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ドゥームズデイクロックス  作者: tatsukichi_ohta
10/24

10:悔いる老婆(前編)

 セージは早朝の凍てつく空気を肺に掻き入れ、吐き出し、一息に体の熱を取り払う。


 瞬間的に高まり、制御は困難かと思えた心臓の鼓動は、それで幾分かましになった。

 草むらには自分と、打ち倒すべき敵――黒鶴(くろづる)の姿しかない。芝の香り。こんなにも青臭く匂い立つのは、いつもより力強く、脚が動いているからだ。沢山の葉が()(つぶ)されているからだ。今朝はすこぶる調子がいい。

 槍に見立てた木の棒を長く構え、緩んだ脇をしっかりと締めて、遠く立つ小さな影に穂先を重ねた。冷たいそよ風が、排熱を助けると共に、現状を俯瞰(ふかん)する余裕を運んでくれる。


 相対する黒鶴は、普段の涼しげな困り顔を崩さず、当然、呼吸に少しの乱れも無い。セージはその理由を、彼女が機械だから、ではなく、二人の間に絶対的な力の差があるからだ、と捉えている。なのに、いざ戦いに熱中するといつも、謙虚であることを忘れてしまう。今日は必ず勝たねばならないとか、負けたら恥だとか、不相応な理想で頭が占められてしまうのだ。


 ――焦っては攻めも精彩を欠く。落ち着けよな、俺……!

 そうやって、今一度自らを戒める。この先、防戦一方になることは間違いなく、その中でどれだけ身体への負担を減らせるか、どれだけ自身の調子を整えられるかが肝だった。

 いいようにされるつもりはない。反撃を狙うだけの気力は残っている。

 ――例え困難でも、やり返せ。

 自らを、強く鼓舞出来ている。


 黒鶴が前傾姿勢をとった。セージは集中して、彼女の動きを計る。

 人間相手に学んだ間合いの感覚は、機械である黒鶴に対して有効に働かない。癖に頼れば、あっという間に取り返しのつかない事態に陥る。

 昔師事した武芸者(ぶげいしゃ)は、恐ろしい気迫と技を用いて滅多打ちにしてくれたものだが、その踏み込みには人間の限界があり、稽古(けいこ)が進むにつれて対応出来るようになっていった。しかし、黒鶴の攻めは(まさ)に変幻自在で、稲光(いなびかり)の如き苛烈さで打ち倒されたこともあれば、人間離れした急停止、急加速の妙により(あざむ)かれたこともある。だから、格段に手強い。


 ――次はどう来る?

 そう思った瞬間、彼女は動いた。

 長い白髪(はくはつ)が、黒鶴自身の生み出す風に乗って(なび)く。平野の草葉を巻き上げながら迫る。彼女は最高速で、真っ直ぐだ。セージは、最短で繰り出される蹴撃(しゅうげき)を警戒した。

 ――上か、下か。

 棒を持つ手に力を込める。徒手空拳の少女へ武器を振るう――そんな罪悪感に苛まれたのは、最初のうちだけだった。


 間合いに入る直前、黒鶴が跳ね飛ぶ。上。セージは下肢を沈めて、小手を撃つべく放たれた回し蹴りを柄で受け止め、力一杯弾いた。見た目の勢いに反して、手に加わる衝撃は軽い。得物と手首を壊さぬよう、寸でのところで力を抜いてくれるからだ。

 手加減に触発され、憤っていたのも過去の話。もう、当たり前のことになってしまった。

 黒鶴は、大胆な蹴りの後も頑として主導権を手放さない。セージは機先を制するため、彼女の側面に回ろうとした。しかし同時に、機械の右手が発射され、回避を強要される。

 ――反撃に固執するな! (かみなり)に討たれるぞ!

 今や、心身共にあの掌を怖れていた。一撃必負(いちげきひっぱい)。黒鶴相手に気が抜けない最大の理由だ。


 セージは、膝をバネにして後方へ跳ねる。黒鶴が繰り出した横薙ぎの左手は、今の今までセージがいた場所――もう誰も居ない虚空を切り裂いた。黒い幅広の袖が、その軌跡を追う。

 黒鶴は足裏から気を吐き、天高く跳躍した。セージは彼女を目で追わず、急ぎ無軌道に駆ける。耳に届く、三つの打音。見なくとも分かる。雷釘(らいてい)が空から降り注いだのだ。

 続いて、鈍い音。黒鶴が地に降りた。セージは更なる投擲(とうてき)を予見し、彼女へ向き直りながら棒を払ったが、手応えがない。すぐさま払い返すと、遅れて飛来した雷釘を打ち落とせた。


 ――今だ、攻めろ!

