第10話 女官は覚悟を決める
パキッ、という何かが割れる音がした。
顔に冷たいものが触れ、瞑っていた目を開けると、ハラハラと雪が舞っていた。
床は私が立っている場所を除いて、一面氷が張り、室内の調度品は霜に覆われている。
空気は痛いほど冷ややかで、荒く吐く息が真っ白だ。
いっそ幻想的な風景が広がる中、ノーマンは、体の半分までが氷漬けとなり、魔法展開は途中で阻まれたようだった。
(……アイク様?)
ベッドに横たわったままのアイク様は、全く変わりなく眠りについている。
でも、私の中では、アイク様以外考えられなかった。
心の奥底で、強い怒りの感情が沸いている。でも、不思議なことに、これは私の感情じゃない。
(アイク様が、怒っている)
アイク様の感情が伝わってくる。
ただ、怒っているのはアイク様だけではないようだった。
最初は氷漬けにされ、驚愕の顔をしていたノーマンだったが、みるみる怒りの表情に変わっていった。
「アイザックか。あの穢らわしい血が!」
力ずくで上半身を固定していた氷を砕くと、地を這うような低い声で怒鳴った。
「王子を騙る輩を、わざわざ助けてやろうというのに、邪魔をするな」
強烈な殺気が放たれ、下半身の氷も派手に飛び散る。
(まずい!!)
ドアに向かって走るが、ノーマンから放たれた魔法が迫ってくる。
(間に合わない!)
と、思ったときだった。
「しゃがめ」
聞き覚えの無い声に、反射的にしゃがむと、頭の上を強い風が吹き抜けていった。
ノーマンの魔法とぶつかり、建物が音を立てて揺れる。
「ノーマン様、何をされているんですか?」
ボサボサの黒髪を掻き毟りながら、私とそれほど年齢の変わらなそうな若い男が入ってきた。後ろにリオ様や、数人の近衛騎士が続いている。
「私は国王陛下のご命令で、その女からあの王子を助けてやろうとしているのだ。口を挟むな、エドワード」
「そうはいきません。国王陛下からアイザック様のお守りを任されているのは俺ですから」
筆頭魔法使いに一歩も引かないこの男は、どうやら国王陛下直属の王宮魔法使いエドワード様らしい。
言い争う2人から庇うように、リオ様は私を後ろに誘導した。
「国王陛下は、この方法を却下したはずです。巻き込まれた女官を危険にさらさない手段を探すようにと、今朝もおっしゃっていたと、俺は記憶していますが」
「なぜ女官ごときのことなど、この私が考えなければならんのだ?」
私が知らない間に、上の方々は随分話し合っていたようだ。
国王陛下は私の身を考えてくださったようだが、恐らく、多数派の意見はノーマンと同じだろう。
「ノーマン様、取り敢えず、俺たちは王宮内で無許可に魔法を行使しました。国王陛下に申し開きに行きましょうか」
エドワード様に促され、ノーマンはようやく戦闘体勢を止めた。
射殺しそうな目で私を睨むと、先頭で部屋から出ていった。
「リオ、女官殿のことは任せた。……次は失敗は許されないぞ」
エドワード様はリオ様に言い放つと、ノーマンを追って去っていった。
気が抜け、へなへなとその場に膝から崩れ落ちた。
「メリッサさん、大丈夫ですか!?」
言葉が出ず、ただコクコクと顔を上下に動かす。
「すみません……。僕が目を離したせいで。もう大丈夫です」
リオ様の護衛は当てにならないよ…と八つ当たり気味に思いつつも、もう何も言う気力が出ない。
ふらつく足で立ち上がるが、立ち上がった瞬間、目がくらんだ。
(あ…やばい…)
スッと頭から血が下がる感覚がし、目の前の景色が白黒になる。
リオ様や周りの人が何かを言っている気がするが、聞き取れないまま、私は崩れ落ちた。
◆◆◆◆◆◆
いつもの夢の世界にいた。
ということは、貧血か、極度の緊張がゆるんだか、とにかく私は意識を失っているらしい。
「メリッサ!!」
いつもしかめ面か、腹立つニヤニヤ顔のアイク様が、焦った顔で駆け寄ってくる。
その顔を見た時、嬉しいのか、悲しいのか、よく分からない感情が一気に込み上げてきた。
「アイク様、生きてる……」
殺されそうになったり、魔法の応酬に巻き込まれたり、もう頭がぐちゃぐちゃだ。
何より、死んだような顔で眠っていたアイク様の姿が頭から離れない。
涙がとめどなく流れてきて、私は、そのままアイク様の胸に縋り付いて、声を上げて泣いた。
「……ごめんな」
アイク様の手が、私の頭に置かれる。もう片方の手で、落ち着かせるように、背中を擦ってくれた。
どれだけ時間が経っただろうか。涙も落ち着き、しゃくり上げも止まってくると、だんだん自分の状況が飲み込めてきた。
(…わ、私とんでもないことをしている)
いきなり王子殿下の胸に飛び込んで、号泣して、両手は今もがっつりアイク様の服を握り締めている。
……え?涙と鼻水、服につけてない?大丈夫?
急に冷静さを取り戻すと、猛烈に恥ずかしくなる。
顔を上げられず、取り敢えずそっと手を服から離した。
「大丈夫か?」
アイク様の声には、嫌そうな様子も、呆れている様子もない。
「……大丈夫です。すみませんでした」
俯いたまま答えると、アイク様の手が、頭をポンポンと優しく叩いた。
「なんでメリッサが謝る?全て俺が巻き込んだせいだ」
アイク様に促され、草の上に座ると、腕が触れるくらいの距離に、アイク様も座った。
「ありがとうございました。助けてくれて……」
ノーマンの狂気のような眼を思い出し、思わず震える。
「…メリッサの、助けを求める声が聞こえた気がした。そうしたら、メリッサの見ているもの、聞いていることが、なぜか伝わってくるようになった。……本当にすまない」
「なんでアイク様が謝るんですか。もう謝らないでください!」
落ち込んだ魔王なんて魔王じゃない。
この人は、傲慢そうに見えて、時々穴を掘りそうな勢いで落ち込む。
言いたいことや聞きたいことは山のようにあるが、それはいつもの横暴なアイク様に対してだ。
「私は無事だったんだし、大丈夫です。アイク様のおかげなんです!」
アイク様の目を覗き込み、はっきりと伝える。
アイク様の綺麗な藍色の目が、大きく見開かれる。
瞳が揺れたかと思うと、急いで逸らされる。
指で目頭を押さえているアイク様を、今度は私が黙って見守った。
しばらくして、アイク様は何か決意したように私の方を向いた。
「メリッサに、聞いておいて欲しいことがある。……今回の事件の、犯人についてだ」
「それは、私が聞いて良いものなのでしょうか?」
「国としては駄目だろうな。王太子の失恋なんてレベルじゃない超国家機密だ」
「え、じゃあ嫌…」
「俺が、メリッサに教えておきたいんだ」
アイク様は、いつもの悪だくみをしているような笑顔を浮かべている。
しかし、口角が微妙にこわばっているし、目は真剣だ。
これ以上国家機密を背負うなんて、私はどうなっちゃうんだろうとは思いつつ、アイク様を突き放すことなんてできない。
乗りかかった舟……というか、もうどっぷり乗ってしまっている舟だ。
(ええい、女は度胸!!)
母のモットーを思い出し、私は覚悟を決めた。
アイク様が望むなら、私は地獄にだって付いて行ってやる。
 




