7.そしてついに
建国祭は王太子にとってもっとも大きな公務と言える。各国からの祝いの言葉を受けるのは国王で、彼らをもてなすのが王太子の役目だ。
その王太子の婚約者であるエアリアは未来の王太子妃として使用人の一切を取り仕切ることになっていた。来賓リストに目を通したが幾人か難しい御仁がいる、はっきり言えば頑固で粗探しの好きな人たちだ。まずは彼らの世話をするメイドの選別から始めた。
「ごきげんよう、エアリア様。今すぐ王太子殿下のお部屋へご足労いただきたく思います」
王宮に到着したエアリアを待ち構えていた侍女から発せられた聞き覚えのあるセリフに、エアリアは戦慄した。
「エドワード様に対応をお願いしてください」
やんわりと断りを伝えれば、即座に反論された。
「そのエドワード様からのご依頼です」
ここが王宮だろうが、王妃付けの侍女がいようが、エアリアはかまわず大きなため息をついて部屋を出た。
クリストファーの控室は香水でむせ返るようだった。その主は隣国の王女であり、リトレス教の教主だった。隣国は宗教を主軸とする国で、教主が王となるのが慣例だ。
彼女はクリストファーの腕に手を巻き付け、しなだれかかっている。なるほど騒動の相手は隣国の王族、エドワードでも御せない相手だ。
「わらわのエスコートはクリストファー殿に頼みたい」
王女は高らかに宣言した。普通ならば是と答えるべきではあるが、二度も婚約者のエスコートを他の女に奪われたとあってはさすがにエアリアの評価も落ちてしまう。
そこでエアリアは悲しそうな笑顔で応じることにした。
「まぁ、とても残念ですが、王女様のご要望とあらばお譲りいたします」
残念を強調して告げると、さすがに無視できなかったのか、
「残念とはどういう意味じゃ?」
と、尋ねられた。エアリアは八割の勝利を確信したが油断は禁物。悲しそうな顔を作ったままで理由を述べる。
「訳あって殿下のエスコートで入場する夜会は本日が初めてですの、恥ずかしながらとても楽しみにしておりましたので」
エアリアは頬を染め、恋する乙女のように恥じらってみせた。それが功を奏したのであろう、王女は、悪かった、と言い、諦めて部屋を出て行った。
彼女が出て行ってから十分な時間を空けて、開け放たれたままの扉を閉めるようにメイドに指示をした。
先ほどの公開茶番は王宮内を駆け巡り、王女の振る舞いは瞬く間に広まることだろう。あのお方は少しわがままだ、世話係の人選にすら頭を悩ませていたが自滅してくれた、おそらく明日には帰国する。
隣国が信仰するのは愛の神。愛する者を引き裂くなど、決して許されない。エアリアはその弱点をついたのだ。
「エアリア嬢、」
クリストファーがさらなる言葉を紡ぐ前にエアリアは侍女に声をかけた。
「時間まで控室におりますので案内をお願いします」
そうしてクリストファーに向き直りきっぱりといった。
「では、会場の入り口でお会いしましょう」
本来なら令嬢の控室に男性が迎えに来てそのまま会場入りするのだが、エアリアはその拒否を明確に示すことで怒りを表したのだ。
クリストファーは息をのんで、わかった、と言葉少なく承諾した。
案の定というべきか、王女はそそくさと帰国した。この失態が自国で広まるのは当分先だろう。それまでに基盤を強固にし失脚を防ぐのか、奮闘むなしく処分されるのか。
エアリアは自分もそうなるのはごめんだと思っていた。だからそれを回避するために婚約破棄を狙っていた。王族に対してこちらから申し出ることはできない。
週に一度の交流を拒否し、王女ひとり捌けないことに怒りを示した。こうすることでエアリアとはやっていけない、とクリストファーに思わせようと画策していたのだ。
しかし、それは突然にやってきた。
「エアリア嬢、少しいいだろうか」
王妃教育の帰り、エアリアはクリストファーにつかまってしまった。訝しげな顔をして見せるがその日のクリストファーは強引で、無理やりお茶の席につかされてしまい、着席と同時に彼は言った。
「王太子の座を降りようと思う」
クリストファーの言葉にエアリアは息を飲み、それから努めてゆっくりと発言した。
「そうですか」
「反対しないのか?」
「正直に申しまして」
エアリアは前置きをしてから、
「クリストファー様に王太子は向いていないと考えておりました」
それにクリストファーは苦笑し、
「わたしもそう思っていた」
と、爽やかに言った。
別れ際、あなたの処遇は悪いようにはしません、とクリストファーは言った。その言葉に怒りを感じると同時に安堵もした。クリストファーはやはりなにも考えず、思い付きの考えを口にしただけで、ツェルス侯爵家を貶めようという気がないことは明確だった。
エアリアは、ありがとうございます、と笑顔で応じた。
クリストファーが王太子を降りると宣言した時点で王位はリベス家に移る。リベスの男性が立太子すればそれに都合のいい家の令嬢が婚約者として選出され、それは少なくともツェルス家とは無関係であることは確かだ。
二人の王太子が失態を重ねる間にもエアリアの王妃教育は粛々と進んでいた。王妃しか知りえない事項までも教育済みのこの段階で王太子殿下の婚約者の座を降りることはできない。しかしエアリアはリベス家には不要な令嬢。
となれば。
「ツェルス侯爵令嬢」
感情のない硬い声で呼び止められた。エアリアの行く手、数歩先に甲冑で身を固めた騎士が立っている。
「ご同行願います」
余計な工作もさせずに処分か、忠臣の迅速な対応には恐れ入る。
「承知しました」
エアリアは騎士の後についていった。
お読みいただきありがとうございます