第24話 子爵令嬢はプライドを見せる
朝日に照らされ、うっすらと目を開ける。
空には雲もなく、どうやら天気は大丈夫そうだとほっとして、慎重にアイク様の腕から抜け出す。
アイク様は眠っていた。
顔色は相変わらず青白い。額に脂汗が浮かび、時折小さく呻き声が聞こえる。
顔に触れると、かなりの熱が出ているようで、燃えるように熱い。
水を浸した布を額に乗せ、熱を持っている痣を再び冷やす。
治療できないままの右足も痛々しく、不安と焦りが膨らむ。
(誰でもいいから、早く来て……)
顔に流れる汗を拭っていると、アイク様が顔をしかめながら目を開いた。
「アイク様、お体の具合は……?」
「……全然良い」
バレバレの嘘を平然とつくな。
「いてぇ」とか言いながら、上半身を起こそうとするのを、慌てて止める。
「ちょっと、無理しないでください!」
「問題ない。寝すぎて体が痛いだけだ」
全く言うことを聞かないな、こいつ。
押さえつけようしても、余計に抵抗して体力を消耗するだけだと気付き、やむを得ず、背中を支えて体を起こさせることにした。
それだけの動きでも息を乱しているアイク様は、森を見渡してぼそっと呟いた。
「……ここはどこなんだ?」
「さあ?」
それは私が一番知りたい。
「なんか、シリルの山脈帯の雰囲気に近い気がするんだよなあ……」
「シリル地方ですか?」
レイファとアルガトルの国境線、シリルはアイク様にとって思い入れのある地だ。
「シリルならいいけど、アルガトル側だったら不味いな……レイファから迎えが来ない」
「えぇ……」
不吉なことを言い、アイク様は深い溜め息をついた。
ふと私の顔を見たかと思うと、頬に指を添わせた。
頬に横に一本、切り傷が入っていたことに気付く。
ツィラードの砦で暴れているうちに切ったのか、この森の木か葉っぱで切ったのか、自分でも思い出せないくらい浅い傷だ。
「転移どころか、かすり傷一つ治癒できない。すまない」
アイク様が辛そうに俯く。
「だから、謝らないでください。ご自分の方が重傷のくせに。悩んでもなるようにしかなりません!」
またネガティブモードに入った彼を励まそうと、思わず背中を叩く。
「痛っ!!!」
しまった、力が強すぎた。涙目で睨んでくるアイク様に必死に謝罪した。
◆◆◆◆◆◆
アイク様は近くの木に寄りかかり、座ったまま、ウトウトしている。
本人は大丈夫しか言わないが、熱は高いままだし、体が相当辛いのは明白だ。
(一か八か、私が山を下るか……。でもこの状態のアイク様を1人置いておくのはやっぱり危険だし)
食用になるムツの実の殻を剥きながら、ぐずぐずと考える。
動くなら早い方が良いのは分かっているが、この決断は、私とアイク様の命に直結してしまう。
(あー!私って肝心な時に優柔不断!!)
