辺境伯の婚約者は誕生日を祝う(後)
臣籍降下し、辺境伯となったアイク様だが、出立までの間は、今まで通り王宮に住み、業務の引き継ぎや、荷物の整理をされている。
そのため、婚約者といえども、簡単に会いに行くことは出来ない。
そこで、アイク様に宛て、お会いできる時間を作っていただきたいと、手紙を書く。
すると、『いつでも構わない』と、即座に返事が返ってきた。
(走り書きなのに、相変わらず達筆だなぁ……意外な特技よね)
と、妙なところに感心しながら、明日訪問する旨を書き送った。
翌日、お昼過ぎに、包んだ魔法石を持ち、王宮に上がる。
スムーズに通され、アイク様の執務室に案内された。
アイク様の執務室に入るのは、女官時代も含めて初めてだ。
重厚なドアの前で、騎士がノックをすると、室内から入室を許可する無愛想な声が聞こえてきた。
(うわ、やさぐれてる)
この時点で、アイク様の状況を何となく把握した。
何かに怯えたような目をした騎士に見送られ、入室したその部屋は、賊でも入ったかのように荒れ果てていた。
「メリッサ、久しぶり……」
「……アイク様、お体大丈夫ですか?」
書類やら訳の分からない魔法具やらが、足の踏み場もないほど散乱した室内。
その中心で、目の下に真っ黒な隈を作り、疲れきった顔をしているアイク様が佇む光景は、どこか恐怖すら感じさせる。
「守護魔法の引き継ぎが終わらない。軍関係の引き継ぎは終わったはずなのに、次々に質問が来る。部屋を整理する時間が全くない。どこから手を付けていいか分からない」
負のオーラが凄い。目が死んでいる。
恐らく百人が百人、ヤバいと言うであろう状態に、ひとまず私の要件は横に置いておく。
「とにかく、一度休憩しましょう。座ってください」
アイク様を本が積まれたソファに無理矢理座らせ、お茶を淹れる。
ひと息つかせ、ゆっくりとお話を聞く。
「片付けは、侍女や従者に手伝わせる訳にはいかないのですか?」
「俺の研究書もあるから、あまり他人に触られたくない」
どうやら、時間のない中で、1人で整理しようとした結果が、この様らしい。
しかし、このままでは、どう考えても終わらない。
「私がお手伝いするのも、駄目ですか……?」
断られることを覚悟で聞くと、死んだ魚の目が、少し生気を取り戻した。
「いや、メリッサなら……メリッサに見られて困るものはない」
「では、私がお手伝いしましょうか?荷物は箱にまとめて、判別に困るものは、仕分けできるように、よけておきます。勿論、書類などは読みませんので」
「いいのか?」
「私の本業ですから。アイク様はしばらくそこでお休み下さい」
ドレスの袖をたくしあげ、とりあえず床に広がった本からまとめ始める。
「助かる……」
そんな呟きが聞こえる。しばらく経つと、アイク様は座ったまま眠っていた。
(よっぽど疲れておられたのね……もう少し早く来てさしあげれば良かった)
反省しながら、黙々と片付けを進める。
時折、軍の役人や、王宮魔法使いが来たが、「あとにして下さい」と全て追い返した。
私もなかなか図太くなったものだ、と自分で感心する。
3時間ほど経ち、足の踏み場が無かった床が、完全に見えるようになった頃、ソファのアイク様が弾けるように飛び起きた。
「おはようございます、アイク様」
「え?あ、おはよう……」
どうやら寝起きで、状況の把握ができていないようだ。きょろきょろと部屋の中を見回し、ぼんやりと私を見つめている。
「……そうか、そうだった。悪い、寝てしまった」
「構いませんよ。今紅茶をお淹れしますね」
アイク様の前にお茶をお出しし、私も向かいに座る。
「凄いな。いつの間にこんなに綺麗に……」
「一応私も、これが仕事でしたから。さすがプロでしょう?」
少しばかり得意げに言うと、アイク様が今日初めて笑った。
「本当だ。俺1人じゃ、あと1年経っても終わらない所だった」
「少しはお休みになれましたか?」
「ああ、大分頭がすっきりした。ありがとう」
「どういたしまして」
私も紅茶を頂き、一服する。久々に体を動かし、逆に気持ちが良い。
やっぱり私は、部屋で優雅にしているより、体を動かす方が性に合う。
「ところで、今日は何かあったのか?」
達成感に浸っていると、すっかり覚醒したアイク様が、真面目な顔で聞いてきた。
