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1.婚約破棄

よろしくお願いします

アルバート王太子殿下との恒例のお茶会。

ここ半年ほどは彼が現れず、エアリアは無駄足になるのが定番だった。しかし、その日は珍しく彼が先にテーブルについており、エアリアの顔を見るなり挨拶もせずに言い放った。

「すまないが、この婚約はなかったことにしてほしい」

その言葉にエアリアは一瞬フリーズし、そのあと、王太子殿下の婚約者としてどう返答するのが正しいかを必死で考えた。その短い沈黙をアルバートは都合よく肯定と受け取ったようで、

「後日、正式な通知を王家から届けさせよう」

それだけを言うとさっさと席を立ってしまう。

エアリアは今なにが起こったのか冷静に整理しようとするが、

「アル、来たよ!」

という背後からの黄色い声にさえぎられた。そっと後ろを振り向くと、声の主はアルバートに抱き着くベル男爵令嬢のリーネリアン・ベルだった。

リーネリアンはエアリアの姿に気づき怯えた顔を見せるが、アルバートはそれをかばうように抱きしめ、彼女の手を取って言った。

「リーネ、君を愛している。どうかわたしの妃になってほしい」

「あぁ、アル!わたしも愛してるわ」

二人はうっとりと見つめあい、今にも口づけをしそうだ。これ以上とどまってもろくなことはない、誰が好き好んで元婚約者の濡れ場を鑑賞するというのだろう。

「王太子殿下の仰せのままに」

エアリアは、こちらの言葉を聞いていないであろうアルバートに承諾を告げ、その場を後にした。

思わず出たため息に、案内役の侍女は眉をひそめたがそれだけだった。彼女は王妃付きの侍女で王太子妃の教育係も兼ねている為、人目に付く場所でのため息はいつもなら小一時間の説教コース、でも今日はなにも言わない。

彼女も内心ではため息をつきたいのか、次期王太子妃でなくなったエアリアに興味もないのか。

正直、あちらから婚約破棄を言い出してくれて助かったとエアリアは思う。リーネリアンが学園に入学してから、アルバートは文字通り彼女に首ったけだった。

それどころかアルバート以外の多くの令息も彼女のしもべとなり、彼女を崇拝している。彼らは躍起になってリーネリアンを手に入れようとしており、アルバートが彼女に求婚したと知れ渡ったらどうなることか。

どちらにせよエアリアにはもう関係のないこと、エアリアは彼に婚約破棄されたのだから。


馬車に乗り込む際、護衛の一人に、帰宅後すぐ父と面会したい旨をことづけた。彼は馬を走らせ、先ぶれのために駆けていく。

「なにかあったのですか?」

馬車が走り出してすぐ、同乗しているエアリア付きのメイドから尋ねられた。王宮へは私的なメイドは入れない為、彼女はあの現場を見ていない。エアリアが護衛に依頼してまで父親に緊急の面会を申し出たことに疑問を持ったのだろう。

「王太子殿下から婚約破棄されたわ」

「なっ・・・!」

メイドはそれだけ言うのが精いっぱいのようで口をパクパクしている。

「殿下はその場でベル男爵令嬢に求婚したわ」

そうしてふーっと長い溜息をついた。

「お父様に説明しなければならないわ、きっと怒るわね。お父様は是が非でもわたくしを王太子妃にしたがっていたもの」


ツェルス侯爵家、その当主の執務室に相応しい重厚な扉は、ときに畏怖の念を抱かせる。それは娘であるエアリアも例外ではなく、今からの報告内容を考えるとますます重く大きく感じて、それをノックする手が震えた。

「お父様、エアリアです」

ノックのあと呼びかけると、入りなさい、と声がした。失礼します、と断って中に入ると、いつも執務室に詰めている執事長はいなかった。娘のただならぬ気配に侯爵が席を外させたのだろう。

「今日は殿下との面会のはずだが、なにがあった?」

護衛に面会を取り付けさせただけでアルバート絡みだと推測している、エアリアは父親の察しの良さに内心で舌を巻いた。

「殿下から婚約破棄を申し渡されました」

エアリアの言葉に侯爵の表情が抜け落ちた。さすがの侯爵でも予想だにしない事態だったようだ。

「お父様の期待に添えなかったこと、大変申し訳なく思います。つきましては祈りの道に入り、自らの行いを悔い改めることに致します」

「いや、待て」

話は終わりとばかりに立ち去ろうとするエアリアを侯爵は呼び止めた。

「詳細を話せ」

彼はデスクからソファに移動し、エアリアにも座るよう促した。

「なるべく詳しく聞きたい。殿下が平民に入れ込んでいると聞いたが、そのあたりから詳しく頼む」

「お相手は平民ではなく男爵令嬢です」

「似たようなものだ」

侯爵は吐き捨てるように言い、使用人にお茶を用意させるため、呼び鈴を鳴らした。


ブレイドル学院は国が設立した教育機関で、長らく貴族子女の学び舎であったが、近年は平民でも一定の成績を納めれば入学が認められている。

この春、一人の平民が入学した。彼女の名前はリーネリアン。ふわふわのミルクティ色の髪とぱっちりとした二重の瞳が可愛らしい娘だ。平民が入学することは珍しく、当初から注目の的であったが彼女を一躍有名にしたのはその言動であった。

