4話 約束の日
4月8日土曜日。
バドミントン部は1日練だった。
1日練とは朝8時から夜7時まで。
そこそこハードなスケジュールで練習をみっちりこなす。
■■■■■
バドミントンは中学で始めた。
ちょうど思春期真っ只中だった俺は自分の家柄にうんざりしていた。
ただ、そのせいか普通の人とは違うグレ方を極めた。
普通、思春期の男子はグレる。
誰がなんと言おうと必ず通ってくる道。
普通の男子学生と言えば、
未成年者飲酒禁止法、未成年者喫煙禁止法など未成年がする事が禁止されている事に手を出したり、学校をサボりがちになり不登校になる事で未知の世界に足を踏み入れる。
そのエクスタシーに酔い不安定な時期の情緒を保とうとする。
ただ、俺は違った。
何故なら普通の学生グレる為にする事が俺の家では日常であり、常識であった。
「学校?ああ。別に行かなくても良いぜ。俺なんか中退したしな」
「パチンコ俺、15で始めた」
「俺は10歳でタバコ始めて20歳で辞めた。気にすんな」
こんな頭の可笑しい連中しかいない中で俺が普通にグレても彼らは何とも思わない。
むしろ喜んで俺のグレを受け入れる気がする。
それが嫌で俺は、俺のグレるは普通の男子学生を極めるって事に落ち着いた。
その効果は敵面で.....。
「若!またテストで学年2位になったんですか?」
「ああ。そうだけど?」
何か?
「部活動も始められたとか......」
「ああ。バドミントンをやる事にした」
「あ、あんな、小さな箱の中を走り回る惨めな愚競技を伊世早組の次期頭首である若様がおやりになるなんて........」
「ぐぁぁぁぁ!!若が、若がどんどん好青年になっていく」
なんて事だ!と頭を抱えていた親父の組の仲間を見て心底気持ちが良かっった。
そんなこんなで始めたバドミントン。
今はそこそこ強くなってる。
■■■■■
1日練。
いつもは疲労から動きが鈍くなる午後の後半でも今日は体が軽く余裕だった。
明日が急遽休みになった彼女。
今日は彼女の家に行く日である。
電話やメールで毎日連絡は取り合ってはいたが、会うのは、1年の終業式ぶりである。
興奮していないと言えば嘘になる。
俺は体育館のモップをけが終わると急ぎ足で部室へ向かった。
「康介ー!鍵、返しに付いてきてくれるよな?」
試合形式練習で1番負けた人が職員室へ部室の鍵を返しに行くという部のルール。
幼馴染みであり同じバドミントン部に所属している虎雅が意気揚々と近付いてきた。
どうやら俺も道連れにしたいらしい。
「今日はもう帰る」
俺は虎雅に言った。
「え?」
虎雅は当てが外れたように驚いていた。
「いっつも一緒に帰ってるじゃん?頼む!」
拝むような目で見てくる虎雅を今日は冷たくあしらう。
俺は、バドミントンシューズをロッカーへ片付けラケットをケースに仕舞うと、ケースと通学鞄を肩にかけ立ち上がった。
「悪い。今日は用事あんだ」
「ったく。康介、たまにそう言う日あるよな」
独りでこそこそ電話するし、突然消えるし。
俺と井勢谷の関係を知らない虎雅には俺の時偶の行動が不自然に、そう見えるらしい。
まぁ、本当の事は言えないけど。
「じゃ、お先」
俺は浮かれた気分を顔に出さないようにポーカーフェイスを気取り、虎雅を置き去りに部室を出た。
これからの事が楽しみすぎて足が浮かれているのは気のせいだ。
たぶん。
自転車を飛ばし、1度屋敷へ戻る。
人の家行くのに汗だくはやだろ?
シャワー浴びたいし、まとめた荷物も持っていきたいしな。
軽くシャワーを浴び、白Tシャツに黒のジーンズというラフな格好で駅へ向かった。
仕事帰りのサラリーマンで少し混んでいる改札を抜けプラットホームを昇り、タイミングよく滑り込んできた電車に乗り込む。
1駅分だからすぐ着く。
その間に連絡っと.............。
"お疲れ。今、電車。"
"あと10分くらいで着く.............。"
打っている途中で既読がついた。
"お疲れ様です!"
"お家で待ってるよ~!"
"(楽しみ!)"
"(わーい!)"
"(まだかなぁ~?)"
