第25話 子爵令嬢は女帝と邂逅する
転移先は、古い屋敷内だった。
装飾や置かれている調度品は一目で値が張るものだと分かったが、年季が入っている。
掃除はされているものの、生活感が無く、人が住んでいる様子を感じられない、不思議な部屋だった。
私とアイク様が着いてすぐに、アルガトル近衛魔法部隊とやらの方々が次々と現れる。
「それでは、もうお待ちになっていますので、こちらへお越しください」
部隊長ジェフが私達を促す。
アイク様は、辛さなどおくびにも出さないが、あの右足は痛いとかいうレベルではないだろう。
恐らく、気合いだけで耐えているアイク様の負担が少しでも軽くなるよう、私も右側を全力で支える。
(違う階だったらどうしよう……)と心の中で不安を感じていたが、幸いにも同じフロアですぐ隣の部屋だった。
部隊長がノックをする。
「失礼いたします。レイファのアイザック王子を連れてまいりました」
「どうぞ」
部屋の中から応じたのは、意外にも女性の声だった。
魔法部隊員に取り囲まれ、入室すると、中には目がチカチカするほど鮮やかな赤毛の女が、優雅にソファに腰かけていた。
「まあ、そのような姿でお呼びして申し訳なかったわね」
口とは裏腹に、高飛車な雰囲気を崩さない彼女は、特段申し訳なさそうな雰囲気はない。
恐らく美人なのだとはおもうが、とにかく派手な化粧を施しており、素顔が判別できない。年齢不詳の女は、座ったまま、冷たい顔で自分の前のソファを指さした。
「そこに座ってくださる?」
アイク様は黙って促されたソファに腰かけた。
私はその横にぴったりと立つ。
「『レイファの魔王』とかいうから、どんな厳つい大男が来るかと思ったら、若くてきれいな顔立ちの子じゃない。ねぇ?」
女は隣の部隊長に話を振るが、彼は苦笑いして、曖昧に首を動かしていた。
「まあ、つまらない」と不機嫌そうに口をとがらせる。
「まあいいわ。私はアルカドル王国王妃、タチアナよ」
これが有名なアルカドルの王妃か……と私は内心で驚く。
アルカドル王国は、周辺国と同様、王制を敷いている国であるが、他国と決定的に違う点がある。
それは、王家の血が「女系」で繋がっている、ということだ。
代々、アルカドルの国王は、血筋に関わらず優れた男が選ばれ、王女の伴侶となることで、王位を継ぐ。
王女は女王ではなく王妃となり、表向き政治からは離れる。
しかし、王妃が離縁すると言えば、自動的に王は廃位となるため、実際のところ、アルカドルの実権を握っているのは王妃である、というのが定説だ。
そして当代のタチアナ王妃は、猛女として名を馳せている。国際情勢に疎い私ですら聞いたことがある彼女の異名は「アルカドルの女帝」だ。
「お初にお目にかかる。レイファ王国国王ラファエルが二男で、レイファ王国国軍参謀本部少将兼東方第三師団長アイザックと申します」
(やっぱり肩書偉いな)
至極当たり前の感想が浮かんでくる。
勿論知ってはいたけれど、改めて王子の仮面を着けているアイク様を見ていると、私の知るアイク様と別人のような気がする。
「不慮の事態とはいえ、まさか天敵であるレイファの魔王様が、我が国の領内に落ちてくるとはね。とんだ拾い物だわ」
タチアナ王妃は心底嬉しそうに、高らかに笑う。
「さて、どうしましょうか?国民感情からすれば、公開処刑は必須よね。斬首にするか、火あぶりにするか……。その前にボロボロになるまで拷問して、搾り取れる情報は全部吐いてもらう必要もあるかしらね」
タチアナ王妃の口調は、その残酷な内容とそぐわず、どの色のドレスが良いかを聞いているような、とても朗らかで弾んだものだった。
笑顔で「ねえ?どう思う」と部隊長に小首を傾げて尋ねている。そのしぐさ一つとっても、妖艶な雰囲気が漂う。
「陛下の御心のままに」
「本当に貴方はつまらないわね」
今度は、幼い少女のように、すねた様子で肩をすくめるタチアナ王妃。コロコロと変わる印象に、恐怖すら感じる。
体が震えないよう、必死に耐える。