平民出身の彼女にとって貴族の爵位や礼儀は縁遠く、よく言えば親しみやすく、悪く言えば馴れ馴れしい人物であった。その態度は王太子殿下であるアルバートに対しても同じで、しかし、彼がそれをよしとしたため、彼女は誰に対しても気安く接してよい唯一の人物となった。

「こんにちは、殿下」

「やぁ、リーネ。学院には慣れたかい?」

「まだまだです、昨日は寮長に靴の脱ぎ方を怒られちゃいました」

「貴族社会に慣れない君に注意するなんてよくないな。わたしが口添えしよう」

実際には、リーネリアンは履物を脱ぎ散らかして、下駄箱にしまうこともしない為、注意されたのだ。そんな低レベルなことを注意をしなければならない寮長のほうがよっぽど災難である。

しかし彼女によく思われたいアルバートはその女学生を呼び出し、強く叱責した。

「君はリーネにつらく当たったそうだね?」

「お言葉ですが、彼女は」

「言い訳は結構。リーネは平民でありながらこの学院に入学した秀才だ、少しくらい大目に見るべきとは思わないか?」

アルバートがそう言って周囲の令息の同意を求めると彼らも一様にうなずいた。

「リーネさんは頑張ってるんですよ」

「慣れない環境なんですから仕方ありません」

「勉学に秀でている彼女を失うほうが損失は大きい」

そうやってリーネリアンを擁護するのは、側近候補の高位令息たちだ。


こんな風に複数の令息が一人の令嬢を責め立てるなどあってはならないことだったが、リーネリアンが絡むとそれも是となってしまう。そんなとき、決まって助けに入るのがエアリアだった。

「みなさま、そのくらいにしてくださいませ。ひとりの女性を大勢で取り囲むなど醜聞になりますわ」

「エアリア様」

エアリアの登場に寮長の女生徒は安堵の声をあげた。彼女は貴族の矜持で涙こそ見せてはいなかったが、今にも泣きだしそうな顔をしている。

「エアリア、わたしはこの令嬢と話をしている。邪魔をするな」

「行き過ぎた行為は醜聞となり、王家の権威をも傷つけかねません。どうか穏便に」

伏して懇願してみせればアルバートの溜飲が下がることをエアリアは知っていた。なんとかこの場を穏便に収めようとする彼女にリーネリアンは明るく言い放った。

「エアリアさんが謝るなら、しょうがないから許してあげますね」

「リーネさんは本当に優しいね」

すかさず一人の令息が彼女を褒め、アルバートも他の令息も我先にとリーネリアンへ賛辞の言葉を送った。

「リーネの優しさに感謝するがいい」

アルバートは捨て台詞を吐き、リーネと腕を組んで立ち去った。

「エアリア様を巻き込んでしまい申し訳ございません」

寮長の令嬢は謝罪を口にしたがエアリアは、あなたは被害者なのだから謝らなくてよい、と首を横に振った。


リーネリアンに関しては一事が万事この有様で、学院はこの事態を重く見た。彼女を退学にすべき、という意見が出始めたころ、突然、リーネリアンの家に爵位が与えられた。

それは王太子殿下が個人的に持っていた爵位であり、彼ひとりの裁量でどうにでもなる程度の権力しかなかったが、爵位を得た以上彼女は貴族であり、貴族ならば学院での教育は義務となった。

こうしてベル男爵令嬢となったリーネリアンは大手を振って学院に居残り、彼女を得ようとアルバートを含む複数の令息たちの争いは激化していった。

今回の婚約破棄はそんな中で起きた出来事だった。そもそも一番初めに婚約破棄にこぎつけたのは近衛隊長の次男で、彼はもうリーネリアンへの求婚をすませていた。それを聞きつけたアルバートは出遅れたと焦った、突然の申し出にはこういう背景があったのだ。


「つまり陛下や王妃殿下にはまだ話が通っていないわけだな?」

「恐らくは」

「しかし近衛隊長の次男が求婚したならそれで終わりじゃないのか」

平民だった娘が近衛隊長の次男の夫人になれるのだ、確かに常識で考えればこれほどの幸運はないと思えるのだが、彼女はそれで満足していないようだった。

「そういえば、ベル男爵令嬢は殿下の求婚にも承諾していませんでした」

あのときの二人の茶番を思い出す。アルバートは妃の座を明言したが、彼女は愛を肯定しただけで結婚するとは言っていない。

それを聞いた侯爵はあからさまに安堵した。

「陛下も知らず、娘も承諾していないならおまえの婚約は継続だな」

「そのような愚か者に娘を嫁がせる気はございません」

そこでエアリアの母、ツェルス侯爵夫人が入室し、ピシャリと言い放った。

「エアリア、果報は寝て待てと言います。しばらく休学して、おうちでゆっくり過ごしましょう」

夫人はそういって、手始めにわたくしの部屋でお茶にしましょう、とメイドに用意するように言った。そして自らの夫である侯爵には厳しい目線を投げかけ、

「よもや娘が袖にされて、黙っているつもりではありませんわよね?」

と辛辣な口調で言い放つ。

「もちろんだ、正式に抗議をしよう」

顔を青くし、苦虫を嚙み潰したような顔で侯爵は承諾を伝えた。

「そうしてくださいませ」

夫の返事に満足した夫人は娘の手を取り、執務室を出た。

「リアはお妃教育で忙しかったものね、少し息抜きをしましょう」

侯爵夫人はいつも以上に朗らかに笑った。

お読みいただきありがとうございます

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