第11話 子爵令嬢はプロポーズされる
王都から遠く離れたグレイ子爵領は、世の中の動きから完全に取り残されている。
王都の新聞も、10日遅れでしか手に入らない、この陸の孤島にとって、最新の情報収集は、当主の重要な仕事だ。
なのにこの弟、一体何しに王都に行ったんだ。
「殿下、申し訳ございません。私の教育が至らなかったようです」
「……まあ、これから学んでいけば良いのではないか……」
頭を下げる母に、けろりとしているルーカス。何とも言えない顔をしているアイク様。
「そのようにさせていただきます。……ジム、今日からルーカスの貴族教育をやり直すわ!一から徹底的に!」
「かしこまりました、大奥様。さあ、行きますよ、坊っちゃま」
「え!?今から?」
「今すぐです。殿下、ルーカスは所用のため、一旦失礼させていただきます」
「あ、ああ……」
嫌がるルーカスをジムが引きずり、派手な音を立てて応接室を出ていった。
あのアイク様が唖然としっぱなしだ。すごいぞ我がグレイ子爵家。嬉しくないけど。
「大変、ご無礼を致しました」
「いや、構わない」
アイク様が気分を変えようとしてか、初めて出されていた紅茶を飲む。その何気ない所作の美しさに、ぼんやり見惚れてしまう。
(やっぱり、雑に見せていても、育ちの良さは別格よね……私とはレベルが違うわ)
ゴホン、と母のわざとらしい咳払いに、慌てて視線を戻す。
「殿下、先程のお話ですが、畏れながら国王陛下や王妃陛下はご存知なのでしょうか?」
母の問いに、アイク様は堂々と答えられた。
「勿論です。両陛下からも、メリッサなら良いと許可を得ています」
良いのかよ!
……え、本当に私、アイク様に求婚されてるの?嘘?何で?
パニック状態だった頭が、徐々に状況を把握していく。
どんどん進んでいる話に、今更ながら、顔に血が昇り、茹だったように熱くなる。
そんな私を見ていた母が、アイク様に静かに語りかけた。
「急な話で、私としては整理がついておりませんが、これまで苦労を掛けてきた分、メリッサには自分の望む道を歩んでほしいと思っております。一応当家の当主も了解しているようですので、後は、メリッサの気持ちに私は従います」
「お、お母様……」
「ありがとうございます。必ず幸せにします」
「ちょ、ちょっとお待ちください!!」
やっと口を挟めた。
「私、まだ、その、心の準備が……というか、何でそんな話になったのか、ついていけていません!!」
「ああ!?」
心からの叫びが飛び出した。アイク様の剣呑な目も気にするものか。
このままだと流されてしまう。
「す、少し考える時間を、私に下さい!!」
真っ赤な顔で叫ぶと、「まあこの子は……」と、母は苦笑いした。
「殿下、どうやら娘は混乱しているようですので、少し2人で話されたらいかがでしょう?」
「……そうさせていただく」
◆◆◆◆◆◆
2人だけになった応接室で、いたたまれない私はひたすら俯く。
(き、気まずい……顔を直視できない)
凍り付くような沈黙が続く中、アイク様が口を開いた。
「悪かった。本当は今日言うつもりは無かったんだが、急ぎすぎた」
「え?」
アイク様からの謝罪に、驚いて顔を上げる。
アイク様は気まずそうに頭を掻いて、目を逸らす。
「正式に臣籍降下してから、ゆっくり話を進めるつもりでいたんだ。だが、今日街でメリッサが男と楽しそうに話しているのを見て、焦ったというか」
「男?」
それは、大工のカイさんか、アルさんか、はたまたロジャー爺さんか。いずれにせよ異性として意識したことは一切ないが。
(も、もしかして嫉妬?そんなわけないか)
自分に都合のいい妄想が、どうしても頭をよぎる。
「そもそも、本気で私に、その、きゅ、求婚するおつもりなんですか?」
「……お前、まだそこなのかよ。俺が冗談でそんなこと言う訳ないだろ」
「なんで?」
「なんでって」
大きなため息を吐いた後、アイク様は椅子から立ち上がり、私の前に片膝をついた。
