第18話 子爵令嬢は賭ける
「それでは行きましょうか、ツィラードに」
「はい?」
ルイス先生がごく当たり前のように言い出した単語を処理できず、思わず聞き返す。
(ツィラード?って本気で!?)
いや、この状況下で冗談を言っているとは思っていないけれども。
「転移で行きます」
「私も一緒で大丈夫ですか?」
魔法のことは分からないが、あのノーマンでさえ、ツィラードを往復したら、魔力が尽きかけている。
そんな長距離の転移、それも2人なんて、さすがのルイス先生も厳しいのではないか。
しかも行き先は、敵だらけだ。
そんな私の疑問は、顔にそのまま書いてあったらしい。
「確かに大変ですけど、近くまで行かないと始まらないので。怖気づきましたか?」
「……いいえ、行きますとも」
ここで退く選択肢はない。『女は度胸』が、我がグレイ子爵家のモットーだ。
隣で黙って聞いていた王妃陛下が、静かにルイス先生を見つめた。
「ブルーノ、アイクを、お願いします」
「ディアーヌ様にお願いされることではございません。無事レイファに戻します。それが私の役目ですので」
「メリッサのことも、どうか……」
「そちらも、出来る限り努力します。アリア殿にきちんと返せと言われていますので」
王妃陛下がルイス先生に深々と頭を下げる。
会話は聞こえていないであろう周囲が、その様子を見て騒然となる周囲を無視し、ルイス先生は私を促す。
「さ、行きますか」
「立っても大丈夫なんですか?」
さっき王妃陛下が、爆発するとか、物騒なことをおっしゃっていたこのソファ。離れてもいいのか不安に思ったのだが、当の本人は「何を言ってるんだコイツ」的な顔で私を見ている。
「いや、先程何か魔法をかけておられたので……」
「ああ。あれはソファに座っている人の温度を、快適に保っていただけですよ。王妃陛下の狂言です」
なんということだ。
唖然とする私に悪戯っぽく首をかしげる王妃陛下。
成人した子供がいるとは思えないほど可愛らしいのが、八つ当たりだが腹立たしい。
ルイス先生はこちらを気にせず、何かブツブツ詠唱している、と思ったら、いきなり後ろから、座っている私の服の襟首を掴んだ。
抗議する間もなく、一気に周囲の景色が歪んだ。
(げ、いきなり転移した!!)
本日二度目の、体ごと上下左右にぐるぐる回される感覚に、歯を食いしばって耐え抜いた。
◆◆◆◆◆◆
「大丈夫ですか?お嬢様」
「……はい、なんとか……」
しばらく立ち上がる気力がでず、石畳に手をついて息を整える。
どうやら、どこかの街道のようだが、見慣れない形の木や花が、道路脇に植えられている。
既に空は暗くなっていて、遠くの景色は見えない。
「ここは?」
「ツィラード王都郊外です。たぶん」
どうやら転移は成功したらしい。
ルイス先生の顔を見上げると、暑くもない気候なのに、汗が見える。
薄暗いので顔色は判別できないが、恐らく相当に消耗している様子が、素人の私から見ても分かった。
「ルイス先生、少し休んだ方が……」
「いえ、時間がありません。すぐに王子殿下を探します。よろしいですか、お嬢様」
「私は何をすれば……?」
「1回死んでいただきます」
……何を言っているの?
