第26話 子爵令嬢は褒められる
すぐに、私とアイク様は魔法部隊に取り囲まれ、転移させられた。
最後に聞こえたタチアナ王妃の、「もうあの王は駄目ね。近々病死して貰いましょ」という華やいだ声が、やけに耳に残った。
気付くと私達は、草むらの中にいた。
私の背を優に超える高さの草が覆い繁り、周りの様子は全く見えない。
近くで水の流れる音が聞こえる。
「サイブラッド川の畔です。川を渡って対岸はレイファ領ですので、あとはご自由にどうぞ」
魔法部隊長ジェフはそれだけ言って、軽く礼をする。
去ろうとする彼の背に、アイク様は短く声をかけた。
「……感謝する」
予想外の言葉だったのか、ジェフは驚いたように振り返った。
「こちらこそ、王女殿下をお救いいただき感謝しております。ですが、戦場でお会いした時は、必ず討ち取らせて頂きますので」
「望むところだ」
今度こそジェフは去っていった。
アイク様を支え、川に入る。
サイブラッド川は、幸い水量が少なかったが、それでも膝下位までは完全に浸かる深さがあった。
アイク様は勿論、さすがの私も、足元がフラフラして覚束ない。
片足が全く動かなくなっているアイク様を支え、一歩ずつ川に入る。
先程支えた時より、アイク様の体が重い。再び呼吸も荒くなっており、焦りが増す。
「……悪いな、メリッサ」
「いえいえ。あと一息ですよ!」
川底で幾度となく足を滑らせるが、何とか踏ん張り、びしょ濡れになりながら数十分かけて対岸に辿り着く。
陸地に着いた瞬間、力が抜けてそのまま二人で倒れ込んだ。
アイク様はうつぶせで倒れたまま、動かない。
「アイク様!?」
這いずるように、アイク様に近づき声を掛けるが、返事が無い。
先程まで荒かった呼吸が、嘘のように静かになっている。
血の気の無い顔は、もはや生者のものとは思えない。
「アイク様!しっかりしてください!!」
呼びかけても、目は閉じられ、長い睫毛もピクリとも動かない。
「どこですか!?」「こちらの方で声が!」「魔力は感じられるか!?」
微かに複数人の声が聞こえた。
もう敵か味方か考える余裕なんてなかった。
喉は掠れていたが、張り裂けてもいい位の気持ちで、あらん限りの声を出し、叫ぶ。
「ここにいます!!誰か助けて!!」
草をかき分け、走ってくる靴音が近づいてくる。
すぐに、背の高い草の間から、男の顔がのぞいた。
(濃紺にシルバーのライン……レイファ国軍だ……)
「いらっしゃったぞ!殿下だ」
男が声を上げ、すぐに多くの軍人が集まってくる。
「速くお運びせよ!魔法使い様は呼んであるか?」
「既に要塞に待機していただいてます」
手際よくアイク様が抱え上げられる。
座り込んだまま、呆然と見ている私に、最初に見つけてくれた男が声を掛けてくる。
「もう大丈夫です。ご安心ください」
「アイク様……、アイク様を助けて下さい」
泣きながら縋り付く私に、男は優しく、はっきりと言い切った。
「勿論です。我らシリルの者は、殿下に多大なご恩があります。絶対にお助けします」
頼もしい声を聞き、張り詰めた緊張の糸がプツリと切れた気がした。
(アイク様の傍についていかないと……)と思ったのを最後に、私の意識も完全に途切れた。
◆◆◆◆◆◆
「よお、メリッサ」
「……人の気も知らず、呑気ですね」
アイク様が、座ったまま手を振ってくる。
花が咲き乱れる草原は、すっかりお馴染みの光景だ。
すぐ隣に腰掛ける。
「ここで会っているということは、生きているみたいだな、お互い」
「私は生きた心地がしませんでしたけどね」
心配を通り越して、もはや苛立ちの心境に至ってしまった。
自然と口調がツンケンしてしまう。
プイッとソッポを向くと、横で吹き出す声が聞こえた。
