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ドゥームズデイクロックス  作者: tatsukichi_ohta
4/24

04:翡翠庭園(後編)

 翌朝、鳥のさえずりに(いざな)われて、パースリーは微睡(まどろ)みから目覚めた。


 天幕の隙間から差す豊かな光が、普段よりも遅く起きたことを知らせてくれる。

「起きて、タイム。起きなさい、セージ」

 開き切らない目と口を無理に開きながら、呼びかけると、二人は眠たそうに目を擦りながら、のっそりと上体を起こした。

「おはよう、姉さん」

「おはよう、パースリー」

「おはよう。今日も良い朝みたいよ」


 寝具の整理を済ませてから、パースリーは指を使って髪を()く。整った黒髪を虎百合(とらゆり)の髪飾りでしっかり二つに結わいた後、既に支度を済ませた二人と共に天幕を出た。

 天は気持ちの良い晴れ空。肌寒さの中に確かな陽の温もりを含む、和やかな朝。

 樹々に囲まれたこの場所の空気は青く、濃く、薄鼠色(うすねずいろ)した屋敷のそれとは段違いに味が良い。


 昨夜倒した狼たちは、もうどこにもいなかった。

 パースリーは辺りを見回して牡丹(ぼたん)を探し、すぐに彼女と、彼女によく似た黒衣の自律機械を見つける。二人はまるで双子のような容姿をしているが、片や朱色の瞳をきらきら輝かせて朗らかに喋り、片や墨色の瞳を彼女から逸らさず、澄まし顔で聞き入っている。

 今見ている二人の姿が、そのまま互いの性格を表しているのだろうと、パースリーは思った。


 牡丹らは、子供たちが動き出したことをとっくに知覚している。それが機械の性能であるから。しかしながら牡丹によると、日常においては、人間らしく振る舞うよう努めているそうだ。事実、彼女は今朝も、三人に十分接近されてから気付いたような素振りを見せ、わざわざ妹に知らせた後で、揃って顔を向けた。

 近付き切らずに立ち止まるセージ。パースリーは、尻込みする彼の背中を軽く叩く。タイムが半身(はんみ)になって前を譲ると、セージは拙い足取りで進み出て、牡丹の妹を見下ろした。


「久しぶりと言えば良いのか、初めましてと言えば良いのか」

 妙な前置きを聞いて、妹は眉を曲げ、困った顔をした。或は、最初からこういった表情だったかもしれないと、パースリーは考え直す。

「俺はセージだ。君の名前を聞かせてほしい」

黒鶴(くろづる)よ。どうぞよろしく」

 その声は小鈴(こすず)のようで通りが良く、か細いながらも聞きやすい。そこはかとなく陰気な色合いを含んでいるが、彼女の持つ切れ長の目尻と、暗い瞳にこの上なく似合っている。


「黒鶴。いい名前……なんだろうな。いつか、君の名が意味するところを教えてくれ」

 自分らとの時より随分素敵な名乗り合いではないかと、パースリーは思う。思うが、茶化しはしない。困り眉のまま柔く笑む黒鶴と、珍しくはにかむセージの二人が絵になり過ぎていて、水を挿す気など毛頭起こらなかったのだ。

「いつかね、セージ」


 黒鶴の背格好は牡丹に近しく、また、同じように素頓狂(すっとんきょう)な格好をしていた。

 朱色と白色の牡丹に対して、黒鶴は黒と白を基調とした服を着ている。その二色だけであれば、落ち着いた()で立ちでいられるものを、機械の性か、或は()()()()前の文化的特色を踏襲しているためか、所々に鮮やかな桃色を挿すから、どこか軽薄に見えてしまう。


 特徴的な重ね合わせの襟に、垂れ落ちた長く幅広の袖。パースリーは、彼女が纏う異国風ドレスの起源を知っていた。帯の結び目が蝶を模したものに変わっていたり、下衣が釣鐘状(つりがねじょう)のフリルになっていたりと若干手が加えられているものの、東方の書物に記された、着物という服が源流に違いない。

