第1話 女官は巻き込まれる
「メリッサ大変!クザン公爵、夫人とご令嬢を同伴してきたわ!」
「ええ!同伴は夫人だけって申請だったじゃない!あのジジイ、この忙しい時に仕事増やしやがって」
「メリッサ、言葉遣いに気をつけて!」
皆様ご機嫌よう。
ただいま修羅場の真っ最中の私は、レイファ王国王宮女官をしております、メリッサ・グレイと申します。
本日は、我が国パトリック王太子殿下の結婚披露宴という、国を挙げての吉日。
国中はお祭りムード、新婚の王太子御夫妻は幸せ一杯という、実に善き日ではございますが、私たち王宮で働く者達は、この数日、寝る間もなく走り回っております。
各国の賓客ごとに合わせた対応、食事がどうとかベッドが合わないだとか注文の多い貴人、来る予定の無かった客人の来訪。
言葉遣いも思わず乱れるというもの。
更に想定外の事態は続く。
「王太子殿下、一旦東の宮にお戻りになるとのこと。全員お迎えいたせ!」
女官長の声が響き渡る。
敵は外部だけかと思ったら、一番の中心人物まで計画を乱す始末。
「だ~か~ら~、予定に無い行動をとるなぁ!」
「メリッサ、不敬罪になるわよ」
同僚に宥められながら、王太子が居住する、東の宮前のアプローチに並ぶ。
「お帰りなさいませ」
女官が一斉に挨拶するなか、誰もが見惚れる美貌の王太子殿下は、礼装のまま、どことなく焦って宮に入っていった。
「忘れ物でもしたのかしら?」
「いくらなんでもないでしょう。さあ、持ち場に戻りましょう。クザン公爵令嬢の控え室を用意しなきゃ」
「そうだった!」
バタバタと駆け出した時だった。
「おい、そこの女」
(もう!急いでるのに何なの!?)
とは口に出さず、ビジネス笑顔で振り返る。
「…はい、ご用でございますか?」
うわっ、と声を上げなかった自分を、さすがプロの女官だと褒めてあげたい。
そこにいたのは、『レイファの魔王』こと、我がレイファ王国第二王子、アイザック殿下だった。
アイザック殿下は御年21才。王位継承順位第2位にして、王家に50年振りに生まれた魔法使いである。
スラッと高い身長と、王家の銀髪、深い藍色の目の比較的整った顔立ちを持つ、超ハイスペックな彼だが、残念なことに性格に難が多すぎることで名を馳せていた。
気に入らない貴族をカエルに変えるとかは、まだ可愛いほう。
戦場で敵兵数百人を焼き殺したとか、色仕掛けをしてきた令嬢をバラバラにしたとか、とにかく物騒な噂が飛び交う。
品行方正、人格者と名高い兄の王太子と真逆な、まさに『魔王』なのだ。
(東の宮にアイザック殿下が来られるなんて珍しい)
まあいきなり殺されることはないだろうと、丁寧に御用をお聞きする。
「王太子殿下が来なかったか?」
「はい、今しがた、東の宮に戻られましたが」
チッと盛大な舌打ちをすると、アイザック殿下は私の手首を力任せに掴んだ。
「直ぐ案内しろ!」
(痛い痛い!)
手首にアイザック殿下の堅い手が食い込んでいる。
優しさの欠片も無い扱いに、心の中で悲鳴を上げつつ、東の宮に走る。
東の宮に1歩足を踏み入れた時だった。
アイザック殿下が突然足を止める。
「この魔力……兄上が危ない…」
アイザック殿下の顔が青ざめた。
次の瞬間には、護衛騎士を置いてけぼりにして、階段を3段跳ばしで駆け上る。
私の手首を掴んだまま。
(ええええー!!)
一般女性たる私が、このスピードに付いていける訳がない。
なのに、アイザック殿下は手を放すのを忘れている。
もはや、私はカバンの如く、アイザック殿下に振り回され、ほぼ地に足が着かないまま、東の宮の奥まで連れていかれた。
目の前には王太子殿下の私室に繋がる、重厚な扉が閉じられている。
私の身分では、ここまで立ち入ることは許されていない。
が、私の事情など知ったことではないアイザック殿下は、蹴破るようにドアを開ける。
「兄上!!」
アイザック殿下の叫び声が響く。
まず目に入ったのは、バルコニー側の窓に追い詰められた王太子殿下。
王太子殿下の前には、頭まで黒のフードを被った人物が立っている。
こちらに背を向けており、顔どころか、性別すらも判然としない。
その人物が、今まさに手を振り下ろそうとしている。
私は魔法は全くの素人だが、それでも、その人物が王太子殿下を害そうとしていることは分かった。
私の脳の処理能力を超えた事態に、声も出ずただただフリーズした。
アイザック殿下はやっと私から手を離し、王太子殿下の前に走り込む。
ここまで、私には酷くゆっくり見えたが、実際には一瞬の出来事だったようだ。
目の眩むほどの光の束が、アイザック殿下を直撃する。
その瞬間、風の塊が吹き付けてきたかのような、猛烈な圧力が私の身体に振り掛かり、廊下の壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられた。
衝撃で私はそのまま意識を失った。
◆◆◆◆◆◆
気付くと、とても綺麗な場所にいた。
花が溢れ、小川がサラサラと流れている。
周りを見渡しても、人の気配は一切無く、何の音も聴こえない。
ふと川の向こう側が気になり、足を向ける。
「そっちに行くと死ぬぞ」
無音の空間だったのに、いきなり声をかけられ、心臓が飛び上がる。
さっきまで誰もいなかったはずなのに、3メートル位横に男が立っている。
「アイザック殿下…?」
そういえば、私は王太子殿下の部屋で、とんでもない事件を見てしまった。
アイザック殿下が、何か魔法のようなものを受けていたのは覚えている。
そして、私も吹っ飛ばされたことも。
ということは…。
「私、死んだの…?」
ここが死後の世界なら辻褄が合う。
確かに典型的なあの世のイメージだ。
つまり、私もアイザック殿下も死んだということか。
(嘘でしょ…?)
あまりのことにその場に崩れ落ちる。
まだ実家の借金も残っているのに…。
私がいなきゃ、弟の治療費は誰が払うの…。
パニック状態になり、頭を抱える。
「まだ死んでねぇよ。…お前はな」
そんな私を見下ろし、アイザック殿下がぶっきらぼうに呟く。
「ほら、とりあえず起きろ。1回状況を確認してこい」
襟元を掴まれて、乱暴に立たされる。
死後の世界でも、アイザック殿下は横暴だ。
抗議する間もなく、周囲が急速に明るくなる。
眩い光に包まれて、アイザック殿下の姿も見えなくなった。