 黒鶴の動作を注視しつつ、走り込む。投げられた雷釘の一本は体を逸らして避け、一本は棒を楯にして防いだ。三本目と共に、再び右手が放たれる。雷釘は命中しない。手は叩いて逸らした。そうしていよいよ、間合いに入る。

 セージは片手だけを用いて棒を振るい、黒鶴の攻撃を誘った。彼女は後ろに下がって棒を避け、残った左手を構える。それを予期していたセージは、掌が射出される刹那、身体を大きく前に倒して避けた。転げないよう地面を叩き、力ずくに体勢を戻して、黒鶴を追う。


 両手を失った彼女に、攻撃を防ぐ術はない。間合いも十分に詰めた。

 棒を引き、気迫だけを先に放つ。彼女はトッと地を蹴り、左方へ跳ぶ。

 要らぬ身躱(みかわ)し。もう一歩踏み込めば、有利は更に際立った。

 セージは柔らかく体を捻って得物に力を溜め、渾身の突きを繰り出す。


 ――勝った!

 その一撃は、見事黒鶴の喉を穿(うが)つ! そうなるはずだった。が、不思議なことに――。

 ――は?

 舞い上がる芝。耳に残る乾いた音。得物は鋼のブーツによって()(ぷた)つに折られ、(ゆえに、彼女には当たらなかった。黒鶴は両足を揃えたまま、予備動作も無く跳ね上がり、背面宙返りをしながら棒を蹴り砕いてみせたのだ。そんなこと、あってはならないのに。


 初めて見た技の、あまりに人間離れした動きに呆然とさせられたセージは、彼女が跳んでから着地するまでの、決定的な隙を突けなかった。あれは、追い詰められた黒鶴がやむを得ず()った、苦肉の策だったのだと気付いた時には、もう遅い。

 悠々と着地した黒鶴は、目にも止まらぬ速さで前蹴りを繰り出し、無防備のみぞおちを抉る。

 セージは激しい痛みに堪らず(うずくま)り、咳き込んだ。

 朦朧(もうろう)とする頭。パースリーたちと別れてから今日に至る、全ての朝が思い出される。


 ――もう、何度倒されただろうか。

 俺は強くなりたい。勇んで朝稽古(あさげいこ)を申し込んだ。黒鶴に一撃与えれば勝ち。そのような取り決めでは、簡単に達成してしまえると(おご)っていた。しかし現実には未だ、黒鶴が全勝、自分は全敗。情けなく、惨めで、立つ瀬がない。

 自尊心をずたずたに引き裂かれるこの屈辱も、受け入れられるようになった。それどころか今は、繰り返される敗北のパターンから僅か抜け出せただけで、喜びさえ感じてしまう。


 セージは奥歯を噛んで痛みを紛らわせ、棒切れを片手に立ち上がる。黒鶴を睨みつけて燃えがらの戦意を示すと、彼女は数歩飛び退き、再び距離を設けた。

 構えてみて、セージは実感する。両腕はもう()りそうで、膝も笑い、腹に力が入らない。対して黒鶴は、既に両手が戻っており、美しく、完全だ。

 舌打ちし、破れかぶれに突進する。体の悲鳴を無視し、壊れた得物で粗雑な攻撃を続けたが、当然の如く全てを()なされ、額を小突かれてよろめき、倒れた。仰向けに転がったセージの視界に、稽古前から何一つ変わらない、黒鶴の顔が映る。


「これまで」

 緩んだ彼女の口から、終わりが告げられた。息も絶え絶えのセージは、悔しさに目を(つぶ)る。

 稽古初日、一度目の手合わせを始める前に、黒鶴と一つの約束を交わした。

〈いいこと? 限界を悟ったら、とにかく一撃を繰り出してから倒れなさい〉

 大振りでも、何でもいいから一撃を。死に物狂いの悪あがきが命運を決することもある。体に刷り込ませても、心に刷り込ませても役立つ教えだった。セージは、意識あるうちに終えられた全ての立ち合いにおいて、必ず言いつけを守っている。


 初めて敗北を喫した日に味わった恥辱。それも未だに続いていた。

 黒鶴は勝利すると決まって、敗者の上半身を裸に剥き、その小さな手で体のあちこちに触れる。疲れを翌日に持ち越さないための処置だという。最初にそうされた時、黒鶴に肌を晒すのが恥ずかしくて、疑いようもなく辱めに思えて、セージは、

