6.またひとり
エアリアが通う学院にはクリストファーも通っていた。この学院では毎年、研究発表会が開かれ、今年は卒業生であり、王太子となったクリストファーに開催宣言の依頼が舞い込んだ。
立太子してから失態しかしていない自分の不甲斐なさに意気消沈していたクリストファーは、この行事は問題なくこなしたいと思っていたし、開催を宣言するだけの簡単な公務、問題が起きようもないと思っていた。
しかし、それは全くの見当違いだったのである。
「ようこそお越しくださいました」
ブレイドル学院でクリストファーを出迎えたのはなんとなく見覚えのある令嬢だった。どこで会ったかと思案していると、女性はにっこり微笑んで言った。
「わたくしを覚えておいででしょうか、同学年だったレーナ・ゾネシスです」
そういわれて思い出した。あまり言葉を交わしたことはないが(そもそも女性と言葉を交わすなど、剣に明け暮れていたクリストファーにはあまりないことだったが)、常に本を読んでいた女性だ。
いつだったか、忘れ物を取りに教室に戻った時も彼女は窓際で本を読んでいた。そのとき、勉学が好きなのか、と彼女に尋ね、教師になりたい、と言っていたことを思い出す。ここでクリストファーを出迎えたということはその夢をかなえたということだろう。
「レーナ嬢は見事、夢を叶えられたのですね」
「はい、お陰様で教鞭をふるう機会を頂戴しました」
嬉しそうな笑顔で応じる彼女は生き生きとしている。
それから応接室へ案内され、当日の流れや宣言の内容を確認した。
「せっかくですから、ツェルス侯爵令嬢をお呼びしましょうか」
一通りの情報共有が終わったところでレーナ嬢が提案した。ちょうど昼休みに入ったようで応接室から見える廊下にも学生が行きかっている。エドワードからはささいな時間でも侯爵令嬢と会話するように進言されていた、会話し、接することで信頼を培っていかなければならない、と。
「そうですね、差支えなければお願いします」
クリストファーの言葉を受け、レーナ嬢は近くにいた女生徒に、ツェルス侯爵令嬢を応接室へよこすように伝えた。
彼女を待つ間、二人で学生時代の話をした。特別な接点がなくても当時を懐かしく思える話題がいくつもあった。そうやって話し込んでいるとチャイムが鳴り、午後の授業の時間となってしまった。
「エアリアさんは見つからなかったのかしら」
レーナ嬢の申し訳なさそうな言葉にクリストファーは笑顔で応じた。
「授業を休んでまで面会する必要はありません、今日はこれで失礼します」
そういってクリストファーは学院を後にしたのだが、それから二週間ほどして、エドワードが苦い顔でやってきた。
「殿下、レーナ・ゾネシスという人物をご存じですか?」
「もちろんだ、先日、ブレイドル学院に行ったとき、対応をしてくれた教員だ」
「それ以上のご関係では?」
エドワードが珍しく不躾な言葉を吐いた。クリストファーはエドワードが自分にあまりよい感情を抱いていないことは知っているが、決して礼節をわきまえない態度をとらないことも知っている。ということは何か問題が生じたのだ。
「レーナ嬢とは同級だった、それがなにか関係あるのか?」
探るようなエドワードの視線をクリストファーは真正面から受け止めた。別にやましいことなどない、あの日は打ち合わせをして、あとはツェルス侯爵令嬢を待つ間、昔話をしただけだ。
「レーナ・ゾネシスは学院を退職しました、ブレイドル学院には相応しくないと判断されたそうです」
「なぜそのような?いや、なぜそれがわたしと関係があるんだ?」
「世俗的にいうならば、レーナ嬢があなたに横恋慕した、そう噂になっているそうです」
なぜそうなるのか、クリストファーにはまるで理解できなかった、ただ彼女と昔話をしただけなのに。
「殿下がし向けたのでなければ結構です、この話は終わりにしましょう」
「待て、わたしはレーナ嬢と話をしただけだ」
エドワードは何とも言えない悲しそうな顔をして言った。
「レーナ嬢は生徒に厳しい教師として有名だったそうです、そんな彼女が笑顔であなたと長時間会話をしていた。日ごろから彼女を良く思わない生徒が悪意を持って噂を流したのかもしれませんが、レーナ嬢は王太子殿下を慕っていて、殿下の婚約者であるエアリア様にことさらに厳しく接していると噂になってしまったそうです」
「それは、わたしのせいなのか?わたしはただ昔話をしただけだ」
「殿下に非はありません」
エドワードはきっぱりと言った。彼なりの慰めなのかもしれない。だが結果として夢を叶えたと喜んでいたレーナ嬢の未来を奪ってしまった。
「わたしはまた処分してしまったのか?」
クリストファーの言葉にエドワードはハッとする。クリストファーも知っていたのだ、自分がクラッシャーと陰で揶揄されていることを。
自分に関わった人間が次々と落ちていく、それも意図せずに。なぜこんなことになってしまうのだろう、とクリストファーは途方に暮れるしかなかった。
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