第22話 子爵令嬢と終の別れ
「何てことを……」
いつも飄々としているエドワード様が、アイク様を見て絶句する。
すぐにルイス先生が、アイク様の上体を抱き起こす。
アイク様の姿に思わず止まっていた私とエドワード様も、一拍遅れて駆け寄る。
アイク様の顔は白く、瞼は固く閉ざされている。
ぐったりとした体は、一切の力が入っていないが、近寄ると、苦しげな呼吸の音が聞こえた。
「魔力を無理矢理抜いたな……とんでもないことをしてくれる」
「エドワード、この手枷を外せるか?」
「やってみます。メリッサちゃんは殿下の外傷を」
「は、はい」
エドワード様とは反対側に回り、アイク様の怪我を確認する。
顔や腕に殴られた形跡があり、複数の痣や切り傷があるが、深い物はない。
ただ、骨折したと聞いていた右足を見ると、どす黒く腫れ上がっており、明らかに早く治療する必要があった。
辺りに転がっていた短刀で侍女服を裂き、鞘を添え木代わりに固定する。
一方で、エドワード様が、アイク様の両手を拘束する手枷に触れると、それまで魔法陣の横で呻いていた軍服の男が叫んだ。
「やめろ!!それは俺が作った最高傑作だ!!」
顔の半分は火傷で爛れ、もう半分は氷漬けという異様な姿だ。
服は焼け焦げ、見える範囲の手足も火傷で無惨な有様だが、目は血走り、殺気立っている。
怒鳴り散らす度に火の粉が飛び散り、その男が魔法使いらしいことは分かった。
「あいつは、確かツィラードの王弟だったな」
エドワード様が、アイク様の手枷を観察しながら吐き捨てた。
「なるほど、王族でありながら反乱軍に加わるとは、腐ってますね」
ルイス先生が、ゆっくりと立ち上がる。
「エドワード、王子殿下を任せます」
「叔父上、その体で大丈夫ですか?」
エドワード様の問いに答えることなく、荒れ狂うツィラードの王弟へ向く。無表情が故に、底知れぬ怒りが感じられる。
「他人の魔力を奪うとは情けない王族ですね。しかも使いこなせず暴走させている。愚かな男だ」
「うるさい!!俺はツィラード家で最も偉大な魔法使いだ。王位を継ぐのは俺だ!!」
「ツィラードの王位なんぞどうでもよろしい。だが、報いは受けてもらいます」
爆風と、目が眩むほどの光が弾けた。
狭い部屋で、魔法使い同士の戦いが始まり、壁が吹っ飛び、天井が崩れる。
隅で震えていた中年男が、落ちてきた天井板に押し潰されたのが、視界の端に映った。
しかし、私達の周りには、見えない壁があるかのように、欠片1つ飛んでこない。
「安心して。防御は張っているから」
アイク様の手枷に何か文字を書き込んでいるエドワード様が、一切周りを見ることなく言った。
「ありがとうございます、アイク様は……?」
「恐らく、この手枷で魔力を封じられた上で、床の魔法陣でその溜まった魔力を王弟に盗られたんだと思う。まあ肝心の王弟は、殿下の魔力が強すぎて暴発させているから、ざまあない。……少し離れて!」
私には解読できない文字を、猛烈なスピードで書いていたエドワード様が、声を張り上げる。
アイク様の手当てをしていた手を放し、数歩下がる。
エドワード様が両手を手枷に添える。一瞬の間を開けて、バキッという衝撃音が響く。
アイク様の手首から枷がバラバラになって落ちた。
「っし、成功。叔父上!」
王弟と交戦中だったルイス先生が、チラッとこちらを見、頷く。
目にも留まらぬ速さで、繰り出される炎を躱したルイス先生は、王弟の首を鷲掴んだ。
「な、な、な……」
「返してもらいますよ、我が国の王子殿下の力を」
閃光が走る。その時、後ろから目を塞がれた。
「メリッサちゃんは見ない方が良いよ。叔父上容赦ないから」
悲鳴と何かが弾けるような音が響く。