〈何をするんだ!〉

 と大声で叫んだ。しかし彼女は、

〈負け犬は黙ってなさいな〉

 涼やかにそう言い放ち、後の抗議も全て無視したのだ。

 最近は、()すがままに任せている。そうすれば、負け犬よばわりだけはされずに済むから。


 全身をくまなく撫でる黒鶴の手は、氷のように冷たい。身体にこもった熱が抜けていく感覚は心地良く、セージも今では、この狼藉(ろうぜき)を半ば認めてしまっていた。

 しばらくそうしていると、今度はトルソーが現れ、体を曲げたり、引っ張ったり、捻ったりして解す。彼女の手つきは優しく、黒鶴と違って視線を感じないので、気が楽だった。


 最後に再び黒鶴が、人肌の熱を帯びた掌で全身を揉んだり、叩いたり、そんなことを始める。忌々しいことに、怒り心頭だった初日ですら、この段階まで来ると嫌悪感も薄れ、むしろ、体全体に広がる浮遊感に(とろ)けてしまっていた。

 確かに、翌日にはすっかり疲れが取れる。セージも、次こそは辱められまいと日々真剣に戦い方を模索する。悔しいが、この儀式があるから、苦しい稽古にも係わらず、心身共に晴れやかな気持ちで次に臨むことが出来るのだ。


 それから少しの間、野草が密に生える大自然の稽古場(けいこば)に寝転がり、流れる雲を目で追い続けた。屈辱を受けた怒り、無力な己への怒り、黒鶴に向けた(ねた)(そね)みが治まるまで、絶対に話しかけない。これは、セージが自らに課した規則だ。

「……そろそろ、街へ戻ろうか」

「ええ」


 草原を去り、間引きが行き届いた雑木林(ぞうきばやし)の、寄る辺の無い侘しさを味わいながら、並び歩く黒鶴へ尋ねる。

「タイムたちの調子はどうだろう?」

「……またなの?」呆れ声が返った。「通信なら開いてあげるから、直接尋ねなさいな」

 黒鶴の怒りは正しい。

「それは、ちょっとな……。二人に、格好悪いところを見せてしまったから」


「格好悪い?」

「ドニに当たり散らしたことが、さ……」

「あの時の? 舌打ちをしただけじゃない。誰も気にしていないわよ」

心底馬鹿馬鹿しそうに彼女は言った。

「そんな理由で十数日、(いた)わる言葉の一つも掛けないだなんて、どうかしているわ」

 実のところ、もう一つ理由がある。ドニと渡り合った姉弟に嫉妬しているのだ。それを自覚したセージは、二人と話すのが怖くなった。


「まあ、いいわ。――牡丹(ぼたん)とトルソーは、ほぼ修復し終えた。タイムの腕はまだ全然。でも、痛みは大分引いたようだから、しっかりと固定して、明後日(みょうごにち)には出立するそうよ」

「……そうか、なら良かった。俺らも同じ日に?」

「少し遅らすつもりだわ」

「なら、今日がいいな。やりたいことがある。黒鶴、トルソーも手伝ってほしい」


 黒鶴の顔にほんのりと、好奇の色が浮かぶ。

 表情の変化に乏しい黒鶴だが、最近は随分、機微を掴めるようになってきた。疑問の解消を望む時、彼女はいつも、閉じ気味の(まぶた)と下がり気味の眉尻を、それぞれ少しだけ上げる。

「何をしようと言うのかしら?」

「情報収集だ。出来る限り派手にやりたい」


 時間はたっぷりあったのに、何故今更。黒鶴はそう言った。時間が空き過ぎたからだ、とセージは答えた。カナートの件から大分経つのに、カラン側の動きが一切見えない。セージの側にも、パースリーの側にも、一度たりとて接触が無かった。行動に移さない理由があるのか、或は見失ったのか。揺さぶりも兼ねて、人攫(ひとさら)いの話を聞き回ってみたくなったのだ。


「ついでに、タイムの応援もしたくてね。被害者に報いたいって気持ち、俺にもよく分かる」

 懸念も願望も説明すると、黒鶴は、素気(そっけ)なくだが承諾してくれた。

 路の終わりが見えてくる。必要な話を終えて二人、このまばらな林道に相応(ふさわ)しい沈黙を守り、樹々がもたらす清浄な空気で身を(すす)いだ。生活圏――真白(ましろ)の壁はもう近い。セージは、これからの行いに思いを()せて一人、黒鶴に悟られないようにやけた。


