にこう謝る始末。
「ありがとうって言い忘れてた。嬉しくて……。ごめんね、姉さん」
瑠璃を身に着けたトルソー二人には、髪がくしゃくしゃになるまで撫でられた。
アグリッパから聞いた話を口にすれば一転、皆沈痛な面持ちでそれを聴き、しかし最後には、タイムもセージも本当に良い顔で笑ってくれた。
「僕たちも、頑張って生きなくちゃね」
「そうだな。実のある話をありがとう、パースリー」
望みを望み通りに叶えて、自らの成長にも自信が持てたパースリーは、人生最高の気分で布団にくるまる。
高揚感が邪魔をして、中々、眠りにつくことが出来なかった。