9.三人目の婚約者
その日、エアリアは王宮の庭園に設けられた茶会の席へとやってきた。
「ようこそ、エアリア嬢」
出迎えたのは新たな王太子、ラインハルト・リベスだった。
王位はウォン家からリベス家へと移されることが決まり、ラインハルト・リベスが新たに立太子することになった。ラインハルトにはリベス派に属する貴族の娘があてがわれるはずだったが、彼はエアリアがいいと言った。
「エアリア嬢は我々王家の被害者に過ぎない、わたしが王太子としてなすべき初めての事業は彼女の救済だと思っている」
ラインハルトの言葉にリベス派の貴族は反対したが、王家に責があることは誰の目にも明らかで、後々の禍根になりかねないことも充分に理解していた。彼らは渋々ラインハルトの案を飲み、エアリアは王太子と三度目の婚約を結ぶことになった。
ラインハルト・リベスはアルバートともクリストファーとも違った柔らかい雰囲気を持っている男性だった。エアリアは彼と夜会でダンスを踊ったこともある。あのときはアルバートの婚約者としてだったが、今は彼自身の婚約者として対面している。
「いつかの夜会以来ですね」
「ご無沙汰しております」
エアリアは礼儀正しく淑女の礼をした。だが、内心はひどく困惑していた。
死を覚悟し、王宮でひとり静かに過ごしていたエアリアにもたらされたのは毒杯ではなく、新たな王太子との婚約であった。さすがに三度も婚約者を変えるなど聞いたことがなく、すっかり疲れ切っていたエアリアには社交界からの揶揄に耐えきれる自信もなく、婚約を辞退したのだ。
しかしラインハルトがそれを許さなかった。
そうしてエアリアは王宮のメイドたちの手によって、王太子の婚約者として相応しい身なりに整えられ、今、彼と対面している。
彼は使用人を遠ざけ、自ら給仕をしている。
「エアリア嬢はミルクがお好きでしたね」
そう言ってエアリアの前に手ずから注いだ紅茶をサーブした。
「ありがとうございます」
エアリアは礼を言い、それを一口飲んだ。ラインハルトは何も言わず、いくつかの菓子をとりわけ、エアリアの皿へと置いた。
それはどれもエアリアの好むものばかりで、テーブルに飾られた花もエアリアの好みであると気づいた。王宮のメイドたちがそうしてくれたのだと気づいたエアリアはその気配りに少し元気づけられた気がした。
「エアリア嬢には弟たちが大変なご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
ウォン家とリベス家はもとは一つの王家だったことから、先の王太子ふたりは大きな目で見ると彼の弟になる。
ラインハルトの言葉にエアリアは首を振り、
「いえ、わたくしの力不足だと痛感しております」
と答え、さらに、だからもう王太子妃になることはできない、と告げた。
「それは困ります、わたしの初めての事業はエアリア嬢の救済です」
ラインハルトは即座にそう答えた。
「事業、ですか?」
エアリアのつぶやきにラインハルトは言った。
「わたしを好きになれとは言いません、もちろんそうなって頂けたら嬉しいですが。これは事業の一環だとお考え下さい、エアリア嬢は王太子妃が担う事業としてその役を演じるのです」
こんなことを言われたら普通の令嬢なら絶望するだろう。しかしエアリアにはそれがまさしく救済の言葉に聞こえたのだ。
平民の女性に傾倒し、それに溺れていった愚かなアルバート。政治に疎く、社交界の機微に鈍感なクリストファー。
彼らは王太子としての責務を全うするというビジョンに欠けていた。しかしラインハルトは違う、政策としてエアリアに王太子妃の役を演じることを求めており、そうすることが国の安定につながると理解しているのだ。
自身の感情より国を思う、これこそ長年エアリアが求めてきた王太子像であった。
「リベス派にも王太子妃候補の女性はいます。ですが、わたしは貴女以上にその座にふさわしい女性を知らない」
ラインハルトは強い瞳でエアリアを見つめて言う。
「エアリア嬢の人生をわたしにください、わたしはわたしのすべてを貴女に差し上げましょう」
彼のすべて、それはこの国そのものに他ならない。彼はエアリアに国を任せるとまで言っている。エアリアは王太子妃、ひいては王妃となる為に厳しく教育されてきた。他の誰よりもラインハルトの言葉の重みは理解できたし、ここまで言われて断ることなどできない。
「王太子殿下の仰せのままに」
こうしてエアリアは三度目の婚約を交わすことになった。
ラインハルトの王太子ぶりはなかなか堂に入っていた。
エアリアが婚約者に収まったことで彼はウォン派も重用しなければならなくなったが、エドワードを含めたウォン派の人間もうまい具合に配置した。このことで、ウォン派、リベス派に分かれていた国は徐々に一つにまとまり、一国家として目覚ましい成果をあげた。
ラインハルトは、エアリアとの婚約を発表したちょうど一年後に正式に国王になることが決まっている。彼は、同時にエアリアとの結婚式も挙げることにした。
ふたりが初めて公の場に姿を見せた夜会、三度目の婚約であるエアリアには揶揄る声、厳しい声が寄せられたが、ラインハルトはそのすべてからエアリアを護り、彼女は自分が望んだ婚約者なのだと周囲に強く言い続けた。
彼がエアリアを見るそのまなざしは、まるで本当に恋焦がれる女性に送るような熱く甘いもので、それが彼の演技だとわかっているエアリアでさえ、頬を染め、恥じらうほどであった。
初めはラインハルトの行き過ぎた演技に閉口してたエアリアではあったが、できれば好きになってもらいたい、と言った彼の言葉は本心だったようで、ラインハルトは常にエアリアを優先し、時には崇拝するがごとく大切に扱い、その耳元に愛を囁き続けた。
いつしかエアリアはラインハルトを愛するようになり、彼の妻になれるその日を指折り数えるまでになっていた。
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