第12話 子爵令嬢と平穏な日
「いや~、助かるねえ。今年は雨が少なかったからどうなることかと思ったよ」
「いえいえ、お安いご用ですよ」
「しかしお嬢も良い彼氏を見つけたもんだな!グレイ家に婿に来てもらえないのか?」
「確かに、お嬢と魔法使い様がいてくれれば、ここも安泰だよな」
「そんなことを言ったら、ルーカスが可哀想ですよ」
なんでこうなった……。
農家の皆様に囲まれ、和気藹々と話しているのが、我が国の第二王子殿下だと、誰が気付くだろうか。
衝撃のプロポーズから半年、アイク様は頻繁にオプトヴァレーに出没しておられる。
頻度としては半月に1度、最初は街周辺の山中や沢の中などに現れていたが、今や、グレイ子爵家の応接室に確実に着地できるようになった。
領民からは、魔法使い様と呼ばれ、随分仲良くなっている。
今日も、水不足で困っているという領民の悩みを聞きつけ、水やりをしてくれた上、干上がりかけていた溜め池を満たしてくださった。
大変ありがたいのだが、国の宝とされている魔法使い、しかも王子殿下を、こんな使い方して良いのだろうか。
「申し訳ありません、アイク様。本当に図々しくて」
「別に好きでやっているんだから、気にするな。……ただ、少しばかり疲れたから、休んでいっても良いか?」
「勿論です」
「木苺のケーキは?」
「はいはい、作ってありますとも」
この半年、毎回時間は決して長くはないが、2人でゆっくり話ができるようになった。
お互いに少しずつ、新しく知ることが増えていく。
アイク様が案外甘い物がお好きということも、先月初めて気付いたことだ。
ご機嫌なアイク様の横顔を見ていると、自然と笑みが溢れる。
「クリストフ王子殿下は、ご健勝ですか?」
「ああ、なかなかパワフルな赤ん坊だ。東の宮の近くにいると爆音のような泣き声が聞こえるぞ」
アイク様は思い出したように楽しそうに笑った。
アイク様の兄君、パトリック王太子殿下に待望の第1子がお生まれになったという連絡は、このグレイ子爵領にも届いている。
「これでやっと王位継承権を返上できる。叙爵の時は、メリッサも王都に来いよ。正式に紹介する」
「本当に私で良いのですか……?」
この半年で何度目かの弱気を溢してしまうと、アイク様に乱暴に頭を撫でられる。
「しつこい。お前じゃなきゃ駄目だ」
「すみません」
「それに……」とアイク様はいたずらっぽく続けた。
「一応、俺にも上位貴族の連中から、それなりに縁談は持ち込まれていたんだが、辺境伯になるらしいと広がった途端、潮が退くように一切来なくなった」
「ええ!?」
「どうやら王都のご令嬢方は、辺境に行くのはまっぴらごめんらしい。というわけで、メリッサに断られたら、俺には嫁が来ない」
そんな大袈裟な……と思ったが、私の気を楽にさせようとする、アイク様の優しさだろう。
冗談っぽく話すアイク様につられて、私も思わず、笑い声を上げた。
◆◆◆◆◆◆
「あ、義兄さま、姉さま、おかえりなさい!」
外で剣の稽古をしていたルーカスが手を振ってくる。
貴族教育を一からやり直しているルーカスは、全くもって頼りないが、驚くべきことに、ルーカスが爵位を継いでから、子爵家の収入は順調に増加している。
常識の足りないルーカスだが、天性の猫かぶりというか、社交性抜群で、夜会に行く度に有力者達(特にご婦人方)に可愛がられて帰ってくるのだ。
おかげで、夜幻草をはじめとするグレイ子爵領の薬草の取引先は拡大している。
ただし、訳の分からない投資話に騙されそうになった回数は、既に片手では足りない。
ジムやアイク様が止めてくれなければ、子爵家は何回破産していたことか。
「あれは、ある種の才能だな」とは、疲れ切った顔をしているアイク様の談。
「もうルーカスは飾りでいいわ。しっかりしたお嫁さんに来てもらえないかしら」とは、ルーカスをまともに育てることを諦めた、母の言葉だ。
そんなルーカスも、最近は、こそこそとカイラス子爵令嬢と文通しているようで、姉としては、弟の成長が嬉しいような、少し寂しいような、不思議な気持ちを抱いている。
「義兄さま、お手合わせ願います!」
「一本だけな」
最近すっかり床に伏すこともなくなり、剣にハマっているルーカスは、アイク様がお見えになるたびに勝負を挑み、叩きのめされている。
