4.王太子の侍女
二度目の交流のためにエアリアが王宮を訪れるとクリストファーはまだ席についておらず、出迎えた侍女が言った。
「申し訳ありません、クリスはまだ会議が終わっておりません」
「わたくしはお待ちしたほうがいいのかしら、それとも出直しましょうか?」
「ご迷惑でなければお待ちいただきたく思います、クリスもそう申しておりましたから」
彼女はそう言って席を勧めてきた。エアリアが着席すると侍女はお茶の用意をしながら話しかけてきた。
「これはツェルス侯爵令嬢のお好みの茶葉ですが、クリスが参りましたら彼の好きな茶葉でお入れしますね」
「クリストファー殿下のお好みはどのようなものでしょうか?」
エアリアの問いに侍女は気をよくしたのか饒舌に応じた。
「クリスは甘すぎるのは苦手ですが、そうでなければなんでも召し上がりますよ。ツェルス侯爵令嬢はレモンケーキはお好きですか?」
「嫌いではありませんわ」
侍女はふふっと笑顔を見せて、
「今日はそれを用意しましたの、クリスの大好物なんです。子供のころにワンホールをまるまる食べてしまったくらい好きなんですよ」
そうですか、とエアリアはわざと冷めた声で応じたが、その侍女には通じなかった。彼女はその後もクリス、クリスと王太子の愛称を連呼しながら、聞かれてもいない彼の幼少期の話をあれやこれやと披露した。
エアリアが彼女の話に辟易し始めたころ、ようやく本人がその場に訪れた。
「お待たせして申し訳ありません」
エドワードとともに現れたクリストファーはエアリアの向かいの席に着いた。
すぐさま新しいお茶がサーブされる。彼は一口飲んで、少し頬を緩めた。
「クリスの好きな茶葉にしたんですよ」
侍女の言葉にクリストファーはありがとうと礼を言っている。
その様子をエドワードは苦々しく見ており、エアリアは侍女とクリストファーの様子を視界に入れないよう、外の景色に目を向けた。さらにレモンケーキの話をしてからようやく侍女は給仕を終え、テーブルから離れていった。すかさずエドワードが彼女を部屋の外へと連れ出している。
「アビィに用なんて珍しいな」
エドワードの行動にクリストファーは首をかしげているが、この場に残った王宮のメイドやエアリアにはその理由がわかっていた。
婚約者であるエアリアでさえクリストファー殿下と呼んでいるのに侍女が愛称で呼ぶなど明らかにおかしい。しかしクリストファーは先ほど彼女のことをアビィという愛称で呼んでいた。二人は親しい間柄で、愛称で呼び合うことを王太子殿下であるクリストファーが許可しているなら誰も咎めることはできない。エドワードはそのあたりを侍女から聞き取っているのだろう。
ならば、とエアリアはクリストファーに声をかけた。
「あの方は殿下の幼馴染だとか」
「そうです。アビィはわたしの二つ上で、姉のようなものです」
「馴染みの者が傍にいるというのは頼もしいですわね」
エアリアの言葉にクリストファーは同意し、
「エドワードとエアリア嬢も幼馴染でしたね」
と言った。エアリアはそれに笑顔で応じた。
「えぇ。エドワード様はわたくしと同じ、侯爵家ですから」
その日は、政務が立て込んでいるクリストファーに代わって、エドワードがエアリアを馬車までエスコートした。
「あの侍女には注意しましたが、自分たちはやましい関係ではないの一点張りで聞き入れそうもありませんでした」
「そう」
「せめて人前で殿下を愛称で呼ぶのは止めろとクギを刺しておきましたが、気にしすぎだと笑っていて話になりません」
エドワードはこめかみをもみほぐしている。確かに頭の痛くなる案件だ。
「殿下はわたしとあなたの関係を引き合いに出されました」
エアリアの言葉にエドワードの顔色が変わる。
「わたしはエアリア様を愛称で呼んだりしません」
「でも殿下には同じように見えるのでしょう」
そちらも幼馴染同士でよろしくやってるのだから、こちらにも口を出すなということだ。
侯爵家の馬車がやってきて話はそこで終わりになった。
王妃主催で主に女性を招いてのお茶会が開かれることとなった。収穫祭での振る舞いが原因で女性たちのクリストファーへの評価は控えめに言っても『悪い』だ。彼の政務への姿勢と剣技は誰もが認めていたが、女性に対する礼儀がなっていない、という悪評が立ってしまったのだ。
それを覆そうと計画されたお茶会。王妃から相談を受けたとき、エアリアは正直反対したかった。エドワードが側近についたとはいえ、クリストファーに女性を魅了するだけの振る舞いが備わったとは言い難い。
「アルバートといい、クリストファー様といい、あなたには迷惑ばかりかけるけど、ウォン家の為だと思ってどうかお願い」
王妃に手を取られてお願いされては断ることはできない。そうして今日という日を迎えた。
王宮の控室へ着いたのはお茶会が始まるには少し早い時間だった。この部屋で今一度身なりを整え、クリストファーの迎えを待ち共に会場入りする、というのが本日のシナリオ。
だが、部屋について一息つく間もなく、王妃付きの侍女が面会にやってきた。
このタイミングでメイドより格上の侍女が来るというのは悪い予感しかしない。入室を許可すると彼女は転がるように部屋に入ってきた、ひどく慌てていて顔色も悪い。
「ごきげんよう、エアリア様。今すぐ王妃様のお部屋へご足労いただきたく思います」
「なにかございまして?」
何気ない風を装って尋ねても彼女はただ、急ぎまいりましょう、としか言わない。そしていつもは通らない、人目につかない通路を選んで王妃の部屋へ案内された。
「あぁ、エアリア」
王妃はまるで縋り付くようにエアリアに近づいてきた。冷静沈着な王妃をここまで慌てさせるとは、クリストファーはなにをしでかしたのだろう。
「仔細をお伺いしてもよろしいでしょうか」
挨拶もそこそこにエアリアが尋ねると、王妃は大きなため息とともに言った。
「クリストファー様が侍女と抱き合っていました」
一瞬エアリアの息が止まった。抱き合って、というのはどのレベルか。閨での出来事ならばなんとも言い難いが、国王は寵姫を持つこともできるのだからエアリアとしては割り切るしかない。
絶句したエアリアに王妃が慌てて付け加えた。
「クリストファー様はなぜか庭園で侍女とお茶をし、その侍女と抱き合っているところを、本日のお客様方に目撃されてしまいました」
これはこれで絶句レベルだった。タイミングが悪すぎる。今日のお茶会の意味をクリストファーは理解していないのか、エドワードはなにをしていたのか。
「茶会のシナリオを書き換えねばなりません」
エアリアの言葉に王妃も同意した。
「そのためにあなたに来てもらったの。とりあえずクリストファー様は不参加にします。その分、あなたに注目が集まってしまうけど」
王太子殿下を貴族どものおもちゃにするわけにはいかないというのはわかるが、なぜエアリアが泥をかぶらねばならないのか、それも何度も。
エアリアはこみ上げる怒りをぐっとこらえて、笑みへと変えた。
「承知いたしました」
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