最終話 子爵令嬢は幸せを目指す
(ほ、本当に大丈夫かしら……)
叙爵式の朝、私は懐かしい女官服に身を包んでいた。
女官は各種式典の間、教会の最後尾に控え、不測の事態に備えることになっている。
その女官に混ざり、式典を見ていきなさい、と王妃陛下に命令され、完全に押しきられてしまった。
「アイクには内緒よ」
いたずらっぽく笑う王妃陛下は、続けてとんでもないことを言い出した。
「アイクが気づくかどうか、みんなで賭けをしてるから」
「賭けですか!?」
「そう。国王陛下でしょ、私でしょ、パトリックも、宰相も、将軍達も、国の上層部は皆参加しているの。公爵家とか、上級貴族の参加者も多いわ。なかなかの金額が動いているわよ」
ホホホホホと高笑いする王妃陛下。
唖然とする私に、女官長は、いつもの冷静な表情を一切崩さず、淡々と言った。
「わたくしも参加しています。メリッサさん、貴女とアイザック殿下の絆に期待していますわ」
(じ、冗談の通じないことで有名な女官長まで……。ああ、レイファは平和で良い国ね……)
もはや、現実逃避をするしかなかった。
◆◆◆◆◆◆
王宮内の教会には、伯爵位以上の爵位を持つ貴族と、その夫人など、100人以上が集結した。
厳かな式典のため、ドレスの色は控え目にする慣例があるが、やはり上流貴族の方々がこれだけ集まると、華やかで壮観だ。
私は、女官長が選抜した敏腕女官の方々に混じり、教会の後方にひっそりと立つ。
裏では、面白がったり、祝福の言葉を言ってくれたりしていた女官達も、表に出たとたん、ピタッと表情が固まり、動きが止まる。
完全に空気と一体化し、教会の壁となり、一切の物音や存在感を出さないことが、女官には求められる。
私もブランクはあるが、昔の感覚を思い出す。
女官に目を止める高貴な方など、全くいない。まして、これだけの人がいる。壇上からはかなり距離があり、アイク様が気付くわけがないだろう。
(女官長、申し訳ないけど、賭けは負けると思います)
落ち着いた気持ちで、前を向く。
儀礼官の合図で、ざわついていた教会内が一気に静まる。
鐘が鳴り、王族――国王ご夫妻、王太子ご夫妻、アイク様――が入場した。
遠目で指くらいの大きさにしか見えないが、アイク様は、どうやら、儀式用の軍服に身を包み、正装している。
(か、格好いい……)
いつもとひと味違うアイク様の姿に、表情には出さないよう、心の中で悶える。
「第二王子、アイザック・リウェルス・レイファ、前へ」
「はっ!」
壇上に立つ国王陛下の前に、アイク様が跪く。
静寂に包まれる教会内に、アイク様の経歴や実績を読み上げる儀礼官の声だけが響く。
儀礼官の読み上げが終わると、国王陛下がアイク様に語り掛ける。
「アイザックよ。長きに渡り、よく王に仕え、国に仕え、民に仕えてくれた。今後も、その生涯に渡り、国と、王家に忠誠を尽くすと誓うか?」
「はい、誓います」
「では、その忠義に報いるため、アイザック・リウェルス・レイファを、ヴェルアルス辺境伯の地位に叙し、剣を授ける」
陛下が差し出した剣を、跪いたまま、アイク様は両手で受ける。
捧げたまま、誓約の言葉を告げる。
「ありがたくお受けいたします。この命尽きるまで、陛下と国家に尽くします」
教会中に、大きな喝采と拍手が満ちた。
神話の一節のような神々しさに、涙が零れそうになるが、必死に無表情を装う。
立ち上がったアイク様が、参列している貴族の方を向き、一礼をする。
(おめでとうございます、アイク様……)
涙を堪えながら、心の中で祝福を送る。
静かに顔を上げたアイク様は、僅かに顔を動かし、教会内を見渡す。
そして、その顔は、確実に私のいる女官集団で止まった。
かなり距離があるにも関わらず、がっつり目が合った気がする。一瞬、大きく目が見開かれたが、すぐに表情を戻したのはさすがだと思う。
しかし、壇上の国王陛下のほうが、あからさまに驚愕の表情に変わっている。傍らに控える王妃陛下が、小さくガッツポーズをしているのを、私は見逃さなかった。
他の上座の方々の間にも、ざわめきが起きた気がする。
(こいつら、厳粛な儀式を何だと思ってるの?)
