10話 身バレ禁止の苦労
「春だな」
「春だねぇ」
ぽかぽかした太陽が適度に背中を暖めてくれる。
俺達はウォーキングコースの途中にある土手で、腰を下ろし、のんびりと寝そべっていた。穏やかな風に身を委ねるように青空の中を雲が通りすぎて行く。
黒髪短髪な俺とミルク色髪の彼女。
ただ、その光景は端から見れば、仲の良い男子高校生が休日をのんびりと過ごしている...と言う風にしか見えないだろう。
「ご要望には添えましたか?」
俺は愛莉に尋ねた。
「うん。こーくんと、お散歩楽しかった」
愛莉、満足でございます。
にへっと口元を緩め笑った。
「それはよかった。俺も楽しかった」
ただ、どうしても外での距離感が難しかった。
お互いに変装している同士、どうしてもよそよそしくなってしまうのだ。
「......、だが......」
「でも.....、少しだけそわそわ落ち着かないですね」
愛莉も同じことを思っていたようだった。
「私達、お家デートは慣れてるけど、外出するとどうしても調子が狂っちゃいますね」
「...それ、俺も思った」
外に出てデートと言うのもまた違った雰囲気で楽しいが、どことなく気が休まらない所はある。
この程度の散歩をデートと呼んで良いのかどうかは別として、何故かしっくり来ていない。
「家、帰るか......」
「うん。帰りますか」
俺達はお互いにお互いを気遣いながら帰路についたのだった。
■■■■■
井勢谷家のマンションに帰り、手を洗って、お互いの変装を解き、再びリビングに戻ってくると春の香りが部屋一杯に漂っていた。
どうやら源はダイニングテーブルの上に置いてある茶色い紙袋なようだ。
なんだろ....。
家を出る前には、机の上にあんなもの置いてなかった気がする。
俺は、不思議に思って紙袋を覗いた。
ん?
俺が覗くとあの独特な刺激臭が鼻を覆った。
紙袋山盛りな事に驚いていると、先に戻ってきていた彼女がにへへとキッチンから出てきた。
「いつの間に......」
俺は唖然とした。
「にへへ」
彼女は隠していたかったのか恥ずかしそうにそう笑った。
「さっき採ってきたのか?」
俺は彼女の後ろ、テーブルの上、紙袋山盛りの蓬の葉を指差した。
「うん。蓬見てたら食べたくなってきちゃって......」
こーくんが電話しに行ってる間に採って、鞄に入れてたの。
愛莉は俺の一瞬の隙を見て蓬をむしり倒したらしい。
「蓬か...。天ぷらとか団子が定番だよな...」
「よもぎ餅食べたい」
即答だった。
「よもぎ餅か...。確かに、久し振りに食べたいかもしれない」
「でしょ?明日から私達、高校2年生になるんだもん。その前祝い、よもぎ餅で祝杯といきませんか?」
「名案だ」
甘いものに目がない俺は即座に彼女の提案を受け入れた。
■■■■
「そうと決まれば!です。準備しましょう」
彼女は手際よく下ろしていた髪を1つにまとめ、いつものサーモピンクのエプロンを身に付けると、調理場の流しで手を洗った。
俺も...とその後に続く。
手にハンドソープをつけて、泡立て捏ね回していると、先に、洗い終わってタオルで手を拭いている愛莉と目が合った。
ん?
じーっとこちらを見て動かないのだ。
なんだ?
「ううん。こーくんの手、おっきいなぁ~と思って......」
手?
うん。手。
まぁ、女子と比べれば大きいのは当たり前だけど、厳正とかは多分、もうちょいでっかいぞ?
俺は愛莉からタオルを受け取ると、洗ったばかりの手をまじまじと見つめた。
ゴツゴツした角張のある手。
家柄、幼い頃から武術を仕込まれてきた分厚い皮膚。
別に、俺の手が大きいとか気にした事、無かった。
そう思って見ていたら、俺の手が真っ白いすべすべ滑らかな肌に変わった。
いや......。
変わったのではなく、俺の手の上に彼女の手が乗っていたのだ。
どうした?
と聞くと、「にへへ」と笑った。
「こーくんの手、おっきい」
そう言って、もぞもぞと自分の手の平と合わせてくる。直に比べてみると、1.5関節分くらい俺の方が大きかった。
俺と手比べしているだけなのに随分嬉しそうにしている愛莉に俺は無性にむずむずした。
「むりゃ!」
俺がなんとも言えないむず痒さに堪え忍んでいると、愛莉の可愛い手が可愛く攻撃してきた。
ん?
一瞬、ただ手を握られただけのように感じたが、これは多分、愛莉の小さな仕返しなのだろう。
俺がさっき驚かせてしまったみたいだからな.............。
ただ、仕返しの規模が小さすぎて、たぶん俺じゃなかったら気づいてないだろう。
俺はさすがに無反応では悪いと思って、「おぉ」
と小さくおどけてみせた。
「驚きましたか?」
ふんふんと自慢げに尻尾を振っている。
「あー、まぁ、驚いた」
しまった、棒読みになってしまった。
「むぅ。その反応、こーくん、びっくりしてませんね?」
こーくんは演技が下手です!愛莉には分かるのです!