ゆるキャラなスタンプが爆速で3連発やってきた。
ふっ。
こう言うところ可愛いなって思う。
多分、面と向かってだとこんな甘えた表現しない。
その点、スマホとかだと顔が見えない分本心が出やすいのか普段より饒舌になる。
そんないつもより数倍甘い文章にスタンプという名のシロップが大量に投入される彼女の文面、俺は好きだ。
まぁ、結局、全部可愛いんだけど。
俺は電車に乗っている事を忘れて、ついニヤリと笑ってしまった。
駅前の高級住宅街、そこの2番目に高いマンション。
あれが彼女の家。
ーピンポン
エントランスで彼女の部屋のインターホンを鳴らす。
『はい』
「伊世早です」
俺はマイクに向かって自分の名前を名乗った。
『今開けますね』
最近聞いた中で一番張りのある声がインターホンから飛び出す。
スムーズに入口の扉が開き俺はエントランスホールの正面エレベーターに乗り込んだ。
高層マンション。
―チン
32階で降りる。
降りたところを右に曲がり少し歩く。
ーピンポーン
俺は慣れたように3208号室の呼び鈴を鳴らした。
ガチャガチャ。
二重ロックを解除する音が終わると....。
「お帰りなさい」
ゆっくりと扉が開いた。
ラフなTシャツの上にサーモピンクの無地のエプロン姿。
高めの位置で1つ結びした髪がゆさゆさ揺れている。
「こーくん!久しぶり」
会いたかった。
そう言って笑顔を向けてくる俺の嫁は今日も可愛かった。
「お帰り」
別に我が家ではないが彼女がそう言うから。
「ただいま」
俺はそう言って玄関へ入った。
忘れる前に渡しとかなきゃだよな。
俺はエナメルバッグとはまた別に家から持ってきた茶色い手持ちサイズの紙袋を渡した。
ずっと手に持っていたから持ち手がクチャっとシワが寄っているのは許してくれ。
「え?どうしたのですか?」
俺が彼女の目の前に袋を差し出すと、久しぶりの手土産に驚いていた。
「やる。見てみ」
袋の中を見るよう催促する。
「う、うん」
玄関先で渡すかリビングに入って渡すか迷ったが、こういう物は早目に渡した方が良いだろう。
彼女は半信半疑のような眼でそっと袋を受け取りカサコソと包装された中身を取り出した。
セロハンテープを丁寧に剥がす。
「ふわぁ!!」
包み紙の中を覗いた彼女の目の色が変わった。
彼女はなにも言わずきらきらした瞳で俺を見てくる。
良かった。
喜んでくれているみたいだ。
「いいんですか?」
「ああ。前に欲しいって言ってただろ?」
前って言っても随分昔だが.............。
中々無くて色々探し回ったから遅くなった。
王冠をモチーフにしたネイルビンの中をピンク色の小さなバラの花が漂う。
まるで小さなハーバリウム。
ボタニカルボトリング製法で、オイルの中に花が入った、ネイルオイル。
見た目はネイルっぽいが、ファッションメイク用ではなく、爪や指先の保湿をするもの。
フローラルアロマの香りがするらしい。
仕事で頻繁にネイルをするから爪のケアは大切だ。
前にテレビ特集でやってて、物欲しそうに見てたから...。
今、ネイルオイル流行ってるらしくて、この、瓶の中に花が入ってるやつ中々店頭に無かった。
3店舗くらいは梯子した。
「こーくん!ありがとうございます!大切にします!!」
そう言って彼女は紙袋を大切そうに抱えた。
こんなに喜んでもらえたらそんな苦労は一気にチャラだ。
■■■■■
まだ玄関に突っ立ったままの俺は、エナメルバッグをフローリングの上に置き、靴を脱ぐためにしゃがんだ。
くんくん。
ん?
彼女は俺の首筋に鼻を近付けてきた。
すんすん。
鼻を子犬のようにひくひくさせている。
ん?
「こーくん、良い匂いする」
あー、シャンプーの匂い嗅いでたのな。
「シャワー浴びてきたから」
「なるほどなのです」
彼女は、納得したと、今度は、俺の顔を見つめてきた。
......。
........。
二人の間に沈黙が出来る。
理由はじーっと穴が開きそうなぐらい彼女が澄んだ瞳で俺を見てくるから。
じー。
つ。
じーーーーーーーーーー。
つっ。
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
な、何だ?
その反らしたくても反らせない視線に俺は負けてしまった。
「どした?」
気恥ずかしくてポリポリと頬を掻きながら尋ねると彼女は視線を外し、にへらっと笑った。
「こーくんに全然会えてなかったから、リアルこーくんをアップデートしてた」
なるほどな。
今度は俺が納得した。
「シャワーしてコンタクトじゃないメガネ姿のこーくん激レアです!更新しなくてはです!」
ちょんと敬礼してみせた。
「そか」
それを言うなら、俺だってテレビの中じゃない愛莉を見るのは久し振りなんだからな?
そう思っているのだが、彼女のあまりにも可愛い仕草に俺は短文の相槌を返すのが精一杯だった。
「ふふ。こーくん照れてる?可愛い」
「うるさい。照れてない」
「じゃ、後ろ向かないでこっち見てください?」
わざわざ顔を背けたのに俺の前に回り込もうとしてくる。
「無理だ」
「なんで?」
「....」
説明は出来ない。
「照れてるからですね?」
「違う。」
すーはー。
平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、平常心、へいじょうしん。
俺はひと呼吸置いて彼女の言う事を聞いた。
「....ほら、向いたぞ.......って、愛莉、お前も顔赤いじゃねーか」
なんとか無心で振り向いた彼女の顔は照れ色だった。
「ふふ。だって久し振り過ぎて顔合わすの恥ずかしいもん」
嬉しいのに....恥ずかしぃ。
彼女は少し顔を隠した。
じゃ、お互い様だろ。
久し振りに再会した俺達は、お互いの顔を見つめられない付き合いたての様な微妙な距離感に心をくすぐられてしまっていた。




