8.王宮の一室から
「王太子を辞める?」
エドワードがそれを聞かされたのは夕食後、クリストファーに明日のスケジュールを伝えようと私室を訪れたときだった。
「ツェルス侯爵令嬢の了承は得てある。エドワード、君は次の王太子の側近になれるように手配する」
クリストファーの言葉にエドワードは心底あきれていた。
「次の側近ですって?なにをおっしゃっているのですか?まさか貴方がここまで無知とは存じませんでした」
エドワードの辛辣なセリフにクリストファーは面食らったようだったが、やはりその意図は通じなかった。仕方なくエドワードは子供にもわかるように説明してやる。
「貴方が王太子を降りれば次期国王はリベス家です、リベスは自らの派閥で周囲を固めるに決まっています」
「そうなのか?」
「王太子妃も同じです、少なくともツェルス家はリベス派ではないですから、エアリア様もその座を降りられることでしょう」
そこまで言ってふと気が付いた。
「エアリア様に了承を得たというのは手紙ですか?」
「いや、今日の茶会で話をした」
それを聞いてエドワードは顔色を変え、クリストファーに詰め寄った。
「人払いをした上で話をしたのか?」
「別にそこまで隠す話ではないだろう」
クリストファーの呑気な答えにエドワードは苛立ちを隠しもせずに言った。
「貴方は大馬鹿者だ、いくら騎士になったとはいえ王族であることに変わりはないのに。なぜこんなにも配慮が足りないのか、理解に苦しむ」
あっけにとられているクリストファーを尻目に、部屋に控えている侍女頭をにらみつける。
「ツェルス侯爵令嬢はどこだ?」
「わたくしどもにはわかりかねます」
聞かれた女性はしれっと返事をする。
「だが、あんたは茶会での出来事を上に報告したな?」
「もちろんでございます」
それのどこが悪いのか、という顔をして彼女は平然と答えた。
「エドワード、どうしたんだ?」
クリストファーにはまだ事態が呑み込めないらしい。そのあほ面を殴り飛ばしたくなる気持ちを抑えて、エドワードは説明した。
「あんたが王太子を辞めるということは王位はリベスに移る、ツェルス家はリベス派ではない、だからエアリアが王太子妃になることはない。
しかしエアリアの王妃教育はすでに完了している、それはつまり王妃しか知りえない情報も彼女は知っているんだ。王太子妃でない人間がそれを知っているのは王家にとって好ましくない状況だ、となればどうするか?」
「まさか」
そこまで言ってやっとクリストファーは顔を青くした、自分のしでかした大きな失態にようやく気が付いたのだ。
「そうだ、エアリアはあんたから死を賜ったんだよ!」
エドワードは吐き捨てるように叫んで部屋を後にした。
エアリアは完全に被害者だ。無能な王太子二人に振り回され最後は殺されるなんて、あっていいはずがない。
あの侍女頭の様子だとエアリアはすでに拘束されているのだろう。王城で人知れず監禁するのに都合のいい場所はどこか。
王宮に勤める者たちはみな、王家に仕えているという自負が強い、ウォン家でもリベス家でもなく、王家。その王家に害をなす存在ならば容赦なく切り捨てる。彼らはそう教育されている。
だが、さすがに陛下の許可なく彼女を処することはしないはずだ、そこまでの職権を彼らは与えられていない。
ひとまず部屋に戻って陛下への面会を申し入れた。エドワードは今、城を出るわけにはいかない。退城したが最後、門前払いをされて二度と入城できない可能性もある。
面会許可はすぐにおり、エドワードは陛下と王妃の私室へ案内された。陛下はもちろん人払いをする。
「陛下、ツェルス侯爵令嬢はどちらに?」
「ひとまず王妃宮の一室に案内してあるそうだ」
王妃宮と聞いてほっとした、それならばひどい扱いは受けていないだろう。
「王位はリベスに移る、これは覆すことのできない決定事項だ、クリストファーに尽力してくれたポートル侯爵令息にはすまないことをした」
「いえ、わたしはどうでもいいのです。それよりエアリア様はどうなりましょうか」
エドワードの質問には王妃が答えた。
「わたくしはエアリアをリベスの王太子妃の教育係に推します」
どうやってもウォン家からリベス家へ知識の橋渡しは必要だ。その役目は現王妃様が担うもので、その王妃が勧める人物となればリベス側も無視しないかもしれない。
そこへ宰相が合流し、エドワードは部屋を出された。ここから先は王太子殿下の側近でもないエドワードが立ち入っていい話ではない。
ひとまず、今聞いた内容を手紙に書き、急ぎツェルス侯爵家へと届けさせた。
エアリアが案内されたその部屋は王宮のメイド長の権限で自由にできる中では最高級の部屋だった。
死にゆく者へのはなむけとしてこの部屋を用意したのかと思ったが、メイド長以下、この部屋に居並ぶすべての使用人が入室したエアリアに頭を下げた。
「ツェルス侯爵令嬢に対する王太子殿下の数々のご無礼、伏してお詫び致します」
彼らの行動に驚いたエアリアではあったが、同時に納得もした。アルバートやクリストファーの非常識な言動に王宮勤めの使用人たちは眉をひそめていた。ふたりの王太子の振る舞いは彼らもよく思っておらず、それに巻き込まれた形のエアリアに同情してくれているのだろう。
「どうか顔を上げてください、お諫めできなかったわたくしの責任でもあります」
そう、これは自分の責任だ。もっと早くにクリストファーを、いや、アルバートを見限って、婚約者の座を降りるべきであった。娘が王太子妃になることを熱望していた父母の為にとしがみついた結果、死を賜ることになった。愚かな自分への戒めとして相応しい。
「わたくしどもは誠心誠意、エアリア様にお仕え致します。何なりとお申し付けくださいませ」
メイド長の言葉にエアリアは思った、彼らも苦しんでいる。王宮に勤める使用人は王家に仕えている。彼らの誇りとも言うべき王家の次代があのような体たらくであり、また、それをどうすることもできない自分たちに、彼らは失望しているのだ。
エアリアが死を迎えるそのときまで快適な生活を用意することで救われたいのだろう、自分たちはやれるだけのことはやったのだ、と。
自分勝手な望みだとは思ったがエアリアは彼らを責めることはできなかった。それはエアリアも同じだったからだ、自分も王太子妃になりたいと身勝手な願いを持っていた。
エアリアは、ありがとうございます、と短く礼を言い、ひとりになりたい、と彼らを部屋から下がらせた。
いつの間にか夕刻を迎えていた、窓から見える城下町とそこに流れる川は太陽の光を浴びて美しく輝いている。
こんな風にゆっくりと街を眺めるのはどれくらいぶりだろうか。
アルバートとの婚約破棄からすぐ、クリストファーと婚約を結んだ。新たな王太子はどこか危なっかしく、エアリアはその後始末に奔走する毎日であった。そして今日、彼から王太子の座を降りると言われた。それは同時にエアリアの死を意味していた。
間もなく死ぬ自分にできることなど何もなく、それが訪れるのをただ待つしかない。
家々に明かりがともりはじめた、その明かりの数だけ家庭がある。エアリアはそれを黙って見つめていた。
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