(そうだった!片づけに来たわけじゃなかった)
そこでようやく本題を思い出した。
「あの、本日は、アイク様の誕生日だと、王妃陛下にお聞きしまして」
「え?誕生日?」
アイク様は首をかしげている。どうやら本当に覚えていなかったらしい。
「そうだったか?まあ、別にいつでもいいけど」
「そんなことを、おっしゃらないで下さい」
全く関心が無さそうな様子に、思わず反論してしまった。
「誕生日は、お母様が命懸けで生を贈って下さった、最も大切な日ですよ。与えられた命に感謝する日だと、教わりました」
「命に、感謝……」
アイク様は、驚いたように目を見開く。
「そんな深いこと、考えたこともなかった」
「私にとっても、アイク様がお生まれになったことに、感謝する日です」
何かを考えるようなアイク様に、熱くなってしまったことが恥ずかしくなり、無理矢理、話を打ち切る。
「という訳で、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
今度は笑って返事をしてくれた。
照れ隠しに、持ってきた包みを押しつける。
「開けていいか?」と問うアイク様に頷くと、急に緊張感が高まる。
(あれで、本当に大丈夫だったかしら)
急に不安が大きくなる。
木箱の蓋を開けたアイク様だが、そのまま停止した。
中を凝視したまま、呟く。
「水龍の涙だ……」
「え、ご存じなのですか?」
「ああ、師匠の店で、何度頼んでも売ってもらえなかった」
アイク様の固まっていた表情が、みるみる紅潮する。
「マジか……滅茶苦茶嬉しい」
「凄い!本物だ!」と、子供のようにはしゃぐ声に、どうやらプレゼント選びが成功したことを悟る。
「喜んでいただけたならなによりです」
結局、物で釣ったようになってしまったが、嬉しそうなので良しとしよう。
いつの間にか、アイク様は私の隣に座り直した。
引き寄せられ、アイク様の腕の中に、すっぽりと収まった。
「でも、何より、メリッサに祝ってもらえたことが嬉しい。誕生日がこんなに嬉しいものだとは思わなかった。ありがとう」
私もアイク様の胸に、そっと手を添える。
「どういたしまして。来年も再来年も、ずっとお祝いしましょうね」
「ああ、俺も、メリッサの誕生日は、負けないくらい祝ってやる」
「……そろそろ、年を取るのは嬉しくないんですけどね」
「お前、さっき命に感謝する日だとか言ってたじゃねーか」
顔を見合わせて、お互いに吹き出す。
笑い声が日の傾き始めた部屋の中に、明るく響いていた。
さて、その後、出立までの数日間、私が毎日王宮に通い、片付けをし続けたこと、アイク様は執務室だけではなく、私室も足の踏み場が無かったこと、その私室の片付けの最中、飾り棚に大型のナイフが飾られているのを見つけた私が、膝から崩れ落ちそうになったことは、ここでは省略する。
◆◆◆◆◆◆
「まあ、そのイヤリング、すごく綺麗ですわね」
「ありがとうございます」
ある年、レイファ王国の王宮で開かれた、王太子殿下の第二子誕生を祝うパーティー。
珍しい物好きの公爵令嬢が目を止めたのは、年若い辺境伯夫人の左耳で揺れるイヤリングだ。
光によって次々に色を変える、大きな雫型の青い石が輝いている。
「あら、でも片方だけ……?」
不思議そうにする公爵令嬢に、問われた辺境伯夫人はニッコリと微笑む。
辺境伯夫人が口を開こうとした時、「失礼」と割り込む声がした。
「申し訳ありません。妻を少々借りてもよろしいでしょうか?王妃陛下がお呼びでして」
「もちろんですわ、ヴェルアルス辺境伯。どうぞどうぞ」
「失礼いたします」と言い残し、夫人は夫の腕に手を添える。妻を愛おしげに見下ろす辺境伯の右耳には、夫人と同じ、青い石のイヤリングが揺れている。
「お揃いのイヤリングなんて、本当に仲がよろしくて羨ましいわ」「本当に素敵だわ」
2人を見る女性陣からは、羨望の声が上がっていた。
まさかあのイヤリングに、ちょっとした街なら塵にできる位の魔力が込められているなんて、夢見る令嬢たちには思いもよらないだろう。
このパーティーの後、王都の若い貴族の間で、一対のイヤリングを、パートナーと1つずつ分けて着けることが流行ったが、当の辺境伯夫妻は領地に戻っており、知るよしもない。




