第3話 子爵令嬢は地獄を覗く
残酷な描写があります。ご注意ください。
「北側は、異常無さそうですね」
一報から3日、王都ではそろそろ建国祭が始まった頃だろう。
私は、見回りをする隊に入り、街の外回りを回っている。
子爵令嬢の私、医師のルイス先生、そして、体は大きくて気は小さいピーターさん(本業きこり)の3人が、この見回り隊だ。
「別に参加しなくてもいい、家にいな」と言われたのに、強い責任感だけで参加を申し出た者達が集まった、この上なく貧弱な隊である。
そのため、担当する時間は真昼間、街にすぐに戻れる距離が、私たちの活動範囲となっている。
「それでは、あとは東の沢あたりを見て、戻りましょうか?」
ルイス先生の言葉に頷き、東に向かって林を進む。
いつも、女性たちが山菜を取りに入り、子供たちが遊びまわっている林も、今はシーンと静まり返っている。
「わあ!なんだ!」
「風の音ですよ、ピーターさん」
鳥の声や、動物が茂みを揺らす音がする度に、斧を握り締めて飛び上がっているピーターさんを励ましながら、3人で歩いていた時だった。
「お嬢様、ピーターさん、ストップ」
少し前を歩いていたルイス先生が突然立ち止まる。
緊張が走り、手に持っていた短い槍を握りなおす。
恐る恐るルイス先生の前方を見ると、少し開けた場所に、消えた焚火と、食べかすなどのゴミが散乱している。寝具代わりか、汚いコートが広げられていた。
「まだ新しいです。昨晩か、それほど日数は経っていません」
「それって……」
ここは集落からほとんど離れていない。領民ならば、例え夜になっていても、家に帰れる距離だ。こんなところで焚火をし、野宿する人は、オプトヴァレーの街にはいない。
旅人だって、街に入ってくるだろう。何らかの理由で街に入らない、もしくは入れない人以外は。
「街に戻って、人を呼びましょう。賊だとしたら、近くで街の様子を窺っていることになります。かなり危険な状況です」
ルイス先生に促され、慌てて街の方に踵を返した時だった。
突如、ルイス先生に力一杯右手を引っ張られる。
言葉を出す間もなく、体勢を崩し、ルイス先生の方に倒れ込んだ時だった。
私が立っていた場所を、勢いよく何かが通過し、私のそばにあった木にぶつかる。
木の幹には、矢が刺さっていた。
「う、うわあああ!」
パニックになったピーターさんが一目散に走りだす。
「ピーターさん!危ない!」
叫んだが、無防備なピーターさんの背中向けて、更に数本の矢が勢いよく飛んでいく。
目の前でピーターさんが崩れ落ち、草木の中に倒れ込んでいった。
「ピーターさん!!」
悲鳴を上げたが、ピーターさんからの反応はない。
「囲んでやっちまえ!!」
野蛮な怒鳴り声が聞こえ、多数の人間が落ち葉を踏みしだく音が聞こえる。
髪も髭もボサボサで、汚れた服を身にまとった、これまで見たこともないような野蛮な男たちが、手に剣や斧を持ち、私達を取り囲んでいる。
人数は、10人くらいか、それ以上にも見える。
こちらが2人、それも1人は女と気づき、男達が余裕のある顔に代わる。
「若い女もいるぞ。女は生け捕りにしろ。男は殺せ」
明確な危険に、ガタガタと体が震える。持っている槍なんて、何の意味もないことを心底感じる。
囲まれて、逃げ道もない。
「お嬢様は、目を瞑って、耳を塞いで小さくなっていてください」
「えっ!?」
ルイス先生が、状況にそぐわない様な静かな声で呟いた。
「こいつらは何とかしますが、守りながら戦うのは得意じゃないので。お嬢様は、大層な防御魔法がかかってますし、その腕輪があれば、全然大丈夫だとは思いますけど」
ルイス先生が指さしたのは、私の左腕にはまっている、アイク様から貰った腕輪だった。
「どういうこと?」とも「ルイス先生戦えるの?」とも、聞きたいことはいくつも出てきたが、質問する状況ではなく、ただコクコクと頷く。
それを確認し、ルイス先生はゆっくり立ち上がった。
穏やかな雰囲気を漂わせた、細くて小柄なルイス先生に、武道の嗜みがあるようには思えない。
しかも、手には何の武器も持っていない。
「なんだ?この優男は」
賊たちは、相変わらずニヤニヤしている。
剣を構え、弓を番える様子が見えた。
「さ、お嬢様。うずくまってください」
あくまで落ち着いた声のルイス先生に促され、咄嗟に頭を抱えてその場に丸くなる。
矢が放たれる弦の音、怒号と共に、男たちが突進してくるような足音が聞こえた。
その瞬間だった。
体ごと上げられそうな風に襲われる。ここを中心に竜巻が発生したかのように、周囲の落ち葉や倒木が、巻き上げられてく。
聞こえるのは、風の音、男たちの悲鳴、そして、グシャッと何かが地面に叩きつけられる、嫌な音。
次第に土の匂いに交じり、鉄臭い、血の匂いが立ち込めてきた。
私はただただ嵐が過ぎ去るのを待つかのように、体を抱え、地面に這いつくばり続けた。
左手首の腕輪は痛いほど冷たくなっていたが、不思議とこれだけの風が吹き荒れているのに、私の周りに見えない壁があるかのように、小枝一本、小石一つ、私にあたることは無かった。
やがて、周囲が静かになる。風は吹き止み、話し声も聞こえなくなった。
「お嬢様、もういいですよ」
ルイス先生の声に、恐る恐る顔を上げる。
そこは地獄だった。
立っているのはルイス先生だけ。あれだけいた賊はどこにもいない。
いや、そこかしこに転がっている「人だったもの」が賊たちか。
木も、地面も、真っ赤に染まっている。血の海の中に佇むルイス先生には、返り血一つなく、平然と服の埃を叩いて落としている。
異様な光景に、声も出ない。現実味の感じられない凄惨な景色と、鼻を突く臭いに、胃から込み上げてくるものを抑えきれず、目を背けて嘔吐く。
「大丈夫ですか?」と背中を擦ってくるルイス先生の手は優しく、いつも診察をしている時の優しいお医者様のままだが、そのギャップが、恐ろしい。
お礼を言わなければ……と頭では思っていても、言葉が出てこない。
賊よりも、ルイス先生が得体の知れない「何か」に見えた。
ルイス先生は、そのままピーターさんが倒れ込んだ繁みの辺りに歩いていく。
「あ、ピーターさん!?」
私も立ち上がろうとするが、腰が抜けたようになっていて、足に全く力が入らない。
へたりこんだまま、ルイス先生を見守るが、そのまま1人で戻ってきたルイス先生は、私の縋るような眼を見て、ゆっくりと首を横に振った。その意味することは明確だった。
(そ、そんな……)
次から次へと起こることが、全く現実味がなく、ついていけない。
つい先ほどまで、隣で話をしていた人が、一瞬で命を失ってしまった。
一歩の違いで、私も死んでいるところだった。
そして、人間とは思えない、ルイス先生の力。
ただただ震える私を見守るルイス先生は、いつもと変わらない穏やかな声で話し始めた。
「お分かりになったと思いますが、私は、魔法使いなんですよ」