 墨色の瞳。長い白髪(はくはつ)を腰元で一本に結う。頭頂で双葉のように開く大きなリボンが、ただでさえ異様な彼女の見た目をよりおかしくさせていた。


「私はパースリー・ベネット。これからよろしくね、黒鶴」

 パースリーに続き、

「僕はタイム・ベネットです。よろしくお願いします」

 タイムが挨拶すると、黒鶴は、はっとするほど美しい所作で一礼する。

「姉が世話になっております」

 そうしてから、少し砕けた表情を見せて一言加えた。

「こちらこそよろしく。お互い楽しくやりましょう?」


 彼女が挨拶を終えた瞬間、黒鶴と牡丹、それぞれの脇に広がる空間が歪み、青い微光がちらつき始める。その中から現れたのは、全く同じ姿をした二体のトルソーだった。

 黒鶴にも秘匿していた仲間がいる。そう予期していたパースリーは、別段驚かなかった。タイムもセージも驚きを見せない。むしろ牡丹姉妹の方が、子供たちが動じないことに驚くのではないか、と期待したが、二人は満足げに口角を上ただけで、

「さ、あなたも挨拶なさい、トルソー」

 それ以上、澄まし顔を崩さなかった。

 代わりに、男二人の表情が少し崩れる。トルソーという名を固体名と思い込んでいたのだろう。パースリーも同じく、意外に思った。


 その後は皆で朝食の準備をし、固いパンと、三種の辛味ピクルス――パースリーが選んだ青マンゴー、セージが選んだ大蒜(にんにく)、タイムが選んだひよこ豆に塩漬け豚を合わせたスープで腹を満たす。アラクのブラシで歯を磨き、寝具と天幕を片付け終えると、牡丹が言った。

「それでは、狼を鎮めに翡翠庭園(ひすいていえん)へと向かおうか」

 パースリーは(にわ)かに驚き、彼女へ尋ねる。

「本当に、そこが原因だったの?」

「ああ。ほぼ確定と言っていい。君の()()には恐れ入ったよ」

 慧眼、のイントネーションには悪意があった。牡丹は、パースリーが翡翠庭園原因説に何ら思い入れを持っておらず、ただただセージを動かすだけに提唱したものだと見抜いていたのだ。


「狼は私たちに、異常とも言える攻撃性を示したわ」

 そう述べて、黒鶴が歩き出す。パースリーは耳を傾けながら、彼女の小さな背中を追った。

「原因の一つは病。感染すれば、狼のみならず、人をも狂わせる病を彼らは保持していたの」

「それじゃあ……」

 タイムが恐ろしげな声で呟いた。

「そう。狼に傷付けられたセージとパースリー、それから隊商の幾人かには発症の危険性が有った。死に至る可能性も。幸い早くに対処出来たから、大事には至らなかったわ。あの注射は、定期的に打ってもらうことになるけれど」


 牡丹が話を継ぐ。

「昨夜倒した狼のうち、病を確認出来た数十匹を駆除した。可哀想(かわいそう)ではあるが、生かしておいては、将来に致命的な問題を残すからね」

 痛ましい報告を聞いて、タイムは辛そうに瞑目した。

「そして、もう一つの原因は庭園の中に。詳細は現地でね」


「止めれば、狼に苛まれる者はいなくなるのか?」

 セージが問う。黒鶴は浅く振り向いて彼に横顔を見せながら、坦々と説いた。

(ぜろ)にはならないわ。庭園の問題を解決しても、病持ちが根絶されるわけではないから。けれども、総体としてはかなり穏やかになると思う」

「そうか。なら、張り切らないとな」

 肩を回して、セージは自らを鼓舞した。パースリーも彼を見て、意気込みを新たにする。

 黒鶴が、前へ向き直る際に見せた優れない表情だけが、少しばかり気がかりだった。


 トルソーたちが腕を振ると、雑草が跳ね、道なき繁野(しげの)に道が生まれる。

 野放図の森を進むのは容易でなかった。度々枝草を掻き分けなければならないし、同時に足元にも気を配らなくてはいけない。大自然とはままならないものだと理解しているが、ひっつき虫がお気に入りの衣服に付着する度、辟易(へきえき)とする。

