第4話 女官はときめきを感じる
「王太子執務室勤務か。あそこに仕える女は大変だぞ。ま、せいぜい頑張れよ、メリッサ」
鼻で笑うアイザック殿下にイラッとしつつも、初めての名前呼びに、不覚にもときめいてしまったのは、内緒の話。
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「メリッサ・グレイと申します。ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」
深々と頭を下げる。
……沈黙が続く。何も言ってくれないので、頭を上げることもできない。
何この空気。
「ソフィア・シーフィールドです。身分をわきまえて、王太子殿下によくお仕えなさい」
たっぷり間を空けたあと、私の教育係のはずのソフィア様は、言いたいことだけ言って、どんどん歩いていってしまった。
この時点で、私の新たな職場生活は、前途多難であることを察する。
ソフィア様はシーフィールド伯爵家の御令嬢。くるくるとゴージャスに巻いた金髪の美人だが、随分冷たい印象を受ける。
年は私より2歳上の22歳。
王太子殿下を敬愛していて、妃の座を狙っているとか、ライバルの令嬢を蹴落としているとか、女官の中でよく話題に上っていた人物だ。
王太子妃の座は、隣国の王女によって先日埋められてしまった訳だが、未だ女官を辞する気配も無く、正直あまり良い噂を聞かない。
(噂通り、中々難しい人かも…)
振り向きもせず歩くソフィア様に続き、王太子殿下の執務室に入室する。
中には王太子殿下、エドガー様のほか、3人の補佐官、そして王太子付きの魔法使いが1人いた。
先程と同様に挨拶を行う。
「よろしく頼むよ、メリッサ嬢」
王太子殿下は執務机から穏やかに声をかけてくださる。
王太子殿下は少しお疲れの顔をしている気がしたが、特にお怪我をしている様子もなく、どうやら本当にご無事だったようだ。
エドガー様や、他の補佐官の方々からも挨拶を受ける。
皆様悪い人ではなさそうだ……後ろで睨んでいるソフィア様を除けば。
部屋を出たあと、早速ソフィア様に釘を刺される。
「いいですか。どういう手を使って来たのか存じ上げませんが、貴女はここでは新人なのですから、私の言う通りに働きなさい。間違っても王太子殿下や補佐官の方々にお近づきになれるなどと、考えないことです」
おっしゃっていることは何一つ当てはまらないのだが、この手の思い込みタイプの人には、言い返しても無駄だと女官生活で学んでいる。
大人しく聞き流すと、与えられた仕事は、書き損じなど、大量の廃棄書類の焼却作業だった。
(これ、絶対女官の仕事じゃないよね)
王宮の片隅にある焼却炉まで書類の箱を運び、少しずつ放り込んで焼け落ちるまで見守る。
「機密書類が入っている可能性もあるのだから、決して他の人間に手伝わせてはいけません」
と、ソフィア様に丁寧に逃げ道を塞がれている。
勝手に敵視して、子供みたいな嫌がらせして、それでも伯爵令嬢かと腹が立ってくる。
大体、そんなゴージャスな髪型して、女官の仕事ができるのかい、と八つ当たりしたい。
が、貧乏子爵家令嬢に抵抗の余地はない。
(言われなくてもやったるわよ)
背中は痛いが、やる気が燃え盛り、1日中炎に向き合った。
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「……なんか疲れてんな?」
やっと勤務が終わり、ベッドに飛び込んだと思ったら、今宵も魔王とのお喋りタイムがスタートした。
「さては、シーフィールド家の金髪だろ?」
「……よくご存じで」
アイザック殿下は大層ニヤニヤしている。人の不幸を喜んでいる感じが滲み出ていて、殴りたい。
「あの女のイビりは有名だからな。おかげで王太子執務室は女官が長続きしない」
「分かっていて、何でクビにしないんですか…」
「そりゃシーフィールド伯爵に気を遣ってるからだろ。あの金髪も、あれでいて仕事自体は抜群らしいからな」
「左様ですか……」
もうどっと疲れて、夢の中だけど、王子殿下の前だけど、堂々と横たわる。
私の夢の中なんだから、不敬罪は適用されないと決めた。私が。
呆れたように私を見下ろしていたアイザック殿下だが、しばらくすると、横に座る気配がする。
話す気力も出なかったので、とりあえず放っておく。
しばらくすると、いきなり話しかけられた。
「おい、その手どうした?」
「手?」
自分の手を顔の前に翳してみる。
右手の指先から甲にかけて、赤く爛れた部分があった。
「ああ、今日火傷したんですよ」
焼却炉の入り口辺りで引っかかっていた紙があり、奥に入れようと不用意に手を出してしまった。水で冷やしたが、少々爛れてきたので、医務室で軟膏を塗って貰ってから寝たんだった。
夢の中でもそのまま反映されるんだなあ、と、まじまじ自分の手を見ていると、横からいきなりその手を取られた。
(え、え、え)
私の右手をアイザック殿下の左手が握っている。
男性の手の堅い感触や、温かい体温を感じる。
動揺する私をよそに、殿下は何かを呟いている。どうやら古語のようだけど、意味はさっぱり分からない。
流れる水に手を差し入れたような、ひやっとした感覚が右手を通り過ぎた。
時間にして数秒だったと思う。殿下はパッと手を離した。
「ここで魔法を使って、意味があるかは分からんが、とりあえず明日起きたら確認しておけ」
何か魔法を試したらしい。
ただそれだけのことだと言い聞かせたが、顔に熱が集まっているのを感じた。
翌日、目覚めて右手を見る。
右手は痕1つ無く、綺麗になっていた。
(やっぱり、夢じゃないんだ)
理由は分からないが、確かに、アイザック殿下は私の夢の中にいる。
口は悪いし、横暴な俺様だけど、決して私を傷つけることは言わないし、何より根は優しいと思う。
少なくとも、私にとっては、魔王なんかじゃない。
まだ殿下の感触が残っている気がする右手を、ギュッと握りしめた。
助けなければ、と初めて心から思った。