アイク様は微動だにせず、静かにタチアナ王妃を見据えている。
タチアナ王妃の表情が、つまらなそうになった。
「冷静ねぇ。泣き喚いて命乞いでもしてくれれば気分も晴れるのに、本当に退屈だわ」
ぞっとするほど冷たい声が、真っ赤な唇から零れ出た。
「そのすました顔を、何とか歪ませてやりたいのだけど。……その横の女を先に殺せば、少しは傷つくかしら?」
初めて私に向けられた、氷のような視線に、思わずたじろぎそうになる。
「少しずつ肉を削いでいく?それとも、下賎な男たちに襲わせていくのも悪くないかもね。ふふ、考えるだけで楽しくなるわ」
恍惚とした目で私を見つめるタチアナ王妃が、えたいの知れない化け物に見えた。
全身に鳥肌が立ち、耐えきれず、足が震えだす。
立っている私からは、無言のままのアイク様の表情は見えない。
しかし、アイク様を見たタチアナ王妃は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう!その目が好きなの。殺意に満ちた目、見つめられるだけでゾクゾクするわ」
「……陛下、その辺で。本気で危のうございます」
苦笑いでタチアナ王妃を見ていた部隊長が、突然止めに入った。
「あら?我が魔法部隊は、満身創痍の魔法使いから、私を守れないほど弱いのかしら?」
「さすがに、自爆されたら、無傷で守りきれるか分かりません」
自爆するの!?と慌ててアイク様を見下ろす。
私には魔力は感じられないが、思わず肩の辺りに触れると、物凄く冷たい。
(やっぱり、何か魔法が発動してる!?)
止めるべきか、そのまま続けさせるべきか。
焦る私に、慌ただしく動くアルカドル魔法部隊の皆さん。
悠然としたままのタチアナ王妃が、全く同じ調子で言葉を放った。
「冗談よ。ちょっと願望を口にしただけ」
嘘か本当か分からないが、その瞬間に私も決断した。
「アイク様!お止めください!」
詳しくは分からないが、今の体調で魔法を使ったら本当に死んでしまう。いや、どのみち自爆するなら死ぬけど。ん?そもそも使わなくても処刑されるなら、使っても良いのか?
よく分からなくなったけれど、とにかくしゃがみこみ、痛いほど冷たくなっているアイク様の手を、自分の両手で包み込む。
「どうか、落ち着いてくださいませ」
いや、本当は私が一番パニックになりたいんですけどね!
アイク様の顔を覗き込み、血走っている目を無言で見つめる。
アイク様が深い溜め息をついた。次第に握った手に体温が戻っている気がした。
「麗しい信頼関係ね。愛とはこういう感じなのかしら?私には分からないけど」
タチアナ王妃は、今度は少女のようにキラキラした目で私達を見ている。
「タチアナ王妃、彼女は政治とも軍事とも無関係です。両国間の問題に巻き込まないでいただきたい」
「いやね、だから冗談だって言ってるでしょ。今回は殺らないわ。その娘も、貴方も」
指を指されたアイク様が驚いたように目を開く。
「だって、貴方、うちのリュドミラを助けてくれたんでしょ?」
怪訝な顔のアイク様より先に、私の方がピンときた。
「アイク様が、ツィラードの神殿で助けた、アルガトルの王女殿下のことでは……?」
「……あれ、王女だったのか」
どうやらアイク様は、全く考えず助けていたらしい。
「うちの情けない王と護衛達だけだったら、リュドミラは死んでいたか、ツィラードの反乱軍に利用されていたでしょう。正直、国のためにレイファの魔王には死んでいただきたいけど、リュドミラが怒るので、今回は見逃すわ」
なかなか面白かったし、とタチアナ王妃は笑う。
「このモヤモヤは、リュドミラを危険に晒した護衛達に拷問することにしましょう。じゃあジェフ、この2人をとっとと国境辺りに捨てておいで。私は王宮に帰るわ」
「御意」
言いたいことだけ言うと、タチアナ王妃はとっとと立ち上がる。
「次会ったときは、心置きなく公開斬首するから、気をつけてね、レイファの魔王様」
目にも鮮やかなドレスを靡かせて、女帝は私達に手を振った。