第20話 そして女官は令嬢に戻る
王都を出発して8日目、私は生まれ故郷のグレイ子爵領内、子爵家が立地する街、オプトヴァレーに到着した。
予定より時間がかかったのは、登山中にリオ様が疲労困憊で倒れ、野宿する羽目になったためだ。
いや、途中までは荷物を持ってくれたり、凄く頑張ってくれてたんだけどね。やっぱり王都生まれの人に、グレイ子爵領の山はきつかったようだ。
オプトヴァレーは、深い山と山の狭間にできた、広大な谷の部分に広がる町だ。
貴族が暮らす街としてはとても小さく、村と言った方が近いが、それでも2千人ほどの人口があり、店も点在している。
主要産業は、高地にしか育たない希少な薬草や、果樹、野菜の栽培。2代前の当主が始めたばかりで、まだまだ大量生産には至らないが、民の努力で徐々に根付いてきた。
「活気のある町ですね」
リオ様が初めて見る街を、興味津々と言った様子で見まわしている。
「でしょう?山奥だけど、意外に発展しているでしょ」
故郷を褒められると、やっぱり嬉しくなる。
「大変失礼ですが、噂ではもっと寂れているのかと思ってました」
「確かに噂通り、私が生まれる前は本当に滅びる寸前だったのよ」
リオ様の想像は決して失礼ではない。
我がグレイ子爵家が貧乏貴族となったのは、3代前の当主、私の曽祖父に原因がある。
当時のグレイ子爵家は、小さな鉱山も所有しており、そこそこに裕福だったらしい。
しかし、曽祖父は、酒・女・ギャンブルと3点揃った、スーパー駄目人間だった。
次々と財産を食いつぶし、借金を重ね、当時はもう少し便の良いところにあった屋敷と領地を失い、遂には唯一と言っていい収入源の、鉱山まで手放した。
一代にしてグレイ子爵家を没落させた男は、最終的には愛人との口論から刺殺され、グレイ子爵家の家名に泥を塗りたくってこの世を去ったという。
以降の当主、祖父、父は、曽祖父の残した借金の返済と、僅かに残った子爵領の維持・開発に注力したが、働きづめが災いしたか、早くに亡くなってしまった。
今は子爵夫人だった母が、弟が成人して正式に爵位を継ぐまでの間、後見人として実質的に領地経営を行っている。
「見えてきた。あれが子爵家の屋敷よ」
「…あれ、屋敷ですか」
私の指さした方向を見たリオ様が、大変失礼なことを呟く。
確かに、見た目は少し大きめの民家だ。屋根や壁の塗装は大分剥げているし、板で応急処置をしてある窓もちらほら見える。
「まあ、ちょっとばかし狭くて汚いけど、ゆっくりしていってね」
戸惑っているリオ様をほっといて、傾いた門をくぐる。もちろん門番なんていない。
ドアノッカーを叩くと、待ち構えていたかのように、ドアが勢いよく開いた。
「姉さま!!」
内側から、少年がイノシシのように突っ込んでくる。
「ルーカス!大きくなったわね」
3年ぶりの我が弟だった。私より小さかった身長は、いつの間にか私を追い越しているし、声も聞き覚えの無い大人の声に変わってしまっている。
でも、私が帰ってくるとタックルしてくる歓迎は変わっていない。久々だったが、体は動きを覚えていたらしく、何とか受け止められた。
でも、その体格では、もう大分きつい。
「ルーカス、体調は大丈夫なの?」
「はい!この数年、姉さまのおかげで、ちゃんと薬を飲めていましたから、昨年から1度も寝込んでいません」
「良かった!」
誇らしげに胸を張るルーカスは、まだまだ私の知っている幼い弟の面影が存分に残っている。
「メリッサ、お帰りなさい」
「お母様、ただいま戻りました」
ルーカスの後ろから、母が顔を出す。
「本当にお疲れ様でした。ありがとう、メリッサ」
優しく、少しつらそうに微笑む母の顔を見ると、これまで我慢してきたものが、溢れそうになる。
無言で母に抱きつく。母は優しく私を抱きしめてくれた。
静かな時間が流れる。
「で、姉さま。その男は誰?」
リオ様のことをすっかり忘れていた。
ルーカスは剣呑な顔で、リオ様を睨んでおり、リオ様は居心地が悪そうにソワソワしている。
「あの、こちらは王宮魔法使いのリオ様。王都から付き添ってくださったの」
「まさか、姉さま。こんな僕と年の変わらなそうな小僧と……?」