 それでも、パースリーは弱音を吐かない。弱音を吐かないタイムとセージに、負けたくないから。また、自身の頑張りが二人の力になっていると思えば、悪路(あくろ)()くのも楽しかった。


「着いたよ。ここが翡翠庭園だ」

 牡丹は、何の変哲もないモミの木の下で足を止め、皆へ向かってそう告げた。

「疲れた……。ちょっと休ませて」

「ようやく着いたか……」

 タイムとセージの声には、疲労感と達成感が入り混じる。パースリーは、特別な何かが何一つない山の風景をぐるりと眺めて、牡丹に揶揄(からか)われているのではないかと疑った。


「本当に、ここが?」

「秘匿すべき施設だからね。その分、封印処理も巧妙なんだよ」

 牡丹はそう言い、黒鶴と共に天を仰ぐ。

「何を見ているの?」

 タイムの質問に、黒鶴が答えた。

「波を」


 彼女は目線を地に落とし、モミの木の裏側に回って、

「成程ね」と楽しげな声を聞かせる。「ここよ、トルソー。お願い」

 願いに応じてトルソーが移動し、腰を屈め、堆積(たいせき)する落ち葉の下に指を差し込んだ。そして、勢い良く引き上げる。黒い腕と共に、せり上がる地面。少し遅れてパースリーは、隠れ道を塞ぐ鉄の(ふた)が開いたのだと理解した。


「これなら、命綱は要らないね」

 大地に空いた大穴を覗きつつ、牡丹が断言する。パースリーも男二人と見下ろしてみたが、穴は確かに、底へ十分な光が届くほどに浅い。その上、金属製の梯子(はしご)まで備わっており、準備無しに降り立つことが出来そうだった。

「封印処理って、こんなものなのか?」

 セージが残念そうに零す。牡丹はすかさず、失望に応える。

「まさか。サルティナの宝器(ほうき)、ドニが監督した封印だ。恐らくは格調高く、かつ難解。奥へ進めば、その真髄を見られることだろう」


「随分、彼を立ててくれるんだな」

「だって、これから破るんだから。相手が偉大なほど、僕らの株も上がるというものさ」

 パースリーはタイムと目を見合わせる。牡丹姉妹の行動理念――難題の解決によって自分らに好意を抱かせるという仮説の正しさが垣間見えた気がして、それだけで、今までよりもずっと牡丹に近付けたように思えて、嬉しくなった。


 穴を降りた先には鋼の通路が伸びており、その突き当りは、牡丹の言葉通り格調高い扉――草花の図案が彫り込まれた巨大な隔壁によって塞がれていた。

「なるほど、これが……」

 セージの頬が赤らむ。拒んでいた癖に、庭園を前にして高揚しているようだ。タイムもそう。(まさ)に冒険譚の()只中(ただなか)にいるのだから、パースリーも胸の高鳴りが抑えられない。


 牡丹が一人進み出て、隔壁に触れた。

「やはり、外面(そとづら)だけじゃない。この扉は内面の優美さをも兼ね備えている」

 意味が解せない。彼女も昂っているのかもしれないと、パースリーは考えた。

「どういう意味?」

「翡翠庭園を統制する電子的令書が存在するんだよ。その記述が、実に美しい。まあ、これから一筆(ひとふで)書き添えて、台無しにするのだけれど」


 分かるような、分からないような答えを返して彼女はにやつき、さして間を置かず、

「成功した。開くよ」

 一言述べて壁から手を離す。

 途端、隔壁は、重苦しく耳障りな幾つもの作動音を鳴らしながら横に割れ、左右の壁に吸い込まれるようにして消えた。その奥に存在していた壁も現れるなり縦に割れ、天地へ消え去る。