 一行は、シングの南東に位置する小さな街、アムリサールに滞在し、鍛錬を積みながらタイムたちの回復を待っていた。

 セージは現国主の息子であるものの、誰もが顔を知っている、というほどではない。だが、公務に同行して幾つかの街を訪れており、浅く交流した者たちに覚えられている可能性も否めなかった。だから、最終目的地であるシングへ先に入り、待機することを嫌ったのだ。


 壁を潜り、古びた石畳(いしだたみ)の通りを歩くセージは、アムリサール中心部の広場で足を止めた。

「それで、何から始めるつもりなの?」

 興味深げな黒鶴の問いに、はぐらかして返す。

「まずは、人助けかな。トルソー、黒鶴を肩車してやってくれないか」

「肩車? なんの意味があるのよ」

 黒鶴は不満を示した。仕返しの機会を得たセージは、彼女を無視して続ける。

「失礼を承知で言うが、トルソーの魅力は外見から分かり辛いからな。少々威圧的なその見た目を、黒鶴の可憐さで緩和したいんだ」


「そう……」初めて聞く(たぐい)の声音。彼女は白い髪を(いじく)りながら言う。「トルソー、乗せて」

 気位の高い黒鶴を説得するのは大変だろう、と予想していたが、案外素直に乗っかってくれた。肩車する二人は、全く見た目が違うのに、どこか母娘のような雰囲気を感じさせる。

「いい感じだ」セージは愛嬌の増した機械たちへ笑いかけ、宣言する。「では、始めようか」


 三人並んで、人々の行き交う通りをゆっくりと歩く。

 セージは声を張り上げ、この日一日中繰り返すべき文言を口にした。

「なんでも(おっしゃ)ってくださいね。僕の自律機械、黒鶴とトルソーがあなたたちの願いを叶えます! 何でもです! なんでも仰ってください!」

 なるべく丁寧に、はきはきと。何よりも明朗さが大事。

 内心笑ってしまう。パースリーの挨拶を化粧臭いと詰ったこの口が、化粧(まみ)れの宣伝を行っているのだから。けれども、それもまた成長なのだと、最近は思えるようになった。要は使いどころだ。選択肢は多い方が良い。


 呼びかけは、自律機械の稀な見栄えを助けにして、物好きたちの注意を集めていった。

 程なくして、最初の願いが耳に届く。

 一人目の依頼者は、商店の番をしていた女性だった。試してやろう、というふうに、固く(ふた)が閉まったジャムの瓶を渡される。

 トルソーが楽々捻って解決すると、その成果よりも、自律機械に(ささ)やかな願いを聞き入れられたことが嬉しかったようで、大変満足した様子で店へ戻っていった。


 二人目の依頼者は、小さな男の子だった。トルソーの存在感に気圧されたらしい母の隣で、無邪気に肩車をしてくれとせがむ。

 トルソーが恐る恐る持ち上げて別世界の視点を贈ると、彼はほくほく顔で歩いて、跳ねて、回ってと次々に指示を出す。しばし(たわむ)れて別れ際、

「またやってね」

 と手を振られた時、セージは、曖昧に振り返すしかない一期一会の哀しみを痛感した。


 徐々に、群衆のタガが外れていく。願いは段々と遠慮ないものに変わっていく。それは、セージの望むところだった。

「荷車の車輪を直してはくれないか」

「珍しい服を着られていますね。構造を教えていただけないでしょうか」

「最近、うちの娘が元気ないの。どうか、診察をお願い出来ないかしら……?」

 対処に時を要するものも増えてきた。その間、セージは待ち人と語らい、人攫いの存在に心を痛めている旨、少しでも情報が欲しい旨を伝える。


 施せば、返礼をしたくなるもの。中には他人に関する情報さえ、まあいいか、と軽々しく口にする者もいた。仕上げに、願いが叶った人々へ、悶える心を抑えつつ、

「もし、周りに困っている人がいたら、僕のことを教えてください。僕は、僕の従える自律機械たちの力を正しいことに使いたいんです。皆の笑顔が見たいんです」

 と、歯の浮く台詞(せりふ)を吐くと、聖人がやって来た、などと感激する声も上がり始める。

 ――嘘は()いていないはずだが。存外に胸苦しいな。

 セージは、只今描いた虚栄自画像を客観的に眺め、あまりの美麗さに寒気を覚えた。かのセージが花開かせた民衆の笑顔は、紛れもなく本物であるから、尚更気が塞ぐ。


 その後も依頼をこなし続け、昼過ぎに、賑わいは最高潮へ達した。

 黒鶴たちは人々に囲まれて、どこか楽しげに、忙しない時間を過ごしている。

 トルソーはその卓越した膂力(りょりょく)を駆使して、大の大人が時間を掛けて行うような作業を軽々と片付けていく。黒鶴は知識と計算を用いて、様々な問題へ的確な助言を授けていく。