ルーカスが何か勘違いしていることに気付いた。可愛かった弟は、完全に殺気だった視線でリオ様を見つめている。対するリオ様は完全に怯え、腰が引けている。
いや、一般人のルーカスと、魔法使いのリオ様が戦ったら、リオ様の圧勝なんだが。
弟が王宮魔法使いに危害を加える前に、慌てて否定する。
「違う違う。リオ様は王太子殿下のご命令で、仕事で送ってくださっただけ!」
母と弟は、今度は心配そうに私を見る。母がゆっくり口を開いた。
「……王太子殿下に護衛を付けられるなんて、何があったの?数日前には、ビックリするくらいの大金が送金されてくるし、大変な目に遭ったんじゃないかと、心配していたの」
「……色々と、ありまして」
本当の事情を言うわけにもいかず、言葉を濁す。
すかさずリオ様がフォローしてくれた。
「メリッサさんは、王族の方の危機を身を呈してお守りし、計り知れない功績を上げられました。詳しいことは公表できないため、あくまで内々になってしまいましたが、国王陛下直々に感謝され、褒美を下されることとなりました。決して変なことは起きていませんので、ご安心してお受け取り下さい」
母も弟もまだ不安げではあるが、一応納得してくれたらしい。
「とにかく王宮魔法使い様もお入りください。狭いところですが。」
「姉さまもお疲れでしょう。ゆっくりお休みください」
2人に招き入れられ、久々の実家に足を踏み入れる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ジム、マリー、ただいま」
「お嬢様、すっかり美しくなられて……」
屋敷の中で迎えてくれたのは、私が生まれるずっと前から、子爵家に仕え続けてくれた執事長と侍女頭だ。
穏やかな老紳士のジムと、小柄でかわいらしいおばあちゃん、といった雰囲気のマリーの夫婦。
長と頭といっても、他に使用人は1人もいないので、家族のようなものだ。
目を潤ませているマリーに抱き締められる。
「さあさあ、お部屋の準備はできていますよ。本日はゆっくりと旅の疲れを癒してくださいね」
「魔法使い様も、客間をご用意していますので、ごゆっくりしてください」
その夜は、夕食もそこそこに、久しぶりの実家のベッドに倒れ込む。
あっという間に眠りに吸い込まれた。
◆◆◆◆◆◆
翌朝、昨晩に早く寝たせいか、すっきり目が覚めた。
(そうだ、私帰ってきたんだった)
王都よりも涼しい空気が心地よい。着替えを済ませ、猫の額ほどしかない庭に出ると、そこには先客がいた。
「おはよう、メリッサ。良く眠れた?」
「おはようございます、お母様。おかげさまでスッキリです!」
良かったわと笑う母。昔から、私たちに見せる顔はいつも明るく、しっかり者の母。
でも、そんな母も、女官時代は当時の王女殿下――アイク様の実の母上――に仕えていたという話を思い出す。そんなことは一度も聞いたことがなかったが、母も相当な苦労があったんだろうな、と今だからこそ感じる。
「お母様、私しばらくここにいてもいい?」
母に恐る恐る問いかけると、驚いたように大きく目を見開く。
「何を言っているの?ここは貴女の家よ。いつまでもいていいの!」
傷ついた顔をする母に、私は言葉を間違えたことに気づく。
「ごめんなさい。私達が貴女に頼りすぎたから、メリッサは甘えることもできなくなっちゃったのね……」
「お母様、そんなことないわ!」
「メリッサのお陰で子爵家はもう大丈夫よ。これからは、ここでゆっくり自分のやりたいことを見つけて。私も、ルーカスも、メリッサの一番の味方なんだから」
母に優しく抱きしめられる。母も私も、自然と涙を流していた。
「そうですよ、姉さま。僕は来年には成人です。今まで、姉さまが僕を守ってくれた分、今度は僕が姉さまをお守りしますから」
いつの間にか現れたルーカスは、もう私の後ろをついて歩いていた幼い弟ではない。
「ルーカス……ありがとう」
重荷だと思ったことはなかったけれど、何だか肩が軽くなった気がする。
やっぱりここが、私の帰る場所だったんだ。
今日から、女官ではなく、娘、姉、そして子爵令嬢としての、私の新しい日々がスタートする。