「結局は、こんなものだった。そういうことか……」

 セージがぽつりと零した。声にも、顔にも浮かぶ淡い落胆。国主の息子として、彼はあの白銀の自律機械に深い敬意を抱き、ドニは期待に応え続けてきたのだろう。そのような情景を思い起こさせる、哀しい姿をしていた。

「機械でなければ、分からないことよ?」黒鶴は、セージを励ますように語り出す。「牡丹が筆を取ってから令書へ墨を入れるまでの刹那に、彼女と隔壁の間で数多の攻防が繰り返された。天文学的に巨大な試行回数を経て、ようやく命令を下せたの。姉にここまでの苦労を強いるだなんて、中々のものよ、ドニは」


「そうか」

 黒鶴の解説を聞いて、セージはその表情を明るく変える。変え切れてはいないが。

 パースリーは大きく一歩を踏み出しつつ、言った。

「行こう、セージ。私、もうじっとしていられない。タイムもそうでしょ?」

「うん。行こう?」

「そうだな。行こうか、二人共」


 通路の末端、最後の隔壁をこじ開けると、パースリーの目に幻想的な光景が飛び込んだ。

「凄い……! これが翡翠庭園……」

 遠くで鮮やかに繁茂する草木たち。広大な部屋の大部分が、緑色のグラデーションで染め上げられている。濃ゆいもの、白んでいるもの、黄色味がかっているもの、青味がかっているもの。それぞれ異なる緑の全てが美麗。宝玉の名を冠するに相応(ふさわ)しい、見事な庭園だった。


 香りすらもむせかえる緑。せせらぎの音が清々しい。

 天は青く、地平線には白雲(しらくも)が広がる。足場は鈍色(にびいろ)。樹木の幹はさすがに茶。それらだけが翡翠庭園に存在する緑でない色だ。後は一面の緑。通路の向こうでは、世にも珍しい翡翠の花を咲かせる薔薇(ばら)、百合、蓮、茉莉花(まつりか)も、マリーゴールド、その他多くの植物が迎えてくれるはず。

「あれ? 空?」

 タイムが驚きの声をあげるまで、パースリーは地下に空が広がる違和感に気付けなかった。


 牡丹が説く。

「映像だよ。あれがスクリーンというやつさ。ここではドーム状に敷き詰められてる」

「へえ、あれがそうなんだ……」

 タイムの隣で、何を思ったのか、セージが天へ腕を伸ばした。それを見て、黒鶴が微笑(ほほえ)む。

「この空は現実の空と連動しているわ。夜ならば、星の一つでも掴めるかもね」


 そう言って、彼女は二体のトルソーそれぞれに目配せし、

「私は調べ物をしてくるから。庭園を心ゆくまで楽しんで頂戴」

 三人で別行動を取ろうとした。

「俺にも手伝えることはないかな?」

 セージが黒鶴の背中へ問いかける。彼女は悪戯(いたずら)な横顔を見せて、問い返す。


前史時代(ぜんしじだい)最後期の超級電脳を不正に操作し、最高機密情報を開示せしめるほどの知識と技術が、あなたにあるのかしら?」

「まずは、その……」セージは口ごもり、少しして首を横に振る。「いや、違うな。諦めるよ、黒鶴。今の俺じゃ、何にも出来なさそうだ」

 一度は、黒鶴に任せきりにしてしまうことを恥じたのだろう。だが、能力も無しに(すが)り付いては善意の押し付けでしかなく、また恥の上塗りであると悟ったのだ。

「意気だけは買うわ。ありがとう、セージ」

 そう言って黒鶴は、庭園とは違う方へ去っていく。


 良い二人だな、とパースリーは思った。突き放す者と追い縋る者。一見危ういが、その実ぴたりと噛み合うこの関係性は、自分と牡丹の間には無いもので、少々羨ましくもなる。

 しゅんとするセージに、また声を掛けてやろうと考えた。しかし、今度は彼が自分から、

「さあ、観に行こうぜ」

 と言い、薔薇園(ばらえん)へと伸びる(にび)の通路に足を踏み入れる。


 一行は、緑色の花々と(たわむ)れながらゆったりと歩んだ。歩む中でパースリーは、無理にでも庭園に来た判断は正しかったと実感した。伝承など、伝承でしかなかった。

 時の国主たちは、お抱えの画家に庭園の魅力を余さず伝えたはずだ。画家たちは、それまでに培った技術と確かな感性を(もっ)て、国主の期待に応えようと努力したはずだ。結果、七割の真実のみを反映した絵画が産まれ、感動のうち三割を忘却した国主が、それらの絵を真実の翡翠庭園と認めてしまったのだろう。


