第10話 子爵令嬢と混沌の館
「突然、どうしてこんな所までいらっしゃったんですか?それに、王子殿下が、王宮を空けられるなんて……」
子爵家屋敷までの道すがら、横を歩くアイク様を見上げ、疑問をぶつける。
物珍しそうに辺りを見回していたアイク様は、いきなり私の手を取る。
(ぎょ!?)
「この腕輪、まさか込めておいた魔力を使いきる程ヤバい目に逢うとは、お前、どんな生活してんだ?」
「不可抗力です!野盗に囲まれただけです!」
アイク様の手に力がこもる。
「俺がここに来た理由の一つがそれだ。リオからもそう聞いたが、信用できない」
「ええ?本当ですよ?」
「ただの野盗が、魔法を使うのか?」
「魔法?」
なんのこと?と言いかけて、思い付いたのは、
(ルイス先生か!)
あの場で魔法を使ったのは、ルイス先生だけだ。
「お前、致死性の魔法、2~3発食らってんぞ」
「……うそ?」
アイク様の顔は、どう見ても冗談を言っている雰囲気ではない。
(え、ルイス先生が、私を殺そうとしていた?いや、コントロール悪いだけ?)
狼狽える私をじっと見ていたアイク様の目が、スッと細められる。
「思い当たる節、あるんだな?」
「……いえ、分かりません……」
いくらアイク様でも、こればかりは言えない。
殺されかかっていたというのは衝撃だし、ルイス先生にはクレームを入れなきゃならんと思っているが、ルイス先生が守ってくれたのは確かなのだ。多分。
秘密にすると約束した以上、話すことは絶対にできない。
目がバチャバチャと泳ぐ、明らかに不審な私を、穴が開くほど見ていたアイク様だが、意外にもそれ以上何も言わなかった。
アイク様はそのまま私の手を握り締めたまま、歩き出した。
「ちょ、ちょっと。お手を……」
「魔力を込めなおしているだけだ。しばらく我慢しろ」
(我慢じゃなくて、ご褒美……)という変態発言は心に閉じ込め、手を引かれたまま、黙って付いていく。
「そういえば、もう一つの質問だが」
「なんでしたっけ?」
衝撃的なことが重なりすぎて、記憶がすっかり飛んでいる。
「俺が王宮を空けて、こんな山奥のド田舎まで来て大丈夫なのかという話だが」
山奥のド田舎とまで言った記憶はないが、突っ込んでも無駄なのは分かり切っているので、聞き流すことにした。
「俺が王宮を出たのは今朝だ」
「ええ?」
王都からここまでは、片道7日間はかかる。そんなあり得ないことを可能にしているということは……。
「もしかして、魔法ですか?」
「そうだ。この俺は、遂に転移魔法を習得したのだ!」
もの凄いドヤ顔だ。褒めて欲しいと顔に書いてあるので、ご希望通り褒め称えることにする。
「それは凄いですね!転移魔法は、筆頭魔法使い様しかできないと聞いたことがありましたが、流石ですね」
実際凄いことなんだろうということは、魔法素人の私でも分かる。
「これで完全にエドワードに勝った」と、得意げなアイク様に、気になっていたことを聞く。
「でも、なぜ熊殺しの谷にいらっしゃったんですか?」
「……初めて行く場所は、少し座標がズレる」
あ、ちょっと不貞腐れた。どうやら、転移魔法はまだ完璧ではないらしい。
「まあ、ほとんど成功みたいなものですよ」
薄っぺらい励ましをしながら、お喋りを続けていると、子爵家に辿り着いた。
「あ、お嬢様、おかえりなさいま……」
ちょうど門前の掃き掃除をしていたマリーが、こちらを見て固まる。
私が話しかける前に、箒を握り締めたまま、屋敷に駆けこんでいく。
「お、大奥様!!メリッサお嬢様が!!!」
唖然としている私をよそに、屋敷から母が駆けだしてくる。
「メ、メリッサ、貴女……」
ショックを受けたような母の視線を辿って、ようやく状況を思い出した。
(しまった!!私、手つなぎっぱなしだった)
しかも、もう片手には花束を握り締めている。