返答が出て来ず、文字通りポカンとした。
口を開けたまま硬直する私に、ルイス先生はどんどん説明を続けた。
「通常なら魔力を探索するところですが、王子殿下は魔力を封じられていますので、魔法では打つ手がありません。そこで、お嬢様と王子殿下の『繋がり』を利用します」
「私とアイク様の、繋がりですか?」
「ええ。魂が同居したことで、お嬢様と王子殿下には、感覚や感情の共有や、離れた場所での意思疎通など、魂同士の繋がりが出来ています。王子殿下が魔力を封じられても、続いているということは、それは魔法とは無関係です」
「は、はあ……」
分かるような、分からないような。
ちょっと危うい私をルイス先生は完全に無視している。
「ということで、今度はお嬢様の魂を抜いて、王子殿下に放り込みます。その魂の軌跡を辿れば、王子殿下の今の居場所がわかるはずです」
「た、魂を抜いたら、死ぬんですよね?どこにいるか分からないアイク様に、辿り着けるのですか!?」
前回は、アイク様が魂を抜かれた瞬間、すぐそばに私がいたから、なぜか巻き込まれる羽目になった。
しかし、今度はアイク様は近くにいない、というか、どこにいるか分からない。
身体から抜かれた魂は、黄泉の国に引き込まれると聞いた。アイク様に辿り着く前に、死んでしまう気がする。
「そこはお嬢様と王子殿下の絆の強さ次第です。一度経験しているので、逆になっても、普通の人よりは成功率が高いはずです。頑張ってください」
他人の命がかかっているのに、最終的には根性論になったよ、この魔法使い!!
確かに、アイク様以外の命にあんまり興味ないな、この人。
愕然とする私に構わず、街道横の土の地面に、魔法陣を書き始めたルイス先生。
「まあ、それほど分の悪い賭けではないと思いますよ」
「……そうですか?」
「お互いの繋がりを強く思い浮かべ、目印にすることです。お互いの想いが強いほど良い。近づけば、王子殿下から引き寄せてくれると思いますし」
「繋がりって言われても……」
「思い出などの実体の無いものでも良いですが、それぞれで想いの強さが異なる可能性があります。物があれば一番良いのですが」
「物ですか?」
「一番分かりやすいのは、婚礼の時に交換する宝飾品ですね。まず間違いなくお互いの想いが籠っているので、目印になりやすいですから」
(繋がり……目印……)
頭をフル回転させて考える。
思い出はいくつもあり、私にとってはすべて大切だが、些細なことも多く、アイク様がどう思っているか――そもそも覚えているか――危うい。
物といっても、私達は婚約すらしていないので、宝飾品交換はしていない。私はアイク様から腕輪を頂いたが、私からは、ケーキとか、食べ物くらいしか……。
「あ、熊除けの御守り……」
「……熊除けの御守りというと、まさか、オプトヴァレー伝統のあの?」
「はい、あのペンダントです」
「……あれを王子殿下に献上するとは、お嬢様も大概ですね」
ルイス先生が完全に呆れ果てている。
常識が無い者を見つめる目、そう、最近皆がルーカスを見る目で、私を見てくる。
「いや、私から差し上げた訳ではありませんよ、アイク様がご所望で。私もいいのかなと思ったんですが、先ほども身に着けておられましたし、気に入っておられるのかも……」
ダラダラと言い訳を垂れ流すが、もうルイス先生は聞いていない。
「ま、それでもいいでしょう」と投げやり気味に言われた。
ルイス先生の記憶に、常識の無い姉弟として刻まれた気配を感じつつも、私のプライドよりアイク様の救出が最優先だと自分に言い聞かせ、アイク様との繋がりに思いを馳せる。
それから沈黙のまま、数分が経過した。
「できました。ここに立ってください」
ルイス先生が魔法陣を指さす。
正直怖い。誰もやったことのない魔法だし、失敗すれば私は死ぬかもしれない。
だけど、アイク様が死ぬことは、私にとってそれよりも恐ろしい。
無言のまま、魔法陣の中心に立つ。
「……お嬢様、申し訳ありません。どうかよろしくお願いします」
頭を下げるルイス先生に驚く。正直、国王陛下に頭を下げられるよりビックリした。
(ああ、この人も、アイク様のことを誰よりも想う、親なんだ)
人間らしいルイス先生の姿に、少し緊張が解れた。
アイク様を助けるために、戦っているのは私達だけではない。
そのことに勇気が出る。
「お任せください。アイク様の所まで、ちょっと行ってきます!」
自分でも思いもよらず、笑顔が零れ、それを見たルイス先生は一瞬瞠目した。
「……それでは行きますよ」
目も眩むような光の束が、私に向かって来る。
目の前が真っ白になり、私の意識は飛んだ。