第19話 子爵令嬢は激怒する
真っ白な濁流にのまれているかのようだった。
もがいても、もがいても、激しい流れに揉まれながら、後ろに流されていく。
(そっちじゃない!そっちは、良くない気がする)
なぜだか分からないが、流れに乗っていってはいけない、本能的にそんな感覚がした。
真っ白な空間の中で、時々キラキラとした光が見える。
それは、ガラスが反射したような光で、私が作ったペンダントの色彩によく似ている。
そちらの方向に向かいたいのだが、謎の流れは強く、どんどん離されていく。
(助けに行こうとしているところだけど、誰か助けて!!)
声にならない声で叫び、溺れた手を伸ばした時だった。
私の伸ばした手を、誰かが掴んだ気がした。
その瞬間、流されていた身体がスッと止まる。
(え?)
私の左手首を、腕輪の上から掴んでいるのは、白くほっそりした手。
前を向いていて、顔は分からない。長い白銀の髪が、美しくそよいでいる。
後ろ姿で女性だと分かった。
彼女は、私の手を引いて、振り向くことなく前に進んでいく。
流れに逆らっているはずなのに、実に優雅に。
(貴女は、もしかして)
言葉は口から発せられることは無い。
進んだ先で、彼女はいきなり私を前に放り投げた。
「私と彼の大切な子なの。どうかよろしくね」
顔の見えない彼女は、確かにそう言っていた。
◆◆◆◆◆◆
「ここは……」
気付くとそこは、いつもアイク様と出会う、夢の草原だった。
アイク様は見当たらない。
(そういえば、いつもは、私が眠ってここに来ると、必ず先にアイク様がいた)
今は逆、ということは、成功したということなのか。
判断ができず、1人周辺をブラブラする。
どれくらい彷徨っただろうか。
時間感覚がない中、フッと冷たい風が頬を撫ぜた気がした。
「……メリッサ?」
呼びかけられた声に、反射的に振り返る。
そこには、アイク様が呆然と立ち尽くしていた。
「アイク様!!」
走って駆け寄ると、アイク様は驚いたように2、3歩後ろに下がった。
「なぜ……、どうしてメリッサが?もう行かないようにした筈なのに……」
よく分からないことを口走っているアイク様に強引に近寄る。
「今度は私から来ました。もう少しの辛抱ですよ」
安心させようと思ったのに、なぜかアイク様は酷く辛そうな顔をした。
「この術、ブルーノか……。メリッサをこんな危険なことに巻き込みたくなかった」
「私が望んだんです!ルイスせ……ブルーノ様も、私も、アイク様を助けるためなら、何だってします!」
だから、そんな顔をしないで欲しいと、アイク様の両手を握る。
だが、長い沈黙のあと、アイク様から出てきたのは、拒絶の言葉だった。
「……駄目だ。もう間に合わない」
「そんな!!」
「このままだと、俺の力が悪用される。その前に、自分で決着をつけないといけない。……すまん、メリッサ」
私と目を合わせず、俯いたままのアイク様。
自分で決着をつけるの意味するところを察し、込み上げてきたのは、悲しみではなく、猛烈な怒りだった。
「ふざけないでください!!どれだけの人が心配して、貴方を助けようとしていると思っているんですか!?」
握っていた手を放し、思わずアイク様の胸倉を掴む。
「国王陛下や王妃陛下、王太子殿下がどれだけ必死に動いているか。ブルーノ様がどれだけ魔法を使い続けているか。亡くなったお母様まで貴方を助けようとしているのに、簡単に諦めるんじゃない!!悪用される?上等ですよ。とにかく生き残れば良いんです。細かいことは、助かってから考えてください!他人の為に動けるのはアイク様の美徳ですが、もっと近くの人のことも考えてください!!」
命は、1人でできたものではない。
多くの想いが連なり、重なり、生まれ、育まれたものだ。勝手に捨てていい訳が無い。
涙が流れるのも構わず、感情のまま喚き散らす。
「アイク様に何かあったら、私は生きていけないのに……!」
言葉を絞り出したと同時に、アイク様の手が背中に回され、力いっぱい引き寄せられた。
高ぶる気持ちのまま、バンバン叩きつけていた腕ごと、アイク様の胸に押し付けられる。
「すまない」
「……謝らないでください。謝るなら、生きて」
アイク様の返事はない。痛いほどきつく抱き締められ、密着した体は温かく、確かな呼吸を感じた。
目の前のアイク様の胸元に、私の作ったペンダントが見える。
魔力も何も持たない私だけれど、どうかアイク様を守ってと、ありったけの想いを込め、顔を埋めた。
アイク様がふと力を緩め、体を離す。私の両頬に手を添え、初めて目を合わせてくれた。
「メリッサ、本当に出会えて良かった」
そのまま私の顔に、アイク様の顔が重なり、唇が触れ合う。
恐らく時間としてはほんの一瞬。それでも私の顔は、あっという間に真っ赤になったことが、自分でも分かった。
先程まで泣き喚いていた顔が茹で上がり、恐らくとんでもないことになっているであろう。
そんな私の顔を見て、アイク様はフンッといつものように鼻で笑った。
「さあ、もう戻れ。俺の中にいたら、お前も巻き込まれる」
「え、嫌、駄目です」
慌ててすがりつく私を無視して、何やら魔法を詠唱しているアイク様。
「……よし、思った通り、今なら使える。多分戻りは簡単だから」
「そんな、嫌ですって!」
「あちらにも魔法使いがいる。危険なんだ」
「だからなんですか!?ここまで来て引き返しませんよ!」
バタバタと暴れる私をがっちり抑え込み、アイク様は標準装備の不愛想なお顔で告げた。
「分かった。出来る限り粘る。待っているから」
「……本当ですか?」
「ああ」
「絶対、諦めないでくださいね!」
約束ですよ!という私の言葉が届いたかどうか。あっという間に私はまた、白い空間に投げ出された。
◆◆◆◆◆◆
瞼を通して光を感じると同時に、跳ね起きる。
「アイク様!?」
「ご苦労様でした、お嬢様」
すぐそばでルイス先生が、地面に座っている。
周りを見回すと、どうやら先ほどまでの場所とは違うようだ。
「成功です。お嬢様の魂の軌跡を追ってここまで来ました。王子殿下はそこの砦にいると思われます」
指さした先の丘には、石造りの堅牢な砦がそびえたっている。
「お嬢様をここまで連れてくるのは危険かと思ったのですが、かといって、身体を道端に転がしておくのも怒られそうなので、結局連れてきてしまいました」
「当たり前です」
「行きましょうか」と立ち上がったルイス先生が、少しふらつき、咳き込む。
月明りの下でも、顔色が白い。
「せ、先生」
魔法の使い過ぎだと、素人の私でも察した。
今日1日で、噂で聞くような高度な魔法を何回も使っている。いくら元王宮魔法使いとはいえ、限界を超えているに決まっている。
「ご心配なく。まだ使えますので」
「でも……」
「王子殿下に時間は残されていません。申し訳ありませんが、出来る限り自分の身は自分で守ってくださいね」
強く言い切るルイス先生に、言うべき言葉を失う。
(どうか、アイク様を、そしてルイス先生、いえブルーノ様をお守りください)
情けなく無力な私は、天におられる方に祈ることしか思いつかなかった。




