王太子殿下は奮闘する⑥
「いったい何が起きたのだ!?」
国王や宰相らが慌てふためくなか、私はただ静かに報告を聞いていた。
アルガトルとの休戦約定が纏まり、互いの兵を元の国境線に退く段階になり、突如シュルナ中将が戦場に仕掛けられていた魔法地雷により、戦死した。
本来は、王宮魔法使いにより、魔法の罠が仕掛けられていないか、事前に確認されるが、今回シュルナは、計画に無いルートを勝手に通っていたため、アルガトルが残した罠にかかったものと報告があった。
ここまでは、我々の想定通り。謀反の芽は摘み取られた。
あとは、戦後の処理が落ち着いた段階で、アイクの集めた証拠も使い、シュルナ侯爵家自体を処分していくのみだ。
ただ、次に来た知らせは、私やアルフレッド以外の国上層部にとっては、予想外のものだった。
王宮魔法使いジェイス・ベネットが、謎の魔法使いに襲われ、重傷を負ったという。
休戦を早くも破ったアルガトル魔法士団の襲撃かと思われたが、何とか一命を取り留めたジェイス自身がそれを否定した。
しかし、誰にやられたのか、ジェイスは頑なに口を割らない。挙句、「不徳の致すところ」と言い残し、王宮魔法使いの地位と、ベネット侯爵家の当主の座を返上し、領地に帰ってしまった。
「父は果てしなくプライドが高いですからね。口が裂けても自分の弟に負けたとは言えないでしょう」
「おかげさまで、思ったより早く当主の座を手に入れることができました。ありがとうございました」とご機嫌なエドワードは、やはりどこかズレている。
自分の野心のために、父を切り捨て、国すら利用する。飄々としたこの男は、もしかしたら、この国で最も恐ろしい人間なのかもしれない。
「しかし、国王陛下と王太子殿下は、ブルーノに恨まれていますよ。アイザック殿下を危険に晒しましたから」
「やむを得まい。そもそもこの家業は恨まれるものだ。その代わり、王宮魔法使いで責任を持って守ってくれ」
「かしこまりました」
「それから、今回のことは決して他言しないよう」
国王の意を無視して、勝手に情報を流し、国王直属の臣たる王宮魔法使いに損害を出した。
私の方がよっぽど反逆罪に問われるだろう。
だが、後悔は一切なかった。この罪は生涯背負っていく。
◆◆◆◆◆◆
「国王陛下、ただいま戻りまし……ぐはっ」
戦場から戻り、謁見の間で正式な挨拶をしようとしたアイクだが、発言は途中で遮られた。
壇上にいたはずの王妃が、飛び降りた勢いのまま、膝をついていたアイクに、襲い掛かった。
いや、駆け寄ろうとしたのだろうが、勢いがつきすぎて、完全にタックルになっている。
「アイク……無事で良かった」
涙を浮かべながら、ぎゅうぎゅう力一杯アイクを抱きしめている母は、王妃らしさはかなぐり捨ててしまっている。
しかし、息子への愛を感じるその姿に、眉を顰める者など一人も無く、貴族も軍人達も、女官さえ、もらい泣きをしていた。
しかし、最初は嫌がっていたアイクが、抵抗しなくなっている。だが、どうやら顔を見ると、諦めたとか受け入れたとかではなさそうだ。
「王妃陛下、そろそろ放して差し上げた方が……」
アイクの顔が白くなっている。母のパワーは、どうやら貴族の常識を超えているようだ。
「グスッ……あらごめんなさいアイク」
「……いえ、王妃陛下。ただいま戻りました」
母と息子の感動の再会。完璧な王妃の、母としての姿は大々的に報じられ、レイファ国内における王家の人気は、更に高まっていくのだが、これはまた別の話。
「アイク、よく無事に帰ってきた」
「王太子殿下、恐れ入ります」
いつも通り淡々とした挨拶をしたアイクだが、何かを探るように私の目を見ている。
私も決して逸らさず、その目を見つめ続ける。
「今後も、私は王家の剣となり、生涯、両陛下、王太子殿下に尽くすつもりです」
「そなたの想い、ありがたく思う」
臣下が使う定型文の言葉が、アイクの口から出ると異常に重く感じるのは、私の思い過ごしだろうか。
それからも、文字通り身を粉にするように、国のため、王家のために働き続けていたアイクが、国や王家以外の、守るべき者を見つけるのには、まだしばらく時が必要となる。
◆◆◆◆◆◆
重くのしかかっていた苦い記憶を思い返しながら、目の前に座る弟の顔を見る。
あれから10年以上が過ぎ、少年だった弟は、すっかり大人の男になった。
自らの立場に苦しみ、自分の命を軽んじ、どこか自暴自棄とも思える生き方をしていた弟は、居場所を見つけ、最愛の人を見つけた。
今日は、辺境伯叙爵から1年経ったのを機に、情勢報告に来てくれた。
辺境の地は、決して楽な情勢ではなく、未だ問題山積だろうに、その表情は以前より、柔らかくなった気がする。
「なんですか?人の顔をジロジロと。気持ち悪い」
素っ気ない口調も相変わらずだが、笑みがこぼれてしまう。
「なあ、アイク」
「なんですか」
「最近どうだ?」
「だから、今それを説明してたんですけど。聞いてました?」
弟が冷たい。馬鹿を見るような目で見てくる。私は兄で、王太子なのに。
「違う。領地のことじゃなくて、お前のことだ。メリッサは元気か?」
弟の最愛の人の名を出してみると、目が泳ぎ出す。
仏頂面が崩れることが面白くて、どうもからかってしまう。
明らかに動揺している弟を楽しんでいると、目をそらしたまま、ボソッと呟いた。
「……子ができました」
「え!?嘘、聞いてないよ!?」
いきなりの告白に、こちらの方が動揺してしまう。
「もう少しメリッサの体調が落ち着いたら、正式に報告するつもりなので、今しばらく内緒にしていただけますか?」
「もちろん」
目を合わせず、淡々と話すアイクだが、これは弟が照れている時の癖だと、十分に分かっている。
「では、そろそろ帰ります」
スッと立ち上がったアイクに、ふと聞きたかった問いを投げる。
「今、幸せか?」
私の愚問に、怪訝な顔をした弟だが、次の瞬間には口元が緩んだ。
「幸せですよ」
冷たい風を残し、次の瞬間には、弟の姿は消えていた。
弟は、どうやら生きる意味を見つけたようだ。
嬉しいことだが、それが自分でないことに、少しの寂しさもある。
「幸せになれよ、アイク」
さて、弟の負担を少しでも軽くしてやるかと、弟の残していった書類に目を通す。
◆◆◆◆◆◆
「あら、おかえりなさいませ」
突然部屋に現れた夫に、驚いた様子もなく、ヴェルアルス辺境伯夫人メリッサは、穏やかに微笑んだ。
「ただいま」
応じるアイザックも、穏やかな表情を浮かべ、読書をしていたらしい、妻の隣に腰掛けた。
「王都はいかがでしたか?お変わりはありませんでした?」
何気ないメリッサの問いかけに、アイザックは、何かを考えるように少し首を傾けた。
「兄上が……」
「王太子殿下に何かあったのですか?」
「……なんか、爺臭くなっていた」
「はい?」
真面目な顔で呟いたアイザックの顔をじっと見た後、メリッサは吹き出した。
つられてアイザックも笑いだす。
辺境伯家は、今日も明るい空気が流れている。




