第17話 女官は解放される
翌日午後、私はリオ様に連れられて、アイク様の本体が眠っている部屋に向かった。
広い部屋には、ノーマンとエドワード様の2人が既に待機していた。
私が入室した瞬間、ノーマンからは完全に殺意の籠った目を向けられる。
筆頭王宮魔法使いに滅茶苦茶恨まれている人間なんて、よく命があるなと言われるレベルだ。
(うぅ…、そもそも私悪くないと思うんだけど)
生きた心地がしないとは、まさに今の状況だと思う。
「やあ、女官殿。いよいよだね」
エドワード様は相変わらず緊張感の欠片も感じられない。
床には、複雑な魔法陣が描かれているが、もちろん私には分からない。
アイク様が寝ているベッドの方はできる限り見ないように意識する。やっぱり、知っている人の死体のような姿を見るのは、気持ちのいいものではない。
リオ様も大物魔法使いを前に、珍しく緊張している様子だ。
しばらく無言の時間が続いた後、近衛騎士の先導で登場されたのは、なんと、国王陛下、王妃陛下、王太子殿下という、この国のトップ3人だった。
「国王陛下!」
フリーズした私をよそに、一番最初にノーマンが最上級の礼をし、エドワード様が続く。
私も慌てて国王陛下に対する礼を行う。
「大変なところすまぬ。余も、アイザックを待たせてもらっても構わぬか?」
「はい。魔法を発動している間は、危険ですので、部屋の外にいていただくことになりますが」
「無論それで構わない」
あのノーマンが、物凄い低姿勢だ。全身全霊で国王陛下を崇めている気配が感じられる。
(なるほど、確かに国王陛下には忠実だわ。アイク様が言った通りだ)
「メリッサ・グレイ嬢」
「は、はいいい!」
突然国王陛下から声を掛けられる。当然、国王陛下から言葉を賜ったことなんて、一度もない。
予想外の事態に思いっきり声が裏返るが、そんな私に国王陛下は優しく、言葉を続けられる。
「貴女には本当に迷惑をかけた。アイザックを守ってくれたこと、心より感謝する」
国王陛下は単なる女官である私に軽く頭を下げられる。近衛騎士が動揺する様子が、視界の端っこに映った。
「も、もったいないお言葉です!」
あり得ない状況に、パニック状態でしどろもどろの返答をする。
そんな私を落ち着かせようと、王妃陛下が優しく肩に手を添えて下さった。
「ごめんなさいね、メリッサさん。あと少しだけお願いね」
「はい!」
壊れた人形のように、首をかくかく動かす。
「では、そろそろ取り掛かりますので、両陛下、殿下は外でお待ちください」
私にとっては『誰だお前』と言いたいくらい、人が変わっているノーマンが、部外者を外に誘導する。
リオ様も外に出てしまい、部屋に残されたのは、王宮魔法使い2名と私のみとなった。
「女官殿はこの魔法陣の中心に座っていてもらえる?」
エドワード様に誘導された場所に正座で座る。
「リラックス、リラックス。天才魔法使いのアイザック様が間違えていなければ大丈夫だから」
エドワード様の言い方が厭味ったらしい。どうやら、アイク様の超えてやる宣言を、かなり根に持っている様子だ。
(本当に大丈夫だよね!?)猛烈に不安になり、1人アイク様に問いかけるが、当然返事は無い。
ノーマンに至っては、これから人を助ける顔じゃない。
残念ながら、この部屋には腹に一物ありそうな魔法使いしかいない。
いたたまれない気持ちのまま、魔法使い達を刺激しないように、出来る限り目立たないように、ちんまりと座る。
体感では果てしなく長い時間が経ったような気がした時だった。
「……そろそろか?」
ポツリとノーマンが呟いた時だった。
私の身体が金縛りにあったように硬直する。
お腹の奥底が、巨大な氷の塊を飲み込んだように凍り付く。
(なにこれ!?)
これで大丈夫なのかと、体は動かないので、エドワード様に目で訴える。
「落ち着いて。アイザック様の魔法は、基本冷たいから」
(そんなことってあるの!?)
「無関係な魔法を使うときにすら、属性を抑えられない餓鬼が……」
ノーマンが憎しみが籠った声で、ブツブツと呟いている。
「じゃあ、やるよ。女官殿、魂落とさないように気分だけでも頑張ってね」
呑気にエドワード様が言っている横で、ノーマンが長ったらしい詠唱を行っている。
これから、死に繋がる魔法を思いっきりぶつけられるのだ。怖い以外の感情は出てこなくて、目を固く閉じる。
(大丈夫。俺を信じろ)
アイク様の声が聞こえた気がして、パッと目を開けた時だった。
目の前に光が弾ける。と同時に、暴風が全身に吹き付けた。
体には潰されそうな圧力を感じるが、硬直した体は全く動かない。
(息できない!早く終わって!死ぬ!)
突如、吹き付けた風が体を貫通したような感覚がした。
その瞬間、全身の圧が無くなり、ふっと体が軽くなった。
慌てて自分の身体を見下ろすが、服も体も穴なんて開いていない。
「捕まえた!!」
エドワード様が珍しく大声を出した。そちらを見ると、青白い光がふわふわと浮いている。
「アイク様…?」
漂う光は、眠っているアイク様の方に誘導され、音も無く消えていった。
「……成功だな」
深い溜息をついた後、ノーマンが呟いた。成功したと言っている割に、ノーマンは極めて不満げだ。
「そっちも大丈夫そうだね、変なところない?」
「だ、大丈夫だと思います」
近寄ってきたエドワード様が、私を上から下までざっと眺める。なぜか一瞬面白そうに笑ったのが気になった。
「陛下をお呼びする」
と言って部屋を出ていくノーマンの背中を見送り、私はエドワード様に問いかける。
「私も、もう部屋に戻ってよろしいですか?」
エドワード様がぴくっと片眉を上げる。
「……アイザック様の意識が戻るのを待たなくて良いの?」
「そのような畏れ多いことはできません。私の役目は終わりましたから」
きっぱりと告げると、エドワード様は何やら複雑な顔で首をかしげる。
「魔法の面からは、もう戻ってもらって構わないけど。リオは引き続き連れていけよ」
「ありがとうございます」とエドワード様に深々とお辞儀をしていると、あわただしく国王王妃両陛下と、王太子殿下が駆け込んできた。
「アイク!大丈夫か!?」
間違いなく、子供を、弟を心配する普通の家族の姿だ。
部屋の隅によけて、ベッドに駆け寄っていくお三方を見送った後、私は静かに退出した。