辺境伯夫人と新しい命(後)
「お久しぶりです、ルイス先生。まさか遥々お越しになられるとは……」
私の実家である、グレイ子爵領に住む町医者、ルイス先生。
その正体は、超極秘事項。
できれば、我が故郷の山奥で、大人しくしていて欲しいとは思いつつ、わざわざ来てくださった理由も察し、申し訳なく思う。
「アリア殿から相談を受けまして。しかし酷い顔色ですよ。大分お痩せになられたようですし」
以前母への手紙に、悪阻について書いたことがあったが、どうやらルイス先生にまで漏れたらしい。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。そのうちにおさまるかと思いますので……」
「いえ、もしかしたら、原因は悪阻ではないかもしれません」
きっぱりと言い切ったルイス先生の顔を、思わず凝視する。
当たり前に悪阻だと思っていた私にとって、想定外の発言に、動揺が隠せなくなる。
「それはどういう……?」
私の問いに、直ぐには答えず、ルイス先生は笑みを消し、真面目な顔で続けた。
「少々思い当たる節がございまして。まず、確認したいので、簡単な診察をさせていただいて良いでしょうか?お体には触れませんし、侍女に立ち会いしていただいて構いません」
国家規模の危険人物と言って差し支えないルイス先生だが、アイク様の最大の味方であることは間違いなく、診察をしていただくことに迷いはない。
とはいえ、2人っきりで診察を受けるのも、貴族夫人としては不味かろうというルイス先生の心遣いはよく分かった。
トニアに、「グレイ子爵家と懇意の、魔法の知識のある医師。アイク様とも旧知の方」とギリギリ嘘ではない説明して、立ち会わせた。
「では、失礼します」
ソファに座る私の前で膝立ちになると、ルイス先生はそっとワタシのお腹の前に手を翳した。
その手には確か、魔力封じの紋様が刻印されていたはずだが、黒革の手袋がはめられていて、見えないようにしている。
無言のまま数秒後、不思議とお腹が温かくなってきた。不快な感じはしない。
むしろ、鉛のように重かった体が、僅かであるが、軽くなった気がした。
ルイス先生がフッと表情を緩めた。
「やはり、原因が分かりました。お話してもよろしいでしょうか?」
ルイス先生の視線から、優秀な侍女頭トニアは、言わんとしていることを察したらしい。
「私はドアの前で控えておりますので」と言い、トニアは一時退室した。
「大丈夫です。教えてくださいませ」
一体、どんな話が出てくるのかと、緊張気味に促すと、「では」と、ルイス先生は話し始めた。
「そのお腹のお子は、魔法使いです。それも、父親を遙かに凌駕する、尋常ではない力を持っている」
「……ええ!?」
父親というと、アイク様を上回るということ!?
アイク様ご自身も、我が国で5本の指に入る魔法使いだと言われている。
その方を上回るとは、凡人の私には、理解が及ばない。
(私の赤ちゃんが、そんなとんでもない魔法使いに!?)
酸欠の魚のように口をパクパクさせる私を、面白そうに見ながら、ルイス先生は続けた。
「属性は火のようですね。その子が攻撃力の高い魔力を放出し続けているので、普通の人間である貴女の体には、とんでもない負荷がかかっています。このままだと、出産まで、母子共に耐えられませんね」
「そんな……」
恐ろしいことをさらっと告げたルイス先生だが、その表情には、特段悲壮感はない。
「強力な魔法使いを身籠っている女性にしか起こらない症状ですので、普通の医者や魔法使いでは、まず原因すらわからないでしょう。ベネット家ではしばしば起こることですが……フィリアの時も大変でした」
何かを思い出すように、目を細めたルイス先生は、床に置いた鞄から、数枚の紙を取り出した。
「今の私は魔法が封じられてますので、応急処置しかできません。こちらに、胎児の魔力を母体に負担をかけず、少しずつ放出させる魔法術式を書いてあります。辺境伯閣下と、その子の魔力は非常に似ていますし、水属性と火属性は相性が良いので、辺境伯閣下にこの魔法をかけてもらってください。出産まで、定期的に放出させていけば、問題ないでしょう」
「本当に、ありがとうございます」
まだまだ体調は悪いが、原因と解決方法が一気に分かり、目の前が明るくなった気がした。
「しかし、楽しみなお子ですね。将来はレイファどころか、大陸一の魔法使いになれるかもしれません」
「……少々信じられませんが、それはそれで怖いですね……」
そんな子を、平凡な一般人の私が、果たして育てられるのだろうか。