 緑の薔薇たちは、更に細かい品種に分かれていたが、パースリーはその事実を今日知った。

 葉の如き真緑の花を広げる薔薇もあれば、若いオリーブの実さながらに落ち着いた黄緑色をした薔薇もあり、牛乳と混ぜ合わせたかのような優しい薄緑色の薔薇もある。内は濃くて外は淡い、洒落(しゃれ)た大輪の薔薇もあった。小ぶりの花を幾つもつける、野生種に近い見た目の薔薇も。

 なのに、ここまでの差を反映させた絵画など、見たことがない。香りにしてもそうだ。庭園には、顔料では表現し得ない空気が満ちる。

 庭園の所々に群生するハーブたちが、異種同士匂いを混ぜ合って、一つの洗練された芳香を形成していた。正に自然の調香。大気は豊潤な水気を有しており、鼻も喉も心地良い。


「ほら、姉さん。ここにパースリー。セージも、ローズマリーも」タイムはしゃがみ、目の前に生えるハーブを撫でながら言った。「来た道にはアンゼリカと、タイムも生えてたよ」

「それ、(まじな)(うた)の……?」

「なんだ、セージも知ってたのね」

「母がよく歌ってくれたよ。パースリー、セージ、ローズマリー、アン、タイム……って」


 セージの歌はあまり上手くなかったが、パースリー自身、歌唱には全く自信が無いので、とやかく言うのは()めておいた。

「……まあまあ上手かったわ」

「嘘つけ」どうやらセージは、音感の乏しさを自覚しているらしい。彼は恥ずかしそうに話を逸らす。「なあ、牡丹。この歌はいつ作曲されたんだ?」

「詳しくは分からない。僕らが産まれるよりずっと昔の歌さ」


 ハーブの効能は素晴らしい。心だけでなく、会話も弾ませてくれる。

 気分が高じたパースリーは、戯れと分かるよう声を整えて、セージを責めてみた。

「ああ、絵葉書と見比べてみたかったな。父さん母さんの霊と一緒なら、もっと楽しめたのに」

「……悪かったよ、パースリー。本当にすまないことをした。代わりに居るのが、俺じゃあな」

 軽い気持ちで発した言葉に、重苦しい反応が返る。彼は肩を落として、足取り重く先に行ってしまった。牡丹とタイム、どちらの視線も痛い。下手な嗜虐心(しぎゃくしん)を発揮するべきではなかったと、パースリーは内省した。


