5.不名誉なあだ名
茶会以降、クリストファーとエアリアの交流会は休止している、表向きはエアリアの体調が優れないということになっていた。そして娘のとった対応にツェルス侯爵は反対しなかった。クリストファーは婚約者であるエアリア、引いてはツェルス侯爵家をないがしろにしすぎている。
そんな中、エドワードが侯爵家にやってきた。クリストファーの名代であれば家令は門前払いしただろうが、幼馴染として見舞いに来たと言われてはそれもできない。
「エアリア、調子はどうだい?」
彼は幼馴染としてエアリアを呼んだ為、エアリアも彼を幼馴染として歓迎した。
「心配をしてくれてありがとう、エドワード」
メイドがお茶を用意し端に下がったところでエドワードは、聞きたくもないだろうけど、と前置きをして口を開いた。
「件の侍女も殿下の幼馴染で、彼女は先日、側近を廃された男の婚約者だったんだ」
恋人の憂き目を嘆き悲しむ彼女を見かねて、クリストファーは励ましの意味を込めて異例の『侍女とのお茶会』をしたそうだ。
「引継ぎのために王宮を離れていた間に、殿下が決めてしまったらしい」
エドワードは長らく自領の管理に携わってきたのだが、急遽、側近に抜擢されたため、取り急ぎ王都へ出てきた。その日は業務引継ぎのため王宮を退き、王都の侯爵邸に詰めていたという。
「支度を命じられた王宮のメイドはしぶったけど侍女のほうが立場は上だし、なにより殿下が命じられた以上どうしようもなかったようだ。話をしているうちに恋人への想いが募った侍女は泣き出してしまって、女性を泣かせたと思われたくなかった殿下は、それを隠すために抱きしめたというのが真相だよ」
「愚かね」
エアリアにはその一言しかなかった。だいたい一介の侍女と王太子が茶会をすること自体おかしいし、女性の涙を隠すために抱きしめるなんて、本物の恋人同士がやることだ。
「君には迷惑ばかりかけてすまないと思っている」
エドワードはうなだれている。彼は知っているのだろうか、最近、クリストファーについた不名誉なあだ名を。エアリアはそれを聞いて早々に手を引くべきだと判断し、交流拒否もその一環だった。
「お互いに処分されないように、気を付けましょう」
エアリアの一言にエドワードは沈黙する。彼も知っているのだ、クリストファーがクラッシャーと陰で揶揄されていることを。
クリストファーのエスコートを取り付けた従妹は規律の厳しい学園へと追いやられ、非常識な令嬢の烙印を押された彼女は孤立しているそうだ。しかし彼女の父親は転校は認めず静観している。
王太子殿下の側近に大抜擢された男の末路も悲しいものだ。今回の人事の為に貴族に養子縁組し貴族籍を得たが、責任を取る形で平民に戻されたという。そして彼の婚約者だった茶会をした侍女もおそらく彼と同じ道をたどるだろう。
クリストファーの何気ない行動に3人もの人間が未来を絶たれてしまった。他人の人生を潰す御仁、クラッシャーとはそういう意味だ。
このままクリストファーとともにいてはわが侯爵家も処分される危険がある、それはエドワードも同じこと。
エドワードが幼馴染として会いに来たと言うから、エアリアも幼馴染として彼を案じたのだ。
騒動があるたびに休学していては卒業もままならない為、エアリアは学園にできる限り通うことにした。幸いツェルス侯爵家へは今のところ同情的な声が多く、エアリアは好奇の目にさらされることはあっても、攻撃や非難をされることはなかった。
「ごきげんよう、エアリア様」
挨拶をしてきたのはエドワードの妹、一歳年下のマーガレットで、エドワードと同様、エアリアの幼馴染である。
「マーガレット様、お久しぶりになってしまいましたわね」
「本当に」
マーガレットは兄からいろいろ聞いているのだろう。困った顔を見せ、サロンへ誘ってくれた。
「エアリア様にばかりご苦労をおかけして」
「いいえ、エドワード様には助けていただいてますわ」
今日ばかりは侯爵家の名を出し個室を抑えさせた。部屋にはメイドすらいない二人だけのお茶会、つい口が軽くなる。
「あれでは、剣聖の名に傷がつきかねませんわね」
「そうですね、騎士と王族に求められるものは全く違いますもの、クリストファー様にはつくづく向かない立場だと感じております」
「それもこれも、すべてはリーネリアンのせいですわ」
結局、リーネリアンは学院を退学させられた、学院の風紀を乱した、というのがその理由だ。
アルバートの婚約破棄騒動を受けて、王家は彼の学院での行動を徹底的に調べ上げたのだ。その副産物として明るみに出たのがリーネリアンの素行の悪さだ。なんと彼女は婚前交渉をしていた、それも複数の男性と。
彼女を追いかけていた令息たちは彼女が簡単に肌を許すと知っていてそれが目的だった者も多くいる。もちろんそうでない令息もいたのだろうが社交界はそうとは受け取らず、リーネリアンの取り巻きになっていた令息たちは外聞を取り繕うため、体調不良の休学届を提出すると共にその責任を取って、自らの婚約を白紙にした。
自ずとお相手だった令嬢たちはフリーになる。おかげで女性があぶれてしまい男性が足りなくなり、下位の男性でも高位の令嬢と婚約を結ぶ事態も起きている。下位貴族の男性にとってはまさにチャンスだが、それと同位の女性にとっては災難で、これもまた問題になりつつある。
「リーネリアンひとりのせいで社交界全体が揺れることになってしまった。こうなると平民を入学させること自体に論点が移りそうだわ」
エアリアの言葉にマーガレットもうなずいた。
平民を入学できるようにしたのは先々代の政策だ。彼らの中にも優秀な者はいる。平民だというだけでその才が埋もれていくのは損失であり、そのため彼らにも入学許可が下りた。これは立派な国の政策でリーネリアンが軽んじてよいものではない。
彼女も学院に入学できたからには優秀なはずなのに、見目麗しく、物腰の柔らかい貴族令息に囲まれて、現実が見えなくなってしまったのだろうか。
「そういえばエアリア様、最近、城下で流行っているお菓子はご存じですか?」
マーガレットは努めて明るい口調で違う話題を提供し、その意図を読み取ったエアリアも彼女の話に興味を示した。
それからあともマーガレットとは様々な話で盛り上がり、楽しいひと時を過ごせたためか、その夜のエアリアは久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
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