昨晩、あれだけしんみりとしたお話をしたのに、昨日の今日で手をつないで来るって、どんな娘よ。
慌ててアイク様の手を振り払う。無礼だとかそういうことは、今は後回しだ。
「ち、違うわ、お母様。誤解……」
「あ、義兄さま、いらっしゃい!本当に来てくれたんですね!」
母の後ろから、ルーカスが出てくる。
ていうか、ルーカス、今なんて言った!?とんでもない単語が聞こえた気がするよ。
アイク様も当たり前のような顔で手を振らないで。
すっかり混沌の地と化した、グレイ子爵家玄関前。
唯一冷静なジムが現れるまで、この状況は続くことになった。
◆◆◆◆◆◆
「大変ご無礼を致しました。アイザック第二王子殿下」
「いや、突然訪ねてこちらこそ申し訳ない」
「僕がお誘いしたんですから~」
応接室に座り、紅茶が出される。やっとまともな貴族の形に戻った。
「先日は、ルーカスが大変なご無礼を重ねたようで、まことに申し訳ございません」
「お世話になりました。義兄さま……いて!」
母がルーカスの頭をはたく。ぺしん、というなかなか良い音がした。
「いえ、とんでもない。世話になったメリッサの弟ですから」
アイク様は愛想よく話している。また好青年モードに移行したらしい。
「それで、本日はどういったご用件で……?」
母が恐る恐る話を切り出すと、アイク様は居住まいを正し、母の方を向いた。
「ルーカス……グレイ子爵には話をさせていただいたのですが、前子爵夫人にも、メリッサへの求婚をお許しを頂きたく、伺いました」
「「ええ!!」」
母と叫び声を上げる。
誰が、誰に、何だって!?いきなりの展開に、状況が飲み込めない。
「き、求婚って私にですか!?」
「他に誰がいる?」
「ルーカス!どういうこと!?」
呑気にニコニコしているルーカスを、母が問い詰める。
「王都にいた時、義兄さまが、姉さまを妻にしたいと言って来られたので、絶対に幸せにしてくださる自信があるのなら、僕は認めることもやぶさかではありません、と返答しました」
「なんでそんな勝手に!」
「そういうことは、ちゃんと家族に報告しなさい!」
我が弟は、想像を絶するほどの大ボケ野郎だったらしい。
確かに、まだまだ貴族の結婚は、当主が決めることがほとんどだが、こんな常識のない当主がいるだろうか。
普通、子爵家に王子殿下からの縁談なんて、本気にするか?しかも何やら上から目線の返答。
「あ、あの、アイク様、まことにありがたいお話なのですが、その、あまりにも、身分が。一旦、お、落ち着いて」
「メリッサ、落ち着け」
とにかく、一度冷静になってもらおうとしたら、噛み噛みになってしまった。挙げ句、私が諭されてしまった。
「アイザック殿下」
まだ動揺が残っている母が、努めて冷静に話し出した。
「このような至らぬ娘に、そのように仰っていただけて、母としてまことにありがたく思っております。しかしながら、当家は子爵家に過ぎず、王家に妃を出せる家柄ではございません。身の程を知らぬ発言ですが、母としては、大切な娘を側妃や愛妾にはさせたくありません」
王子相手に、精一杯訴える母。紛れもなく私を案じてくれているその姿に、胸が熱くなる。
「ご心配には及びません。俺は、メリッサ以外の妻を、娶るつもりはありません。それに、王子妃は確かに難しいですが、臣籍降下後であれば、身分の問題は少なくなります。先日、臣籍降下が内定しましたので」
そうなの?と私と母の顔に驚きが浮かぶ。
その様子に、怪訝な顔をしたアイク様は、ルーカスに尋ねた。
「建国祭で、王太子妃殿下のご懐妊が発表されたはずだが、聞いているよな?あわせて俺の臣籍降下についても。言ってないのか?」
「え?聞いてはいましたけど、特に言ってませんよ。重要な話だったんですか?」
「「ルーカス!!」」
母と私の怒声が子爵家に轟いた。