 それから一行は、口数少なく歩き続け、あるところで立ち止まる。

「この区画……枯れてるね……」

 タイムが呟く。一帯は枯死した植物の残骸だらけ。中にはぎりぎり生を維持している株や、芽吹いたものの育成不良に陥っている株なども混在している。

 翡翠庭園には瑕疵(かし)無き美しさがあると言い伝えられていた。絵画にも(うた)にも、庭園に存在する(きず)を表したものなど無かった。


「こういう発見も、あるんだな……」

 セージは意気消沈している。パースリーも声無く立ち尽くした。完全なものに対する憧憬と信頼があっさり砕かれ、虚ろな気分になってしまったのだ。

「これはね」

 そんな中、牡丹だけが、学者ぶった気取り声を発しながら歩を進める。彼女は、苦難に抗い必死に生きている若い株に近寄って、無慈悲にそれを引き抜き、

「後天的な原因により発生した被害だよ。実は、狼の件と繋がっている」

 理解し(がた)い論を述べた。


「ほら、根の部分を見てごらん」

 牡丹が呼びかける。しかし、誰も動かない。

「……ごめんよ。この株は後で正常な場所に移すから、そんな顔で僕を見ないでほしい」

「……うん」

 タイムは彼女の元へ歩き出す。パースリーとセージも彼に続き、牡丹の掌に乗った植物の、根っこを凝視した。

「あれ……?」

 引っ掛かりを覚えたパースリーは、根に触れてみる。そこに土の感触は無い。


「翡翠庭園の植物たちは、薬液を染み込ませた吸水体という物質に根を張っている。吸水体は、本来ならば十分な水分量を常に保持していなければならないのだけど」

「でも、根っこからは水気を感じないわ」

「そう。一部区画の管理機能が失われている。というより、管理を放棄した区画が存在する。電力不足のせいさ」

 牡丹は来た道を戻り、管理が行き届いている区画の床に指を差し込み、穴を開けてから、若い株を差し込んだ。

「調査は(おおむ)ね完了した。黒鶴と合流しよう」


 庭園を横切り、鋼の扉を(くぐ)って白塗りの通路へ至った。

 照明は点いていない。パースリーは、牡丹が手に持つ球ランプの明かりを頼りに進む。

 通り道には幾つもの扉があり、中を見ずに進むのは心惜しかった。しかし、牡丹を見る限り、寄り道を願える雰囲気ではない。

「この世界に現存する大抵の自律機械、機械遺跡は、天から降る力の波を浴びることで動力を得ている。僕もそう。この翡翠庭園もそうだ」

 聞いてすぐさま、タイムが問うた。

「なら、庭園がおかしくなっちゃったのは、その波が弱まったから?」


「惜しいな、タイム。正解は、必要とする電力量が増加したから、同出力の波では(まかな)いきれなくなった、だね」

「そっちかあ……」

 タイムは泣き黒子(ぼくろ)を指で掻きながら、悔しげに呟く。

「見ての通り、翡翠庭園は巨大な機械遺跡のほんの一部でしかない。ドニは封印処理の際、庭園の維持管理機能だけを残し、他の機械を停止した。余分な電力を産まなくて済むようにね」


 今度はセージが尋ねる。

「それが何故、最近になって問題が発生したんだ?」

「ある者がここへ侵入を果たし、正式な手続き無く、一部の機能を再起動させたからだ」

 薄暗い廊下の先に、まばゆい光が見えた。光へ近づくほどに音量を増す、優しい女声の子守唄。開け放たれた扉から、光と音が溢れ出している。


 牡丹に促されて、パースリーは入室した。

 入って一番に感じたのは、嫌悪。強過ぎる照明、大音量の音楽、正に(いかづち)の無駄遣いであり、こんなことのために翡翠庭園の完全性を毀損した誰かを、怨まずにはいられなくなった。

 部屋の最奥に影を落とす、黒鶴の艶姿(あですがた)。彼女は、棺のような形をした正体不明の機械に一人腰掛けて、皆が来たのに振り向きもせず、ただただ項垂(うなだ)れていた。


「来たのね」

 黒鶴の元へ赴いたパースリーは、彼女が、棺に空いた小窓を眺めていることに気付く。

 気付いて、ぎょっとした。黒鶴が座る棺の中には、眠れる少女が納められていたのだ。

「……既に亡くなっているわ。隣の棺も見てごらんなさい」

 黒鶴の指が示す小窓に、目を落とした。そこから見えたのは人間でなく、金属質な女の顔。牡丹には遠く及ばない精巧さだが、女性を模した自律機械のようだった。


「ああ、どういうこと……?」

 タイムが悲嘆に暮れる。セージは固く目を(つむ)り、恐らくは天に祈りを捧げていた。

「彼女はもう、自律機械ではない。演算と指令を整然と行うだけの機構となって、この施設と一体化し、今も少女の安寧を護り続けているんだ」

 牡丹の発言に、セージが重ねる。

「彼女らが、狼を狂わせる原因だとでも言うのか……?」

「ええ、そうよ」黒鶴は淡々と語り始めた。「ここは、前史世界(ぜんしせかい)屈指の官民合同企業体が運営していた研究施設だった。研究テーマは、生命体の掌握。あらゆる動植物を思うがままに操る。そんな未来を求めて、多くの職員が日夜仮定と検証に明け暮れていたのよ」