勢い余って実を握り潰す。
厚い殻がバラバラと地面に落ち、果汁が飛び散る。
「……おい、メリッサ」
「な、な、なんですか?」
寝ていると思っていたら、突然話しかけられた。
見られていたのかと、恥ずかしさと動揺で思いっきり噛む。
だが、アイク様の顔は真剣だった。
「魔法使いが近づいている気がする。それも、複数」
「え?それは……」
敵か、味方か。
分からない、と答えるアイク様の表情には、緊張がありありと浮かんでいる。
「ど、どうしましょう?」
「とりあえず隠れるか」
隠れるってどこに!?と思いつつも、木を頼りに、左足だけで立ち上がろうとするアイク様に慌てて駆け寄る。
右肩の下に体を入れ、補助する。体にあまり力が入っていない男性を支えるのは、大変重いが、そういってもいられない。
何度も転びそうになりながら、やっとの思いで十数メートル先の大木に辿り着く。
根が大きく膨らみ、積もった落ち葉と合わせ、ちょっとした洞穴のようになっている。
正直、近くまで来ればあっという間に見つかるだろうけど、とりあえずしゃがみこみ隠れる。
2人で息を潜めていると、次第に人の話し声が近づいてくる気配がした。
「この辺りで……魔力が……」
「……転移……」
木の隙間からアイク様がそっと様子を窺う。
だんだん声は迫ってきている。
私は息を殺して、体を丸める。
しばらくして、アイク様がやっと聞き取れるくらいの、ひどく小さな声で呟いた。
「漆黒と深紅の軍服。間違いなくアルガトル軍だな」
やはり、アルガトル国内に落ちてしまっていたのか。
死刑宣告に等しい状況に、言葉を失う。
恐らく真っ青になっているであろう私に対し、アイク様は落ち着いていた。
「もう、じたばたしてもどうにもならないな」
既にアイク様の目は覚悟を決めていた。
諦めるなと言いたいところだったが、どう考えても、乗り切る方法が思いつかない。
今の状態では、逃げることも、戦うことも、助けを待つことも、どれも現実的ではない。
アイク様の目は気遣わしげに私を見る。
「メリッサだけでも……」
「……私だけ逃げることはありませんよ」
「言うと思った」
いつもは自分を犠牲にしても私を助けようとするアイク様が、私の言葉を聞いて、なぜか表情を緩ませた。
ポカンとその顔を見つめると、そのまま口付けられた。
(え、え、待って。前は夢の世界だったから、これ、ファーストキスになるんじゃない!?)
こんな状況なのに、私の思考は明後日の方向にぶっ飛ぶ。
「たぶん殺されると思うが……良いのか?」
「ええ。どこまでもお供しますとも」
アイク様が、一緒に行くことを認めてくれたことが、何より嬉しかった。
もう離れない。アイク様を孤独にしないと決めたのだから。
◆◆◆◆◆◆
「……レイファ王国の、アイザック第二王子とお見受けするが」
私達は、アルガトルの軍服に身を包んだ、5人の男達に囲まれていた。
年齢は幅があるが、いずれも只者ではない空気を漂わせ、私達に向ける視線は極めて鋭い。
その中で、最も年長と思われる白髪混じりの男が、問いかけてきた。
最初から、アイク様がいると分かって探していたのだろう。
片膝を立てた状態で座っているアイク様は、普段見たこともない冷たい表情で、男を見返す。
「いかにも」
たった、一言。それだけなのに、圧倒的な覇気が漂った。
呼吸一つ乱さず、先程までの苦しそうな様子は、微塵も見せない。座っているのに、威圧感すら漂う。
王族の矜持が、アイク様を支えているのだと感じた。
私は静かに後ろに控える。
レイファの貴族として、王族に仕えるものとして、そして、アイク様に選んでいただいた者として、私も無様な姿を見せる気はない。
私にだってちっぽけだけど、矜持がある。
落ち着き払った私達の様子が予想外だったようで、男達の間に少し動揺が走った。
「ご無礼をいたしました。私はアルガトル王国近衛魔法部隊長、ジェフ・シーティと申します」
アイク様に対し、意外にも丁寧な礼をとる。
「アイザック王子におかれましては、我が主より連れてくるよう命令を受けておりますゆえ、ご同行願いたい」
お願いと言っているが、完全に強制だ。
否と言えば、そのまま拘束されるであろう空気が漂っている。
いや、この場で殺されてもおかしくない。
「いいだろう。案内しろ」
男達が、アイク様に近寄り、腕を掴もうとしている姿が見えた。
咄嗟に間に入り、立ちはだかる。
「無礼者!畏れ多くも、レイファ王国王子殿下にみだりに手を触れるでない」
無意識に言葉が飛び出た。
敵国であっても、アイク様を軽んじさせる気はないし、舐められる気もない。
私の威嚇なんて、猫が毛を逆立てる程度だが、大柄な男達がたじろぐ。
アイク様は後ずさった男達を冷たく見ると、私に向かい、短く言った。
「メリッサ、肩を」「はい」
アイク様の右側を支え、立ち上がる。
絶対弱味を見せるものかという意地で、全身全霊をかけて堂々と立ち、女王様の気持ちで、近衛魔法部隊長とやらを見る。
「では、我が主の所まで転移していただきます」
怖くないと言えば嘘になる。
でも、覚悟は決まっている。アイク様と一緒なら、地獄だろうが付いていく。