3話 電話越しの風呂
『ん。お風呂ですよ?』
風呂場特有のハウリング。
これは正しく彼女が風呂に入っている証拠だった。
体が固まる。思わずスマホを落とした。
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風呂......、風呂ねぇ。
うん。
俺はこれ以上考えないでおこう。
俺は床に落ちたスマホを眺める。
『こーくん?』
『おーい』
『ねぇねぇ』
彼女は何も気にしていないのか応答しなくなった俺に呼び掛けている。
はぁ。
今できる精一杯の自制を働かせる事にし、俺はそっとスマホを拾うと耳に近づけた。
「悪い。スマホ落っことしてた」
『ふふふ。こーくん意外とドジですねぇ』
笑われてしまった。
こうなったもの全て君のせいだからな......と言ってやりたい。
そんな俺の謎の苦労を一ミリも知らないお姫様は、
『愛莉、今日はお風呂からお届けします。えへ、なんちゃって......』
ラジオ風だよ?
と能天気に楽しそうに今を楽しんでいらしゃいます。
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なぁ。分るよな?
この気持ち。
さっきからBGMのようにチャプチャプと水分子がぶつかり合う音。
それが、何の音なのか、何に何が当たっている音なのか深く言及はしないが、察してくれ。
すぅはぁ。
リラックスしきった気持ちよさそうな呼吸音。
風呂場と言う音響効果も合間って、ありえないくらい全ての音を吸収している。
ASMR配信並だ。
彼女は髪が長いから、もしかしたら髪をタオルでターバンのように巻いているのかもしれない。
いや、さっき風呂入ってシャワー浴びたばっかだから髪はまだ洗ってないのか?
熱気で潤いが増した彼女の肌。
そのスベスベな体に腕でお湯をかける。
風呂×美女
この設定なら永遠に妄想劇を繰り広げられる。
やべぇ。
まじ、これは考えずにはいられない。
はぁ。
「はぁ」
マイクが俺の心の声を拾ってしまったようだ。
『こーくんお疲れ?』
ため息を疲れからだと思っている彼女が俺の体調を心配してくれる。
「や、全然」
疲れてない。むしろ、アドレナリン全開で体バッチバチ、脳味噌フル回転。
『そうなの?』
謎の語彙力には何も突っ込まれずスルーされた。
『でも、今日も部活だったんでしょ?』
「まぁな。1日練。
でも、試合が近いって訳でもないし、わりと緩め。虎雅が独りで吠えてうるさいだけ」
『ふふ。新城君、いつも明るくて元気ですよね?』
「あれはただのバカだ」
どうしようもない馬鹿者。
この前だって期末テスト直前に俺んちに押しかけてきて勉強教える羽目になったし。
『本当、こーくんと新城君仲良し。ちょっと妬いちゃうよ』
むぅー。っと唸るような......困ったような声を出した。
あんな馬鹿虎にやきもちを焼くお前に俺は嫉妬してしまいそうだわ。
そう心の中で突っ込むことにした。
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彼女の名前は井勢谷愛莉。
俺と同じ高校の同級生......と言う肩書だけではない。
3歳の頃から子役アカデミーに所属し、演技の才能を認められ初めて出演した連続テレビドラマで大注目。
飛ぶ鳥落とす勢いで大ブレイクしたのにも拘らず、その人気は数年経った今でも衰える事を知らない。
女優の人気寿命は5年であると、いったい誰が言ったんだというぐらい。
モデル、女優、最近は、アニメのヒロインを声優顔負けの声で演じ分けたり、そのアニメの主題歌を歌い歌手としても活躍中である。
マルチに活躍しているというか.......いや、マルチすぎだろ。
先月、古巣の子役事務所から大手芸能事務所『星乃子プロダクション』に移籍した大物女優である。
初めて彼女と出会ったのは中1の時。
もちろん、テレビで井勢谷愛莉を俺は何度も見たことがあったし、バラエティー番組の特集とかで一方的に彼女のことは芸能人に疎い俺でもそこそこは知っていた。
ただ、リアルで対面したのが中学1年の冬って話。
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俺は話を戻すことにした。
「司会、頑張ってたな」