ただでさえ、レイファの守護たる、この辺境伯家の長子だ。責任の重さに、考えるだけでまた体調が悪くなりそうだ。
「魔法使いも単なる人間です。私が言えた筋合いではないですが、愛情をかけて育てれば、まっすぐ育ちますよ、おそらく」
穏やかなルイス先生の言葉は、私の疲れ切った胸にしみ込んだ。
そうか、母が私やルーカスにしてくれたように、まずは、私達がこの子に愛情を注いでいけば良いのだ。
私とアイク様だけではない。母、両陛下、王太子殿下、ルイス先生、それから、トニア達辺境伯領の民、この子には、温かく見守ってくれる人が沢山いる。
ルーカスは悪影響を与えそうなので置いておく。
「ルイス先生も、また来てくださいね」
「機会がありましたら……」
「来てください。私の父は亡くなっておりますので、この子のお祖父様は先生しかいません」
はぐらかそうとするルイス先生に、強く伝える。
苦笑した先生は、それでも明確な返事をしなかったが、少し嬉しそうに表情を崩したのは、私の気のせいではないだろう。
「まあ、楽しみにしています。どんな姫になるのか、見物です」
「……え?……ひめ……?」
……聞き捨てならない単語が聞こえた。
「お、女の子なんですか?」
「ご存じありませんでしたか。史上最強の女性魔法使いになりそうですね」
話の流れから、てっきり男の子とばかり思っていた。
いや、貴族女性にかけられる、跡取り男子のプレッシャーは、私はそれほど感じていなかったし、アイク様も性別にこだわっている様子は全く見られないので、女の子でも男の子でも、本当にどちらでも構わない。
だけど、尋常ではない魔力を持つ、炎属性の攻撃魔法使いが、女の子……?
王宮魔法使いにも女性はいたが、確か、後方支援や医療系を担当していた。攻撃系は正直聞いたことが無い。
私の想像が根底から覆されてしまう。
「ど、どうしましょう……?」
「別に気負う必要はないと思いますよ。それでは私はこれで」
面白がった様子で、爆弾発言を残し、ルイス先生はサッと消えていった。
続々と与えられた情報にパニックになっていた私が、そのことに気付いたのはしばらく経ってからだった。
(あの人、転移魔法使ってなかった!?封印は!?)
やっぱり、元国家反逆者はただ者ではない。
◇◇◇◇◇◇
さて、その夜、予定より大幅に早く帰還なされたアイク様は、大変な不機嫌顔であった。
私が説明する必要もなく、本日の来客について把握しておられたようで、早々に部屋に戻ると、黙ってルイス先生が残していった書類を読み込んでいた。
「……クソ」
「勝手をしまして、申し訳ありません」
「いや、メリッサに怒ってない。気づかなかった自分が腹立たしいだけだ。それから、この魔法術式が、完璧すぎることがムカつく」
深い溜め息をついたアイク様は、サッと私の手を取った。
何かブツブツと詠唱すると、体の気だるさが、嘘のように抜けていく。
ガンガンと鳴っていた頭の痛みも徐々に引いていく。
(凄い。体が楽になっている!)
と同時に、傍にある飾り棚が燃え始めた。
「ええ!?」
「おわっ!」
使用人達に気付かれる前に、アイク様の水魔法ですぐ鎮火できたが、壁にはしっかり焦げ目が残ってしまった。
「えっと、今のは……?」
「俺じゃない。この子の魔力だ。少しずつ放出させたのに、とんだじゃじゃ馬だな」
苦笑した顔は、昼間のルイス先生そっくりだ。
絶対に本人には言えないけれど。
思わず笑ってしまった私に、アイク様も久々に笑顔を見せた。
「体調は大丈夫か?」
「ええ。驚くほど良くなりました。ありがとうございます」
アイク様もほっと息を吐いた。
自分自身もいっぱいいっぱいで気付かなかったが、アイク様のお顔も、随分疲れている。
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「だから謝るな。他でもない、俺達の子供のことなんだから。メリッサとこの子のためなら、俺は何でもやる。だから1人で抱えないでくれ」
本当にこの方が夫で良かった。
ルイス先生がお帰りになった後も、1人ウジウジ悩んだものだが、アイク様と話していると、不思議と不安がなくなり、むしろ楽しみになってくる。
「アイク様」
「なんだ?」
「大好きです」
「な!?」
珍しく真っ赤になったアイク様の顔を、ニコニコと見つめる。
さて、これが後に、『業火の死神姫』『猛炎の女神』『焼け野原に立つ戦姫』などなど、親としては嬉しくない異名を、国内外で多々賜わることになる、私達ヴェルアルス辺境伯家長女、誕生前のお話である。