 特に住人を喜ばせたのは、前史時代(ぜんしじだい)の技術に基づく医療行為だった。どうやらそれは黒鶴の得意分野であり、()るべき信条でもあるらしく、処置の礼を受ける彼女の表情は、今までセージが見てきたどれよりも眩しい。

 普段の黒鶴は、薔薇の棘に似て上品な毒気を有しているが、それも今は鳴りを潜め、母性めいた優しさを人々に振り撒いていた。


 以前パースリーは、黒鶴姉妹らが己の力を隠したがる理由をこう推察した。

〈頼られたいから、っていうのはどう?〉

 セージは、正に今民衆に頼られている機械らを眺め、その論が的を射ていると確信する。

 黒鶴たちは時に力を隠し、時に力を尽くし、言動と態度、演出を駆使して人々の愛を集める。恐らくは、そうする先に目的がある。重要な目標を隠しているのだ。

 ――であれば。彼女が時折突き放してみせるのは、俺の本性を見抜いてのことか。

 筒抜けに違いない。そう考えて、セージはこそばゆくなった。


 日没を迎え、最後の依頼者が去ると、野次馬も、事態を見守ってくれた憲兵も解散し、アムリサールの広場に静けさが戻る。セージは、名残(なごり)惜しそうに佇む黒鶴たちへ感謝を述べた。

「お疲れ様。そして、ありがとう、二人共」

 すると黒鶴が、先程民衆へ見せていたのと同じ、(まばゆ)い笑顔を見せてくれる。

「楽しかったわ。中々の充足感ね」

 セージは思う。白昼の、光溢れる中でこの笑みを向けられた民衆が羨ましい、と。若しくは、街灯の頼りない光の下、影深い笑みを独占出来た自分の方が、恵まれているのかもしれないが。


 トルソーが右手を握り込み、親指を立てた。セージも同じ形の手を作り、彼女を(ねぎら)う。

「それで、成果はあったのかしら?」

 セージは掌を広げて黒鶴に見せた。きょとんとする彼女を愛でつつ、まず親指を折る。

「この街に店を構えるある商人は、アムリサールのみならず、国の隅々にまで顔が売れていると聞いた。もしかすると、カランと何かしらの繋がりがあるのかもしれない」

 次に、人差し指を曲げる。

「壁の近くに住むある女性は、その昔は法官で、時折子供に向けた講義を開いている。彼女はある人攫いの裁判に関わっていたそうだ」


 続いて、中指。

「裏通りで薬屋を開く老人は、昔、人に言えないような仕事に従事していたらしい」

 薬指。

「夫を(かどわ)かされた未亡人。当時の状況を逐一覚えているというが、どうだろう」

 そこまで述べて、口を閉じた。


「小指は?」

 希望通りに返されてから、小指を折る。

「皆の笑顔。それが一番の成果だよ。当たり前じゃないか」

 照れ隠しだが、本心でもあった。自分の望みを果たす時、代わりに誰かへ負担を強いるのではなく、共通の利益を得られるよう努めたい。遅まきながら、セージは、そう出来るセージになろうとしている。パースリーとタイムに触発されたのだ。


「そう。それで、誰に会うつもりなの?」

 さらりと流す黒鶴へ、予め用意しておいた答えを聞かせる。

「元法官の女性かな。商人の話は大言壮語(たいげんそうご)に過ぎて信用がおけない。薬屋も未亡人もそれなりの話を聞かせてくれそうだが、末端の情報に終始するだろうな。上には繋がらない」


「よいと思うわ。その裁判とやらが、カランに関係していることを期待しましょう」

 あっさりと承服されたセージは、(にわ)かに高揚する。

 手土産は何にしよう、語り出しはどうしようか、などと楽しく語り合いながら、三人並んで宿への帰路を歩んだ。

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