呆れる気持ちはあったが、嫌な気分にはならなかった。
王族を離れ、辺境伯となったアイク様を見る貴族達の目は、決して冷たくない。
これは、アイク様が王子として、決して好意的ではない環境下でも、ひたむきに積み上げてきた実績によるものだ。
アイザック第二王子殿下改め、アイザック・ヴェルアルス辺境伯が、陛下方に続いて退場していく姿を、温かく見送った。
◆◆◆◆◆◆
教会を出た私は、すぐに女官の皆さんに取り囲まれた。
「メリッサさん、さすがです!信じてました」
特に私が何かしたわけではないが、皆から感謝され、女官長からも褒められた。
女官時代に褒められた記憶はあまりないのに、少し複雑だ。
さて私は、午後の婚約式に向け、すぐに準備を開始しなければならない。
王宮内に用意された控室にすぐ向かおうとしたところ、不機嫌な顔をした近衛騎士に呼び止められた。
確か、王太子殿下の執務室で見たことがある人だ。
「メリッサ・グレイ嬢。ヴェルアルス辺境伯がお呼びです」
「今月の給料分負けました、妻に何て言おう……」とブツブツ呟いている騎士に連れられ、着いたのは東の宮の庭園だった。
正装のまま1人立っているのは、間違いなくアイク様だった。
近くで見ると、ますます凛々しい。
近衛騎士が下がって2人だけになると、アイク様が話し出した。
「まさかいるとは思わなかった」
「……申し訳ありませんでした。やっぱり駄目でしたよね……」
「え?全く。むしろ、いてくれて嬉しかった」
知っていたら、もっと格好良くやったんだがと、アイク様は照れ臭そうに顔を背ける。
「覚えているか?俺たちが初めて会ったのはここだったな」
「勿論覚えていますとも。おかげで、とんでもないことに巻き込まれました」
私が冗談めかして言うと、アイク様も苦笑した。
「でも、俺にとってはこの上ない幸運だった。こんなところで、生涯の女性に会えるとは思っていなかった」
「そんな、大げさな」
笑う私に、真剣な顔になったアイク様は、おもむろに私の手をとると跪く。慌てる私の目をじっと見つめ、ゆっくりと話し始める。
「メリッサ・グレイ嬢。貴女を心から愛している。どうか、俺と生涯を共にしてくれないだろうか」
「え、今?こんな格好なのに!?」
最上級の正装に身を包んだ容姿端麗な王子様と、女官服を着た地味な女。どう見てもちぐはぐだ。
オプトヴァレーに続き、またしても理想と違うプロポーズになっている気がする。
「今がいい。紙に署名するだけの婚約式じゃ伝わらない。そもそも、俺が惚れた時のメリッサはその格好だったし。どんな姿でも、メリッサが好きだ」
真っ直ぐに私を見るアイク様に、パニックだった心が不思議と落ち着き、温かなものが満ちてきた。
自然と思いが溢れた。
「私も、アイク様のことを、心から愛しております。どうか、私を貴方と共に歩ませてください」
私だって、どんな場所でも、どんな姿でも、アイク様のことが大好きだ。
辺境伯夫人としての生活は、恐らく想像以上の困難があるだろう。
でも、この方と一緒なら、なんとかなる気がする。
「メリッサ、苦労をかけると思う。だけど、必ず幸せにする」
「私も、貴方を幸せにします。お任せください!」
根拠はないけれど、自信満々に言い切る。
胸を張る私を見て、アイク様が吹き出す。
笑い声が響く庭園で、固く繋いだ手は温かい。
私は、ここから、最愛の方と未来へ踏み出す。
◆◆◆◆◆◆
ヴェルアルス辺境伯は、度重なる戦争で疲弊しきったレイファ王国東方地域を、繁栄に導いた祖として知られる。
隣国アルガトル王国との紛争は、その治世でも幾度か発生したが、その度に軍の先頭に立ち、これを退けた。
また、父王、代替わり後の兄王との強いパイプにより、税の軽減を勝ち取り、東方地域の財政立て直しを果たした。
兄王の弱みを多数握っていたから、という噂もまことしやかに囁かれたが、真実は定かではない。
また、民に絶大な支持を得たヴェルアルス辺境伯は、身分違いの恋を乗り越えて娶った夫人を、生涯大切にしていたという。
下級貴族出身の夫人は、全く偉ぶることなく、常に民と交流し、先頭に立って荒れた地を耕し、シリルの地に様々な名産品を生みだした。
私生活でも一男二女を儲け、厳しい環境下でも、笑顔の絶えない家庭を作った賢妻として知られる。
さて、仲の良さで知られた辺境伯夫妻には、側近にも分からない不思議がいくつかあったという。
その一つは、辺境伯が不在の時だけ現れる、謎の男性である。
夫人の出身地の領民だという、品の良いその男は、フラッと現れては、辺境伯の子供達と交流し、魔法を教え、いつの間にか消えている。子供達は、その男を「おじい様」と呼び、懐いていたという。
帰ってきた辺境伯は、男の訪問を知ると必ず嫌そうな顔をするが、決して出入りを禁止しない。
その様子に、夫人が呆れたように苦笑する、という光景は、辺境伯家で頻繁に見られたという。
もう一つは、辺境伯夫妻の見えない繋がりである。
しばしば戦場に出た辺境伯であるが、時に窮地に陥ることもあった。
それを、遠く屋敷にいる夫人が、誰よりも早く察知し、素早く援軍を送り、戦況を好転させるということが幾度もあったという。
「どのような魔法を使っているのか?」と多くの者が尋ねたが、辺境伯夫妻は曖昧に笑うだけで、誰もその秘密は分からなかったという。
いつしか、辺境伯夫妻は、「魂で繋がっている」と言われるようになり、おしどり夫婦の代名詞として、後世まで語り継がれることとなる。
これでひとまず完結です。お読みいただきありがとうございました!