第13話 子爵令嬢は悪夢を見る
アイザック第二王子殿下が、国王陛下の代理としてツィラードに発ったという記事が載った新聞が、子爵領にもようやく届いた。
日付はやっぱり10日前。記事で描写されているのは、眉目秀麗で武勇に優れ、国境を守った英雄たる王子殿下。
確かに嘘ではないのだが、私の知っているアイク様のイメージと重ならず、思わず苦笑が漏れた。
晴れ渡ったオプトヴァレーの青空を見上げる。
(今はまだ旅路の途中かあ。アイク様のいる場所も、天候が良ければいいけど)
「心配ですか?王子殿下のことが」
「ぎょえ!?」
物思いにふけっていたら、いきなり話しかけられ、奇声を上げてしまった。
「ルイス先生!いきなり話しかけないでくださいよ」
「すみません。お嬢様の憂い顔が面白かったものですから」
いつの間に背後に立っていたのか、医師のルイス先生がにこやかにこちらを見ていた。
穏やかに話しているが、少し失礼な気がする。だって、憂い顔って面白いという表現に繋がる?
「そちらの腕輪、その魔法石が光っている限りは、術を掛けた魔法使いは生きていますから、大丈夫ですよ」
「そうなんですか?」
腕輪に付いている宝石を見つめる。藍色の澄んだ光を放つ石を見ていると、少し落ち着く。
アイク様の瞳の色だ。
「……それにしてもルイス先生、なぜいつもアイザック殿下から逃げるんですか?」
「たまたまスケジュールが合わないせいでしょうね」
相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、何を考えているか分からない細目は、中々迫力がある。
「ツィラードは、魔法使いを神格化している国ですから、大変ですね」
「そうなんですか?」
あからさまに話題を変えられた。いつもルイス先生はそうだ。
「私、野盗に襲われた時、死ぬ魔法を受けたらしいんですが、ルイス先生ですか?」と聞いた時も、「わざとじゃないですよ」の一言で済まされてしまい、見事にはぐらかされた。
その反省にも関わらず、またルイス先生の思惑通りに、話に食いついてしまった。我ながら単純だな。
「ツィラード王家は魔法使いの一族なので、レイファよりも魔法使いは神のように扱われます。しかし、その統治自体は評判が悪くて、最近では反王家勢力も伸びているという噂です。魔法使いは悪魔の使いで駆逐すべきと教義を持つ宗教もあるとか。とにかく、ぐちゃぐちゃの国ですよ」
「ええ……それ、大丈夫なんですか?」
「まあ、他国の賓客ですから、王子殿下が巻き込まれることは無いとは思いますが」
わざわざ私を不安にさせる情報を言い残し、ルイス先生は颯爽と去っていった。
◆◆◆◆◆◆
オプトヴァレーでは穏やかな日々が過ぎていった。
その日、私は庭のベンチに腰掛け、1人で物思いにふけながら、熊除けのペンダントに使う組み紐を編んでいた。
(もう1か月以上お会いしていないな。新聞に書いてあったツィラードの王太子の結婚式って、そろそろだよね)
暖かい陽射しが心地よく、いつの間にか微睡んでしまったらしい。
突然の甲高い悲鳴に飛び起きる。
(え!なに!?)
目の前の光景は、見慣れた庭ではなかった。
目がチカチカするような派手な色彩の壁。
そこかしこに球体があしらわれた、見たことのない装飾が施された、不思議な建物の中のようだ。
建物の中では、多くの人達が、我先にと逃げ惑っている。転んだ人は他の人に踏まれ、走る大人に子供が蹴り飛ばされても、誰も助けない。
悲鳴や怒号が響き、剣を振るう男達、所々で上がる血飛沫。
(なにこれ!?夢?)
私はそこにいるわけではない。グルグル目まぐるしく動く映像を、見ているようだ。
繰り広げられる惨劇の中、視線の先にいた男性が、背中から斬られる。
そのまま男性は崩れ落ち、彼が抱きかかえていた赤毛の少女が、床に投げ出される。
無防備になった幼い少女にも、男性を殺した下手人は剣を振り上げる。
最悪の予感に、思わず目を瞑ろうとするが、視界は一切閉ざされてくれない。
むしろ、映像は少女に向かい駆け寄っていく。伸ばされる手が視界の端に見えた。
「逃げろ!!」
叫び声が響き、衝撃で景色が揺れ、目の前が真っ暗になった。
飛び起きると、そこはいつもの庭だった。
編み途中の組み紐は手に持ったまま、暖かい太陽もそのままで、全く時間は経っていないようだ。
(今のなんだったの?夢?)
あまりにリアルな恐ろしい光景に、冷や汗が背中をつたう。
腕輪の魔法石を見ると、変わりなく青い石が光を帯びている。
「大丈夫、単なる夢だ」と自分に言い聞かせながらも、嫌な予感が頭から離れない。
最後に少女に向かって叫んでいた声は、アイク様の声に、とてもよく似ていた。
◆◆◆◆◆◆
そのまま組み紐を編み続ける気分になれず、部屋に戻り、分厚い教本を開く。
先日、貴族夫人として必要な教養を習得しておくようにと、畏れ多くも王妃陛下から送られてきた、大量の教本の一つだ。
その量の多さに、魂が抜けかけたものの、アイク様の横に立つためには最低限のことだと、最近は毎夜読み進めている。
地理学の教本を開いた時だった。
「痛い!!」
突然の激痛に、思わず声を上げる。
右足の脛辺りを、思いっきり金づちか何かで砕かれたような、信じられない痛みが一瞬走り、すぐに消えた。
慌ててスカートをたくし上げるが、傷も痣も一切ない。
恐る恐る立ち上がり、部屋の中を歩いてみるが、特に何の違和感もなく、いつも通りの足だ。
(なんだったの?気のせい?)
立て続けて起きる気味の悪い出来事に、背筋に寒気が走った。
◆◆◆◆◆◆
「メリッサ、少し顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」
夕食の席で、母に心配そうに聞かれてしまった。
さすがお母様。顔に出さないようにしていたつもりが、すぐに気付かれてしまった。
「大丈夫よ、お母様。少し寝不足なだけかも」
慌てて笑顔を浮かべて、誤魔化す。
「そう。根を詰めすぎないようにね」
「そうですよ。姉さまは立派な淑女ですから、そんなに頑張らなくても大丈夫ですよ!」
「ルーカス、貴方はもう少し勉強なさい」
優しい母と弟により、夕食後は早々にベッドに追い立てられた。
胸のモヤモヤは続き、なかなか寝つけず、何度も寝返りをうっていたが、知らぬうちに眠りについたようだった。
◆◆◆◆◆◆
(ここって……)
気付くと、見覚えのある花畑にいた。アイク様の魂が私の中にあったとき、毎夜出会っていた場所。
野盗に襲われた日の夜、1度だけここでアイク様とお会いした。あれが、夢だったのか、現実だったのかは定かではない。
だが、その後も、アイク様は特に何もおっしゃらなかったので、夢だったのだと結論づけていた。
(でもなぜまたここに?これも夢?)
この静寂の空間を見渡すと、少し離れた小川のほとりに、座り込んでいる男性の姿があった。
後ろ姿だが、私があの方を見間違う訳がない。
「アイク様……」
弾けるようにこちらを振り向いた彼は、紛れもなく、私の待つ人だった。