「ちょっと!私は真剣に怒っているんですよ!」
「悪い。なんか可愛くて」
「なっ!!」
一瞬で顔が真っ赤になったのが分かった。
不意打ちすぎて、言葉につまる私を、アイク様はそのまま引き寄せる。
アイク様の胸板に顔が押し付けられ、両腕で包み込まれた。
「ありがとう」
「はい?」
「……俺は何度も諦めていた。ツィラードで捕まった時も、『こりゃ多分生きてレイファには帰れないな』と思っていたし、アルガトルではどの死に方が一番マシかを考えていた」
「相変わらず、時々すごくマイナス思考になりますね」
「いや、どう客観的に考えても、助かるほうが難しかったと思う」
冷静に突っ込まれた。私がポジティブ馬鹿みたいじゃないかと、少し複雑な気持ちになる。
「メリッサのおかげで、レイファに帰ってこられた。お前はすごい」
素直に感謝され、褒められると、先程までの怒りが、スッと退いていくのを感じた。
私ってチョロいなあ……と思いつつ、悪い気はしない。
「早く起きてくださいね、アイク様」
「はいよ」
◆◆◆◆◆◆
少し気を失っていただけのつもりが、目覚めると2日経っていた。
私達は、レイファ王国シリルにある国軍東方第三師団軍駐屯地に運び込まれていたらしい。
目覚めてすぐ、アイク様が休まれている部屋に案内された。
「アイザック様は既に医師や王宮魔法使い様に見ていただき、一通りの手当ては受けられております。あとは、体力と魔力が回復して、目覚められるのを待つだけとのことです」
「良かった……」
レイファ国軍東方第三師団副師団長のプレストン様が、丁寧に説明して下さった。
東方国境を守護している第三師団のトップはアイク様だが、第二王子という立場上、常駐できないため、普段任されているのは、副師団長のプレストン様だそうだ。
40代くらい、筋骨隆々な大男で、顔に大きな傷があり、その迫力に初見はちょっとびっくりしたが、明るく豪快で、裏表の感じられない気持ちのよい方だ。
「しかし、アイザック様がアルガトルに落ちたようだと、王都から連絡がきた時は、生きた心地がしませんでしたが、こうしてお戻りくださり、感無量です」
強面の大男が、少し涙ぐみ始める。
後ろにいる軍の方々――揃いも揃って大柄――も目頭を押さえたり、鼻をすすったりしている。
「しかし、アイザック様をこんな目に遭わせるとは……ツィラードの奴らを、我らの手で滅ぼせないのが残念極まりない!!」
先程まで泣いていた人達が、今度は怒号を上げて、怒りを露にしている。
大男の集団の、感情の振り幅に、私は目を白黒させるばかりだった。
「しかし、早くもグレイ子爵家のご令嬢にお会いできるとは、やはり我らとアイザック様には固い絆があるようですな」
「わ、私ですか?」
突然登場した自分に、戸惑う。
「おお!」「そうだな!」今度は皆同意の声を上げ、ニコニコし始めた。
情緒不安定ではないか?と不安になるくらい喜怒哀楽が激しい。
「アイザック様が、この地の辺境伯となられた暁には、グレイ子爵令嬢が嫁いでこられると聞いておりましたから、どんなご令嬢だろうと、皆噂していたところでして!」
「え!どこでそんな話を!?」
「半年程前に、軍本部から聞きましたぞ」「俺は親類の男爵から聞いたな」「私は王宮で働く姉から」
知らぬは山奥に住む当事者だけで、もはや、国中に知れ渡っていたらしい。しかもわりと前から。
「さすがアイザック様の選んだ方、お姿の美しさだけではなく、これ程心の強い女性だとは。我らも誇らしいですぞ!我らが主の奥方に相応しい!」
沸き立つ大男の群れに、私はただあんぐりと口を開けるしかなかった。
「美しい」と言われたことが、ちょっと嬉しかったことは、私の心に留めておくことにする。