以前の野盗に襲われた時の光景が蘇り、覆われた手の下で瞼をきつく閉じる。
やがて、炎がパチパチと弾ける音だけになった。
「終わりましたよ」
「メリッサちゃん、もう大丈夫だよ」
恐る恐る目を開け、すぐにアイク様に目を向ける。一瞬、新しい血の海が見えた気がしたが、直視しないよう意識する。
相変わらず目を閉じたままのアイク様に変化はない。
大丈夫なのかと縋るようにルイス先生を見ると、ルイス先生は、アイク様の傍らに片膝を抱えて座っていた。
「多少の魔力は戻せました。かなり衰弱しているので、あとは時間をかけて回復させるしかないでしょうけど、とりあえず命は無事です」
「殿下は、魔力の生成量だけは馬鹿みたいに多いから、大丈夫だと思うよ」
「良かった……」
ほっとしてアイク様の手を握る。手枷をつけられていた箇所の痣が痛々しい。
足の骨折も酷く、早くきちんとした治療を……と思った時だった。
エドワード様の呑気な声が響いた。
「しかし、これからどうしましょう?転移できる力残ってます?俺はもう無理なんですけど」
「私もありませんね」
確かに2人とも、落ち着いて話しているが、顔色が青を通り越している。
特に、ルイス先生の声は掠れ、呼吸をすることも苦しそうに見えた。
魔法使い同士の派手な戦いのせいで、今のところは私たち以外の人の気配は無くなっている。
だが、敵陣の真っ只中、すぐにまた敵が集まってくることは目に見えている。
しかも、王弟がばらまいた火種で、周りは火が回っている。
体力があるのは私だけ。完全なるピンチだ。
「ど、どうしましょう。とにかく逃げなければ」
「殿下を担いで走って逃げるのは、無理でしょ。俺は自分よりでかい男を背負いたくないし」
「そんなことを言っている場合ですか!?」
私とエドワード様のくだらない会話の中、ルイス先生は黙ってアイク様の顔を見つめていた。
「……フィリアに似てますね」
淡々とした声は、哀しそうでもあり、嬉しそうでもあり、複雑で感情の読み取れない声だった。
その目に映っているのは、亡き最愛の女性であったのかもしれない。
「……でも、瞳の色は、ルイス先生と一緒ですよ」
思わず呟いた言葉に、ルイス先生が驚いたように目を丸くした。
私は伝えたかったのだ。アイク様はフィリア王女殿下の忘れ形見でもあるが、貴方の息子でもあると。
「そうですか」
それだけを言い、ルイス先生は何かを決意したように私を見た。
「王子殿下と貴女を転移させます。恐らくレイファまでは届かないので、救助が来るまで王子殿下をお願いします」
「え!?」
エドワード様が焦ったように止める。
「叔父上!その状態で2人も転移させたら死にますよ!」
「このまま、ここにいても死ぬと思いますが。エドワード、君の任務は王子殿下を助けることでしょう?」
ルイス先生は聞く耳を持たない。
「それとも、他に王子殿下を逃がす策が?」とルイス先生に畳み掛けられ、エドワード様は黙りこくる。
よろよろと覚束ない足で、ルイス先生は立ち上がった。
「そのまま王子殿下を掴んでいてくださいね」
「ちょ、先生!!」
私を力づくでアイク様に押し付け、ルイス先生は詠唱を始める。
掠れた声で、時々耳障りな呼吸音が混じる。
咳き込んで押さえた手の隙間から、血が見えた。
だけど、苦しそうなのに、何かを決意した目に迷いはなく、私の抗議の声にも一切揺らいでくれない。
「エドワード様!とめて!!」
「……叔父上の望んだことだから。多分それほど時間がかからず王宮魔法使いが探し出すと思うし、俺も回復次第行くから」
エドワード様が諦めたように告げる。
「お嬢様、ありがとうございました」
ルイス先生の穏やかな声を最後に、私は再び転移の空間に呑み込まれた。




