第15話 女官は色々と考える
私はこの後、どうするんだろう?
弟は15歳になった。今も身体が弱いところはあるが、来年には成人となる。
この国の貴族令嬢は、大体17~8歳で結婚する中、私は既に20歳。結婚するなら、そろそろ動かなければ、曰く付きのお相手しか残らなくなってしまう。
(結婚かあ……)
以前までは何の疑問も無かったが、今改めて考えると、気が進まない。
婚家に仕え、貞淑な妻として、見たこともない男と夫婦生活を送る自分を想像し、鳥肌が立つ。
(無理だ!)
だからといって、頭の中にちらついた顔を急いで振り払う。
彼は王子殿下で、臣籍に下ったとしても、公爵か辺境伯。しがない子爵令嬢とは天と地ほどの身分差があり、考えるだけでも烏滸がましい。
悩めば悩むほど、迷宮に迷い込んでいる気がする。
(……お母様に会いたいな……)
母の顔が脳裏に浮かぶ。
もう3年帰省していないから、母と会ったのもそれが最後だ。
父が亡くなった後、弟の後見として、女手1つで子爵家をやりくりしている母。
私が、上級学校への進学を止めた時も、王宮女官になると報告した時も、母は、「家のために、自分のやりたいことを犠牲にしなくて良い」と言ってくれた。
あの時は、自分で決めたことだと思っていたが、私のやりたいことって何だったんだろう。
子爵領に帰りたいと思ったのは、王都に来て初めてだった。
◆◆◆◆◆◆
「メリッサ嬢、少々良いか?」
実質軟禁中の私を訪ねてきたのは、王太子補佐官エドガー様と、王宮魔法使いエドワード様だった。
「アイザック王子殿下の救出方法だが、ノーマン様の考案の方法を柱に、エドワード殿が、追加で術式を考えてくれた」
エドワード様が、その術式らしいものが書かれた紙を広げる。
……何語?何の模様?
私に見せられたところでさっぱりだ。はてなマークが顔に浮かんでいるであろう私に、エドワード様は特に不快な様子も見せず、にこやかに説明してくれた。
「ノーマン様が考案した方法の一番の問題は、アイザック様だけではなく、女官殿の魂まで出てしまうということだ。そして、同時に2人の魂をそれぞれの身体に同時に戻すことは、現状困難だ。それができる魔法使いの人数が足りない」
「そうなんですか……」
この人まで、根性で戻れなんて言わないよねと、不安になる。
「で、この天才エドワード・ベネットが考えたのが、この魔法。戻せないなら、最初から貴女の魂が出ないようにすれば良いという、素晴らしい発想の転換を元に作成した、魂を身体に固定する画期的な術式だ」
「そ、それは、凄いですね」
得意満面なエドワード様だが、魔法が分からない私にはピンと来ない。
そして、自分で天才と言っちゃうあたりが、逆に不安が増す。
「で、ここで女官殿にお願いなんだが、この術式をアイザック様に伝えてくれない?」
「……えええ!?」
いきなりの難題に思わず声が出る。
「魂にかける魔法だからね。内側からかけたほうが確実だろうと、王宮魔法使いで意見が一致した。アイザック様なら、十分に展開できるだろうし」
再び、紙に目を落とす。
例えば、何かの文章や、公式を覚えるのならば、何度か書いたり読んだりして、暗記していくことはできるだろう。
しかし、これは文字は古語で、私には模様にしか見えない。所々書かれた図形も意味不明だ。
どうやって暗記すれば良いか、皆目想像がつかない。
「頑張れよ!なにせ君の命がかかっているんだから」
軽く言って私の肩を叩くと、「じゃあ、昨日徹夜だったから寝るわ」と、エドワード様は欠伸をしながら出ていった。
過去最高に難しい宿題を前に呆然とする私を、続けてエドガー様が現実に戻してくれた。
「メリッサ嬢、悩んでいるところ申し訳ないのですが、もう一つ、重要な話があります」
「なんでしょうか?」
相変わらず、穏やかな見た目ながら、目は一切笑っていない状態で続けた。
「アイザック王子殿下が無事戻られた後の、貴女のことです」
一気に緊張感が増し、口の中が乾く。
王家の秘密の数々を知ってしまったのだ。時と場合によっては、闇に葬られてもおかしくない。
呑気に将来を考えている場合じゃなかったかもしれないと、大きな不安に襲われる。
固まってしまった私に、エドガー様は、苦笑いを浮かべる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫です。国王陛下からも、貴女の希望に沿うようにと仰せつかっております」
「希望と申しますと…?」
(処刑方法の希望じゃないよな)
物騒な想像を慌てて打ち消す。
「今回の件の慰謝料のことです。金銭でも、良い縁談相手でも、可能な範囲でご用意します」
「私は、そんなことしていただかなくても……」
「何もお渡ししない方が、我々にとって不安になることを御理解ください」
急なことで戸惑う。要は口止め料ということだろう。
口止め料が必要と思われることは、不愉快ではあるが、エドガー様の言うことも分かる。
国王陛下も重鎮の方々も私のことは知らないのだから、人柄を信用しろという方が難しい。
口止めしておいた方が、少しは不安材料も減るのだろう。
「分かりました。考えておきます」
難題が増えてしまった。
◆◆◆◆◆◆
「で、何だこれは?」
「私の精一杯です」
哀れな子を見る目で、私を見下ろすのは、勿論アイザック王子殿下。
見ているのは、ほぼ真っ黒になった私の左腕だ。
見よう見まねで写した術式とやらを、ぐちゃぐちゃに書き込んである。
いや、最初は頑張ったんだよ。
でも、凡人の頭しか持たない私が、膨大な量の意味不明な文字や図形を覚えるなんて、これは何年かかっても終わらないなと早々に察した。
次に考えたのは、カンニングペーパーの持ち込みだ。
しかし、夢の世界に現実世界の物を持ち込めた試しはない。
服に書き込むことも考えたが、寝るときは寝巻になっていても、夢の中では、私は必ず女官の制服だ。
つまり、今着ている服に書いたところで、夢には反映されていない。
八方塞がりか……と項垂れたところで、目に入ったのは、自分の右手だった。
最近は水仕事もしないおかげで、綺麗な手になりつつある。
(そういえば、アイク様に火傷治してもらったっけ)
つい数日前のことなのに、随分前のことに感じる。
手を握られた感触を思い出すと、自然と顔が赤らみ、1人部屋の中で悶える。
(ん?そういえば…夢の中でも火傷だった)
生身の体に書けば、夢の中でも反映されるのでは!?
我ながら素晴らしい閃きだった。
利き腕と逆の左手に、寝落ちするまで、一心不乱に文字を写し続けた。
「汚ねえ字だな……」
誇らしげに胸を張る私に、アイク様は人の苦労をぶった切るようなことを言う。
「大きなお世話です!!」