アイク様の剣の腕前は、本人曰く「中の下」らしいが、最近やっと剣を振れるようになったばかりのルーカス如きが挑むのは無謀だろう。
今日も手加減を知らないアイク様によって、ルーカスが派手に打たれ、転げまわる音がするが、最早誰も気にしていない。
ケーキとお茶の準備をして、庭に戻ると、予想通り、地面に大の字となったルーカスと、意地の悪い笑みを浮かべて、ルーカスを見下ろすアイク様がいた。
「もう!!義兄さまにかすりもしない!」
「30年早い。まあ、前よりは多少スピードが上がったんじゃないか」
おざなりな評価を下して、アイク様はテラスのテーブルに用意されたケーキを、勝手に食べ始める。
「坊ちゃま、傷の手当てをしますよ」
マリーに促され、ルーカスも渋々起き上がる。
「ぎゃあ!」「しみる!」「もっとそっと塗ってよ」とルーカスのやかましい声をバックに、私もアイク様の向かいに座り、紅茶を頂く。
ケーキを黙々と頬張っていたアイク様だが、ルーカスを見て、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば、俺は一度も子爵領の医者を見たことがないな。街の連中から噂だけは聞くが」
「……そ、そうですかね」
『もぐりの魔法使い』であるルイス先生は、アイク様がお見えになると、いつの間にか街から姿を消している。そしてお帰りになると、何事も無かったかのように診療所にいるのだ。この半年間、毎回。
さすがに偶然じゃないだろう。少し前から、アイク様も薄々勘付いているご様子だ。
白々しく目を泳がせる私に、アイク様は溜め息をつく。
「……ったく、この子爵領は秘密が多いな」
「そ、それほどでも。おかわりどうぞ」
あからさまな誤魔化しに、アイク様は呆れたように笑ったが、それ以上追及してくることはなく、2個目のケーキに手を伸ばしていた。
「そうそう、明後日から外遊に出る羽目になったから、しばらくここに来られない」
「外遊ですか?どちらに?」
アイク様が外交に出られるとは珍しい。
「ツィラード王国だ。あそこの王太子の結婚式が来月あって、レイファからも誰か参列しなきゃならないんだが、わざわざ国王陛下が行くほどの国でもないし、王太子殿下は子が生まれたばかりで、外遊は気の毒だからな」
「ツィラードですか、遠いですね……」
ツィラード王国は、レイファ王国の東にある小国だ。何代か前に王女が嫁ぎ合った関係にあり、王家同士は遠い親戚関係にある。
しかし、現在、レイファとは国境を接しておらず、ツィラードとレイファの間には、敵対関係にあるアルガトル王国が広がっている。
レイファとアルガトルは、長年、国境シリルを巡って紛争状態にあり、ツィラードに行くには、アルガトルを迂回しなければならないため、距離以上に離れている国だ。
情報もあまり入ってこないが、政情が安定していないとか、レイファとアルガトル双方に良い顔をしているとか、正直、良い噂は聞かない。
「2か月位は留守にすることになるだろうな。どうやら結婚式にはアルガトルの国王も来るらしい。敵の顔をゆっくり拝めるいい機会だ」
アイク様が悪い顔でほくそ笑む。
「お気をつけて、帰ってきてくださいね」
「心配するな、ただの結婚式だ。流石に他国の王宮で物騒なことは起こせないだろうよ」
そうだろうけど、やはり心配になる。
項垂れた私を見ていたアイク様が、ふと私の首元を指さした。
「そうだ、そのペンダント、借りていっていいか?」
「これですか!?」
綺麗なガラス玉を組み合わせて作ったペンダントトップを、手編みの組み紐に付けただけの、手作り感満載のペンダントだ。
オプトヴァレーでは、『熊除けの御守り』として、老若男女、皆着けているものだ。
「魑魅魍魎が集まる他国の王宮に行くんだ。熊除けでちょうど良いだろう」
「でも、このような物、王子殿下が着けるなんて……」
「服の下に隠れるから問題ない」
こんな安物(というか、自分で作ったから実質タダ)で良いのだろうか、と悩んだが、アイク様に押されて、遂にお渡ししてしまった。
自分の首に掛け直し、ご満悦気味のアイク様は、「そろそろ帰るか」とゆっくり立ち上がった。
「多分、これが俺の最後の国外公務だ。婚約発表のドレスでも選んで待っていろ」
いつもの素直じゃない笑顔を浮かべて、アイク様は転移していった。