第8話 女官は自分に言い聞かせる
(殴りたい……。目の前で爆笑しているこの男を)
私の前で、今まで見たことがないくらい楽しそうに、なんなら地面をバンバン叩いて笑っているのは、言わずもがな、アイザック第二王子殿下である。
「俺も見たかったわ。まさかそこまで動揺するとは」
「笑い事じゃないですよ!本当、殺されるかと思ったんですよ!何なんですか!」
「教えてやろうか?」
「知りたくないです!」
知ったら間違いなく殺される。そんな迫力が王太子殿下にはあった。
好奇心より恐怖の方が勝る。
即答する私を無視して、アイク様はさらっと爆弾発言をかましてきた。
「王太子のプロポーズが大失敗した日だ」
「………ええ!」
プロポーズ失敗!?顔・性格・権力、パーフェクトに揃った王太子殿下が?
「王太子に頼まれて、護衛も近寄れないように俺が結界を張っていたから、多分、王太子と俺と、クザン公爵令嬢しか知らないと思う」
おいおい、相手の名前まで出しちゃってるじゃん……。
てか、王太子を振るとは、クザン公爵令嬢、強いな。
しかし……。
「そんなこと他人にばらすなんて、いくらなんでも、王太子殿下が可哀想じゃないですか」
いくら弟でも、やって良いことと悪いことがあると思う。
王太子殿下のあの様子を見るに、今は別の方と結婚したとはいえ、傷は相当深いぞ。
そしてそんな情報吹き込まれても、私も困る。王太子殿下に本当に口封じされかねない。
「まあいいだろ。王太子だって、昔俺がフラれた時、王妃にバラしたことがある」
母親と赤の他人じゃ、意味が違うと思う。
そう思いつつ、ふと、別の感情が沸き上がるのを感じた。
(好きな人いたんだ…)
21歳の男性なのだから、ごくごく当たり前のことだ。なのに、なぜ胸が痛むのだろう。
そもそも、今は馴れ馴れしく話しているが、この方は、王位継承順位第2位の王子殿下。
本来、私は会話することも許されない程の身分差がある。
……身の程知らずの感情は、表に出てくる前に蓋をしなければならない。
私自身のためにも。
努めて明るい声を出し、話題を変える。
「でも、アイク様は生きているみたいで良かったです!筆頭王宮魔法使い様に見てもらえば、きっと元に戻れますね!」
すると、突然アイク様の様子が変わった。先程までの爆笑と違い、今度は酷く真剣な顔をしている。
「……ノーマンには気を付けろ」
言われた意味が分からず、ぽかんとする。
「ノーマン?どなたですか?」
「その筆頭王宮魔法使いの名だ」
ますます意味が分からない。だが、アイク様は冗談を言っている雰囲気ではない。
「どういうことですか?王宮魔法使い様なら、アイク様のことを助けてくださるのでは?」
「奴は国王陛下に忠実だから、命令されれば間違いなく、俺を助けるだろう。抜魂術にも詳しい」
「なら、良いじゃないですか」
「…ただ手段を選ばない。奴は本当に危険なんだ」
「手段…?」
助けてくれるなら、何でも良い気がするが、アイク様の顔は、何かを恐れている。
話は掴めないが、アイク様もそれ以上の説明をする気がないらしい。
分からないなりに、取りあえず頷いておく。
「よく分かりませんが、一応注意します」
筆頭王宮魔法使い相手に、どう注意するのか、自分でも疑問だったが、残念ながら突っ込みをしてくれる人は、ここにはいなかった。
◆◆◆◆◆◆
「おはようございます!メリッサさん」
まだ薄暗い時間帯に起き、身支度を整えて女子寮を出ると、既にリオ様が待ち構えていた。
「おはようございますリオ様。こんな朝早くから何かあったんですか?」
不安になるが、リオ様は至って普通だ。
「昨日王太子殿下がおっしゃってたじゃないですか?メリッサさんの護衛です!」
「ええ?でもここ王宮の中ですよ?」
王宮女官や侍女の住む女子寮は、王宮の敷地内にある。
