王太子殿下は奮闘する①
アイクの兄、王太子視点のお話です。本編の約10年前の出来事。
全体的にシリアスで、恋愛要素はほぼありません。全6話予定。
「パトリック、ちょっといいかしら?」
他国の大使との会談が終わり、執務室に戻ろうとしていたところ、後ろからいきなり呼び止められた。
振り返らなくても分かる。王太子である私を名前で呼ぶ女性は、レイファで一人しかいない。
「どうされましたか?母上」
案の定、我が母で、この国の王妃ディアーヌが、いつも通り華やかなドレスをはためかせて、こちらに歩いてきた。
毎度お馴染みの縁談の話か、と身構えたが、どうやら様子がおかしい。いつも微笑みを絶やさない母が、随分浮かない表情をしている。
何か重大事の気配を感じ、ひとまず私の執務室に通した。
ソファに座った母は、深刻な顔で話し始めた。
「アイクのことなんだけど、少し様子がおかしい気がするの……」
「アイクが?」
私の4歳年下の弟、第二王子アイザックは13歳。現在、王立魔法学校に通っているアイクは、天才的な魔法の才能を持ち、文武両道、容姿端麗、やや言葉遣いが粗いこと以外に、欠点の見当たらない、まさにパーフェクトな弟である。
最近はお互いに忙しく、ゆっくり出来ていないが、先日チラッと話した時は、特に変化は感じられなかった。
母が何を心配しているのか分からず、首をかしげる。母はもどかしそうに続けた。
「アイク付の女官から、この3日位、あまり食事を取っていないって報告が来たの。本人は体調は悪くないって言っているんだけど、学校から戻ると部屋に籠っちゃうし、さっきも話をしに行ったんだけど、大丈夫の一点張りで……」
「反抗期じゃないんですか?」
「真面目に考えなさい!」
一応、真面目に答えたつもりだが、怒られてしまった。
「もしかして、魔法学校でいじめられているのかしら」
「それはないでしょう」
魔法使いは総じて自由人が多いが、さすがに自国の王子をいじめる人間はいないだろう。
第一、あのアイクが、黙っていじめられる訳がない。
「あの子、いつも自分で抱えて我慢しちゃうから、心配なの。わたくしには話しづらいのかもしれないから、パトリック、今からさりげなく聞いてきてくれない?」
「え?今ですか?」
「今すぐよ」
「あの、これから会議が……」
国王陛下や宰相との打ち合わせが……とぼやくが、母には通じない。
「貴方が少しぐらい仕事を休んだって、国は滅びません!国とたった一人の弟、どっちが大事なの!?」
「ええ……」
王妃にあるまじき発言を堂々とする母。
こうなった母は、もはや何を言っても無駄だということは、経験上よく分かっている。
渋い顔をする補佐官エドガーを国王陛下に遣いに出し、私はアイクの私室に向かうことにした。
アイクの私室は、国王夫妻が住まう北の宮内にある。
私も成人して、東の宮を与えられる前までは住んでいた場所だ。迷うことなく部屋の前まで辿り着く。
ドアの前に立つ騎士に取り次ぎを依頼せずに、自らノックする。
「アイク、入って良いか?」
声をかけると、室内でドタドタと派手な音がする。すぐに、勢いよくドアが開いた。
「兄上、どうしましたか?」
顔を覗かせた弟は、仏頂面だが、これはいつものことだ。
「いや、ちょっと時間が空いたから、たまには弟の顔でも見ようかと思って」
「は?気持ち悪い」
我ながら下手な言い訳だと思ったが、それにしてもバッサリと切り捨ててくる弟。
心に深い傷を負った私を、怪訝な顔をしながらも、アイクは室内に招き入れてくれた。
アイクの部屋は、誰かが大暴れした後のように物が溢れているが、これもいつものことだ。
本の山が雪崩を起こしたように散乱しており、先程ノックをした時の音は、これが崩れた時の音か……と思い至る。
「今は何をしてたんだ?」
「魔法学校の課題ですけど」
「そうか、大変だな」
「はあ、大丈夫ですか?」
(ううむ、母上。話を聞いてこいと言われても、話が続きません)
王太子としては問題だと自覚しているが、私はあまり腹芸や交渉が得意ではない。
会話の糸口を必死に探す私に、アイクは胡乱な目を向けた。
「……母上ですね?母上に俺の様子を探ってこいと言われたんでしょう?」
「ご名答」
「全く、兄上はお忙しいのに、迷惑をかけて」
年齢に見合わない深いため息をついたアイクは、きっぱりと言い切った。
「俺は特に問題はありません。少し魔法研究が忙しいだけです」
「本当か?」
「はい。王太子殿下にご心配いただくようなことは何も」
アイクが私のことを兄ではなく王太子と呼ぶ時は、これ以上関わって欲しくない、一線引きたいと思っている時だ。
どうやらこれ以上いても、何も話してくれそうもないと感じ、今回は退散することにした。
「わかった。じゃあ無理するなよ。困ったことがあったらいつでも言えよ」
「はいはいありがとうございます」
早く帰れと顔に書いてある弟に見送られ、部屋を後にする。
どこがおかしいとは、はっきりと言えない。だが、どこかいつものアイクと違う。
兄としての勘が、そう言っていた。
◆◆◆◆◆◆
「遅くなりました」
父の執務室に着いた時、既に会議は概ね終わってしまっていた。
本来なら厳しく怒られてしかるべきだが、エドガーから事情説明させておいたので、責めるような視線はない。
なにせ、あの母に勝てる者は、この国にはいない。
だが、一歩入った時から、執務室内の異様な空気に気付いた。普段穏やかな父が、随分険しい顔をしており、居並ぶ父の側近達――宰相、三大臣、国軍大将、筆頭王宮魔法使い――も皆深刻な表情をしている。
「アイザックの様子はどうだったか?」
父が開口一番問いかけてきた。アイクの名が出たとたん、張り詰めた空気が漂う。
嫌な予感がした。とりあえず、無難な回答にする。
「特に変わった様子はありませんでしたが……。何かあったのですか?」
よからぬことだろうとは思ったが、聞かない訳にはいかない。
眉間に深い皺を刻み黙りこくる父に代わり、クロフォード宰相が、努めて冷静に話し始めた。
「影から報告があったのですが、アイザック第二王子殿下周辺に不穏な気配があると」
「不穏な気配……まさか」
その言葉の意味するところは、王家に生まれた以上、嫌になるほど教えられている。
だが、あのアイクが、そんなことはあり得ない。
受け入れがたい言葉を、宰相は容赦なく叩きこんできた。
「王位継承権を簒奪しようとする動きがあります」