そう言うと彼女は嬉しそうに言った。
『うん。一緒に司会してた『ほわいと♡』の大和さんがいっぱいフォローしてくれて.......ほんと、すっごく助かった』
「そっか。その高島って人と前、ドラマで共演したんだっけ?」
さん付けだとしても、下の名前で呼んで親しみを持っているらしい。
だから聞いた。
『うん。学園ドラマ。主演が『ほわいと♡』のメンバー3人。私は彼らの部活のマネジャー役だった。みんなすっごく優しくて、あれでドラマ初めてって反則だよぉ~』
『昨日もね、大和さん以外のメンバーも楽屋に挨拶に来てくれて、頑張れって応援してくれたんです』
「そか」
俺は俺以外の男の話を楽しそうにしている彼女にそれしか言えなかった。
別に嫉妬とかじゃない。
多分。
俺、そんな面倒臭い男になりたくない。
その男、愛莉に会えてずるいな。
下手に口を開くと彼女に会いたい欲がどうにも溢れ出しそうで.......。
けど、気づけばぽろっと本音が零れていた。
「........。春休み、3月の終業式からお前に1回も会えてないな........」
自分の中で禁句にしていたはずの言葉がスルリと抜け落ちていった。
愛莉とはかれこれ1か月会えていない。
それは彼女が忙しい身だから。
それは俺たちが世間に認められた交際じゃないから。
本音を言えば、毎日でも会いたい。
1日1分だけでもリアルで会話をしたい。
キスとか抱き合うとかはまだしたことないけど、手をつないでデートだってしたい。
バカップルを横目で見て蔑むのは俺が出来ないから。
嫉妬しているだけだ。
彼女は本当に多忙な人だ。
学業と芸能の両立を図っているため、春休みや夏休み、長期休暇はまとまった時間が取れる分、学校のある日より仕事が多い。
ドラマ、舞台挨拶、来年のミュージカルの舞台稽古、ダンスレッスン。
あんな細い体でいくつもの仕事をやりくりしている。
すごい。
尊敬するよ。
ただ、その分自分の時間、彼女の時間は削られる対象となる。
俺は彼女と付き合うときに、彼女の仕事のことに関しては一切口を出さないと誓った。
どんなに仕事で会えない時も俺は彼女を心で支えると決めた。
それなのだが、遠回しに愛莉に会いたいと言ってしまった。
恥ずかしい。
「ごめん」
俺が誤るより先に彼女が言った。
『ごめんね。私のせいでこーくんに寂しい思いをさせてる』
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『ごめん。私のせいでこーくんに悲しい思いさせてる』
「いや、いい。自分の夢に向かって一生懸命な愛莉、好きだから」
『ふふ。こーくんが好きって言ってくれた......。ふへへへ』
俺がそう言うとショボンとしていた彼女の声ははにかんだような嬉しそうな声に変わっていた。
『そーだ。そー言えば....春休みって、4月9日まででしたよね?』
いきなりそんな話しを持ち出される。
「ああ。そーだけど?」
それがどうした?
『4月9日。その日、オフ。休みになったんです』
映画の撮影、スムーズにいって9日が予備日だったんだけどいらなくなったんですよ。
嬉しそうに教えてくれた。
『だから9日、1日休みです。
8日も19時には帰れると思いますので、私の家、来ませんか?』
ふんふん!と目に見えない尻尾をふゆふゆと揺らし、勢いのままに、彼女は急な提案をしてきた。
「あー」
俺は壁に掛けたカレンダーで予定を確認する。
『無理そうですか?』
心配そうな声が返ってきた。
「や。8日は部活、1日練だけどそれ終わったら飛んで帰る。7時半くらいになるけど良いか?」
俺が無理じゃないと伝えると電話口で飛び跳ねるような音がした。
『やった。じゃ、ご飯作って待ってます』
「別に無理しなくていい。忙しいんだから。飯なら俺が適当に買って帰るし......」
俺は、気を遣ったつもりだったが余計なお世話だったらしい。
『ダメ。私がこーくんに何か作りたいんです。いつも頼りっきりはよくありません!』
ご機嫌を削いでしまった。
いつもお世話になります。
俺は感謝を伝えるようにゆっくりと、彼女に言った。
「分かった。楽しみにして帰る」
9日か。
待ち遠しいな。
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