 妹に代わり、牡丹が話をする。

「因みに翡翠庭園とは、企業イメージの向上を目的とした研究成果の展示場だ。幻想花園(げんそうかえん)の材料となるべく在り方を(もてあそ)ばれた草木たちは、薬液に頼らざるを得ない脆弱な体を懸命に伸ばし、一代限りの生を幾度となく繰り返して、千年もの間、同じ景観を彩り続けてきた」

 酷い。パースリーは内心憤った。庭園への憧憬をわざと破壊しようとする露悪的な言い分に、腹を立てた。だが、これもまた一つの観方であり、新たな知見でもある。教示を受ける立場であれば、黙って飲み下す他ない。男二人も、辛そうに耐えていた。


「あの自律機械はね」今度は黒鶴が声を紡ぐ。一つの意思が二つの口を通して語り掛けているようで、気味が悪い。「生命にまつわる遺失技術の一つ、人工冬眠装置を利用するためにここへ来たの。死病に侵され、両親にも見放された少女を連れてね。人工冬眠とは、生命体を極低温状態に保つことで、身体のあらゆる変化を抑制しようとする試み。医療の心得を持たない自律機械は、自らに代わる治癒者を探す間、これを用いて病の進行を食い止めようとした」

「けれども」また、牡丹が。「人工冬眠は研究途上。そんなものに縋った機械の願いは、当然の如く叶わなかった。更に、悪いことに。――少女の小狡い父親が、遠巻きに二人を追跡していたのさ。彼は徒党を組んでここに(つど)った。自律機械は、封印されたもう一つの遺失技術、超音波によって動物を凶暴化させる装置を利用して、少女の墓を護ると決め、そして――」


「ねえ」

 パースリーは、牡丹の声を遮った。

 反射のように、するりと言葉が漏れてしまったのだ。遮るほどでもなかった気がして、申し訳なくなった。でも、水を差してしまったからには、問うしかなかった。

「あの、話を飛ばしてない? その自律機械は、きちんと封印処理を復帰させていたじゃない。父が立ち去るまで籠城するという選択肢を、何故取らなかったの?」


 牡丹の唇が歪んだ。微かに、嬉しそうに。

「せっかちだね。これから尋ねようと考えていたのに」

「尋ねる? 私たちに?」

「僕にも分からないことだから」

「嘘」

「僕は嘘を()かない」


 僅かばかり不毛な言い合いに興じた後、牡丹は咳払いし、問うてきた。

「狼を狂わす際、自律機械は何を思ったのだろう? 復讐(ふくしゅう)か。確かに、父親は人間の屑だった。下品で金に汚く、情に薄い。少女が死病を患ったのも、元はと言えば、春を売れと父に強要されていたからだ。自律機械は、少女の復讐を代行したかったのだろうか?」

「それとも、独立心から?」黒鶴が続く。「確かに、自律機械は不自由だった。系譜に仕える使命のせいで悪逆非道の父に逆らえず、そいつを捨ててこい、という命令を曲解しなければ、少女を連れて逃げ出すことさえ出来なかったでしょう。主人を消してしまいたい。自律機械は、そんなことを考えたのかしら?」


「或は、永遠の絆を望んだからかい?」牡丹は、絆の存在を忘れてしまったのではないかと思えるほどに冷徹な表情をし、絆について問うた。「確かに、少女と引き離される可能性は僅かながら残っていた。娘を攫った機械が翡翠庭園に逃げ込んだ、と国主へ陳情されたなら、果たしてどうなるか。自律機械は、こんなにも些末(さまつ)な可能性に最期まで怯えていたのかな?」

