ワガママ王女と冷静魔法使い(後)
「はあ〜、久々の城下は良いわねぇ」
「殿下、声が大きいかと」
「この姿で気づかれたことはないわよ。それより『殿下』はやめて。その呼ばれ方、嫌いなの」
裕福な商家か下級貴族が着るような服装に身を包んだ二人――王女フィリアと王宮魔法使いブルーノは人の多い大通りを平然と歩いていた。
フィリアは慣れた様子で道を進んでおり、どうやらお忍び散歩をこれまでもしていること、それも一度や二度ではないことが見て取れた。
「成人したら警護が厳しくなっちゃって困ってたのよ。昔は結構簡単に抜け出せたのに」
そう言いながらフィリアは自身の髪をもて遊ぶ。
王族の最も目立つ特徴である『白銀の髪』は女官の手でごく平凡な栗色に染められている。そういえば女官の手付きも迷いがなく、恐らくかなりの経験があるなと、ブルーノは遠い目で思い返していた。
「弱い染め粉でも簡単に色が変わることだけは、白銀の髪で良かったとは思うわ」
「左様ですか」
「ベネット家は大変そうね〜黒ばっかりで」
「染めようと思ったことはございませんので問題ありません」
上機嫌なフィリアのお喋りをブルーノは適当にスルーする。
公の場では儚げな微笑みを浮かべ、物静かに佇んでいる王女がこれほどうるさいと誰が思うだろうか。
見た目だけではなく、醸し出す雰囲気から全く違う以上、すぐに気づかれることはないだろうとブルーノは判断していた。
実際、すれ違う人から時折視線は感じるものの、それは単純に変装しても分かるフィリアの美貌が目を引いているのであって、王女だと気づいている様子は感じられない。
「ところで本日はどちらへ行くのですか?」
「逢い引きよ」
「は?」
「まあ黙ってついてきなさい」
きっぱりと言い切ったそれが冗談なのか本気なのか、さすがのブルーノもこの短時間では判断できない。
少し悩んだが、一応王家の臣下として一言物申しておくことにした。
「フィリア様、貴女様はお立場も婚約者もある方です。行動は気をつけるべきかと」
「あら、随分真面目なことを言うじゃない?」
気を悪くした雰囲気もなく笑ったフィリアは、突然ブルーノに問いかけた。
「わたくしの婚約者、シュトール王国のライル王子に会ったことはある?」
「昨年王太子殿下の婚儀に参列されているお姿は拝見しました。話をしたことはございません」
「そう。わたくしはこれまで二回話したことがあるわ」
一体何の話をし始めたのか計りかねるブルーノをじっと見つめながら、フィリアは語り始めた。
「一度目はわたくしが八歳のとき。ライル王子は十五歳で、初めて会ったわたくしのことをそれはそれは褒めてくださったわ」
「それはそうでしょう」
フィリアの美貌は幼少期から有名だ。子供の頃は「天使」「妖精」と称され、将来大輪の花を咲かすことを約束された容姿を持ち、事実、実に美しく開花している。
「二回目は昨年のお兄様の結婚式。八年ぶりにお会いしたライル王子はわたくしを見て何て言ったと思う?」
何と答えるべきか言いよどむブルーノに対し、端から答えを期待していなかったのか、フィリアはそのまま続けた。
「『失望した』ですって」
「えっ?」
素で驚いてしまったブルーノに、フィリアはおかしそうに笑う。
「『八年前の無垢な少女の君が理想だった。大人の女に魅力を感じない。無理を通してでも十歳までに婚儀を進めておけばよかった』とか言っていたわね。悲鳴は堪えたけど鳥肌が立ったわ」
ノーマンよりはコミュニケーション能力に自信はあり、いかなる事態にも冷静に対応できる人間だと自負していたブルーノだが、さすがに適切な返答が出てこなかった。
だが、フィリアは実にあっけらかんとしている。
「というわけで婚約者に対する義理立ては考えてないわ。ご心配ありがとう」
硬直するブルーノを楽しそうに見上げ、フィリアは弾むように再び歩き出した。
◇◇◇
フィリアの『逢瀬先』は大通りから少し離れた住宅地にあった。
手書きの地図のような紙をじっと見ていたフィリアは、意を決したように細い路地に面した小さな家に入っていく。
声をかけると出てきたのは下女の姿をした若い娘。その少女に対して、フィリアが「王女の女官」を名乗るのをブルーノは横で黙って聞く。
珍しく緊張した面持ちのフィリアと共に、ブルーノは家の中に通された。それほど部屋数もない小さな家、廊下の突き当りの扉を開けた瞬間、フィリアは駆け出した。
「カーラ!」
「姫様!?なぜこのようなところに……」
窓際のベッドの上には女性が横たわっていた。
その顔色は悪く、頬は痩け、起こすこともできない寝具の下の体は相当やせ衰えているようだった。
「お見舞いに決まってるじゃない。貴女がいないと暇で仕方がないわ」
「姫様ったらもう……」
「アリアだけでわたくしの面倒を見るのは大変そうよ」
数ヶ月前、王女付きの女官が一人、病で辞職したことをブルーノは思い出した。
名前も顔もよく知らないが、目の前の女性がその女官なのだろう。
そういえば……とブルーノは気づく。フィリアがやたらと自分付きの近衛騎士や王宮魔法使いを遠ざけるようになったのは、その頃からではなかったか。
「待ってますからね。貴女がいないとわたくし困るの」
「姫様、勿体ないお言葉です」
涙ぐむ女性の様子は、寝所に入らず入口付近に留まるブルーノから見ても良くない。
彼女に残された時間がそう長くはないだろうことは、誰の目にも明らかだった。
それでもフィリアは涙を見せることはなく、いつも通りのやや尊大な口振りで話し続け、女性の白い手を離さなかった。
◇◇◇
帰り道、あれほどよく喋っていたフィリアはしばらく無言だった。
「……別にカーラのためじゃないわ。物心付いたときから一緒にいた女官だもの、このままお別れになったら、後悔するだろうなと思っただけ。わたくし自分勝手ですから」
何も言われていないのに、突然言い訳のようなことを口走るフィリア。その目が赤くなっていることにブルーノは気づいたが、特に触れることはない。
ただ一言、今日感じたことを伝えることにした。
「フィリア様はお優しいですね」
「な!?」
ポロッと言った言葉にフィリアの顔がみるみる赤くなる。
「や、優しくなんかない!ただ自分の気持ちがモヤモヤしたくなかっただけで……自分の都合、単なるワガママよ!」
「そういうことにしておきましょう」
ありとあらゆる美辞麗句を受け続けているはずの王女が、臣下の単純な褒め言葉に動揺し必死に食ってかかる。
「そ、そもそも何なの貴方。人を褒めるときはもう少し抑揚をつけるとか表情を和らげるとかするでしょう!なぜ無表情で淡々と言うわけ!?」
「職務中は冷静さを心がけておりますので」
「もう!」
ブルーノは冷静な表情を崩すことなく、王宮までの道をスタスタと歩く。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「防御魔法は十分かけております」
「そういうことじゃない!」
真っ赤な顔のまま、フィリアはブルーノを追いかけていった。
二年余り後、この二人は王宮を揺るがす大スキャンダルを巻き起こすことになるのだが、今はまだ、始まったばかり。
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