焦る私の手を取ると、下から顔を覗き込まれる。
「お前のことが、好きだからだ」
「……へ?」
聞きなれない言葉が耳に入り、一瞬思考が停止する。
恐らく、硬直したアホ顔を晒しているであろう私を見つめたまま、アイク様は続けた。
「誰か他人のために必死に動く姿、理不尽な状況にも立ち向かう強さ、情けない王子相手に喝を入れる度胸。あの数日間、俺は一番近くで見ていた。メリッサの強さ、優しさ、その美しい魂に、完全に惚れた」
誰よそれ。きっぱり言い切られ、恥ずかしすぎて顔が上げられない。多分、このままだと頭に血が昇りすぎて破裂しそうだ。
かなりの過大評価だと思うが、嬉しさで泣きそうになる。
思わず、承諾の返答を言いかけた時、アイク様から爆弾発言が飛び出した。
「それに、どうやらメリッサなら俺を一途に愛してくれそうだしな」
どんなナルシスト発言だ。自意識過剰すぎる。
「何を勝手に決めているんですか……」
「違うのか?あんなに毎日心の中でごちゃごちゃと俺のことを考えていてくれたじゃないか」
何のことを言っているのか、一瞬考えたのち、まさかの仮説に行き当たる。
(……もしかして、心の声、聞こえていた?)
もう限界だと思っていた頭に、更に血が昇っていく感覚がする。
「ど、どこまで聞こえていたんですか!?」
「……全部ではない。過ぎた話だ」
「さ、最低!変態!」
「言いがかりは止めろ!俺だって聞きたくて聞いていたわけじゃない!!」
自分があの頃、何を考えていたか、思い出すだけで顔が赤らむ。
それを、当の本人に聞かれていたなんて、恥ずかしさで死ねる。
「なんだ?あれは嘘だったのか?」
「心の中で嘘つくわけないでしょ!好きですよ!悪いですか!?」
「なら黙って結婚しろ!」
「そういうことじゃないんです!」
ギャーギャー騒ぐ20歳超えの貴族令嬢と王子を、家族が唖然と見つめていた。
◆◆◆◆◆◆
私、今日ずっと好きだった方に、プロポーズされました。
なのに、何この状況。低レベルな言い争いを繰り広げた挙げ句、2人とも肩で息しているし、ムードなんて遥か彼方へ飛んで行ってしまった。
ずっと夢見ていた状況と全然違う。
私達を生温かい目で見つめてくれていた母が、笑いを噛み殺しながら言った。
「……本当に、フィリア様によく似ておられますね」
「俺がですか?」
意外そうなアイク様に、母はゆっくり頷いた。
「ええ。その真っ直ぐなご気質。これと決めたら突き進む力強さ。あの頃のフィリア様を見ているようだわ」
「そうですか……王妃陛下からもお聞きしましたが、そんな剛毅な方だったんですか」
「ええ。あんなやんちゃな王女様は他に知らないわ。でも、その外堀を埋めていく手回しのよさは、ブルーノ様譲りかしら」
アイク様の顔に複雑そうな表情が浮かび、珍しく口をつぐまれた。
「お母様、それは……」
アイク様の出生にかかる『悪意ある噂』については、王妃陛下が解かれているだろう。
しかし、母は当然知らないが、アイク様の実の父親が、王太子殿下を狙った犯罪者であることは事実。
アイク様にとって、その方の話題は、あまり喜ばしいことではないと言外に含めると、母も勘付いたらしい。
「出過ぎたことを申しました。申し訳ございません。……ただ、色々思うところはおありになるかと思いますが、あの方は間違いなく、誰よりもフィリア様を愛しておられました。そして、殿下のことを常に思っておられました。それだけはどうか疑いなきよう、お願い申し上げます」
「いや、別に構わない。……今度、少し聞かせてもらっても良いか」
「私の知っていることでしたら、いくらでもお話いたします」
アイク様はこちらを向いた。その顔に不快な色は無く、少しホッとする。
いつもの嫌味っぽい笑みが顔に浮かんでいる。
「また来る。その時まで、よーく考えておけ」
「かしこまりました」
涼やかな風が吹いたと思うと、アイク様の姿は消えていた。




