第28話 子爵令嬢は誓う
エドワード様は、以前と変わらない飄々とした様子で現れた。
「アイザック殿下、思ったよりお元気そうで何よりです」
「エドワード、面倒をかけた」
「アイザック殿下の殊勝なお言葉、初めて聞きました」
からかうようなエドワード様に、アイク様があからさまにムッとしている。
(完全に面白がっているな、エドワード様……)
エドワード様をじっくり見るが、怪我をしている様子もなく、とりあえずほっとする。
「メリッサちゃんも、ご無事で何より。助けに行けなくてごめんね」
「ありがとうございます。何とか無事に帰って来られました」
当たり障りなく対応したはずだが、視界の端に映るアイク様が、ますます機嫌の悪い表情になっていく。
「……『ちゃん』?」
何かアイク様がボソッと呟いた気がしたけれど、私の所までは聞こえなかった。
聞き返すこともできず、困惑したまま、なぜか笑いを噛み殺しているエドワード様に退室を促される。
「申し訳ないけど、少し殿下と機密の話をするから」
「かしこまりました」
不機嫌なアイク様と、ご機嫌なエドワード様を残し、プレストン様と一緒に部屋を出た。
とりあえず、近くにある応接スペースに向かって、並んで歩いていると、プレストン様がふと思い出したように私に話しかけてきた。
「そういえば、先程何か言いかけていましたよね?」
「先程……?」
なんだっただろうかと考え、アイク様とシリルの話を聞こうとしていたことを思い出す。
「あ、でも別に無理に聞こうとは……」
「いえ!よく聞いてくださいました。ぜひ奥方様には知っておいていただきたい!!」
急にプレストン様の瞳が爛爛と輝いた。これは少しマズい話題だったかも……と後悔したが、吟遊詩人のように情緒たっぷりに語り始めた彼を、止める術は無かった。
そもそも、奥方様じゃないんだけど……という訂正を挟む隙も無かった。
「このシリル国境線は、以前は小規模な衝突が時々起きる程度の地でしたが、10年前、アルカドルの王位継承を機に、突然アルカドルが大規模侵攻を開始しました。レイファにとっては完全な不意打ちで、当時のシリルの守備軍では、到底太刀打ちできない規模でした」
そのことは、私も薄っすら覚えている。山奥のグレイ子爵領にまで、王都から緊急連絡が来るほどの一大事だった。
「俺もまだ小隊長に過ぎませんでしたが、最前線で戦いました。しかし、いかんせん多勢に無勢。逃げ遅れた住民と共に、小砦に追い詰められ籠城を数日続けたものの、もはやこれまでと諦めた時、王都から助けに来てくださったのが、アイザック第二王子殿下です!!」
「アイク様、御自らが?」
「そうなんです!まだあの時は13、いや14歳?とにかく成人前でいらっしゃったにも関わらず、僅かな手勢で颯爽と現れ、サイブラッド川の水を溢れさせ、砦を囲むアルカドル軍を根こそぎ排除してくださったのです!!我らにとって天の助け!シリルの者にとって、アイザック様は大恩人であり、大英雄なのです!」
高揚感が伝わってくるような熱い話っぷりに、聞いているこちらまで胸が熱くなってくる。
プレストン様は、退役しても話術でも生きていける気がする。
「その後も、アイザック様にはシリルに随分気を配っていただき、何度も助けていただきました。王族の男性は、成人されると軍の役職を持たれますが、アイザック様は、何の旨みもないこの東方第三師団を自ら志願され、今は、公爵位を得られるお立場にも関わらず、間違いなく苦労するであろうこの地を希望されている。我らが忠誠を尽くすのに、これ以上の御方はいません!!」
堅く拳を握り、高々と突き上げるプレストン様の真っすぐな思いに、なぜか涙腺が緩みそうになる。
突然、プレストン様の口調が、熱意溢れるものから、真剣なものに変わった。
「アイザック様は我々にとって大切な主君です。我らは命を懸けてお支えするつもりですが、何せ難しい立場のお方。アイザック様のお心を休める場所を作れるのは、恐らく奥方様だけです。どうか、アイザック様をお支え下さい」
深々と頭を下げるプレストン様。
真摯な口調に、私も心から真剣に応じる。
「勿論です。アイザック様と、アイザック様が大切にしているシリルの為、私は生涯尽くすつもりです」
プレストン様より深くお辞儀をする。
言葉にはっきり出すと、質素な部屋で、1人の軍人の前にも関わらず、神殿で大神官様に誓約をしたかのような、身の引き締まるような感覚がした。
(政治の事や、軍事の事はわからない。でも、望んでアイク様のお側にいると決めたのだから、言い訳せずに頑張ろう!)