さっきの仕返ししたかったのにぃ~。
むきゅぅっと拗ねてしまった。
ちまちましてている。
丸くてきゅるきゅるした瞳。
マスコットみたいだ。
可愛い...。
「私もこーくんを驚かしたかったです」
愛莉はしょぼんと獣ミミを垂れ伏せた。
「大丈夫。愛莉は可愛いから」
俺はぷりぷりと怒りつつも1回も手を離そうとしない愛莉の手をもう一度優しく握った。
うん。
俺の嫁は世界で一番可愛いと思う。
■■■■■
互いのアドレナリンが影を潜めた頃、俺達はよもぎ餅作りを再開させた。
袋から取り出し、水道水で綺麗に洗う。
根元には泥がついてたりするからしっかりと。
重曹を加えた鍋でお湯を沸かし、洗ったばかりのよもぎを茹でる。茹で上がったら、何度か冷水に晒し、アクを抜く。ざるに上げて水気を切り、包丁で細かく刻む。
愛莉が戸棚の奥からすり鉢を取り出してきた。
「さんきゅ」
俺はそのすり鉢に刻んだ蓬を入れ、すり棒で磨り潰す。
ペースト状になれば下ごしらえは完了だ。
餅米を蒸し器に入れて炊いている間に市販のあんこを一口大に丸めていく。
スプーンですくって、こねこね、まるまる。
単純化しつつあったよもぎ餅作り、気付けばこんな会話の流れになっていた。
■■■■■
「こーくんは、今の私達の現状...いかがお考えですか?」
手をグーにしてその上に丸めたあんこを乗せた愛莉は、即席のマイクに見立てリポーターごっこを始めてきた。
「現状?俺達のこの関係性って事か?」
「はい。そうです!私は女優と言う立場にありながら、こーくんとお付き合いをしています。アイドル業界ほど厳しくありませんが、やはり世間は井勢谷愛莉の交際を快く思う人は少ないでしょう。私は自殺行為に近い事をしているのです。炎上しちゃいます。仮に、芸能界で生き残れたとしても日向には生涯、出れないでしょう。干され組です。
康介君は、なんと言っても伊世早組の次期組長です。お父さんから何度もお家柄に当たり障りの無い名家のお嬢様方とのお見合いを提案されているそうです。ですが、全てお断りしているそうです。今日のお昼の電話も、新しいお見合いのお誘いだったのですよね?」
なんだ。バレていたのか...。
散歩の途中でかかってきた電話はまさに、父からのお見合いの相談だった。
下手に着拒すると、縁談を勝手に組まれそうだからあえて、全部連絡を受けるようにしている。
だが、どんなお金持ちのお嬢様であっても、どんなに秀才で高貴な女性であっても、見合いの場で俺が伝えるのは一言だけだ。
『若輩者である俺が、あなた様のような優秀な人材を無駄に弄ぶ事は出来ません。どうか、ご自分の人生、大切になさってください』
何回、このくだりで凌いできたか...。
父にはそろそろ矛先を納めろと言われているが、高校生で結婚しろとか、いつの時代の話をしている?俺には心に決めた相手が居るんだ、といつも心の中で呟いている。
人に言えないからな。
つーか、電話、バレてたんだな。
「ふっふっふ。私に隠し事しようなど、100年早いですよ」
愛莉が今度のドラマの強気な女役口調でちっちっちと人差し指を顔の前で振ってみせた。
そうなのです。
まさしく、私達は崖っぷちカップル。
誰にも、私達の関係が知れ渡ってはいけないのです。
それを承知の上で私達の関係は保たれているのですが.........。こーくんはどう思いますか?」
「どう?って言われても...こういう感じかと......」
「もぉー。こーくんは危機感が薄いです。明日、朝起きて、玄関を開けたらこーくんの許嫁ですって言う人が現れたらどうするんですか?もし、明日、私たちの関係が週刊誌にスクラップされていたらどうするんですか?」
おい、こら。
縁起でも無いこと言うなし。
「もしも、もしもの話です」
考えてみてください。
彼女がそう言うので、想像する。
んー。
そうだな、2人で無人島に移住するとか?
それか、整形とかしてFBIの承認保護プログラムでも受けて、別人として生まれ変わるか?
いや、愛莉は整形するなんてもったいないな.............。
今のままが絶対可愛い。
さて、どうしたものか....。
うーん。
「もう!ちゃんと真面目に考えてください」
さすがに怒られた。
この時、俺は彼女の言うことを真面目に捉えようとはしなかった。いや、考えたくなかったのかもしれない。何故なら、そうなるかもしれない未来が俺の中で1つの選択肢のように混在していたから...。
「まぁ、そう言うのはおいおい考えていく」
いいだろ?
今日は休みだ。
あんこ、さっさとくるんでしまおうぜ?
彼女は少し渋い顔をしていたが、「それもそうですね。私たちが気を付けていればそんな最悪の事態は免れるはずです」
早計ですね。
納得してくれたようで、
この話はここで終わってしまった。