警備は厳しく、一般人は勿論、王宮に仕える者であっても、許可なく入ることは出来ない。
ちょっと大袈裟ではないかと、首をかしげる私に、リオ様は周りを見回すと、そっと囁いた。
「それを言うなら、あの事件は王太子殿下の宮で起きています」
(そういえばそうだ)
王宮内でも、最も警備が厚いはずの東の宮。
私はよく知らないが、王太子殿下を守る魔法がいくつもかけられていると聞いたことがある。
あの日は結婚式でドタバタだったとはいえ、不審者が入れるわけがないのだ。
そして、魔法使いでもよく分からないらしい、魂を抜くという魔法。
改めて考えると、あの事件の異常さにゾッとする。
「あの犯人は、どうなったんでしょう……?」
知りたいことは山のようにあったけれど、単なる女官が立ち入ってはいけないと、これまで自重していた。
だが、リオ様の気安い雰囲気に、思わず呟いてしまった。
「……逃げました。詳しいことは言えませんけど」
口に出してしまって、すぐに不味いと思った私に、リオ様はこっそり話し始めた。
「この事件は、王家の暗部に関わることで、正直全貌は、国王陛下の周辺のごく一部しか知らされていませんし、僕にも詳しいことは分かりません。あまり探らない方が良いですよ」
「わ、分かってます!そんな恐ろしいことしませんよ!」
焦る私を気にせず、リオ様はますます声を潜めて続けた。
「ただ、アイザック様は、何かご存じだったんだと思います。あの日、賊の魔力を感知したのはアイザック様だけでしたし……」
「アイク様が……?」
確かにアイク様は、あの日突然東の宮に現れた。
王太子殿下が狙われていたのを、知っていたようだった。
そしてもうひとつ、前から気になっていることがあった。
(アイク様は……ご自分自身のことを、心配している様子が無い)
王太子殿下のことは、心から心配していたように見える。
でも、ご自分のことについては、困った様子はあるが、淡白というか、あまり真剣に解決策を探している様子がないというか。
私ばかりが一生懸命な感じがずっとしていた。
(アイク様は、何を考えているのだろう…。何か隠している?)
自分の世界に入り込んで考えていると、リオ様から予想外のことを問われた。
「メリッサさんは、アイザック様のことを、愛称で呼んでるんですか?」
「え?」
しまった。夢の中に留めるつもりだったのに、思わず口に出してしまった。
言い訳をする前に、リオ様がキラキラした目で見てきた。
「凄いです!アイザック様は御家族以外には愛称で呼ばせないのに!」
「えええ!?そうなの?」
予想外のことに、思わずタメ口になってしまった。
「そうなんです。アイザック様は『王子殿下』と敬称を付けられることはお嫌いなんですが、愛称で呼ばれることも嫌いで、本当に距離感難しいんですよ!あの気難しいアイザック様に、愛称呼びを許されるって、大偉業ですよ!」
やたらと興奮するリオ様を見て、逆に私は冷静さを取り戻した。
(他に私しかいない世界で、身分も低い相手だから、きっと気を抜いておられるんだろう)
――そう、絶対に勘違いしては駄目だ、と自分に言い聞かせる。
そして、1人で盛り上がっているリオ様と、考え込んでいる私は、全く気づかなかった。
「リオ、護衛ならもう少し緊張感を持つべきだな」
真後ろからいきなり声を掛けられ、私は飛び上がり、リオ様は慌てて振り向く。
「ノーマン様!」
2メートルも離れていないほど近い距離に、いつの間にかその男は立っていた。
濃いブラウンの髪を後ろで一本に結び、痩せ型でギョロっとした大きな目が印象的な男。
年齢は若くも見えるし、中年を過ぎているようにも見える、掴みどころのない容姿。
王宮魔法使いのローブを着たその人物が、現在の筆頭王宮魔法使い、その人だった。