心の中で、前向きに決意表明する。
……しかし、プレストン様、いつまで頭を下げているのだろう。
頭を上げてくださらないので、私もお辞儀を止めるわけにいかず、2人いつまでも頭を下げたままという、不思議な絵が、アイク様との話を終えたエドワード様が登場するまで続くことになった。
◆◆◆◆◆◆
「この度の件、メリッサ・グレイ子爵令嬢の働きに、陛下はいたく喜ばれている。褒美については追って伝えるとのことです」
「まことにもったいないお言葉。陛下のご厚情に感謝いたします」
陛下の言葉を伝えるエドワード様と、定型文のやり取りを交わし終わると、その間だけは、国王陛下の側近として真面目な顔をしていたエドワード様の雰囲気が、一気に緩む。
「いやあ、さすがに死ぬかと思ったよ」
「あの状況から、よくご無事で……」
「まあ、一応逃げ道はいくつも用意しているから。あんな烏合の衆、結局金で解決できたし」
どんな魔法で逃げたのかと思ったら、まさかの買収。さすが名門家のご当主。
しかし、私が本当に聞きたいことは他にある。
どのように言い出そうか逡巡する私に、察しがついたであろうエドワード様が先に切り出す。
「叔父上のことを知りたいんだろう?」
「……はい」
聞いてしまうことが怖い。怖いが、聞かなければならない。
「ブルーノ・ベネットは死んだよ」
ひどくあっさりエドワード様は告げた。
その表情はあまりにもいつも通りで、何も読み取れない。
「ブルーノは犯罪者だ。生きていれば、アイザック殿下の今後に影を落とす。本人もそのことは重々分かっていただろう。本人の望みだ」
「……はい」
覚悟はしていた。しかし改めて告げられると、ショックで言葉が出ない。
絞り出すような返事しかできなかった。
◆◆◆◆◆◆
私が落ち着くまで、少々時間が経った後、エドワード様は、私の今後の身の振り方について、希望を聞いてきた。
アイク様は体調が安定次第、王宮に戻ることになる。
王宮で静養の後、半年後を目途に、臣籍降下に伴う叙爵式を行うそうだ。
「その際、婚約も一緒に発表するので、グレイ子爵家には近日中に正式な使者を派遣するとのことです」
「は、はあ……」
また私がいないところで大きな話が動いたようだ。
王家には事前に承諾を取るという概念が無いらしい。別に構いませんが。
「で、メリッサちゃんはどうする?アイク様と一緒に王宮に来て、そのまま花嫁修業しながら、傍に仕えても構わないと、王妃陛下がおっしゃっているけど……」
畏れ多い話ではあるが、それは大変魅力的な提案だ。アイク様と離れたくないという気持ちは強い。
しかし、私は今、別にやらなければならないことがある。
「……アイク様が王宮にお戻りになるタイミングで、私は一度グレイ子爵領に帰ります。家族に話をしなければなりませんし、色々準備もありますし……」
エドワード様は、人の考えを見透かしているような顔をしていたが、それ以上突っ込んでは来なかった。
「そうだね。その方が良いかも。アイザック殿下はまた機嫌が悪くなるだろうけど」
暗い表情の私に対し、エドワード様は何やら面白そうな顔をしていた。