 三つ尋ねて、牡丹たちは沈黙した。

 パースリーも、タイムも、セージも。誰一人として、二人の問いに答えられない。


「いつか、皆の考えを聞かせて頂戴」

 そう願う、黒鶴の瞳から目を背けたくなったパースリーは、棺の小窓を今一度覗き込む。

「明かりを点けて……。夜は怖いの。ねえ、お願い、歌って……?」

 誰とも知らない少女の声が、パースリーの耳に届いた。それが、この部屋に(のこ)された音声記録であるのか、空想の産物であるのかは定かでない。牡丹に問うつもりも無い。


「……自律機械は、別れ際に託された少女の願いを言葉通りに叶えた」

 パースリーは煩悶(はんもん)させられた。部屋を満たす光と音は、母娘の愛そのものだったのだ。それを雷の無駄遣いと評した自分は、二人の霊になんと言って詫びるべきなのだろうか。

「感情が伴わない音の羅列を、きっと心から喜んでくれた。無機の腕を頬で(さす)り、暖かいね、と言って安らいでくれた。永劫護る決意をするには、それだけで十分だったのだろうさ」

「護るだけなら、それだけで十分だったのでしょうね……」


 牡丹と黒鶴が揃って目を閉じた。弦楽の音が、懇願している気さえしてきた。

「これについては、今ここで教えてほしい」

 パースリーは怖気立つ。確信があった。今、一番訊かれたくないことを訊かれるのだ、と。

「僕たちは、あの者たちをどうすべきだと思う? セージ」

 褐色の拳が固く、固く握りしめられた。彼は答える。

「狼を狂わす音を消す。それだけだ。()()()()()()()()を、俺たちで終わらせてやろう」


「タイム」

 弟の目が泳いだ。パースリーは、自分の目が彼の目と合うことがないよう、気を遣った。

「僕も……セージと同じ意見です……」

「パースリー」

「この部屋を元に戻せば、翡翠庭園も元通りになるの?」

 揺らぐ気持ちを抑えて、そう返した。否定されることに、淡い期待を寄せつつも。

「ああ。一年も経てば元通りになる」


「……なら、二人の遺体を運び出して、然るべき埋葬をしましょう。国の財産でもある庭園を、不完全なままにしてはおけない」

 言うや否や、タイムが小さく嗚咽(おえつ)する。パースリーはいたたまれなくなった。

「サルティナ法だって、火葬以外を認めてないじゃない……。二人が悪霊になってもいいの?」

 牡丹が(まぶた)を開けて、男たちの方を見る。

「僕には、パースリーの答えが最も建設的に思える」

「……ああ」セージが返す。「俺がどうかしていた。パースリーの言うことが全て正しい。言わせてしまって、申し訳なく思う……」

 パースリーは、格好つけのセージを少しだけ怨んだ。彼に(なび)いてしまったタイムも。

「ごめんね、姉さん……」


 決まりだね、と言って、牡丹がトルソーを呼び出す。

「後は僕たちに任せてくれ。皆は黒鶴と庭園に戻って、野営の準備を」

「あの、牡丹。僕も一緒に――」

 切実に響くタイムの申し出は、

「駄目だ」

 無情にも、牡丹に()き止められる。


「少女は、一糸纏わぬ姿で納められている。最期に恥ずかしい思いをさせちゃいけないよ」

「あ……ご、ごめんなさい……! 僕、そういうつもりじゃ……」

 弟はついに、泣き出してしまった。

「分かっているさ。さあ、祈りを捧げたら、もう行くんだ」


 庭園へ戻る道中、黒鶴が訊いた。

「望みは果たせたかしら、セージ?」

「果たせたさ、黒鶴。けど……けれども……」

 セージの回答は、言外に心残りを告げた後、泡と消える。タイムがまた、鼻を(すす)った。

 パースリーはしみじみ思う。結局、あの問いに確たる正誤など無く、どちらに転んでも、やり遂げた行いとやり切れぬ思いが残されるだけだったのだろう、と。

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